自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

鴨長明 『方丈記』

2014年09月30日 | Weblog

 人は不思議な者だと思う。不思議なのは当然と言えば当然なのであろうが。
 二重人格、多重人格でない人が居るであろうか。無論、人格という理解困難な言葉の意味は措くとしてでのことだが。ときどき、人は不思議な者だと思わされる。長明『方丈記』を再読した。
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくの如し」と世の無常を嘆く美文で始まる『方丈記』は、序の部分が終わるや突如として、筆勢が変わり、彼の体験した世の不思議が記され、『方丈記』のほぼ半分にも及んでいる。
 この部分は、60歳の老いを感じさせない程に活写されている。それは、冒頭の無常感を敷衍しようとしながらも、筆が無常感を離れ、真正の意味でリアリスティックである。過去の体験が単に過去のものとしてではなく、現在のものとして追体験されている、という趣である。この部分は、明らかに長明独特の無常の文学、隠者の文学ではない。
 ところが、追体験の興奮から醒めてしまうと、再び「わが身と栖との、はかなく、あだなるさま」への感慨に落ち込んでしまう。短い作品での、この劇的とも言える変化をどう理解すればいいのだろうか。
 長明を引いたが、人は一般に不思議な者だと思う。歩みゆく人の心根は絶えずして、しかも、もとの心根にあらず。

27日 御嶽山噴火

2014年09月29日 | Weblog

(朝刊より)
 「ひざまで火山灰が積もり、目の前で少なくとも3人が埋もれた」。御嶽山が噴火した当時、山頂付近にいた女性3人が28日、岐阜県下呂市に下山し、当時の様子を生々しく語った。噴火後、噴煙に包まれて視界がなくなり、落下してきた岩石で大勢が傷ついた。メンバーの1人は「リュックを頭に乗せていたため、命が救われた」と語り、落下物から身を守れたかどうかが運命を左右した過酷な状況が明らかになった。
 3人は千葉県松戸市と栃木県日光市の65~73歳の主婦のグループ。27日早朝から3人で登山を楽しみ、周囲には同じような登山者がたくさんいた。
 異変が起こったのは、山頂の御嶽神社社務所近くで、昼食の弁当を食べていたときだった。「大きな爆発音がして灰が落ち始め、突然真っ暗になった」。
 3人は急いで、社務所近くに避難したが、あっという間に、灰がひざの高さまで降り積もった。
 「暗くて、自分がまるで埋まってしまったかのような感覚。もう駄目だと思いました」。メンバーの1人はこわばった表情で振り返った。
 付近には大きな石が落下し始め、社務所の幅約50センチのひさしの下に2人がかがみ込み、体が入りきらなかった松戸市の女性(69)は抱えていたリュックを頭の上に載せて身をかがめた。ほかの登山客らと身を寄せ合った。
 しばらくして、周囲を見渡すと、積もった灰のなかに体が埋まり、リュックや登山のステッキの一部だけが見えた。目の前で少なくとも3人が灰に埋まっていた。頭から血を流した男性が、「背中が痛い、痛い」と苦しみながら何度もつぶやいていたが、30分後に動かなくなった。
 女性が後に頭を守ったリュックの中を確認すると、金属製の水筒がぺちゃんこになっていたという。大きな石の直撃を受けていたことを知り、「リュックに命を救われた」と感謝をかみしめる。
 3人は自力で歩けるほかの登山者らと山小屋に向かうよう指示を受け、積もった灰の上を滑るようにして避難。けが人を置いて避難するのはつらかったという。「自分たちは幸運にも生還できたが、目の前で倒れた方を見捨てるような形になった。早く家族の元に戻ってほしい」と願った。

自然暦 (再々掲)

2014年09月28日 | Weblog

 『自然暦』の編著者・川口孫治郎氏によると、「自然を目標にとった自然暦、それが往々却って太陰暦、太陽暦よりも確かなところがある」。どんなに高度な科学技術でも、自然の複雑さには太刀打ちできないし、それだけに、永年にわたって培ってきた単純な経験的推測の方が自然を的確に捉えるということなのかも知れない。
 同書には次のような記述がある。「自然観察が、言い伝えとなり、諺となって固定したのが自然暦である。猪苗代湖南の村々では、湖をへだてた北の磐梯山に残る雪形を見て耕作の時期を知り、寺の境内の大きな桜の木を種まき桜と言って、その桜の花の咲く時を播種の基準として生活してきた。日本アルプスをはじめ各地にある白馬岳、駒形山のような名のついた山も、その山に残った春雪の形で農耕の時を知ったことから、ついた名である。」
 自然暦は農耕に関連する。農業にとって、農作業の適期を知ることが何よりの関心事であったに違いない。適期をはずせば、農作物の命取りにもないかねない。農作業の適期は、その年の気象条件が決めるのであって、カレンダーが決めるものではないから、自然暦の方が合理的だという説には肯けるところがある。
 同書には様々な諺やその類が載っていて、夫々に面白い。自然の摂理に根ざした知恵というものは、場合によれば、科学的を称する知識よりも有益であろう。逆に言えば、有益でなければ自然の摂理に根ざした知恵とは言えないということであろう。ただし、こんな薀蓄はどうでもよく、農業の現状がますます先細りになっていくのではないか、その事が気にかかる。
 自然暦は農作業の目安となる諺などを集めただけではなく、食べ物に関する諺などにも事欠かない。特に「寒」についてのものが面白い。
 例えば、羽前北小国村(現・山形県小国町)の「ヤマドリは寒明けに脂が不足する、タヌキは寒中に脂で太る」などは、土地の人の永い経験に裏付けられた知恵として面白い。その他、食べ物の上に「寒」をつければ、それで立派な自然暦の役目を果たすらしい。「寒雀」(飛騨高山)、「寒ウツボ」(紀伊田辺町)などと同様に、フナ、カレイ、ブリなどの上に「寒」がつけば、美味ということになる。
 食べ物の話は、特に雪国の寒中の冬籠りに欠くことのできないものであるが、自然の生き物たちは、この時期最も厳しい試練にあっている。生き物たちは、春を迎えるまでの長い期間苦闘の連続であろう。タヌキが寒中に太るとか、イノシシが太るなどと人間はうそぶいているが、タヌキやイノシシは生き延びるための必死の対策をとっているのであろう。
 僕らは自然の摂理をもっとよく知るべきだと思う。が、その知り方をまず教えてもらわなければならない。自然の摂理を知らない人間が多くなり、自然を荒らすものだから、タヌキやイノシシが里に来て悪さをする。お互いのテリトリーを守るのも自然の摂理の一つだろう。

大和の秋

2014年09月27日 | Weblog

 収穫の秋がすぐそこまで来ているような、そんな空気を感じます。
 大和の秋は富有柿の実りの秋です。柿日和という言葉があるぐらいです。柿の大木の鈴なりの富有柿は、それは見事なんです。美しいんです。賑やかなんです。そんな季節が間もなく到来します。
 富有柿の実が少なくなった頃、秋は深まります。

  ゆく秋の大和の国の薬師寺の
       塔の上なるひとひらの雲   佐々木信綱

 僕んちから少し歩けばこんな光景が見られます。大きな景色から、しだいに視野を絞っていき、最後は「ひとひらの雲」を大きな構図にきっちりと定着させている詩だと思います。

 いよいよ本格的な秋。そして初冬。僕の一番好きな初冬が毎年のことながらやってきます。

ライシャワーの予測 (再々掲)

2014年09月26日 | Weblog

 元駐日米国大使ライシャワーの『ザ・ジャパニーズ』という本を古本屋で買った。僕は彼について特別の関心をもっているわけではないが、本屋で立ち読みしている間に読んでみようと思った。
 この本の最後に「日本の未来」と題して四点の問題が挙げられている。
 1.天災では日本はいつもたっぷり手痛い目にあってきた。1923年の関東大震災の災禍は日本人の意識に深く焼きついているが、当時と比べ、高層建築や高速道路、高架鉄道や地下街がひしめいている今日では、大地震はおろか大暴風雨ですらが、旧に倍する災害をもたらす恐れがある。
 2.社会の内部構造の問題。現代の工業化社会はあまりに複雑化し、自らの重みに耐えかねて、管理不可能かつ崩壊の兆しをみせつつある。指導者達の「自己管理能力」が問われかねない。
 3.世界的な環境ならびに資源という点において、大国のうちで一番の脅威にさらされるのは日本であろう。これを避けるには日本単独では不可能である。
 4.そこで、第四に、国際間協力が必要になってくる。単に環境・資源問題のみではなく、世界規模での貿易と平和のための国際間協力が欠かせない。

 いずれの問題も現代の日本にのしかかっているように思う。この本は1979年に初版が出て、同じ年に第19刷を数えている。小さな字で430頁の本である。よく売れ、よく読まれた本だったのであろう。しかし、彼の挙げた問題を反芻している人が今日どれだけ居るだろう。

リルケの秋

2014年09月25日 | Weblog

  秋     ライナー・マリア・リルケ/茅野蕭々

葉が落ちる、遠くからのやうに落ちる、
大空の遠い園が枯れるやうに、
物を否定する身振りで落ちる。

さうして重い地は夜々に
あらゆる星の中から寂寥へ落ちる。

我々はすべて落ちる。この手も落ちる。
他を御覧。総てに落下がある。

しかし一人ゐる、この落下を
限りなくやさしく両手で支へる者が。


(僕のひ弱な文学遍歴は蘆花や独歩から始まり、その影響でロシア文学へ移り、トルストイを読み、大学に入ってからドイツ文学に染まった。とりわけリルケのリリシズムとそこに潜む崇高への憧れを好んだ。その後やはりゲーテを読んだ。古本屋で買った茅野蕭々のドイツ文学研究書が今も家のどこかにあるはずだ。巨匠ゲーテより詩人リルケの方に親しみを覚えるが、いかんせん老化のせいか、リルケを読む気概が薄れたように近頃思う。)

夢を見た

2014年09月24日 | Weblog

  去り行く日の来ん時は

去り行く日の来ん時は
ものみなに許しを乞います

心の髄に感じる事は
文をなしたる事の悲哀です

なぜか その悲哀の故にか
泉に小石をひとつ投げてみます

水に沈みゆく石が黙っているのは
何と言う不思議な美しさでしょう

口をつぐみて時間の声に聴き入ります
時間がすべてを澄ましてくれます

ところが 万目荒涼たる心象が
冬近き小路に細い影をつくっています

風の音に驚きて 草木を想い
万物流転に身を任せましょう

僕の歴史を顧みますと それは一行の詩
Uni-verse Universe

宇宙が黄昏て逝きます
仰げばオリオンが密かに瞬いています


(こんな駄文、なんとかならないものかしら。)

『冬の旅』 を久しぶりに

2014年09月23日 | Weblog

昨晩久しぶりにヘルマン・プライで『冬の旅』を聴いた。
その9番「鬼火(Irrlicht)」。

 深き谷間へと 鬼火は誘う
 われは迷えども 心痛まず
 鬼火の誘いに われは慣れたり
 喜び嘆きも すべて鬼火のしわざなりしか

 水なき川に沿い われは下りぬ
 すべての流れは海に注ぎ
 すべての悲しみは
 墓場につづかん

(夜の旅は、あてどない道をゆく若者に恐怖を与える。鬼火は彼を深い谷間へと誘う。しかし若者はもう慣れた。この世の喜びも悲しみもすべて鬼火の仕業だと感じる。
 この曲で、若者は一つの思想を初めて抱く。それは「諦観」である。それまでは恋人への執着を歌っていたが、この世は鬼火のようなものだという虚無感に襲われたとき、二十代後半のシューベルトは絶妙な歌曲を産み出した。独りのシューベルトがもう独りのシューベルトとひそかに語り合いながら。「やっと星の本当の美しさが分るようになったよ」というふうに。
 二十代後半、懐かしい。もの想う秋の夜長ではあった。)



興味~~記憶~~老化

2014年09月22日 | Weblog

  「興味がなくなれば、記憶もなくなる。」(ゲーテ『箴言と省察』より)

 記憶の要領は興味をもつこと、これは当然であろう。問題は、絶えずいろいろな事に関心をもつ事が難しい点にある。難しいが、老化防止には役立つに違いない。
 ゲーテが、短命な時代に八十三歳近くまで生きて、最後まで活躍できた原動力は、彼の多様で旺盛な関心にあったのであろう。
 しかし、物忘れを恐れない事も大事だと思う。コロッと忘れてしまったような事柄は、裏を返せば、関心をもつに値しない些事なのだ。
 しかし、些事かどうかをどうして決めるのか。忘れた事は些事と言っていいのだろうか。そうは言えまい。僕はしばしば大事な事を忘れる。後で、後悔する。後悔するのは、忘れていた事を思い出した時であるが、その時は後の祭りである。
 しかし、まあ、忘れたら、気にせず、自己嫌悪などに陥らず、さらっと生きる事に心がけようと、最近になり思っています。しかし、そうすると、老化が早くなるのでは・・・。矢張り、興味津々の日々を送らねばならないのではないかと、ゲーテの言葉に頼りない蘊蓄を傾けながら、思う次第です。

世阿弥 「秘すれば花」

2014年09月21日 | Weblog

 世阿弥『風姿花伝』のキー・ワード。
 この「秘すれば花」の意味が分かり難いという人が居るかも知れないが、僕は僕なりに理解できる。
 よく用いられる「初心忘るべからず」は、初めての時の心がけを忘れるな、という意味ではなく、初心者の未熟さを日々忘れるな、という意味だ。何でもいつでも学び続けなければならず、同じ類の事であっても何か新しい事を学ぶ時は自分が未熟者だと自覚して謙虚に始めなければならない。ましてや惰性や慢心を自戒することが肝要である。このような姿勢で努力を欠かさない者だけが「秘すれば花」の持ち主になれる。
 為手(役者、俳優)が自分の演技の面白さ、珍しさを表に出せば、見手(観客)は直ぐにそれと気がつき、面白さ、珍しさは消える。だから、見手が気がつかないでいてこそ、為手の演技は効果的である。意外に面白いとだけ感じ、実は意図的表現だとさとられないのが、為手の魅力なのだ。そこで「秘すれば花」と言われる訳だ。
 僕なんぞは効果を狙って事に当たる場合がある。僕の狙いは相手に筒抜け。隠れようも無い。
 ところが、「初心忘るべからず」を知らず知らずの間に心得ている人は「秘すれば花」を地で行っている訳で、絵を描くとか野球をするとかで夢中になって事に当たっている若人たちの真摯な行いに自ずと表れる。若人の姿勢を保たなければ、心も老いる。
 が、保つことが難しい。

 日本最初の演劇論『風姿花伝』に何度となく現われる「花」の意味は、以上のような意味で尽きない。
 (第七 別紙口伝)イズレノ花カ散ラデ残ルベキ。散ルユエニヨリテ、咲クコロアラバ珍シキナリ
 花は散るから美しい、これは素直に分かる。
 その花を「いのち」に置き換えると、「いのち」が美しいのは、生の内に死を含んでいるからだ、と世阿弥は言いたかったのだ。この思想を世阿弥だけが情理の上で明確にする事により、能舞台に絢爛たる花を咲かせることができたのだ。
 世阿弥の思想は奥が深い。僕ら人間の存在に二重の状態を認めた。人間の内面に死と生とを、相互補完的なものとして認めた。生は死を含み、死は生によって意味を得る。生は死によって証しを得、死もまた生によって証しを得る。「いのち」が美しいのは、それがはかないものだからであり、いずれ死が訪れるのが必定だからである。生年と享年とは同い年なのだ。この事を世阿弥は、「秘すれば花」で説いた。
 相互補完的と言ったが、現実には生と死のせめぎあいであり、人間存在は修羅場なのだと思う。修羅場に咲き散る「花」。世阿弥の洞察は凄いものだと思う。


グリム兄弟 (再々掲)

2014年09月20日 | Weblog

 僕はいろんなことを試みてみたいと思ってきたが、試みてもどうしても出来なかったことの一つがメルヘンの創作である。これをするには少々の博識では無理で各地の伝説などを収集する根気が不可欠である。 グリム兄弟が多くの人々から聞き集めたメルヘンには民衆の心が生きていると言われる。
 兄ヤーコプ弟ヴィルヘルムは、苦学の末、良き師にも恵まれて文法学、歴史法学、比較言語学、神話学の世界的創始者になっただけではなく、言論の自由を訴えてゲッティンゲン大学教授の職を追われても国王の違憲を弾劾した実践的な正義の人であり、巨大な「グリム大辞典」の編集を始めた。
 後に東西分裂の最中にも旧東西ドイツの言語学者たちは協力して、この大辞典を完成させた。
 二十歳という若い日に、法律学徒の二人がメルヘンを集めるようになったのは、言葉と祖国への愛だったと言われている。時は1806年、ナポレオンの侵攻によって、八百年の歴史を誇る神聖ローマ帝国という名のドイツが崩壊した年。「ドイツの空が屈辱に暗く雲っていたとき、私たちはドイツの言葉にドイツの心を求めたのです」と、後にベルリン大学に招かれたときに語っている。メルヘンはお伽噺ではないのだ。
 話は変わるが、それから約130年後とんでもない人物が現れる。ヒットラー。グリム兄弟が築いたドイツの心を台無しにする野望を実現し、その後ドイツは混迷状態に入る。東西ドイツが統一されたのは1989年だったか、崩れるベルリンの壁の上で踊る若者たちを見て、当時の首相コールは「今は踊るのもよい。これからが問題だ」と言ったのを覚えている。
 何故グリム兄弟のことを記したかと言うと他意はないのだが、グリム童話選を読んでいて、メルヘンの奥にあるものを掴みたかったからである。

谷崎潤一郎 『文章読本』

2014年09月19日 | Weblog

 日本語のいわば作法についての本がだいぶん前から流行している事などから考えさせられた事がある。言葉が考えを正確に伝えるのか否か、という問題である。この問題は古くて新しい問題なので、少し前の名文を引証して、改めてちょっとだけ考えてみる。
 谷崎潤一郎に『文章読本』という名随筆がある。僕は谷崎の小説は読まず嫌いなのだが、この『文章読本』は冷静に谷崎の考えを表していると思う。昭和50年発行の文庫版から二つ引く。
 「然らば、或る一つの場合には、一つの言葉が他の言葉よりも適切であると云うことも、何に依って定めるかと申しますのに、これがむずかしいのであります。第一にそれは、自分の頭の中にある思想に、最も正確に当て嵌まったものでなければなりません。しかしながら、最初に思想があって然る後に言葉が見出だされると云う順序であれば好都合でありますけれども、実際はそうと限りません。その反対に、まず言葉があって、然る後にその言葉に当て嵌まるように思想を纏める、言葉の力で思想が引き出される、ということもあるのであります。」
 言葉が考えを正確に伝えるのか否かについては、谷崎も迷っているようだが、谷崎の場合は「言葉の力で思想が引き出される」という側面を強調したいように読み取れる。しかし、次のようにも言う。
 「・・・返す返すも言語は万能なものでないこと、その働きは不自由であり、時には有害なものであることを、忘れてはならないのであります。」
 その通りだと思う。言葉というものは不自由なものだ。しかし、コミュニケーションの手段はどれも不自由なもので、言葉に限った問題ではない。不自由を相対的に自由にするものが理路というものなのだろうが、これがまた難物で、結局、正確で且つすうと伝わる文章なんてものは皆無とまでは言えないが極めて少ないのだろう。

想像力はなぜ必要か?

2014年09月18日 | Weblog

 想像力は何故重要か?
 それは、人が社会で他者と協調して生きる為に、であろう。
 自分ではない他者の観点は経験できないから、想像し思考する。相手に応じて自分の行為を決める。協調するばかりではなく、人は方便や、時には欺瞞を用いて競争に勝つ為に想像し思考する。
 そのようにして何万年もかけて我々は進化してきたというのが人類学者のいう社会的知性仮説(社会的関係の複雑化がヒトの大脳発達の要因)である。
 これまで、ヒトの進化は石器などの道具の使用によると信じられてきたが、石器の進化と脳の大きさの進化は必ずしも対応しないことが分かってきたという。物の使用よりも人間関係の中で心をどう働かせてきたかが進化の鍵だというわけだ。これは、まだあくまで仮説に過ぎないが。
 僕が思うに、想像力は青少年の健全な社会生活にも重要な役割を果たすのではないか。勿論、想像力をどんな場面で働かせるかが問題ではある。
 思うに、例えば「宇宙の果はどうなっているのか?」「死んだらどうなるのか?」「正義は常に勝つのか?」など、答えの出ない、あるいは複雑な問いを発し続け、答えを求めて想像することが、より良い社会的生き方を支えるひとつの要因であるのではないかと思う。最近のゲームは凄く複雑だそうだが、このような問いに答えを求めようとする想像力の方が、見えない世界で働くので、より複雑なのではないだろうか。見えない世界(他者の心や上のような問題領域)を想像することが青少年の社会性を培うのではないかと思う。
 青少年だけではなく、いい歳をした大人にも想像力を働かせてもらいたいものだ、円滑な社会生活を実現するために。

自由な考え方(再掲)

2014年09月17日 | Weblog

 
 「本当に自由なものの考え方とは、他を認めることだ。」(ゲーテ『箴言と省察』より)

 人ひとりの考えなど、しれたもので、そこから生まれるかもしれない行動の規範は極めて狭い。井の中の蛙が自由であるはずがないではないか。
 自縄自縛という言葉があるが、その縄は「自分自身」であり、その縄の拘束力は比類ないほど強いばかりではなく、厄介なことに見つけにくい。
 自分の殻を脱いで他を認める時、初めて僕(ら)はその縄から解き放たれ、自由なものの考え方をすることができる。
 
 概略、このような意味であろう。しかし、言うは易しく行うは難しで、僕なんぞは自縄自縛の状態にある場合が多い。縄をほどき殻を脱ぐには、他の言を傾聴することが大事だと思う。たとえ、その言がつまらなく、愛想のよいものであっても。但し、その言が立て板に水を流すような言ならば、あるいは権威を傘にきた(つもり)の言ならば、僕は逃げることを良しとする。
 とかく、自由な考え方というものには達し得ないものだ。そしてまた、もの言えば唇寒し秋の風ということも時々はわきまえておかなければならない。

西東三鬼

2014年09月16日 | Weblog

 僕は現代俳句にあまり関心がないが、大方の人々と同様、西東三鬼の句にはハッとさせられることがある。

   秋の暮大魚の骨を海が引く

 三鬼が晩年に住んだ葉山の海岸には、しばしば漁師の捨てたカジキマグロなどの骨を見たという。「秋の暮」や「海が引く」という措辞から、引き潮で海に戻っていく大魚の骨をいとおしみ、生命の自然回帰という点に思いを巡らせている句であるが、句が喚起するところには神話的な背景もあるように思われる。こういう類の情景や背景を現代絵画や現代音楽も描写しているのであろう。
 つるべおとしの秋の暮、昨夕、独りボーとしていると、悲喜こもごも、いろんなことが脳裡を過ぎ行った。