秋らしい涼しい朝を迎えました。これで異常気象でなければ言うことないのですが。
春は曙、秋は夕暮れ、と『枕草子』はいう。なぜ秋は夕暮れなのだろう。
歌では秋の夕暮れの名歌として新古今集の「三夕の歌」と呼ばれる三首が有名だ。
さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮 寂蓮
心なき身にもあはれはしられけり鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮 西行
み渡せば花ももみじもなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕ぐれ 定家
詩人たちは秋の夕暮れのどこに美を感じて、歌を詠んだのだろう。春の桜、秋の紅葉ならば、その美しさは分る。ところが、定家は「花ももみじもなかりけり」と否定している。釣瓶落としに日が暮れる秋の夕暮れを嘆賞した裏に何があったのだろう。
『枕草子』はいう。
「秋は夕暮。夕日のさして山のはいとちかうなりたるに、からすのねどころへ行くとて、みつよつ、ふたつみつなどとびいそぐさえあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いとちひさくみゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音むしのねなど、はたいふべきにあらず」
結局、秋の夕暮れの美はもののあわれに通じるので、好まれて詠まれたのであろう。
俳句でも芭蕉の二句はよく知られている。
かれ朶(えだ)に鳥のとまりけり秋の夕暮
此道(このみち)や行人(ゆくひと)なしに秋の暮