昨晩久しぶりにヘルマン・プライで『冬の旅』を聴いた。
その9番「鬼火(Irrlicht)」。
深き谷間へと 鬼火は誘う
われは迷えども 心痛まず
鬼火の誘いに われは慣れたり
喜び嘆きも すべて鬼火のしわざなりしか
水なき川に沿い われは下りぬ
すべての流れは海に注ぎ
すべての悲しみは
墓場につづかん
(夜の旅は、あてどない道をゆく若者に恐怖を与える。鬼火は彼を深い谷間へと誘う。しかし若者はもう慣れた。この世の喜びも悲しみもすべて鬼火の仕業だと感じる。
この曲で、若者は一つの思想を初めて抱く。それは「諦観」である。それまでは恋人への執着を歌っていたが、この世は鬼火のようなものだという虚無感に襲われたとき、二十代後半のシューベルトは絶妙な歌曲を産み出した。独りのシューベルトがもう独りのシューベルトとひそかに語り合いながら。「やっと星の本当の美しさが分るようになったよ」というふうに。
二十代後半、懐かしい。もの想う秋の夜長ではあった。)