自 遊 想

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自然暦 (再々掲)

2014年09月28日 | Weblog

 『自然暦』の編著者・川口孫治郎氏によると、「自然を目標にとった自然暦、それが往々却って太陰暦、太陽暦よりも確かなところがある」。どんなに高度な科学技術でも、自然の複雑さには太刀打ちできないし、それだけに、永年にわたって培ってきた単純な経験的推測の方が自然を的確に捉えるということなのかも知れない。
 同書には次のような記述がある。「自然観察が、言い伝えとなり、諺となって固定したのが自然暦である。猪苗代湖南の村々では、湖をへだてた北の磐梯山に残る雪形を見て耕作の時期を知り、寺の境内の大きな桜の木を種まき桜と言って、その桜の花の咲く時を播種の基準として生活してきた。日本アルプスをはじめ各地にある白馬岳、駒形山のような名のついた山も、その山に残った春雪の形で農耕の時を知ったことから、ついた名である。」
 自然暦は農耕に関連する。農業にとって、農作業の適期を知ることが何よりの関心事であったに違いない。適期をはずせば、農作物の命取りにもないかねない。農作業の適期は、その年の気象条件が決めるのであって、カレンダーが決めるものではないから、自然暦の方が合理的だという説には肯けるところがある。
 同書には様々な諺やその類が載っていて、夫々に面白い。自然の摂理に根ざした知恵というものは、場合によれば、科学的を称する知識よりも有益であろう。逆に言えば、有益でなければ自然の摂理に根ざした知恵とは言えないということであろう。ただし、こんな薀蓄はどうでもよく、農業の現状がますます先細りになっていくのではないか、その事が気にかかる。
 自然暦は農作業の目安となる諺などを集めただけではなく、食べ物に関する諺などにも事欠かない。特に「寒」についてのものが面白い。
 例えば、羽前北小国村(現・山形県小国町)の「ヤマドリは寒明けに脂が不足する、タヌキは寒中に脂で太る」などは、土地の人の永い経験に裏付けられた知恵として面白い。その他、食べ物の上に「寒」をつければ、それで立派な自然暦の役目を果たすらしい。「寒雀」(飛騨高山)、「寒ウツボ」(紀伊田辺町)などと同様に、フナ、カレイ、ブリなどの上に「寒」がつけば、美味ということになる。
 食べ物の話は、特に雪国の寒中の冬籠りに欠くことのできないものであるが、自然の生き物たちは、この時期最も厳しい試練にあっている。生き物たちは、春を迎えるまでの長い期間苦闘の連続であろう。タヌキが寒中に太るとか、イノシシが太るなどと人間はうそぶいているが、タヌキやイノシシは生き延びるための必死の対策をとっているのであろう。
 僕らは自然の摂理をもっとよく知るべきだと思う。が、その知り方をまず教えてもらわなければならない。自然の摂理を知らない人間が多くなり、自然を荒らすものだから、タヌキやイノシシが里に来て悪さをする。お互いのテリトリーを守るのも自然の摂理の一つだろう。

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