怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

ICTの頭打ち現象

2011-07-14 22:55:54 | 教育
ICTで指導できる教員は6割…文科省調査(読売新聞) - goo ニュース

「やらせ」も含むアンケート調査だけれども、こんなもんでしょう。

これからICTに抵抗がない(あるいは全てに過剰適応するであろう)若手が増加するにつれて、あるいはICTの予算が自治体で少しずつ増えていくにつれて、この数字は上向きになるかもしれないが、現場教員がこれ以上の努力をはらう必要はないだろうという意味での『頭打ち』の数字。

すでに授業で十二分に活用しているのが現場。
「それを大画面テレビを買ってやるから」とか、「校務用のソフトを入れてやるから」とか、そういう理由、あるいは「予算をつけたからには数字をあげろ!」とか、そんな「教育」ではなく、せいぜい電機メーカーやソフトウェアハウスの儲けだけの「経済」を押し付けているだけなのであって、これ以上教員がその責任を負う必要はない。

英語教育も同じだけれども、「やっている/やっていない」を、機器やソフト、メーカーを導入「している/していない」で判断するのは本末転倒で間違っているワケで、そんなことにつき合うのは教員も子どももまっぴら御免被りたいものだ。

翻って、「教育」におけるICTの効果というのは実は護摩くさい。
本来新しいテクノロジーである ICTは、既存の「教育工学」における「代替え」ではなく、「効率化」であったり、「発展化」であったりしなければならない。
しかし、今のところ、例えば電子黒板は「代替え」の域を出ていない(だいたい『黒板』ってなんだヨ)し、「研修時間」に見合う「効率化」が達成されているわけではないことを考えれば明らかだ。

私自身は昔から ICT機器になじみ、教育活動に大いに用いてきたので思うのだけれども、どんなテクノロジーも手に馴染まなければ残らないし、見た目は新しくて取っ付きやすそうだが、結局は非効率なのだ。
未だに全ての教員が黒板とチョークから抜けられないワケで、そう簡単に「導入したから使え!」「使っていないのは何事か?」と言われてもこまるのだ。
逆に「黒板やチョークを越える気軽なテクをよこせ!」といいたいし、どしどし刷新する猫の目のようなテクノロジーへの追随のための時間もよこさない文科省側の頭の悪さをなげいてもらいたいものだ。