怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

手弁当主義

2008-02-12 19:39:06 | ニュースから
保育ママ 研修受ければ認定 改正案限定 保育資格は不要(産経新聞) - goo ニュース

保育園が不足しているのは事実だろう。
その大きな原因の一つが福祉切捨ての施策だろう。
そしてそのまた原因が自治体予算の問題だろう。

保育ママの希望者を批判するつもりは今のところない。
けれど、そんな簡易な認定制度で保育行政へのてこ入れを安易にはかっていいのだろうか?

それは割れ鍋に綴じ蓋ということではないのか?
とても気になる。

最近、障害者の自殺が増えていると、ある研究会で話題にのぼった。

そういえばと想起したのが、障害者自立のために、センター施設を作ると、実はコスト的にたいへんな予算が必要になるし、立地の確保も大変だと聞いたこと。
この場合、だから、自立支援者が自分の家庭や家庭環境に近い場所に極めて小グループで共同生活をしながら自立を相互支援するような形をとればいいという話だ。

無着の時代ではないが、手弁当で学校に泊り込み、教室で幼子の保育、風呂に入れてやるなど、福祉の部分まで引き受けていた学校、教員がかつては当たり前だったという話も思い出した。

そんな話とは直接つながらないかもしれないけれど、おかしいのは社会の側ではないのか?

特に、行政は、首長は、大企業は、本当に下に手厚い施策を支援しているのか?
保育ママなんて制度が新しくも素晴らしいとは全然思えないのだけれど、そんなイメージから、やはり主張したくなる。

「必要な補助を増やし、必要な保育園を増やせばいいだろう。」・・・と。

にほんブログ村 教育ブログへ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。