福岡発 コリアフリークなBlog

韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

「韓流」民族主義

2007年02月14日 |  〇文化・歴史

「韓流」とはいったい何なのか?あるいは韓国の民族主義とは?

韓国の芸能界とメディアの一角では、「韓流」と民族主義をめぐる
論議がまだ続いているようだ。

この種のテーマには、さすがに食傷気味の「ヲタク」ではあるが、
もうしばらくは付き合ってみたい。

今日、韓国経済新聞で、「民族」が一つの概念ではなく「正義」の
基準となっている韓国社会の現状を批判的に述べたエッセイを
読んだ。

読みなれたメディア関係者の文章とは一味違った弁護士の
寄稿文だった。

そんなに長くもない。つい、翻訳練習してみたくなった記事だった。
なお、韓国語原文は紙面の都合上、掲載を省いた。

・・・・・・・・・・・・・・

[韓経エッセイ] 「韓流」民族主義
(韓国経済新聞 2月14日)

金斗植<弁護士法人「世宗」 代表弁護士>

歌手兼芸能プロダクション代表であるパク・ジンヨン氏が「韓流から
民族主義的な傾向を取り除かなくてはならない」と発言したことが
きっかけとなり、芸能界で「民族主義」論争が起きた。

パク氏の発言について「芸能人にも国籍は必要だ」とか、あるいは
「韓流と民族主義を結びつけるのは不当だ」との批判もある。

しかし、パク・ジンヨン氏は韓流を国境を超えた自然な文化交流と
とらえきれない人々が、「韓民族は世界最高」などとする言説を
公然と唱(とな)えはじめたため、逆に各地で反韓流的な雰囲気が
形成されていることを心配しているのだと、私は理解している。

実際、最近の韓国ほど「民族」や「民族主義」という言葉が
溢れている国もない
ように思う。

文学や歴史における一つの潮流にとどまらず、政治や法律でも
「民族」が正義の基準になってしまっている

1960年代には国民教育憲章で「民族」中興の歴史的使命を叫び、
最近では「民族」のアイデンティティ確立や反「民族」的行為の処罰を
目的とした法律も制定された。

スポーツでも同じだ。

2002年のワールドカップで韓国チームを応援する熱気が通りを
赤い色に染めたことも、あるいは、普段、国内のKリーグに大した
関心も示さないのに韓日対抗戦には全国民が関心を集中させる
のも、韓国社会に溢れる強烈な民族主義を象徴していると
言える。

もともと、「民族」という言葉は日本がこしらえた用語だ。

この用語が頻繁に使われ始めたのも日本の植民地時代からだと
言われている。

しかし、皮肉なことには、日本よりもかえって韓国人の思考体系の
中に民族主義がより深く根付いている。

おそらく、日本の植民地時代や南北分断の状況を経ながら独立した
韓国は、「韓民族」という共同体概念の上に国家の独立や統一を
追及するしかなかったし、そのために民族主義的イデオロギーを
前面に掲げて国作りを進めて来た結果
なのではないかと
考えられる。

しかし、グローバル化の進む国際化の時代には、強烈な民族
主義がかえって国家の発展を阻害する。

特に同一の言語、同一の血統を持つとする韓国の単一民族
国家の思想は、強大な外国に対しては過剰に自己防衛的な
硬直した姿勢を取りやすく、逆にその他の国々に対しては
根拠のない優越感の形で現れやすい。

不必要に民族を強調すれば他民族の反発を買い孤立することも
あり得る。

実際、中国や日本、東南アジアで多くの人が韓国のドラマや
音楽、映画を好むのは、どこまでも個人的次元の話だ。

それにもかかわらず、アジアの芸能市場で韓国の芸能人らが手に
入れた個人的成功を、まるで国家代表のスポーツ選手が勝利を
収めでもしたかのような意味付けをしたり、あるいはマスメディアが
率先して「韓国ドラマが中国のお茶の間を占領した」だとか、
「韓国大衆文化の優秀性を世界に知らしめた」などと宣伝する
のは大きな問題だ。

こうした態度は、韓流の文化的純粋性を傷つけ、逆に世界に
広がる韓流のエネルギーそのものを消耗させてしまうおそれが
ある。

(終わり)


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