仕事中にラジオを聞いてたら、10代の性に関する話題が取り上げられていました。
15歳の少女が「彼氏が避妊してくれない」と
インターネットで悩みを告白したりして、経験者たる先輩方がアドバイスするとか、
今はそういう時代ですよ、ええ。
で、やっちゃっていいかどうかの基準としてしばしば挙げられるのが、
「愛があるのか、否か」ということ。
しかし、愛ってなんじゃらほい。
「男が女に愛してるというとき、それはやらせろという意味で、
女が男に愛してるというとき、それは一生養ってくれという意味だ」
というジョークがありますが、あながち間違ってもないかと。
ひどい見方をするなら、結婚というのはそういう契約です。
最近は、契約内容が細かくなってきてますが、
(家事の分担とかいろいろ)
そのへんを「愛してる」の一言であいまいにしていることが、
のちのち問題を引き起こすのだと私は考えています。
もとの話だと、先輩たちは、
「好きだから、嫌だけど許してしまう気持ちはわかるけど……」
というアドバイスをしていました。
確かに愛し合っているなら、相手の気持ちをある程度尊重しなければならないと考えるのは自然なことです。
しかし、同時に「相手は自分のことを尊重してくれているのか」ということも考えないといけません。
相手を妊娠させるリスクを負わせることと、己の快楽を引き出すことを秤にかけて、
安直に後者をとるような人間が、はたして自分を最後まで守ってくれるのかと。
あるいは、そういう人は相手が妊娠することをリスクとすら考えていないかもしれません。
そんな人がささやく「愛してる」という言葉に、
過大な期待をよせるのは賢明とは思えませんね。
むしろ、そういう人を好きになってしまった自分の人間鑑識力について
疑問をもつきっかけにしたほうがよさそうです。
……とかなんとかえらそーなことをいいつつ、
私は平然と生でやらかしたあげく、
女の子のほうに「今日は大丈夫な日だから」と言わせるようなギャルゲーを
たくさんやってるような気がするんですが(笑)。
15歳の少女が「彼氏が避妊してくれない」と
インターネットで悩みを告白したりして、経験者たる先輩方がアドバイスするとか、
今はそういう時代ですよ、ええ。
で、やっちゃっていいかどうかの基準としてしばしば挙げられるのが、
「愛があるのか、否か」ということ。
しかし、愛ってなんじゃらほい。
「男が女に愛してるというとき、それはやらせろという意味で、
女が男に愛してるというとき、それは一生養ってくれという意味だ」
というジョークがありますが、あながち間違ってもないかと。
ひどい見方をするなら、結婚というのはそういう契約です。
最近は、契約内容が細かくなってきてますが、
(家事の分担とかいろいろ)
そのへんを「愛してる」の一言であいまいにしていることが、
のちのち問題を引き起こすのだと私は考えています。
もとの話だと、先輩たちは、
「好きだから、嫌だけど許してしまう気持ちはわかるけど……」
というアドバイスをしていました。
確かに愛し合っているなら、相手の気持ちをある程度尊重しなければならないと考えるのは自然なことです。
しかし、同時に「相手は自分のことを尊重してくれているのか」ということも考えないといけません。
相手を妊娠させるリスクを負わせることと、己の快楽を引き出すことを秤にかけて、
安直に後者をとるような人間が、はたして自分を最後まで守ってくれるのかと。
あるいは、そういう人は相手が妊娠することをリスクとすら考えていないかもしれません。
そんな人がささやく「愛してる」という言葉に、
過大な期待をよせるのは賢明とは思えませんね。
むしろ、そういう人を好きになってしまった自分の人間鑑識力について
疑問をもつきっかけにしたほうがよさそうです。
……とかなんとかえらそーなことをいいつつ、
私は平然と生でやらかしたあげく、
女の子のほうに「今日は大丈夫な日だから」と言わせるようなギャルゲーを
たくさんやってるような気がするんですが(笑)。