日本では、英語教育の重要性が語られて久しいですが、企業の英語公用語化、大阪の橋下市長、松井知事らが進める教育改革の中での英語強化策など、最近はますます注目を浴びていますね。
長年、英語が大切だとされながらも日本の英語教育はうまくいっていないと言われています。
うまくいっていない大きな原因の一つは、テストです。
テスト作成者は、良い問題より、”採点しやすい”問題を作りがちです。
良い問題は概して採点が難しいからです。
そういうえば私は、中学1年生で初めて英語を習って最初の中間試験で、
ピリオドやクエスチョンマークをつけ忘れて、大量に減点された覚えがあります。
その後も、三人称単数のsだとか、比較級、時制、仮定法など、つぎつぎと文法を学習し、間違えると減点というテストが延々と続きました。
確かに基本的なルールを覚えることは、語いを増やすこととともに、英語力を高めるうえで重要なのですが、本当は、
その英語を使って何を読み(聞き)理解するのか、
その英語を使って何を伝えるのか
それが最も大切です。
長年、学校で〇×をつけられて英語を学んできた日本人が、
間違いばかりを気にして、書き、話す”内容を磨く”ことを軽視してきてしまったツケは大きいと思います。
北千里教室で先月行ったTOEIC IPテストのスコアレポートをこの火曜日で全員に返却し終わりますが、このTOEICは、少なくともそういう英語の基本ルールなどを直接聞いてくるような問題はほとんどありません。
メッセージを正しく適切な速度で理解できるかどうかを確かめる内容になっています。
日本の学校でのテストも、変わりつつありますが、
本当に良い問題を作成して採点できるためには、教師の側に相当な力量が求められます。日本の英語教育は岐路に立たされています。
ところで、前置きが長くなって今日、書きたいと思ったことから話がそれてしまいました(^_^;)
今日は、英語学習の派生的な効用がとても役立つことを話したいと思います。
さきほど、英語で重要なのは、
その英語を使って何を読み(聞き)理解するのか、と言いましたが、
その英語の特に読む学習の中で論理的な思考力を養うことができます。
文法があいまいで表現もあいまいな日本語に比べると、
英語のほうが圧倒的に論理的で明快な文章にあふれています。
言語と文化が密接に結びついているせいなのでしょうけれど、日本の中で生活していくとしても、論理的に書ける、話せる、という技術は、社会人として最も大切な能力です。
個人的には、仕事でも、あいまいな、時には何を言いたいのかすらわかりづらい日本語を読んだり聞いたりしてきた経験がありますが、本当に英語ができる人は、日本語も上手です。
英語が上手な人には、もともと日本語が上手だった人も多いのかもしれませんが、
少なくとも私の場合は、英語をたくさん読んだおかげで、日本語も上達したと実感しています。
先日読んだ社会学者の本に、面白いことが書かれてありました。
彼は、日本語で文章を書くときにも、つねに自分が書いた日本語が英語に翻訳できるかどうかを意識して書くそうです。
このエピソードは、英語の論理性を端的に表していますね。
日本語だとあいまいなままでも文章として体裁をなしているんですが、いざ英語にしてみようとすると、そういう文章は英語にならないので、不明確さに気がつくことがあります。
私も自分が日本語で書いたり話したりするときに、無意識に英語の論理性を借りて文章を作っているのかもしれません。少なくとも英語での経験が影響を与えていることは確かです。
また、英語にたくさん触れるようになってからは、何となく雰囲気にながされて客観的な判断を誤る、なんてことにはあまり陥らなくなったように思います。
教室のみなさんも、毎週聞くニュースをしっかり復習してくださいね。
ニュースの構成がいかに明快になっているか、気付かれることと思います。
こういったしっかりした構成の文章にたくさん触れていくうちに、
自分が発信するときにも、どういう流れで文章を作っていけばいいのかが身についていきます。
ニュースに慣れてきたら、もう少し長い社説やコラムにもぜひ挑戦してください。
クリックで応援、よろしくお願いします!
ニュースで鍛える 国際社会で通用する英語力
茅ヶ崎方式英語 北千里教室
長年、英語が大切だとされながらも日本の英語教育はうまくいっていないと言われています。
うまくいっていない大きな原因の一つは、テストです。
テスト作成者は、良い問題より、”採点しやすい”問題を作りがちです。
良い問題は概して採点が難しいからです。
そういうえば私は、中学1年生で初めて英語を習って最初の中間試験で、
ピリオドやクエスチョンマークをつけ忘れて、大量に減点された覚えがあります。
その後も、三人称単数のsだとか、比較級、時制、仮定法など、つぎつぎと文法を学習し、間違えると減点というテストが延々と続きました。
確かに基本的なルールを覚えることは、語いを増やすこととともに、英語力を高めるうえで重要なのですが、本当は、
その英語を使って何を読み(聞き)理解するのか、
その英語を使って何を伝えるのか
それが最も大切です。
長年、学校で〇×をつけられて英語を学んできた日本人が、
間違いばかりを気にして、書き、話す”内容を磨く”ことを軽視してきてしまったツケは大きいと思います。
北千里教室で先月行ったTOEIC IPテストのスコアレポートをこの火曜日で全員に返却し終わりますが、このTOEICは、少なくともそういう英語の基本ルールなどを直接聞いてくるような問題はほとんどありません。
メッセージを正しく適切な速度で理解できるかどうかを確かめる内容になっています。
日本の学校でのテストも、変わりつつありますが、
本当に良い問題を作成して採点できるためには、教師の側に相当な力量が求められます。日本の英語教育は岐路に立たされています。
ところで、前置きが長くなって今日、書きたいと思ったことから話がそれてしまいました(^_^;)
今日は、英語学習の派生的な効用がとても役立つことを話したいと思います。
さきほど、英語で重要なのは、
その英語を使って何を読み(聞き)理解するのか、と言いましたが、
その英語の特に読む学習の中で論理的な思考力を養うことができます。
文法があいまいで表現もあいまいな日本語に比べると、
英語のほうが圧倒的に論理的で明快な文章にあふれています。
言語と文化が密接に結びついているせいなのでしょうけれど、日本の中で生活していくとしても、論理的に書ける、話せる、という技術は、社会人として最も大切な能力です。
個人的には、仕事でも、あいまいな、時には何を言いたいのかすらわかりづらい日本語を読んだり聞いたりしてきた経験がありますが、本当に英語ができる人は、日本語も上手です。
英語が上手な人には、もともと日本語が上手だった人も多いのかもしれませんが、
少なくとも私の場合は、英語をたくさん読んだおかげで、日本語も上達したと実感しています。
先日読んだ社会学者の本に、面白いことが書かれてありました。
彼は、日本語で文章を書くときにも、つねに自分が書いた日本語が英語に翻訳できるかどうかを意識して書くそうです。
このエピソードは、英語の論理性を端的に表していますね。
日本語だとあいまいなままでも文章として体裁をなしているんですが、いざ英語にしてみようとすると、そういう文章は英語にならないので、不明確さに気がつくことがあります。
私も自分が日本語で書いたり話したりするときに、無意識に英語の論理性を借りて文章を作っているのかもしれません。少なくとも英語での経験が影響を与えていることは確かです。
また、英語にたくさん触れるようになってからは、何となく雰囲気にながされて客観的な判断を誤る、なんてことにはあまり陥らなくなったように思います。
教室のみなさんも、毎週聞くニュースをしっかり復習してくださいね。
ニュースの構成がいかに明快になっているか、気付かれることと思います。
こういったしっかりした構成の文章にたくさん触れていくうちに、
自分が発信するときにも、どういう流れで文章を作っていけばいいのかが身についていきます。
ニュースに慣れてきたら、もう少し長い社説やコラムにもぜひ挑戦してください。
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