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古代出雲王朝と神話ゆかりの地を尋ねて 22-1素戔嗚の須佐神社

2014-04-01 22:57:18 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
古代出雲王朝と神話ゆかりの地を尋ねて

その22-1.素戔嗚を祀る須佐神社    2014年3月5日



紀元前2世紀末に 沢山の青年男女(海童と呼ばれる)を連れて、秦国からやってきた徐福(記紀では素戔嗚「すさのお」と書かれた)たちは、当時の古代出雲王国内で大暴れして、主王と副王の二人のトップを同時に殺害して 出雲王朝に大打撃を与えてしまう。

当時の先進技術を携えてきた、沢山の秦国人たちは その後の日本の歴史に大きな影響を与える。とりわけ徐福の長男 五十猛と次男穂穂出見(ほほでみ)の子孫たちは 互いに争いながら、大和朝廷を作り、日本を支配していく。

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その徐福(素戔嗚)を祀る 須佐神社に行ってみた。

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須佐川のほとりに須佐の森はある。(出雲市佐田町須佐)
須佐神社はこの中だ。

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鳥居を潜り参道を進むと「随身門」がある。

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門の左右に一対の人形が置いてあるが、誰なのか、そしてそのイワレの説明が無いので不明。神社のホームページにも書いてない。

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境内に亀のかたちをした石組みがあり、ムシロが掛けてあるが、これも説明が無いので不明。おもしろそうではあるが。

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拝殿の注連縄も大きくて立派た゛。本殿はここから拝むのだ。

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境内にある「塩井」の説明によると、この井戸は出雲大社裏手の「稲佐の浜」 と繋がっていて、潮の満ち干により、塩分が入ると言う不思議な井戸だ。

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本殿は高床式で妻入りの「大社造り」だ。

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本殿裏手には、杉の古木があり、樹齢1300年と書いてある。奈良時代の樹木のようだ。

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祭神の説明文。素戔嗚と奥方の稲田姫、その両親が祭られている。

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稲田姫は記紀で作り上げられた架空の姫で、徐福来日当初は、出雲王朝第七代主王(職名は大名持)の天之冬衣と宗像三姉妹の長女田心姫 との間に生まれた「高照姫」と結婚している。

一度秦国へ帰った後の二度目の九州上陸では、宗像三姉妹の市杵島姫と結婚している。

つまり稲田姫とその両親ーテナヅチ、アシナヅチは 記紀が創り上げた架空の人で実在しない人だ。
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22-2出雲大社へ続く

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