怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

いい学校の選び方(中公新書)の感想追記

2005-01-04 21:40:27 | 教育書
この書物の大きな特性を記述しそこねた気がする。
国際理解教育センターの主たる人物である筆者は、
そこに至るまでの経歴は驚くほど教育とはかけ離れている。
が、カリキュラムや学校教育の機能を分析的かつ実際的に説明しているところは、
特筆し追記したい。
そして、子どもの立場から学校教育を見直すユニークな視線は新鮮である。
果たして、どのような人がこれを読み取るのだろう。
私としては、やはりP&Tに読んでもらいたいし、
草の根ではないが、下層から教育委員会や自治体、文科省を突き動かす武器にしたいものだ。
個人的には、もし、自分が学校を新規にデザインしようとする時(立場にいたとしたら)、
分かりやすい手引きになるとは思う。

自分の読書について

2005-01-04 00:39:47 | 教育書
子ども自分は科学者にあこがれ、SF小説や推理小説を大量に読んでいた。
思春期、青年期には更に科学雑誌や専門系の入門書、そして、不安定な気持ちを心理学の本で理解しようとしていた。
大学時代は理系専門書が中心だが、英文にも積極的に当たったが、何かを得られた感触は少ない。
この仕事について(4年の講師時代を含め)、自分のペースがつかめるまでは本らしい本は読んでいなかった。
教育系と呼べる書物は10年くらい読んでいなかったといってよい。
これではいけないと一念発起したが、教育の専門書は実はたすきに長いものばかり。
結局、古い書物は使えないことに気付くのに時間はかからなかった。
(少々、現場に引用できる書物はあったが、古いものばかりでは当たるまでに時間がかかる)
いきおい新刊本、そして新書シリーズにいきついた。
私のここ2年の書物購入の基本は「1998年以前はダメ。」である。
なぜなら、指導要領改訂にからんでいないからである。
また、教育界において、小学校でも6年たてば子どもは入れ替わり、
教師も多くは入れ替わり、各所で一昔前になってしまうからである。
(別に学校独自の伝統を無視しているわけではない)

今、書評めいたものを立て続けに書いているが、
気をつけたいのは、自分がマスメディアや書物に影響を受け、
自分の科学的な観点を見失ってしまうことだろう。
例えば、眠りを奪われた子どもたちの感想では、個人的な子どもへの所感をのべているが、
決して一般化した話ではないと思う。
現在、目の前にいる子どもや親、地域を攻めようとしているわけではない。
私は私なりにどの位置に立脚しているかを記述することで試行錯誤しているのだ。
「読書とは、旧知と語らう事である」とは何かの書物の言葉だが、
こうして自分の気持ちを吐露する場を、挑戦の場と捉えてもいるし、
自分を見つめる場とも捉えている。

いい学校の選び方(中公新書)の感想

2005-01-04 00:17:16 | 教育書
この書物は「いい学校の選び方」を通し、
教師と保護者の視点のずれを具体的に明確にし、
社会の教育の嗜好(というか、個人的にはくだらない短絡思考)と子どもへの対応のずれや、
筆者の言葉を借りれば、教育の直面する課題に対する「ビジョン」の持ち方・実例を
示しているのではないかと思う。
教員研修の講師をしている経験などからなる話には、非常に共感を覚え、
そして、世間に、行政による教員の用い方・鍛え方の誤りを幾ばくか明らかにした最初の文章のようで、胸がすく思いでもある。
この本がPTAの共有前提知識となると、P&Tの関係も少しはよくなるような気もする。
ある意味、タイトルがタイトルなので、これからの学校評価のバイブルとなる感もあるが、
現時点では、考え方の一つを提示していると捉え、これから多くの議論の端としてみていきたい。