怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

武士の一分

2007-12-28 05:11:03 | 映画
ようやくレンタルで観た。
しかもこんな時間になってしまった。
レンタルしても子育てに忙しくて観れずに返却というパタンは多い。(泣)
今回は観れた。

藤沢モノ三連作の三本目。
前二本もレンタルだったのだけれど、とにかく心に残った。

キャスティングが山田的に今風な人を主役クラスに据えてきたように思っているのだけれど、キムタクは当時ひいてしまった覚えがある。
まあ、確かに下馬評的にこき下ろされて仕方がない部分は感じるが、それは前二作との比較のような気がする。
同じ藤沢ものでも蝉時雨なんかよりもよっぽどいいと思う。
ちゃんと演技になっている。

それはそれとして、この手の原作モノは原作のドラマ性を引きずっているので、純然たる映画としての総体評価はしづらい。

「武士の一分」の「一分」は、観客(すなわち読み手)にまかされているなと感じる話だと思った。

設定的に、カミさんが手篭めにあうというのは感情的な倫理として許せなくて、どうも押さえられないものを感じてしまうのだが、それに対応してなのか、三連作の中、唯一それなりにハッピーエンドとしていると思う。
(たそがれ・・・は、事後談としてバッドエンドともとれないことはないから)

それでも、「一分」とは、実はつまらないから「一」なのか、捨てられない最後の数字としての「一」なのか、とりようによって裏表、陰陽があるなぁ・・・と。

映画としての品質は群を抜いているし、役者の演技へのこだわりよりも、映画総体としての演出力(ここが山田洋次の世界)が勝っているという点で、安心して観られる。
(結構灰汁の強い緒方靖夫なんかが全然際立たないで自然なのは、そういうことかと感じる。)
キムタクがいるいないにこだわるのは、そういったモノばっかりの世界に生きているからかも知れないと反駁したい部分はある。
なんといったって、私にとってキムタクというのはそういうカゲの薄い存在だから。

いい映画だった。とエンタメ的には充分いえる。
あとはテーマに観るものが応えることから深くなるだろう。

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