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よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

米国サッカー事情 - 人気上昇中なり

2014年03月17日 | サッカー
長らくアメフト、バスケ、野球とアイスホッケーが4大メージャースポーツの名を欲しいままにしてきたアメリカだが、その地図が近い将来大きく変わる様相を示すデータが出てきた。

スポーツ番組で定評のあるESPNが毎年行っている年齢層別のスポーツ人気度の最新レポートの中で、将来を占う12歳ー17歳層の人気度において、初めてサッカーが野球と肩を並べたと言う。主な内訳は、アメフト(NFL)39%、バスケ(NBA)23%、野球(MLB)とサッカー(MLS)が18%、アイスホッケー(NHL)は13%である。

年齢層を12歳から24歳までに拡げると、サッカーの人気度はアメフトの次に来ているというから、最早アイスホッケーは目じゃない。野球は明らかに2011年から人気度が下降しているが、サッカーは2010年から上昇気流に乗っている。2010年は南アでのワールドカップがあった年であり、これが大いに影響しているのは間違いない。

MLSは1993年に設立され、実際の試合は1996年のスタートであった。この96年はよし坊がアトランタに来た翌年に当たり、そしてアトランタ・オリンピックの年でもあった。以来、アメリカのサッカー事情を折に触れて見て来たけれども、アメリカのサッカーがここまで来た道のりは平坦ではなかった。

古くは70-80年代、ペレやベッケンバウアーを呼び入れた有名なNYCosmosを中心としたプロリーグ活動があったが、土台としてのサッカー人口の脆弱さから中々人気に火がつかなかず、リーグは消滅していった。

大きな転機はやはり94年に開催された米国でのワールドカップであろう。これに合わせるかのように、93年MLSが設立され、実際のゲームは96年スタートと決まった。さて、スタートをしたMLSだがさっぱり人気が上がらない。人気がないからTV中継が殆どないのだ。あっても週に1-2試合。他の4大メージャーに押され放送枠が取れない現実があった。この状況が暫く続き2002年の日韓ワールドカップを迎えるのだが、2000年を前後するこの頃にはMLSは15%前後の人気度を確保するところまで来た。以後、ワールドカップ出場の度に少しずつではあるがシェアを伸ばし、TV中継も増え、そして今、野球に肩を並べた。

ここまで来れたいくつかの要因がある。まずワールドカップ。94年の開催以来今年のブラジル大会まで連続出場している事が大きい。次に女子代表チームの存在だろう。女子代表チームは既に80年代から女子ワールドカップで存在感を示し、初期は中国、スェーデンと覇権を争い、近年は強豪ドイツと実力を二分している。女子代表チームの活躍が米国サッカー人口の裾野を大いに拡大したと言っても過言ではないだろう。

三番目の要因は外的要因とも言えるベッカム効果である。デイビッド・ベッカムが意表をついて、名門レアル・マドリッドから2007年ロスアンジェルス・ギャラクシーへ移ったインパクトは大きな二つ目の転機とも言える。TV中継も飛躍的に多くなり、その後、ヨーロッパからの大物選手が来る流れを作った。フランスからアンリが、アイルランドからロビー・キーン、そして今年はイングランドからデフォーが移ってきた。毎年8月と1月の移籍シーズンに誰がアメリカに来るか、来ないか、そんな話が俎上に載るようになったのだ。逆にヨーロッパでプレイする米国の選手も飛躍的に増えた。

世界ランキングでは概ね20位を挟んで前後しているから、まだヨーロッパ強豪との差は歴然とあり、レベル向上への課題は多いが、10位以内という目標が近い将来実現する可能性は十分にある。今年のワールドカップの成績を待たずにクリンズマンのコーチ延長が決まったのは、10位以内という目標を達成しようとする米国の強い意思表示のように思えるのだ。


カルロス・ベラ と ラファ・マルケス

2014年02月14日 | サッカー
先週は残念なニュースを、そして今週はちょっと和むニュースを聞いた。メキシコサッカーの話だ。

2010年のWカップ南ア大会を目指してメキシコ代表チームでは粋のよい若者達が躍動していた。チチャリート・エルナンデスが、ジオ・ドス・サントスが、そしてカルロス・ベラ。

プレミアリーグの強豪アーセナルに射止められたベラだが、中々出番が無かったり、そのうち英国での労働ビザの関係でローンで外に出されたりで決して順調ではなかった。そして2010年のWカップ。始まって直ぐに怪我に見舞われた。更に不幸が襲う。メキシコで行われたコロンビア戦の後で、所謂羽目を外したパーティに参加したかどで他の同僚共々厳しい処分を食らってしまった。その後のメディアのバッシングや協会及びその役員連中との確執が尾を引いて、彼は以後の代表招集を断り続けた。

一方、プロフェショナルとしてのキャリアは2012年スペインリーグのレアル・ソシエダードへ完全移籍してから花が開いた。一挙に弾けたようにゴールを連発し始めたのだ。そしてWカップを目前にした今、当時の確執には無関係な新監督は再び彼を戦列に加えようと説得したのだが、”自分は今回のWカップ出場権をかけた試合には一度も参戦していない。その自分が晴れの舞台のWカップだけに出るというのは筋が通らない。汗水流して努力した選手の一人を追い出すわけにはいかない”と辞退したのだ。サッカー選手にとってのWカップは国を背負って立つ最高の舞台だ。勝つことが至上命令とすれば新監督もこの逸材を放っておけない。本人ベラも本音は出たかったはずである。しかし、協会の対応が恐らくベラの不信感を払拭出来なかったのだろう。この夏、彼の雄姿を見る事が出来ないのは誠に、誠に残念である。現在彼はスペインのパスポートも所持しているとのことだから、恐らくメキシコと決別するのかもしれない。

かつてバルサのディフェンスとしてならしたマルケス。2010年にNYレッド・ブルズに移り、2012年に故郷メキシコのチームへ戻って以来、国際舞台から消えていた。そのマルケスが突然姿を現したのが、昨年、Wカップ北中米地区での戦いの最中、出場切符が今にも手からこぼれ落ちそうな、正に瀬戸際の時であった。34歳のベテランが先発に起用されたのだ。キャプテンマーカーを付けたマルケスのチームが勝利し、カンフル剤としての役割を果たし、以後の試合にも出場、切符をものにした。自信喪失で浮き足立ったチーム全体をまとめ、ピンチには落ち着かせる技量が活きたのだと思う。彼がWカップのロースターに選ばれるか今のところは分からないが、是非選ばれて欲しい選手だ。

世界のあっちこっちで35歳前後の、所謂ベテラン選手達がいまだに活躍している。日本も弱体のディフェンスラインあたりは、たまにはベテランを投入するくらいの肝っ玉が欲しいところだ。日本はこういうところは非常に排他的だ。もっと言えば、最後の15分にFWにカズを投入したら相当面白い。


香川移籍せずー移籍市場の興味深い考察

2014年02月03日 | サッカー
世界で活躍するサッカー選手にとって年二回(1月と8月)の移籍時期は重要だ。とりわけ今回の移籍ウィンドウはWカップ前の最後のチャンス。注目の香川の移籍は無かった。しなかったのか、出来なかったのか。昨年8月の移籍ウィンドウから今回までの動きには興味深いものがある。特に日本人と欧米のプレーヤーの違いは面白い。日本人の中でもサムライ・ブルーを代表する本田と香川の動きは対照的に映る。

今シーズンのプレミア・リーグがスタートした昨年の早い時期、香川がマンUで置かれた事情は明白だった。新コーチの下、彼の出番は減り、18歳の新進気鋭の若者ヤヌザイが取って代わった。彼がこの時点でどう思っていたのかは分からないが、移籍準備をするとしたらこのタイミングである。

ひとつのデータがある。同僚のメキシコ代表チチャリートと、アジア人として初めてプレーした韓国のパク・チスン、それと香川の初年度、二年目の出場回数である。シーズンで38試合あるうち、パク・チスンの出場回数は初年度34回、二年目14回である。チチャリートは27回と28回。これに比べ香川は初年度こそ20回とまあまあであったが、今シーズンは半分過ぎた段階で9回に止まり、今回のマタの獲得でこれからの出番は殆ど期待出来ない。

さらに重要なファクターは今年がWカップの年であることだ。その直前の半年間にプレーの場数を踏んでなければForm fittingが難しい。Wカップという、いわば国を背負って立つ選手は昨年から自分の状況を分析し、そのタイミングで自己をベストにもっていくべく動く。それだけWカップとは大きい存在だ。そこで活躍すれば世界のビッグクラブの注目も浴びる。

Wカップを前にしてのアメリカの選手の動きは大変興味深い。トットナム・ホットスパーで活躍していた米国代表のクリント・デンプシーは出番が減ったと見るや昨年電撃的にMLSへ復帰した。そして、今回1月の移籍ウィンドウではセリエAのローマで活躍していたマイケル・ブラッドレーもカナダのトロントへ移籍を果たした。ブラッドレーは怪我で戦列を離れ、復帰したものの、既に代わりが活躍していて出番はない。米国チームの要であるブラッドレーが試合を遠ざかるのは代表チームにとっても極めてまずいのである。

Wカップは4年に一度しかないから、年齢を考慮すると、うまくいって2回しか出られない。それを見据えながらロングランで自分の選手としての戦い方、戦略と戦術を描かねばならない。目標を決め、ハンターの如く、自分のポジションを獲りに行く。「ハンターの如く」は欧米人特有のキャラクターでもある。

さて、本田と香川。日本人にあって、本田は異質である。欧米人のマインドに近い「ハンター」である。その点では中田英寿もそうであった。だからヨーロッパで転戦出来た。欧米人にとって、中田や本田に同じ「ニオイ」を感じるのだろう。反面、丸ごと日本そのものの日本代表チームの中で反発を食らう。中田がそうであった。

本田の軌跡も面白い。オランダの下部チーム、フェンローでチャンスを待つも、時期来たらずと見るやロシアの強豪チェスカ・モスクワへ転進し、時節を待った。そしてACミラン。長かったが彼の戦略戦術である。

本田と比べると、香川はやはり「日本人」なのだと思う。マンUは滅多に手に出来ないトップブランドである。折角手に入れたトップブランドだから簡単に放り出したくないと思ったのかも知れない。もし、そうだとしても理解はできる。日本人としては理解出来るのだが、舞台は世界のツワモノ共が目まぐるしく動く、名うての市場だ。ハンター的精神力が無いと世界ではやっていけない。

最近、スポーツライターでサッカー、とりわけスペインサッカーに精通している小澤一郎氏が「何故スペインサッカーで日本人が活躍出来ないか」を書いていた。巧さとテクニックを誇る日本人だが、スペインでは通用しないという。試合の中での戦術が無いのがその理由だと言っている。戦争や試合で言えば、戦略戦術、ビジネスの世界で言えばマーケティングと言えるだろうか。日本人は世界を前にした時、これが欠けているから、あらゆる局面でもがいている。商品の品質の高さは、サッカーの巧さとテクニックに言い換えられるのだが、それだけでは最早、市場で勝てないことを我々日本人は過去20年で嫌というほど思い知らされてきたはずなのだが。

Wカップを控えた香川の戦略戦術は、やはり「1月移籍」であるべきだったと思う。




大きなツケが回ってきた

2013年10月15日 | サッカー
サムライブルー・ニッポンに大きなツケが回ってきたといわざるを得ない。同格のセルビアと格下のべラルースにいずれも敗れ去った。攻撃に精彩がなく、ディフェンスの脆弱さも相変わらず露呈し、このままでは来年のワールドカップは予選ラウンドで敗退するのではないかとさえ思う勢いの無さである。

今まで、格下中心に対戦相手を選び、勝って強くなったつもりでいたのだろうが、本気で他流試合をしてこなかったツケが今になって回ってきた感じである。井の中の蛙、といった状態だろう。

今日、既に出場権をものにしたアメリカはCONCACAF最終戦をパナマと対戦した。パナマは勝たないと最後の望みのプレーオフに出場できないから、必死だ。そして1点先行して後半に入った。アメリカが同点に追いついたが、終了まで10分を切ったところで再びパナマが点を入れて、これで終わりかと思ったのだが、ここからドラマが始まる。ロスタイムでなんとアメリカが2点入れ、パナマの最後の望みを断ち切ってしまった。

こういうドラマはサムライブルーからは出てこない。底力の違いをまざまざと見せ付けられた。クリンズマンのアメリカは高みを目指しているのが感じられる。

だんだん、日本の試合が面白くなくなってきた。協会が悪いのか、監督が悪いのか、はたまた、両方悪いのか。今からブラジル後をにらみ、よくよく考えねばならない。

ワールドカップに向けて・・・高みを目指さぬニッポン

2013年09月16日 | サッカー
ワールドカップ出場権を掛けて、世界中で最後の戦いが続いている。当地お膝元、北中米ゾーンでは常連メキシコが喘いでいる。今年は負けはしないのだが、勝てないから勝ち点が一向に増えず、4位のままで、この分でいくとNZとのプレーオフになりそうな気配である。これとてもパナマと同率だから、残る2試合でどうなるか分からぬ展開だ。

クリンズマン率いるアメリカは昨日メキシコを下し、チケットを手にした。クリンズマンのアメリカチームで特筆すべきことが二つある。海外移籍をして以来チームと試合に恵まれず、忘れられた存在だったダマーカス・ビーズレーを見事に、しかも彼本来のミッドフィールドではなく、左のサイドバックとして生き返らせた。もうひとりも海外移籍後不運を背負い込んでいたFWエディー・ジョンソンを生き返らせた。そして、この人選が功を奏した形だ。

さて、我がニッポンチームだ。早々とチケットを手にしたのは結構だが、一年切ったワールドカップに向けて、一向にワクワク感が無いのだ。先日のガーナ戦。数少ない格上チームに勝ったとはいえ、主力選手を欠いたガーナは一軍半といったところだから、同レベルチームとやって勝ったということに過ぎない。先々週のグァテマラ戦もそうだ。ランク93位に勝って浮かれるようではだめだろう。

これは協会が悪いのか、一向にサムライジャパンが高みを目指してレベルを上げ、ワールドカップで上位を目指す意欲が感じられないのだ。それはトーナメントを除いた国際試合の対戦相手を見れば一目瞭然である。それを韓国と比べると更に面白い。データで見る限り、韓国はチャレンジしているのがよく分かる。それに引き換え何故こうも格下ばかりを選んで勝てば悦に入るパターンを繰り返しているのだろうか。

ここに2013年の両チームの対戦相手のデータがある。この年末までの日本チームの国際試合は7試合(6月にブラジルで開かれたコンフェデは除く)。その内格上は昨日のガーナだけというお粗末。見方によっては37位の日本と24位のガーナは、ランクとしてはほぼ同列と見てもいいかもしれない。お隣韓国を見ると、6試合中 格下はひとつだけで他は全て格上を選んでいる。

日本と韓国は因縁の間柄だ。そして、韓国はいつも日本の後塵を拝しているから、日本に追いつき追い越すにはどうすればよいか、を常に頭のどこかにおいているのだろう。明らかに韓国のほうがチャレンジ的でダイナミックだ。それに引き換え、日本には高みを目指す気概がさっぱり感じられないのだ。

常に日本の後塵を拝している韓国が、あの日韓ワールドカップでは、日本を尻目にベスト8までいったのは、きっと韓国は目に見えない何かを持っていて、それが日本には欠けていたと言う事なのかもしれない。本田が毎試合見せる、あの闘争心。彼は常に高みを目指しているのがよく分かる。しかし、本田だけではどうにもならない。選手が高みを目指していても周りがぬるま湯に浸っているようでは、到底レベルは上がるまい。


サッカーUSA(完) ー 世界に羽ばたくために

2013年07月31日 | サッカー
名のあるチームはすべからく”サッカースタイル”を持っている、とクリンズマンは言う。より攻撃的なサッカーをやるのか、それとも、相手の仕掛ける攻撃に上手に反応しながら、辛抱強く相手のワン・ミスを待ち一気呵成にケリをつけるスタイルをとるのか。ブラジル、アルゼンチンやイタリアはこのスタイルを取っている。或いは、スペインやバルサのように、パスワークを駆使して相手を翻弄し、シュートチャンスを作るスタイルで世界のトップに君臨しているチームもある。これらのスタイルを確立する為には、一朝一夕で出来るはずもなく、長く弛まぬ練習が不可欠で、バルサが今日のスタイルを確立するには20年を要したという。

アメリカのサッカースタイルは何かと聞かれて、答えられるアメリカ人はいない。皆目分からないし、又、サッカースタイルを確立しようという動きそのものも今まで無かったように思われる。ドイツサッカーが、中々世界に羽ばたけず、ジレンマを抱えている最中の2003年、クリンズマンがナショナルチームのコーチ(監督)に就任した。彼は、サッカースタイルの変更を断行した。攻撃的サッカーに舵を切り、2006年のワールドカップでは決勝戦こそ逃したが、3位となり、以後このスタイルが定着し今日に至っている。アメリカにふさわしいスタイルは何か。人がやらない事をやりたがるアメリカ人気質を利用して、アメリカ独自のサッカースタイルは出来ないか。そんな観点からクリンズマンはアメリカサッカーの将来を見つめている。

次にアメリカが乗り越えなければならない課題は、練習量、試合量の不足である。世界と戦うには、あまりにも楽な量で満足していると、クリンズマンの目には映る。アメリカサッカーのスーパースターと言われるランドン・ドノバン。彼は昨年のシーズン終了後に充電と称して長期のサバティカル休暇を取った。クリンズマンがこれに首を傾げたのは言うまでもない。アメリカ国内だけで考えるならそれも良いだろうが、事は世界が相手である。

世界の強豪達は小さい頃からボールと戯れ、肌で感じるサッカーを体験してくる。アメリカの女子サッカーが強いのは4歳頃からサッカークラブに入れてボールに馴染ませるからであろう。その土壌が男子サッカーでは出来無い。世界と同じ事が出来無いなら別の手段を講じるしかない。クリンズマンはその活路をユースサッカーのレベルでのプログラムの充実に求めようとしているようだ。

クリンズマンの夢が実現するかどうかは未知数だ。しかし、外国人コーチでありながら、ここまでアメリカサッカー全体の底上げに尽力しようとするクリンズマンを迎えたアメリカはラッキーであり、選手はそれに応えないといけないだろう。

サッカーUSA(3) クリンズマンの見たアメリカの特異性

2013年07月23日 | サッカー
アメリカの世界ランキングは概ね20位台から30位台をウロウロしている。日本が30位台から40位台の実力だから、アメリカはちょっとだけ日本より上ということになる。とどのつまり、似たり寄ったりである。なかなか、世界の舞台でインパクトを与えるところまで行かない。この辺がFIFAが苛立つところである。

アメリカサッカー界が、そしてクリンズマンが目指そうとしているのは、世界ランキングで言えば、トップ10、ワールドカップで言えば8強、さらには、4強の一画として準決勝の常連になることだろう。もちろん容易いことではない。そこをあえてクリンズマンは挑戦しようとしている。さて、どこから手をつけるのか。

長くアメリカに住み、地元のクラブやスポーツ界と接触しながらクリンズマンは基点となるアメリカの特異性を見出している。一言でいうと「文化の違い」である。アメリカ人は、他人が創造したものへの反応は極めて鈍く、あまり興味を示さない。他人任せが嫌いだから、自分でやらないと気がすまない。他人が手を付け世界に広まったものには目をくれないのだ。そう考えると、プロ野球やプロバスケットが盛んなのがよく理解出来る。そしてアメリカン・フットボール。大英帝国からの独立を勝ち取ったアメリカにしてみたら、ヨーロッパから来たサッカーには最初から拒否反応があったのかもしれない。

この特異性をベースにスポーツ大国アメリカは発展してきた。従ってサッカーも当然その影響を受けている。3大メジャースポーツと言われるアメフト、野球、バスケ共シーズンは約半年。あとの半年ゃ寝て暮らす、というわけだ。アメリカのメジャーリーグサッカーは半年よりは長く、8ヶ月だが、ヨーロッパの10ヶ月と比べれば2ヶ月も短い。更に、シーズン期間がアメリカとそれ以外の世界では全く異なる。FIFAは世界標準とも言える8月ー5月のシーズンを再三要求しているが、アメリカは3月ー10月の線を崩そうとはしない。FIFAにとってはカチンとくるアメリカ人の自己中心主義なのである。

クリンズマンは、この基点となるアメリカの特異性をまず理解し、その上でアメリカのサッカーをどの方向に導いていこうか模索しているようだ。

サッカーUSA (2) クリンズマンの登場

2013年07月06日 | サッカー
ワールドカップ2010。ボブ・ブラッドレー率いるアメリカチームは決勝ラウンドに進出するも、その緒戦で対戦相手のガーナに敗れ、次にコマを進めることは出来なかった(因みに日本も同じように決勝ラウンドに進出したが緒戦のパラグアイにPKで敗れている)。

決勝ラウンド進出もあって、アメリカは引き続きボブ・ブラッドレーで次のブラジル大会を目指すことになったが、翌2011年のCONCACAFゴールドカップで、宿敵メキシコとの決勝戦で敗れたことによって、ブラッドレーへの辞任圧力が高まり、チームを去った。こうしてクリンズマンが登場する。

ユルゲン・クリンズマン。1990年のワールドカップ・イタリアでドイツ(当時西ドイツ)優勝の立役者となった、ドイツサッカー界のスーパースターの一人である。インター・ミラン、バイエルン・ミュンヘン、トットナム・ホットスパー等の有力クラブを渡り歩き、2004年には母国ドイツの代表チームのコーチに就任、そして2006年のワールドカップ・ドイツ大会ではドイツ代表チームを率いて3位につけた。その後、2008年からの一年間、バイエルン・ミュンヘンで采配を振るった後、ヨーロッパのサッカーシーンから姿を消すのだが、実は、クリンズマンのニュースはその遥か以前からアメリカのサッカー界で話題に登っていた。

クリンズマンはアメリカ人と结婚し、約15年前からアメリカに居を構えている。従って、ヨーロッパで活躍中は、アメリカとヨーロッパの往復していた。本格的にアメリカに落ち着いたのはバイエルン・ミュンヘン采配後のことである。この間、彼はいろいろな角度からアメリカのサッカーを見聞きし分析をしてきた。そのためもあってか、ボブ・ブラッドレーが辞める前の数年、事あるごとにアメリカ代表チームのコーチ(監督)候補にクリンズマンの名前が取り沙汰されたが、クリンズマンは時期尚早と首を縦にしなかった。

2011年、アメリカサッカー協会がボブ・ブラッドレーの後任にクリンズマンを指名した意義は大きい。新聞の見出し風に言えば、「初めてのワールドカップ優勝経験者(選手として)の代表コーチ就任」となろうが、サッカー協会が重視したのは、クリンズマンが主流のヨーロッパサッカーの環境とアメリカサッカーの環境の違いを熟知しており、その上で、アメリカのサッカーはどうあるべきか、という将来に向けての明確な思想を持っている点であろう。今までのコーチに思想やビジョンが全く無かったわけではないが、クリンズマンのそれは多分に将来を見据えての教育的観点からの発想と実践が多い。この点が、クラブチームのコーチにありがちな、任されたシーズンをいかに勝つか、だけのリーダーとは異なる。

余談であるが、日本の代表監督にザッカローニが就任したが、およそ、ナショナルチームのコーチ(監督)を選ぶ際、クラブチームのコーチ(監督)経験のみの者は避けるべきで、この点日本は間違いを犯したと思っている。ナショナルチームのリーダーは、勝つことも求められるが、加えて教育的でなければならないからだ。ザッカローニにはナショナルチームの監督は日本が初めてなのである。その点、病半ばで交代したオシムは残念である。

話は戻るが、クリンズマンが目指すものは何だろうか。時あたかも、明日日曜日から北中米注目のゴールドカップが始まるが、クリンズマンはアメリカサッカーの何かを変えようとしているのは間違いない。次項で、クリンズマンの思想とチャレンジに触れてみたい。

開始3分で唖然、力の差歴然

2013年06月16日 | サッカー
コンフェデ開幕試合の日本ーブラジル戦。試合開始前のよし坊とワイフの予想は3-0。よし坊は場合によっては4-0も有り得ると思ったのだが、全くの予想通りの結果に終わった。

この試合、後半早々に2点目を入れられてスィッチを切った。あと1点は確実に取られる力関係なのと、どう考えても日本が得点出来るレベルには無いのは明らかだったからだ。夕方結果を確認したら大当たり。たまにゃ外れて欲しいものだが。

前半を観ただけで、日本のフィジカルが決定的とも思えるほど弱いことがよく分かる。ブラジルはボールを取ればそのままゴール前まで持ち込むが、日本はボールを持っても直ぐ取り返される。だから、中々ゴール前まで進めないのだ。ブラジルはボールを取られても直ぐ取り返す。これでは点を取れと言う方が無理である。

力負けしないのが本田一人では何ともならないのが実情だろう。フィジカルの負い目を技術でカバーするというのは理論的には成り立つが、それでは、日本はパスのスピードと精度のコンビネーションに優れているかと言えば、そうではない。日本のサッカーはパスを多用するから上手そうに見えるが、他にやれる事が無いからやっているようなもので、飛び抜けて上手なわけではない。バルサ並に出来るなら別だが、それは望むべくもない。

イタリアはたまにポカをするから、勝っちゃった、なんてことがあるかもしれないが。いや、無いな。メキシコとはドローくらいの可能性はあるかもしれない。

全敗でもいいから今後の国際試合はすべて格上と対戦してはどうか。上を目指すならそのくらいの覚悟が要るだろう。殆ど格下、たまに格上では進歩は無い。

流れが変わるきっかけ

2013年06月04日 | サッカー
ブラジルワールドカップ進出をかけたオーストラリア戦。1-0でオーストラリアが逃げ切るかと思われた終了間際に日本はPKをもらい同点とし、目出度くブラジルへの切符を手にした。

日本が押し気味に試合を進め、決して悪くはなかった。本田と長友が入ったことで、先日のベルギー戦よりはるかに動きが良かったのは間違いない。しかし、流れが変わるきっかけというのがある。

それは後半も残り15分を切った時のことだ。攻撃の前田を下げてディフェンスの栗原をピッチに送り込んだ。その瞬間、嫌な予感がした。0-0で逃げ切る防御体制に入ったのは明らかだ。潮目が変わった瞬間だ。アッと言う間に左サイドからボールを上げられ、ゴール右に吸い込まれた。川島の呆然たる顔が印象的であった。

よし坊には専門的な事は分からない。あの時点で防御体制に入るのは戦術的に常道なのかもしれない。しかし、素人から見ると、あれはいただけないのだ。どう考えても、あの交代は「点を取らなくてもいいから防御に徹しろ」というメッセージだろう。そうなりゃ、選手は後ろへ引いていく。そこを勢いで押し込まれることになる。
PKを貰ったからいいようなものの、これで負けていたらボロクソであったろう。

蛇足ながら、先日のベルギー戦は酷かった。負けているのに、ボールをキープして後ろの方でボール回しをしている。ボールを回しながら何とかスペースを作り出すつもりなのだろうが、こういう時欧米のチームは怒涛の如く攻め込む。「怒涛の如く」が日本には無い。

いつも思う。中くらいかな、日本のサッカー。もうすぐ始まるコンフェデでは何となく最下位がちらつく。たまには度肝を抜いてほしいのだが。