自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

レンゲソウ

2011年04月30日 | Weblog

 近頃はレンゲ畑を見る機会が少ない。かつて、レンゲ畑は春を代表する光景だった。レンゲソウに蓮華草という漢字を当てるのは、花全体の形をハス(蓮)の花の形に見立てたからだそうだ。
 レンゲソウは、枯れない内に土に鋤き込んで肥料にする緑肥として植えられた。マメ科のレンゲソウの根には根粒菌が共生しており、根粒菌は空気中の窒素をあらゆる植物が利用できる形で固定している。そのおかげで土が肥え、植物の生育がよくなるので、水田に肥料としてレンゲソウが植えられるという訳である。
 レンゲソウを緑肥として利用するようになったのは江戸時代中期以降らしい。明治に入ると全国に広がったが、その後、化学肥料の普及によって、この無害の肥料は次々と姿を消していった。だが、近年になって有機農業への関心が高まるにつれて、レンゲソウの美しい絨毯を観光資源にしている地域もあるという。
 僕は生来が田舎者だから、レンゲ畑に郷愁を覚える。僕んちの近くに面積は小さいが、レンゲ畑がある。まだ少し時期が早いが、しばらくしたら、ボーと寝ころびに必ず出かける。

 大津波による塩害に遭った田圃にレンゲソウは生えるのだろうか。自然は強いから生えるかも知れない。だが、生えても田圃は本来の用を足さないだろう。はたまた放射能汚染を無慈悲にも蒙った田圃にレンゲソウは生えるのだろうか。自然は強いから生えるかも知れない。だが、生えても田圃は本来の用を足さないだろう。農家の人々の口惜しさが偲ばれる。

カツオ(鰹)

2011年04月29日 | Weblog

 僕は小学校低学年の頃、山里から4キロほど歩いて通学した。弁当のオカズで覚えているのはカツオの削り節である。醤油でまぶされた削り節が白飯の上に敷き詰められていた。削り節丼のようなものである。簡単この上ない弁当であるが、醤油が染み込んだ飯が美味かった。(その後、町の小学校へ移ったが、給食の不味かったこと!)
 昨年は今頃、カツオのタタキが食卓に出たと記憶しているが、今年は未だ。たぶん女房の頭の中にタタキが登ってこないのだろう。僕としては早く初ガツオにありつきたいのだが。イワシを追って太平洋を北上する初ガツオ。
 カツオは、良質のタンパク質とカルシウム、鉄分に富み、頭のはたらきをよくする(と言われている)DHA、血液をさらさらにするFPA、コレステロールを下げるタウリンが多く含まれる。(こういうことをもっと早く知っていれば、カツオをもっと食べていたのに、と思っても後の祭りなんだけれど。)ビタミンは、B群のB1(疲労や精神のイライラを緩和する)、B2、B12(悪性貧血を防止する)が多い。また、カルシウムの吸収を助け、骨を強くするビタミンDも多い。特に生で食べるのが効果的である。
 カツオの栄養分を摂取するには人生の黄昏時に居る今からでは遅いが、今年は、できれば来年も、カツオを謝食することにしよう。
 
 東日本大震災に遭い復興の緒についたばかりであろう三陸海岸から、今年、カツオ漁に出られるのであろうか。

四人の人間

2011年04月28日 | Weblog

 もう四年近くになるのか。作家の城山三郎が逝ってから。
 公正公平でぶれない人間の代表のように評価された。経済小説という分野を開拓した作家だが、この分野のみならず戦時中の上官たちの無様な姿を描き、足尾鉱毒事件を指弾した田中正造の最晩年を優しく描いたり、弱い者や使われる人の立場を常に擁護した。その城山が若い頃、アメリカ人の作家から受けた印象に残る一文を思い出している。それは、一人の人間の中に四人の人間が生きているべきだというもの。
 一つ目は探検家。自分の中に探検家は健在ですかと問う。探検家の意味は人それぞれが解釈していい。
 二つ目は芸術家。夢を見る力、芸術的とも言える構想力、そういう才能はちゃんと生きていますかと問う。
 三つ目は判事。管理者と言ってもいいんだけど、そういう判断力はしっかりしてますかと問う。
 四つ目はソルジャー。命がけで闘うことができますかと問う。
 この四人が一人の人間の中でしっかり確立していないとだめなんですよ、と城山は言う。
 
 むつかしいと思う。企業の責任者や政治の指導者は言うに及ばず、むつかしいことだが誰でもがこの四人の人間を自分の中に備えているのが望ましいとは思う。言うは易しく・・・。東電の社長には期待できない。

(今日はちょっと遠出してきます。)

柏餅

2011年04月27日 | Weblog

 柏餅の季節。大きな木の葉で食べ物を包むのは昔の人の知恵だ。南の島ではバナナの葉を使い、日本では柏、桜、笹などを使う。餅にしみこんだ葉の移り香を楽しむ。合成樹脂製の模造品では風味が出ない。
 幼少の頃、山でイバラ饅頭の葉を摘んだ憶えがある。僕は生来が田舎者だから、葉で包んだ食べ物なら何でも好きだ。とりわけ好きなのは柿の葉寿司なんだけれど。
 今、店で売っている柏餅は去年の葉を使っている。去年の葉を乾燥させて、大量に貯蔵させておく。使う時に煮て柔らかくする。
 昔の人は「餅は心地よきもの」と言ったそうだ。心地よきものである餅は元来、ハレの日の食べ物だった。餅には稲の霊が宿ると考えられ、正月や農耕開始の日、あるいはめでたい日に食べる習わしになった。柏餅は、ちまきと並んで、古くから端午の節句に結びついている。
 ものの本によると、柏餅の甘さが抑えられてきたそうだ。人間は栄養的に満ち足りてくると淡い甘味の方を美味いと思うようになる、というのだ。世の中の成熟度と甘さを抑えることとがどこかで絡み合っている、というのが面白い。成熟度と抑制との関わりは甘さの話だけではないだろうが。

 柏餅について書きながら、ふと思いついたことがある。文明の成熟度が増すと電気を沢山つかう。抑制がきかなくなる。そこで無粋極まりない原発に頼る。そして放射能汚染に晒される。これでは文明が成熟したとは、とても言えない。

サクラエビ

2011年04月26日 | Weblog

 静岡県の富士川河川敷には、毎年春になると、富士山を背景にピンクの絨毯が広がる。駿河湾で漁獲されたサクラエビを天日干しにしているのだ。写真で見るだけなのだが、見事だという他はない。
 体長4、5センチの海老で、干したものがせんべいやかき揚げなど様々な加工品に利用されるほか、生食もされる。カルシウムやリンを他の海老より比較にならないほど多く含む栄養価の高い海老である。
 このサクラエビが、昭和初期に激減して、環境問題に発展したことがある。生態が分かっておらず、対策の手立てがなかった。困った漁民たちは生物学者中沢毅一に支援を求めた。中沢は私財をなげうって「駿河湾水産生物研究所」を創立し、研究を開始した。
 中沢は、富士川河口の沖にサクラエビの産卵場があると考え、生まれた子エビの成長には、河川から流れてきた有機物が直接かかわり、狭い海域で大量のエビが成長できるのは、殻を形成するカルシウムを笛吹川の石灰岩盤が供給していると考えた。
 中沢の研究成果は地元ぐるみの実践運動につながった。まず、貴重種サクラエビを天然記念物に指定するための意見書を作成し、同時に富士川の環境保全運動にも尽力した。また。当時設立された製紙工場が大井川に廃水を垂れ流していたが、中沢は漁民と共に排水停止の交渉にもあたった。中沢らの運動は、環境保全運動の先駆けとしても記憶されるに至った。
 好物がエビせんべいである僕の生活にも、昔の環境保全運動が関わっているのだ。生態系サイクルを身近に感じる逸話を読んだのであるが、さてはて、僕にどんな環境保全ができるのであろうか。

 東日本大震災からの復興にあたっては、是非とも環境保全にも配慮してほしい。前にも書いたが、海の漁場が豊かであるのも山から流れ出るプランクトンが多いからである。海と山の連結を切るような復興であってはならない。

生き残った人の罪の意識

2011年04月25日 | Weblog

 107人の死者(運転士一人を含む)と562人の負傷者を出したJR西事故から今日で6年。
 原因の全体像が未だに見えないまま、裁判がこれからも(いつまでか?)続く。
 原因に関して事故当初から僕が思ったことは、JR西という会社の体質だった。この体質に関しては書いたことがあるので繰り返さないが、職場職場の壁に貼り付けてあった「稼げ!」というトップダウンによる会社のモットーが回り回って凄惨な事故につながったと考えている。
 原因に関してではないが、もう一つ思ったことがある。幸いにして生き残った人が罪の意識を抱いているという事実の記事を読んでサバイバーズ・ギルト(survivor's guilt)という言葉を思い出した。「生き残った人の罪の意識」
 同じ列車に乗り合わせた隣人が死んで、自分はなぜ死ななかったのかという心の負い目を感じている人がいる。この負い目を引きずって鬱状態になっている人がいる。
 ごくごく普通に日常生活を営んでいた人に「生き残った人の罪の意識」を抱かせる事故ほど醜悪な事故はない。

 東日本大震災でも「生き残った人の罪の意識」を抱いている人がいるという記事を読んだ。震災は事故ではないが、隣人が津波にのまれ死んだのに、なぜ自分は生き残ったのか、と深く悩んでいる人がいる。
 この点ではJR西事故と東日本大震災とは同類である。
 思うに、人間はこれ程までに優しいのだ。改めて気づかされた。
 この優しさに応答できる社会を築かねばならない。

ことば

2011年04月24日 | Weblog

  ことば

ことばが生まれるとき
こころの中に道が通ります
行き先はあなたが決めます
小山を越えるか 小川を渡るか
その時に 見つけることば
あなたのこころで結晶したことばは
あなたの勇気になります

ことばはある日 突然やってきます
驚かないように 推敲する勇気
勇気をもたなければならないのは
あなた つまり ぼくなのです
あなたは ぼくが発見した人です
ことばを記すことで
あなたとぼくは 同体になります


(今日はちょっと遠出してきます。)

放射能汚染と避難

2011年04月23日 | Weblog

 一ヶ月以上経ってもまだ終息できず、終息に最速でも九ヶ月かかる福島原発の大事故の結果は、僕の考えでは、地下原爆実験の結果と同類である。それだけ放射能汚染が進行しているということである。事故と実験の一つの大きな違いは、実験の場合は実験前に避難が予告されるが、事故の場合は事故前に予告されないという点にある。こういう時、避難はどうあるべきか。
(新聞より)
 原発周辺の住民避難にかかわる政策を決めたり実行したりするときは、何より住民の立場を第一に考えるべきだ。
 避難をめぐり、政府の方針が次々に打ち出され、住民の間に不安や憤りが広がっている。住民の要望に耳を傾け、方針を説明し、互いに納得して進めることが大切だ。
 福島第一原発から半径20キロ圏内で避難指示が出ていた区域は昨日、災害対策基本法に基づく「警戒区域」となり、住民の立ち入りが禁止された。警察が道路を封鎖する厳しい措置だ。
 官房長官は、住民の一時帰宅も数日中に始めるが、1世帯1人で2時間以内と述べた。住民からは不満が噴出し、封鎖前に駆け込みで帰宅する人が相次ぐ混乱を招いた。
 事前の説明は十分だったか。
 例えば、圏内の放射線の現状だ。官房長官の発表後に、文部科学省が測定した20キロ圏内の大気中の放射線量が公表された。年間の被曝(ひばく)線量に換算して、健康に影響が出かねない100ミリシーベルト超になるおそれがある地点が1割ある一方、約半数の地点は現在の避難を求める基準の20ミリシーベルト未満など、場所により汚染の程度に大きな差があった。
 こうしたデータも踏まえたうえで、低汚染の地域でもなぜ帰宅が制限されるのかを丁寧に説明し、納得してもらうのが政府の務めだ。
 一方、半径20キロ圏外の5市町村は新たに「計画的避難区域」に指定された。5月末までに避難が求められる。
 20キロ圏内からの避難は、原発から放射性物質が大量放出される事態に備えてだったが、その外側に設定する計画区域は今後1年間の被曝線量が基準の20ミリシーベルトを超えるおそれがある、というのが理由だ。
 一ヶ月間で田畑や家畜などの生活の糧を置いて住み慣れた土地を離れ、避難先を見つけて移る。容易なことでは決してない。
 なぜ最も厳しい20ミリシーベルトを基準にして避難する必要があるのか、住民が納得できる説明がいる。
 放射線量の監視は今後も、時期、場所ともに細かに続けて、住民に提供するべきで、可能なら避難の区域や、やり方を柔軟に見直すことも考えるべきだ。

義務について

2011年04月22日 | Weblog

 「義務とは、
  自分みずから自分自身に命令する事を
  愛する事です。」( ゲーテ『箴言と省察』より)

 上司とか教師とか親とか、どこぞの権力者とかに「しかじかの事をすべし」と命じられて行うのが、義務だと心得ている人が多いかもしれない。しかじかの事が大切だからではなく、命令者が自分よりエライ、もしくは自分の生殺与奪の権力を握っている人の命令だから、やむなく行うのが義務だと思い込んでいる人が少なくない。例えば、官僚。
 しかしゲーテの言う義務は、自分が自分に「かくかくすべし」と命令し、それを喜んで行う、つまりその仕事を愛して行うものなのだ。ゲーテより少し前のカントの考えをゲーテは殆ど退けたが、僕らが生きる上で最も大事な義務についての考えについては、両者は奇しくも同意見だった。
 この二人の見解の一致からして、義務の真意がほぼ判明したと思われる、と僕は思う。
 
 東電の社長や会長は原発事故の現場と、この事故のために余儀なくされた避難所を自分の目でつぶさに見る事が義務なのではないか。何故なら責任者であるからには、責任には必ず義務が伴うのだから。

(今日はちょっと遠出してきます。)

耕運機

2011年04月21日 | Weblog

 ホームページの掲示板に耕運機という言葉が寄せられた。で、耕運機を詠んだ句を探した。

   見えざるも耕運機行き返す音   右城暮石(うしろぼせき)

 春になると、冬の間は眠っていた田や畑を耕し始める。田植えや畑作の準備である。季語で言えば、耕し、田打ち、畑打ち、など。
   動くとも見えで畑打つ男かな   去来
の昔から、
   田打女の鍬揃ふとき蝶流れ    素十
という句が作られた頃は、耕しは人力によるか、牛か馬の力によった。
 ところが、いつの頃からか農作業が機械化して、様子がすっかり変わってしまった。牛や馬は田畑から姿を消してしまい、田打ちも畑打ちも、田植えまでが機械化した。昔の早乙女の姿などを見掛けることもなくなった。活躍するのは耕運機などの機械。
 カタカタという発動機の音が田に畑に響く。一日のうちに、冬田が鋤き返された代田に変わる。
 田を耕運機が行ったり来たりして耕している。この句の作者は家の中で耕運機の音を聞いている。耕運機の通った幅だけ深く耕されている。そういう景色を頭の中で想像しながら、耕運機の音を聞いている。家の外は春の陽光が満ちている。作者は外へ出て、耕運機の作業を見てみようかと思ったことだろう。

 東日本大震災で津波の被害に遭った田畑は塩害をこうむった。耕すことが出来るのだろうか。耕運機の出番はあるのだろうか。はたまた放射能汚染にも巻き込まれた。農家の人々の気持ちが思いやられる。

シソ(紫蘇)

2011年04月20日 | Weblog

 僕のそれ程好きではない梅干の色つけに欠かせない赤ジソと、僕が大好きな刺身のつまでおなじみの青ジソ。色素ぺリラニンを含むのが赤ジソ、含まないのが青ジソ。シソの色素とウメのクエン酸が反応すると鮮やかな赤色を出す。梅干はこの化学反応を上手に利用している。また、白身魚の刺身には赤ジソを、赤身魚には青ジソを添えるのが基本だそうだ。いずれにせよ、日本のハーブの代表だろう。
 利用するのは葉だけではない。花も実も薬味として用いる。紫色の花や実の穂も刺身やあらいのつまに使われ、穂ジソと呼ばれる場合がある。穂ジソは、食べる時に手のひらにとって、勢いよく叩いてから醤油に入れると、香りが高くなる。熟した実は葉と一緒に、佃煮、漬物にして常備すると良い。かなり長持ちする。この佃煮が僕の好物である。
 シソの香りのもととなるシソ油には強い殺菌力がある。20グラムのシソ油で醤油180リットルを完全に防腐できるという。この殺菌力を利用してか、健胃、利尿、鎮痛などの薬用としても用いられる。シソの葉がビタミンA、ビタミンB、カロチンを多く含み、栄養価が高いことは事実である。シソに感謝しなければならない気がする。
 1000グラムぐらいのシソ油で永田町や霞ヶ関を防腐できるのではないか? 今更遅いか。

(今日はちょっと遠出してきます。)

森の国

2011年04月19日 | Weblog

 国連食料農業機関(FAO)の統計によると、日本の国土の67%が森林である。いわゆる先進国の森林率はスウェーデン、フィンランドに次ぐ。森林の割合が高そうに思われるロシアで42%、カナダで38.8%である。
 日本が深い森の国である事は、古代の人々の知るところであった。『日本書紀』の神代の巻に、「スサノオノ尊の子供のイタケルノ神は、多くの樹の種をもって、はじめに新羅の国に天降った。しかし韓地(からくに)には植えないで、ことごとく持ち帰り、筑紫からはじめて、大八州国(おおやしまのくに)にまいたので、青山がつくられた。」とある。
 この記述に独り善がりなところがあるにしても、神代からの継続維持で日本は森の国である。森は炭酸ガスを吸収し温暖化を防止する。
 例えばバビロンなどの古代文明は森林消滅とともに滅びた。現在でもアフリカの諸国などは樹をエネルギーにし過ぎたために砂漠化に喘いでいる。生物の生存や人間の文化・文明に森は欠かせない。
 このような硬い事を言わなくても、僕の故里は森であり、森に育てられ、いずれ森に還る。
 森に郷愁を覚える事を禁じえない。

 大地震・大津波による大災害から復興するための一つの手立ては、海岸近くまで植樹を密にし地盤を強固にすることだと思う。観光林もいいが、本格的な小高い森を造る。そうすると将来、植樹された森から海へ栄養分が流れ、漁獲高も増すだろう。僕の考えは荒唐無稽かな。ああ、そうだ。大量の瓦礫から石油製品を除いたもので先ず小高い丘を造る。その後、植樹。どうだろう。

原発「減らす・廃止」41%

2011年04月18日 | Weblog

 東電は事故中の原発を安定させるのに6~9ヶ月と発表した。僕は甘いと思う。ただし、日本だけではなく世界の英知と技術を集めて安定へと向かえば可能かな、とも思う。こう思うのは期待感からである。
 ところで、16、17日に新聞社が原発の今後に関して世論調査したところ、
 「減らす方がよい」30%
 「廃止」11%
合わせて41% であった。
 「現状維持」51%
 「増やす」5%
合わせて56% であった。
 この数字を次の数字と比較する。日本は電力の3割を原発でまかなっていると紹介した上で同様の調査を07年にしたところ、
 「増やす」13%
 「現状維持」53%
合わせて66% であった。
 「廃止」7%
 「減らす」21%
合わせて28% であった。
 今回は前回と比べると、「廃止」「減らす」が13%増え、「現状維持」「増やす」が10%減った。
 この世論傾向をどう判断するか。一ヶ月以上経っても終息せず放射線を拡散している大事故を前にして、07年と比べて約10%強の増減である。「廃止」「減らす」がもっと増えても違和感を覚えないのだが。
 世論は鈍感なのか冷静なのか。
 チェルノブイリの時もスリーマイル島の時も東海村JCO事故の時も数年間は原発推進に反対する世論が若干多くなったが、数年後は賛成が上回った。世論というものはそういうものなのだろう。
 今回も、大事故が幸いにして終息した後の数年後の世論調査では、反対と賛成が拮抗するか、賛成が上回ることだろう。電力文明にひたっている国民は電力源に無関心なのかもしれない。
 しかし今回の大事故に鑑み、太陽光エネルギーに転換するのが良いことは自明の理。神奈川県は脱原発へ向けて太陽光エネルギーへの転換を打ち出している。

牡蠣、窮地

2011年04月17日 | Weblog

 僕の大好きな牡蠣フライが今度の冬は食べられないかもしれない。
(朝刊より)
 東日本大震災は、牡蠣の養殖業にも大きな影を落とした。全国に流通する養殖用の稚貝(種ガキ)の8割が三陸産だからだ。養殖業者は種ガキ確保に対応を迫られている。
 種ガキは通常、1本あたり約70枚のホタテの貝殻をつけたロープを海中につるし、そこに付着させて採取する。この作業を採苗と呼び、ロープ1本を1連と数える。水産庁の統計によると、09年は約87万連が流通し、このうち約70万8千連が三陸産。北海道から九州まで出荷されている。
 大震災は全国の養殖業者が種ガキを仕入れ、冬に向けた養殖の準備をする時期と重なった。
 もっとも、今度の冬の分は震災前に出回り、限定的とみられる。が、来年の冬は見通しがつかない。

 大きな余震が後を絶たない。仮設住宅の予定地が余震でひび割れしたという。
 福島第1原発事故の終息に向けての手立てが後手後手。
 政府が設置した復興構想会議の議長が独断で「復興税」を提案したが、税の問題をこの会議が云々するのはお門違い。だいたい、議長の五百旗頭(いおきべ)防衛大学校長を僕は(個人的にではあるが)信頼していない。彼が議長に選任されたとき、あれっと思った。
 幸いなことに、国内のみならず世界が日本を支援してくれている。これは極めてありがたいことだ。

スルメイカ

2011年04月16日 | Weblog

 思い起こせば、おやつで最も多く食べたのはスルメかもしれない。火鉢で焼いたスルメの香ばしさが懐かしい。イカ飯なども好物である。日本人ほどイカを食する国民は他にないとも思われる。
 マイカとも呼ばれるスルメイカは、一年中日本近海にいて、いつでも漁獲されているように思われるが、実は一年をかけて日本列島を南北に往復しながら一生を終えるというライフサイクルをもっているそうだ。ものの本によると、西日本ではサクラが咲く頃に獲れるので「花イカ」、伊豆半島付近で漁獲されるものは「麦イカ」、三陸では「夏イカ」と、季節によって呼び名が変わって北上し、秋には「戻りイカ」となって再び南下する。
 日本で最も普通に食べられているイカだが、種名に「するめ」と付けられているほどには、スルメイカのするめは珍重されていない。ケンサキイカのするめを「一番するめ」というのに対して、スルメイカのするめは「二番するめ」と言われ、二番手扱いされているそうだ。しかし、昔から各地の地場産業を支えてきた産品なので、松前するめ、南部するめ、佐渡するめなど、産地名を冠して呼ばれるものも多いそうだ。
 日本を代表する魚、いわば国魚としてアユが挙げられるが、日本を代表するイカならスルメイカだろう。アユもスルメイカも寿命が一年。どうも日本を代表する生き物は、サクラもしかり、ぱっと散る短命のものが多いようだ。これは、好奇心は旺盛だが飽き易いという日本人の性格の反映なのか、それとも潔癖性を示しているのか、判断に苦しむ。いや、余計なことを記してしまった。
 被災された三陸の漁港が漁港として早く復興することを願う。遅くとも「夏イカ」漁には出られるように。

(今日はちょっと遠出してきます。)