怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

「学力」。そんなものなんてない

2011-07-07 10:31:12 | 教育
論理的思考学べ 「PISA型学力」低下、巻き返し(産経新聞) - goo ニュース

まず、「PISA型学力」なるものの後付け価値観を無批判に受け入れている問題が深刻だろう。

子どもの実態が、昨今のタームで言えば「貧困」「格差」などを用いて想像されるものからかけ離れて、「学力」論議自体、「学力」が立場や変遷、政治的な思惑から逃れた純然たる論議を経ていない限り、あまりにも護摩くさいか嫌らしいものでしかないという認識をもたねばならないことは自明だ。

既に、このブログで多く述べてきたことや、苅屋の用いたターム「ポジティブリスト」を繰り返すまでもなく、現場は混乱と過剰と事務化による「薄学化」とにより、学力低下対応以前の状態にさせられている。
真の「ゆとり」が実現することもなく、(20年以上前の中教審以降といってよいだろう)ずっと汲々とした現場において考えるならば、この上こういった教科書を採用したところで、そんなものをスポイルする土壌こそあれ、こんなものを事務化してやろうなんて非情な判断はありえないだろう。

>同社では「現状指摘される理科授業の問題点はまず黒板の丸写しに終わること。もうひとつは実験はやるが、考察を経ずにやりっ放しで終わること。いずれも科学的な物の見方に結びつかない」と指摘。

これはなんという話だ。
まるで指導者たる教師、学校側の責任のような言い方だ。
これは実態とは合っていなし、こういった教科書を導入する言い訳にしかならない。
無法/非礼な教科書会社の一部社員ごときにこのような言われ方をしなければならない現場をつくっているのは文科省や教委側なのだけれども、それを巧みに乗り越えて「教師達の創造してきた授業を見よ!」といいたい。

この上位のていたらくの中で、PISA型も含め、高い学力を維持してきているのは優れた教師群であり、家庭、なによそこに応えているけなげな子どもなんだ。


(以下引用)
論理的思考学べ 「PISA型学力」低下、巻き返し
産経新聞2011年7月6日(水)08:00

論理的思考学べ 「PISA型学力」低下、巻き返し
(産経新聞)

 ■自由記述欄や演習問題…教科書に工夫

 日本の児童生徒が国際的に弱いとされる、知識や経験を活用しながら自分の考えや思考内容を筋道立てて表現する「PISA型学力」。来春からの教科書では児童生徒の考察を表現させる欄を大幅に増やす趣向がこらされている。中には、実験に基づき科学的な物の見方をしっかり定着させるためあえて専用ノートを作成、理科教科書と一体で検定合格させた今までにない取り組みも出てきた。児童生徒の学力低下が嘆かれて約10年。「PISA型学力」の巻き返しに向けて随所に工夫を重ねた教科書はこの夏、全国の教育委員会で採択される。

 「話しあってみよう」「考えてみよう」「自分のことばで伝えよう」「説明してみよう」

 この春、教科書検定に合格した教科書は、これまでよりも大幅にボリュームアップした。指導要領が「学力向上」路線に転じたこともあり、発展学習などを大幅に取り込むなど内容面の充実が図られた。とりわけ目立つのが「PISA型学力」の向上に向け、理数系教科書で児童生徒の考察を促すコーナーが大幅に増えたことだ。

 なかでも、啓林館は理科の教科書と専用ノートを一体にして検定合格させた。専用ノートには普段の授業の狙いや必要なスキルを身につけるポイント整理や基本のチェック、考察の自由記述欄や演習問題などを盛り込んでいる。教科書とセットで授業に使い、自学自習にも使える、今までに例のない教科書だ。

 同社では「現状指摘される理科授業の問題点はまず黒板の丸写しに終わること。もうひとつは実験はやるが、考察を経ずにやりっ放しで終わること。いずれも科学的な物の見方に結びつかない」と指摘。「この教科書は教育現場に授業改革をうながすとともに、生徒にも科学的な考察作業を課しており、PISA型学力の向上という日本の課題解決に向けた私たちなりの提案だ」と胸を張る。

 「PISA型学力」とは、学習した知識や経験を活用して筋道立てた考察ができるか、必要な情報を選びながら考え方を積極的に説明・表現する力。学校のカリキュラムを漏れなく習得する学力とは少し趣が異なり、OECD(経済協力開発機構)の国際学習到達度調査(PISA)で試される。

 国際調査から日本の生徒は学習意欲が著しく低く、選択式問題はともかく自由回答や論述形式の設問に極端に弱いことなどが問題点として浮上。日本の教育関係者に大きな衝撃を与えたことから「PISAショック」と呼ばれる。ゆとり教育の誤りが決定的となり、学力向上に向けた指導要領の改定や教科書の充実などが進められている。

ご都合主義の一元化

2011-07-07 09:01:34 | 教育
「幼保一体化」13年度実施…政府の検討会議(読売新聞) - goo ニュース

軽いジャブだが、言語の統一が必要だと思う。
「幼保一体化」ではなくて「幼保一元化」だろう。
こういう印象操作的な言葉の用い方は気に喰わない。

もともと「幼保一元化」は、幼稚園、保育園それぞれの対象が同じ幼児であることから、「少子化」や「多様化」への対応策として発想された。

でも、その前提には「予算削減」が透けて(とくに「少子化対策」に)見えており、施策自体が、保育&教育のサービス悪化を意味しているという視点に立たなければ、これらの施策の本質は見えてこない。

これは小学校の統廃合の経緯と比較して考えるとわかりやすい部分があるだろう。
統廃合すれば、クラス数は確かに増える傾向にはなるが、だからといって教育活動の質が向上する訳ではなく、どちらかというとクラス児童数増や学区域の拡大などの弊害も懸念されるだろう。
「統廃合=よい」という単純図式で諸手を挙げて推進していく姿は、レミングスのようだ。
これと同じく、まったく別物である幼稚園と保育園をサービスとして捉えて合体させればなんとかなると思っている時点でイタいとしかいいようがない。

さて、最近までの経緯として、自治体によっては、3歳児までの給食外注化(小学校でセンター給食をおいしいと言っている学校が皆無なのを考えてほしい。何が食育か!?)を達成したり、幼稚園の午後保育拡充、保育園の幼稚園化(教育機関化)を導入したりしているところもあると聞く。
本来の目的や経緯が無視されているのだけれど、それを新しいものへの転換のように鼓舞する言説もあるようだ。
サービス的にもそういったことを望む声があるわけではないのに・・・。

ましてや、公立幼稚園を潰したり、公設民営化する保育園が増えたり、劣悪な保育環境を追認する法改正がなされたり、乳幼児関係では外堀がじわじわと埋められている。

そんな中での検討会議開催というのは、自体的にはサイテーな状況だと思う。

サービスとして考えても、子育てに関しては既得権益がどしどし失われている状況であり、昨今の放射能汚染地域での小学校運営推進のように、実は国や自治体は子どもの将来を考えて動いていないという自体について、市民は直視しなければいけないのだという思いを強くするばかりだ。

>「子ども・子育て包括交付金」(仮称)を創設する。新システム導入に伴う所要額は、15年の時点で年間1兆円超程度と見込んでいる。

の記述をみて、金をかけて手厚いではないかと思う人は頭が悪すぎる。
それだけの金が子どもに直接かけられれば、こんな施策はいっさい必要なくなるのだ。
この金がうまい汁を吸いたい連中のもとにいっているということを想像した方がいい。

話としては小学校の英語導入でうまい汁を吸っている英会話教室みたいなものだ。


(以下引用)
「幼保一体化」13年度実施…政府の検討会議
読売新聞2011年7月6日(水)11:59

 政府は6日午前の「子ども・子育て新システム検討会議」の作業部会で、「幼稚園と保育所の一体化」の2013年度からの実施を目指すことなどを盛り込んだ新システムの「中間取りまとめ案」を決めた。

 次の国会以降に関連法案を提出する方針だ。

 新システムは、待機児童の解消に向けた0~2歳児保育の拡充や「幼保一体化」による幼児教育・保育などが柱だ。システムの中核は、国や地方自治体、学校法人、社会福祉法人などが設置し、幼児教育と保育をともに担う「こども園・総合施設」(仮称)の創設で、幼稚園や保育所の総合施設への移行を促すと明記した。

 さらに、一定の条件を満たす株式会社やNPO法人など、様々な事業主体に保育事業への参入も認めることにした。市町村は、地域での子ども・子育てに関する需要に応じるための方策などを盛り込んだ「市町村新システム事業計画」(仮称)を策定する。国の補助金や企業負担など、新システムに関する財源は一本化され、市町村に交付する「子ども・子育て包括交付金」(仮称)を創設する。新システム導入に伴う所要額は、15年の時点で年間1兆円超程度と見込んでいる。