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よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

クリンズマンの挑戦ーアメリカ

2011年11月01日 | サッカー
アメリカ男子サッカーは、三段跳びで言えば、ホップ、ステップのステップ段階に突入したと言ってよいであろう。MSLメジャーリーグサッカーは、よし坊がアメリカに来た頃とは隔世の感がある。当時はサッカーの放映は年に数回と言う程度だったが、今では毎週放映している。弾みをつけたのは、やはりベッカムの加入だ。以後、アンリが、バルサからマルケスがアメリカの土を踏んだ。中南米の選手も見逃せない。最近の特徴はフランスからの参入であろう。アメリカ人とは違うスタイルの選手が入り乱れ、レベルアップにつながっている事は間違いないだろう。

男子ナショナルチームも、長年のアメリカ人コーチの下で、ランクを上げてきたし、アメリカ人選手の多くが欧州で武者修行しているのも強さ向上に貢献している。ここまで来た事は来た。さて、これからが問題である。アメリカサッカー界全体の底上げには、もう一つ何かが足りない。何かが欲しい。

ボブ・ブラッドレイの後を受け、元ドイツ代表であり、ドイツの監督も勤めたクリンズマンがアメリカの監督に就任した。アメリカ人以外では初めてであろう。そこに、アメリカの意思が感じられる。ステップからジャンプへ行くには、新しい”血”が必要と感じたのだろう。

今の所クルンズマンのアメリカチームは勝ったり負けたりで、決して数字自体は良くない。しかし、色々なトライをしているように見える。これが日本だったら、メディアも含めて、連日紙面はブーイングの嵐になるのだろうなと思うが、アメリカはちょいと違う。コメントも冷静というか、プロフェッショナルなコメントが多い。

明らかにクリンズマンはアメリカのサッカーに大変革をもたらそうと考えているようだ。今のままでは、欧州に伍して戦うレベルには決してならない、と言い切り、何かを仕掛けないといけないと感じている。いくつか有る中で、彼が指摘した一つは、Fast passであった。正確でかつ早いパス。これの向上なくしてアメリカチームが、少なくともW杯で4強へは進めないと思っているに違いない。

クリンズマンは、ナショナルチームだけではなく、MLSが欧州のプレミアリーグ、ブンデスリーガ、ラ・リーガ等と同等に扱われる時代を実現したいとも言っている。

アメリカで、ベッカムが、アンリが、マルケスが、そして最近アメリカの土を踏んだスコットランドのキャプテンだったロビー・キーンがこの地で対戦する事を10年前は予想もしなかった。

羽ばたけ 李忠成

2011年10月07日 | サッカー
格下ではあるが、ベトナム戦で久しぶりに李忠成が貴重な一点を入れて日本が勝利した。このところ、ゴール前ではいい動きをしていたのだが、中々自己の点に結びつかず、代表入りしてからさぞ焦りが出てきていたであろう。アシストで貢献しても、FWとしては、やはりゴールの数で査定されるから、兎に角彼にとっては待望の、そしてホッとした一点である。

サッカーに人生をかけ、生まれ育った日本での代表入りを果たす為国籍を取った彼には、今後大いに国際レベルで羽ばたいて欲しい選手だ。よし坊は、この李忠成が好きである。

前回のW杯前後からの代表戦での彼を観て来て、一つだけ気付いた事がある。この一点だけで、前から気になっていた李忠成という選手を益々好きになったと言ってよい。それは選手交代時に起きる。彼が途中で下げられるシーンだ。彼は、必ずピッチの外へ出た後、フィールドに向かって、丁寧にお辞儀をする。他の選手では見たことが無い。

彼は、明らかに、代表に選ばれた事、試合に参加出来た事に感謝すると同時に、仕事場としてのフィールドに敬意を払っているように思える。これは、どこから来ているのだろうか。親の教育か、それとも儒教の教えが根づいているのか。こういうことは、昔の日本人が持ち合わせていた美点のひとつだったと思うが、現代の日本には、そのカケラさえも見出せぬ中、李忠成の、一瞬見過ごしてしまいそうなお辞儀は、なんとも心地よい、爽やかな姿である。そんな事もあって、李忠成は愛すべき、気になるプレーヤーなのである。

なでしこジャパンとなでしこリーグ

2011年10月04日 | サッカー
なでしこジャパンの余韻はまだ続いているらしく、誠に結構な事だ。しかし、最近のブログに警鐘をならす記事が出てきて、漸く出て来たかという思いだ。

現在のなでしこリーグは、なでしこジャパンに選ばれた選手7人を擁する神戸がダントツにトップを走っている。加えて、来期は若い有力選手が神戸に入団すると言う。強いところに有望選手が集まるのは世の道理と言えばそれまでだが、ブログ氏は、これでは強弱の変則二極化が起こり、女子サッカーの人気底上げどころか、リーグの分解がどこかで起きるのではないかと危惧している。よし坊も全くその通りだと思う。女子サッカーが陽の目を見ないまま今日まで来た事を考えると、この人気を底上げする為に"何か”を仕掛けないといけないのだが、日本という社会的土壌では、恐らくポジティブな手は打たないだろう。

ダントツの女子サッカー人気を誇るアメリカでさえ、女子サッカーのプロリーグの維持は大変である。2001年に始まった第一期プロリーグも3年で頓挫した。観客が爆発的に増えず、資金が続かなかったのである。そして苦節6年のマーケット調査を経て、今第二期を迎えているが、その維持はそう簡単ではない。

そんな厳しい中、アメリカがリーグ維持を目指して取っている手法は誠に興味深い。スポーツを観ていて、決まった一握りのチームだけが勝ち続けるのでは、全く面白くないのは当然で、弱いチームの試合には観にいかなくなる。そこを毎年レビューして、一握りのチームに力が偏らないように選手を移動させるのだ。それでも勝ち続けるチームは出てくるが、少なくとも全体のレベルを平均化しようと協会が率先して引っ張っているから、翌シーズンに楽しみを見ることが出来る。

非営利団体の活動以外は、どの様な活動でもビジネスであり、ビジネスであるからには、成長しないと意味が無い。その点では、アメリカ人はビジネスモデルの全体像をまずデザインし、その中で最適な組み合わせを求めていく事に長けている。

なでしこジャパンがもたらした女子サッカーのブームを定着させる為には、何かを仕掛けないといけないだろう。何も、アメリカのマネをしろとは言わぬが、将来を見据えたチエを出さないと、ブログ氏が言うように、早晩陰りを見せる事間違いなし。

澤穂稀のアメリカ (4/4)栄光のW杯から次の時代へ

2011年07月30日 | サッカー
日本人プロ野球のアメリカでの最大の功労者と言えば、迷うことなく野茂である。彼が礎を築いたからこそ、イチローが活躍出来、松井がアメリカに来ることが出来たのだ。同じく、女子サッカーでは澤穂稀がいなかったら、唯でさえ認知度が低い日本の女子サッカーを名実ともにここまで引っ張れなかっただろう。この数年、女子選手もアメリカへ、ヨーロッパへと海外でプレーする数が増えてきた事は、大変喜ばしいことで、これが強さに繋がっていくはずだ。もっと大きなうねりになる事を期待したい。

それにしても、北京五輪での4位は、大きな自信に繋がったに違いない。これがあったからこそ、次はその上、即ちメダルに拘るパワーが出て来たのではないか。予選ラウンドを突破する、決勝ラウンドで初戦をものにする、ベスト8に進む、ベスト4に進む、決勝に臨む。優勝への道標を一つ一つクリアしていく。何とタフな作業だろうか。日本が手にしたトロフィーの意味は大きい。身体の小さいアジア人や、中南米の人達(ブラジルは別格としても)に優勝への希望を抱かせるのに十分意味ある優勝だった。

2010年、アメリカに第二次女子プロリーグWPSがスタートした。宮間が、丸山が、アメリカの土を踏んだ。澤は、あのウォンバックがいるワシントン・フリーダムに移ったが、#10を与えれたのは、彼女に対するリスペクトと同時に、彼女が持つ、それ以外の「何か」が10番を背負わせたのだろうと推測する。

そして、今年W杯を迎え、見事にウォンバックのアメリカに勝った。ウォンバックが、試合後「Sawa is magnificent」と言った言葉は、ウォンバックの勝ち越し点をチャラにする見事なヒール・キックを決めた、元同僚に対する賛辞である。澤とウォンバック、何かの因縁であろう。

澤のサッカー人生、どこまで行くのか。ロンドン五輪はもちろんだが、次のカナダW杯にも是非その姿を見せて欲しい。そしていつの日か、又アメリカの土を踏んで欲しいものだ。(完)

澤穂稀のアメリカ (3/4)並み居る強豪達とW杯

2011年07月28日 | サッカー
プロリーグの各チームには、それぞれに有力な選手がおり、澤も大いにてこずったことだろう。その中でもワシントン・フリーダムのエースFW、アビー・ウォンバックとドイツの花形、当時カロライナ・カレッジに所属したバージット・プリンツは突出した選手だ。

アメリカのウォンバックは、今回のW杯決勝戦の延長前半で2点目をヘディングで叩き出して、その強さを見せ付けた。レジェンドのミア・ハムの後継者でもある。

プリンツについては、忘れられないエピソードがある。顔を見れば、実に愛らしい顔をしているプリンツが、ビートとの試合に登場した。試合が始まるや、その重戦車のような、しかし敏速な走りで、ビートのゴールに迫る。ビートもタジタジとなる。そのうち、プリンツがボールを持つと、スタンドからブーイングのようなものが起き、怒号に近い、汚い言葉が発せられるようになった。「この男おんな」。髪をショートカットにしており、遠くから見たら、なるほど、女子に混じって男がひとり、獅子奮迅の戦いをしているようにも映る。それにしても酷いブーイングだ。この国の根深い人種差別の一面を見ているようであった。そんな事も影響したのか、彼女は一年でアメリカを去った。

2003年、中国でやるはずの女子W杯が、SARSの影響で急遽アメリカ開催に変更された。アメリカでのW杯など、滅多にチャンスは無い。しかも、日本も出場するとあっては、駆けつけない訳にはいかない。予選ラウンドの日本対ドイツ。負けは覚悟だ。しかし、この好カードを見逃す手は無い。9月24日のオハイオはコロンバスでの対戦。チケットを手に入れ、ワイフと二人、車で早朝出発し、約9時間の旅に出た。

応援の甲斐もなく、3-0の完敗だ。やはり、プリンツが日本の前に立ちはだかった。今回のW杯で活躍したゲアフレカスもいた。たまたま隣の席にアメリカ人夫と日本人女性の国際カップルが応援に来ていたので言葉を交わした。土地の人かと思ったら、日本から駆けつけたというではないか。二人ともサッカーフアンだが、日本では、こんな盛況は女子サッカーでは有り得ないと、ビックリしていた。このご夫婦は、今回のドイツW杯にも駆けつけてたのではと、ふっと思う。

2003年のW杯も終わり、そして、女子プロリーグWUSAも資金難から、創設3年で幕を閉じる事になる。

澤のW杯への挑戦も予選ラウンド敗退で終わった。道のりは険しい。

(写真はドイツのプリンツ)

澤穂稀のアメリカ (2/4)アトランタビートとWUSA

2011年07月26日 | サッカー
スターになる選手には、一つの重要な要素、と言うか関門がある。特にサッカーでは、これが有るか無いかは、その後に大きく影響する。その要素とは、開幕戦で「目立つ」ことだ。最初の強烈なインパクトは、ファンの脳裏に鮮やかに焼き付けられる。

2001年、いよいよアメリカ女子サッカープロリーグ(WUSA)の幕が切って落された。そして、アウェイのボストン・ブレーカーズとの開幕試合で、澤はやってのけた。いきなりビートの初得点を決めたのだ。この一つで、澤の名前は一挙にビートファンの間を駆け巡る。アトランタ・ビート史の最初の一ページに名前が記されることになるのだ。以後、澤はチームの要として、獅子奮迅の戦いをしていく。

ビートはその年の優勝決定戦で惜しくも破れるが、その選手を見ると黄金時代を思わせる陣容だ。FWは#10のシャーメイン・フーパー。カナダの花形代表選手だ。同じカナダからは、DFにシャーロッタ・ノーネンが名を連ねる。FWにはアメリカの代表選手、シンディ・パーローがいる。後に、ドイツからローリ・ポーラ、中国のスーパースター、スン・ウェンも加入して来た。もう一人、メキシコから来たマリベール・ドミンゲスを忘れてはならない。今回のW杯でもドミンゲスはメキシコチームの要として、その元気な姿を見せた。そして、守りの要、ゴールキーパーは、アメリカ代表のブライアナ・スカリーだ。当時のアメリカ代表選手は皆白人だが、唯一の例外がスカリーだった。

ビートのホームは当初はジョージア・テック(大学)のスタジアムだったが、改築の為、後にモーリス・ブラウンカレッジのスタジアムに移る。始まるのが大体夕方6時。チケットは中の上で22ドルだった。よし坊とワイフはホームの試合にせっせと通う事になる。試合前、アメリカ国家の斉唱に続き、メンバー紹介がある。「ナンバー8、ミッドフィルダー ホマレ・サッワー フロム ジャパン」がコールされると、ひと際高い歓声が上がる。


澤はビートの黄金時代に身を置き、欧米の一流選手に揉まれながら、その技を磨いていく。この武者修行無くして、今の澤は無いだろう。

(写真は、ファンの集いで澤に書いてもらったサイン)

澤穂稀のアメリカ (1/4)サッカー王国への挑戦

2011年07月24日 | サッカー
ナデシコの快挙と興奮も落ち着いてきたので、快挙の立役者である澤穂稀と澤を育てたアメリカに焦点を当てて4回に渡って書き綴ってみたい。

かつてサッカー天才少女と呼ばれた澤穂稀については、今頃挙って色々なメディアを通じて紹介されているに違いない。そのサッカーの虫は、日本のレベルに飽き足らず、更に上を目指して、女子サッカー王国のアメリカに乗り込んだ。1999年、彼女はコロラドのデンバーに降り立った。

サッカー王国、アメリカ。男子サッカーが欧州・南米中心なのに対し、女子サッカーは何故かアメリカが強い。その裾野は広く、女の子を持てば、4-5歳からサッカーをやらせる。小学校から中学高校、そして大学まで各層でリーグのネット網が敷かれている。日本の男子サッカー熱が、小さい頃からフィーバーするのと同じ事が、ここアメリカでは女子サッカーで起こっている。車を郊外に走らせると、随所に多面的サッカーグランドが目に入り、如何に人気があるかを物語っている。

アメリカの女子サッカーも初めから盛んだったわけではない。一握りの趣味的スポーツに過ぎなかった女子サッカーが浮上する切っ掛けは、1972年の連邦政府の教育プログラム改正でメジャースポーツ以外にも助成金が公平に配られる仕組みがスタートした事に拠る所が大きい。加えて、ボール一個と原っぱさえあれば練習もゲームも出来るというサッカー特有の手軽さが後押ししたのだ。

以後、サッカー人口は驚異的に増えていく。1976年の時点で、全高校生の10%に過ぎなかった高校サッカー人口は、2000年には実に42%に達している。それまでは男子クラブが圧倒していた大学のサッカークラブ数も、1997年、男子クラブ70%に対し、77%と抜き去ってしまう。

アメリカのスポーツはサッカーに限らず、野球でもバスケでも、大学まで充実したネット網が張り巡らされており、プロになる為のドラフトは、大学レベルが対象だから、大学まで行かないと意味が無い。日本のように圧倒的に高校でプロに転向するのと、ここが大きく異なる。

日本を含めたアジア人にとって、パワーゲームが全てと言っても良いくらいのアメリカでの挑戦は並大抵ではないだろう。アメリカ人は身体は大きいし、スピードもある。ちょっとの事では太刀打ち出来ない。俗に言う身体能力に優れているのだ。今回のW杯前に、アメリカでの経験について、アメリカ人に勝てるのはテクニックしかない、とコメントしていた様に、彼らのパワーに対して、どの様なテクニックを高めていけばよいか、が彼女の前に立ちはだかった大きな課題だったであろう。

99年から2000年に掛け、デンバー・ダイアモンズに所属した澤にとって大きな転機でありチャンスが訪れる。クラブのコーチ(日本では監督)、トム・ストーン(写真)が翌年から始まるWUSA(女子サッカープロリーグ)の参加クラブのひとつ、アトランタ・ビートのコーチに就任する事が決まったことだ。この巡り会わせが無かったら、その後の澤のアメリカでの活躍は無かったかもしれない。トム・ストーンは澤の、アメリカ人には無い力量を十分認識していたはずだ。彼は澤をアトランタに連れて行くのである。

神が導いた優勝

2011年07月18日 | サッカー
まるで、神が導いたような決勝進出であり、優勝だった。
今頃、日本チームの優勝風景がどこもかしこも踊っていることだろうから、よし坊は落胆しているアメリカチームの写真を見ながら、この記事を書こう。

世界4位は、上位3チーム、とりわけアメリカ、ドイツとはかなり距離のあるランクだが、W杯の前に、チームの要である澤は、メダルを取りたい、今のチームなら可能性はある、と言った。恐らく、後にも先にも、今の日本のメンバーがピークにあると実感していたのだろう。

イングランドに無様に負けたが、決勝ラウンドへ進出した。イングランド戦は、宮間がコメントしていた如く、相手が誰であっても負けていたような、力の出せなかった内容だったらしい。この結果、決勝ラウンドの相手がドイツとなったから、こりゃアカン、となる。負け知らずのドイツ、あのプリンツを擁するドイツ相手では、負けてもしょうがない、と諦めていた。しかし、である。イングランド戦が嘘のような、日本の戦い。W杯通して、日本の戦いで最高のゲームだったのではないか。ドイツにすれば、まさかの敗退。最後までプリンツは使われなかった。試合後のプリンツの、悔しそうな顔が印象的だった。かつての、日本のキング・カズが、途中で代表から外されて日本へ帰された時の事を思い出させる。神は日本に味方したのだ。

これで、世界4位の面目を保った。そして、スェーデン戦での完勝で、銀メダルさえ確定させてしまった。しかも、決勝はアメリカだ。

ドイツを撃破した今、決勝の相手がブラジルや他のチームでなくて、良かったと思った。勝っても負けても、王者アメリカと戦うことに大きな、大きな意味があるからだ。今回、他のチームと対戦して、優勝したとしても、「でもアメリカとやっていない」という心残りが付きまとったはずだ。その意味で、アメリカとの決勝で良かった。

正直のところ、今まで身近でアメリカのチーム、そして、W杯前にアメリカで行われた親善2試合を観ているから、相当難しい、と思ったのだが。

アメリカは、目前の3度目の優勝が、あたかも、両の手にすくった水を飲まんとして、あっという間に指の間からこぼれ落ちてしまったように、呆然としたことだろう。

延長戦前半で、ウォンバックが勝ち越し点を入れた時、アメリカは勝利を確信した。しかし、実況中継の、元代表のチャステインが、「これでPK戦は無いだろうと思うが、一抹の不安が残る」と言った。それが、延長後半で、現実になってしまった。澤の渾身のLeaping heel kickというやつだ。これは、正に技である。

神様は、決勝戦までは、丸山や川澄など、その日のヒーローを造り出し、しかし、最後の最後で、一点目は宮間のゴールを、そして同点を宮間と澤のコンビによる見せ場を造ってくれたような気がする。

写真は、落胆したウォンバックとソロの顔だが、昨年までのワシントン・フリーダムの同僚ウォンバックは、澤の凄さを称えた。又、顔を見れば一目瞭然の、強気でズバズバ言うソロが、こんな事は他のチームに対し、滅多に言う事は無いが、と前置きして「今日の日本は、我々以上の何かの為に戦っていた気がする。リスペクトに値するチームだ」と言っていたのが、全てを物語っている様な気がする。

次は、澤穂稀の事を書いてみたい。




白熱の準々決勝 -女子ワールドカップ

2011年07月09日 | サッカー
白熱の試合、というのは今日のような試合の事をさすのだろう。フランス対イングランド、日本対ドイツ。全社はPK戦までもつれ込み、フランスが制した。後者は、大方の予想を覆し、日本が初めてドイツに勝った。

フランス対イングランド。序盤からフランスが押し気味で、何度かチャンスが有ったが、ゴールを揺らさないうちにイングランドが先行してしまった。しかし、フランスの勢いは衰えず、87分で同点に追いつき、延長戦を乗り切ってPKで勝利を手にした。終始優勢だったので、報われて当然だ。

日本は、イングランド戦では無残にも蹴散らされ、まるで良いとこ無しの惨敗だったから、ドイツ相手ではどうにもなるまいと思っていたのだが。

しかし、何が起こったのかと思わせる程今日は違っていた。パス回しは冴え、ドイツはそれに翻弄される。フランスと同じく押し気味に前半を終わり、後半も若干勢いが衰えたが、乗り切った。そして、延長戦に入り、ワンチャンス、澤の絶妙パスを丸山が蹴りこんだ。

ホスト国のドイツ、こんなはずではなかったと、終了間際まで怒涛の如くゴール前に迫るも、非情のホイッスルとなった。

日本のドイツ撃破は、今大会の最大のサプライズのはずだ。今日は祝杯を上げるど!!

Copa Oro メキシコが制す

2011年06月26日 | サッカー
北中米選手権の決勝が今終わった。予想通りの対決メキシコ対アメリカ。4-2でメキシコが制した。

今回のアメリカは、久しぶりにフレディ・アデューが先発をした。準決勝で途中から出場し、決勝進出への貴重なアシストが、この先発に繋がったのだろう。アメリカチームには少ないウィンガーとしての能力は高く、もっと多用されていい選手だが、この数年間はお呼びが掛かってもベンチウォーマーで出番が無かった。未だ22歳だから、今後に期待出来る逸材だ。

さて、メキシコだが、あらためて、ドス・サントスは上手いと思った。4点目の、ゴール前でドリブルで競り、右前から放った浮かし玉のシュートが左上隅に吸い込まれた。芸術だ。

メキシコが、身体は小さいが世界ランキングの上位にいるのは、スペイン程ではないにしても、やはりドリブルやボール回しの細かい所のテクニックに優れているからだろうと思う。相手からボールを奪うのもアメリカを凌いでいた。

チチャリートも、今日は得点こそなかったが、マンUで活躍しているだけのことはある。

一度日本とメキシコを戦わせてみたい。どんな試合になるだろうか。やはりメキシコかな。そう感じさせる今日のメキシコだった。