自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

山の民

2010年05月31日 | Weblog
 『彦一頓知ばなし』や『それからの武蔵』の作者・小山勝清の生涯を描いた『われ山に帰る』(高田宏著)は人物伝として秀逸であるばかりではなく、日本の近代思想史に裨益するものである。
 大正年間、釜石鉱山や足尾銅山での労使争議を指導し、堺利彦の書生として或る種のユートピア思想を志向した小山勝清は結局挫折感を味わい、故郷の球磨川上流の村落に帰った。
 古老の話「わしの今までの暮らしはどう考えても収入のほうがずっと少ない。それだのに、わしは生きておる。いや、わしだけではござらん、村の衆みんな、その計算でゆくと野垂死んでいて不思議はない。なるほど、借金もあれば、土地や山林を売りはらっておるけどな、そんなもんでは帳尻は合わん。どうなっておると思いなさるかね」老人は得意気に言った。
 「不思議でもなんでもない。まず村の衆の協力がいまの勘定から脱けておる。家を建てる、棟を修繕する、橋をかける、それがみんな協力でできてしまう。それだけじゃござらん。村の衆のたいがいは田畑をなくして今じゃ小作人じゃが、それでもやはり食っていけるのは村の共有財産のおかげですわい。薪をとる山もまぐさ場も共有、四季のおかずは共有の畑に作る。筍は共有の竹林からとってくる。屋根をふく萱もそうなら、山を焼いたあとの茶畑もそうじゃ。これがもし個人持ちであったらば、とうの昔金持ちのものになってしまい、今じゃ枝一本自由にならず、みんな暮してはいけんじゃろう」。
 勝清の志向した考えは、山の民の内に規模は小さいながらも既に実現されていた。(実現されていた考えは、一昨日まで6回に分けて記したパーマカルチャーに通じるものである。)

核廃絶へ

2010年05月30日 | Weblog
(新聞より)
 「核のない世界」への道のりは長い。だが、破滅と背中合わせの核戦略に依存する現在の世界はあまりにリスクが大きい。目標は遠くても、核に頼らない安全保障へと、さまざまな政策手段を動員しながら一歩ずつ進んでいくしかない。
 国連本部で開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議は、64項目の行動計画を含む最終文書を全会一致で採択した。核兵器国と非核国の利害対立で交渉は難航したが、決裂した前回会議(2005年)の二の舞いは何とか回避した。文書は妥協の産物ではあるが、盛り込まれた数々の政策手段を最大限に生かしていくことが緊要だ。
 最終文書の骨子
・核廃絶に向けた具体的措置を含む行動計画で合意
・核兵器禁止条約の交渉検討の動きに注目
・核保有国は、核兵器の削減や役割の見直しについて2014年の準備会議に報告
・中東に核と大量兵器のない地域をつくるための国際会議を2012年に開催
・インド、イスラエル、パキスタンにNPT加盟を要請
・北朝鮮の核は不拡散体制への重大な挑戦と確認し、6者協議での約束の履行を要求
 最終文書は、NGOなどが求めた「核兵器禁止条約」構想に初めて言及した。日豪主導の国際賢人会議も昨年末、25年までに世界の核の総数を2千発以下まで減らし、核兵器禁止条約の準備も進めるべきだと提言している。【25年まで?もっと早く実現できないのか。】
 条約締結の時期が見通せているわけではないし、条約作りへの条件整備にも時間がかかることだろう。それでも、核廃絶を目指す限り、それを確たるものにする包括的な国際法が、やがて必要になる。世界の知恵を結集して、具体的準備を急ぎたい。
 核実験した北朝鮮、インド、パキスタン。核開発疑惑の続くイラン、事実上の核保有国であるイスラエル。これらの国が核に手を出した背景には、根深い地域対立がある。地域問題での信頼醸成、和平・軍備管理交渉などを進めなければ、核危機が遠のかないのも現実だ。核に頼らない安全保障は、核保有国間の軍縮だけでなく、地域対立の行方にも大きく左右される。【その通り。根深い地域対立を回避するために何をすべきなのか?】
 【核廃絶へ歩むためにこそグローバルな市民運動が重要なのではないか。】  

パーマカルチャーという生き方 ⑥

2010年05月29日 | Weblog
 パーマカルチャーは、お仕着せのマニュアルとして世界を型にはめるのではなく、世界各地で実践していく事によって自ら成長していくと考えられている。したがって、どんな環境にも適応可能で、実践者の創造力と参加の意識を基礎としているため、特定の枠組みを必要とせずに広がっていく事が可能だと考えられている。
 地球規模の環境問題が、リサイクル運動や緑化運動などの、個々の問題解決志向では解決しない事は明らかだと思う。こんな事を考えている時に、パーマカルチャーというキーワードに出会った。個人個人が自分の生活を見つめ直し、自分の生活の中から自然と調和した生き方を自分なりの方法で創造していく事によって、環境と共生する人間社会の実現が可能となるのではないか、と考えた。勿論、環境破壊がここまで進んだ状況では、この考えは楽天的にすぎる。だが、出発点が自分の生活を見つめ直す事にあることは言うをまたないとも考えられる。
 さて、僕が僕自身の生活を見つめ直せば、パーマカルチャーの推進に役立つところがあるだろうか。これは、なかなかの問題である。他の人よりエネルギー消費量は少ないかもしれない。だが、僕個人の生活全体としてはどうか、即答はできない。(了とします)

パーマカルチャーという生き方 ⑤

2010年05月28日 | Weblog
 日本の都市では、建物の屋上を緑化したり、共生型住宅が造られるなど、都市に緑を取り戻そうという試みが為され始められているが、それらは断片的であり、計画的な都市再生の試みではない。また、都市に住む人々が自分たちの生活を基点としてライフスタイルを捉えなおすところまで到っていない事において、根本的な変革に到る事はないと考えられる。
 今、必要なのは、都市における生態系の修復を行う事である。パーマカルチャーの原則は、「自分の生活を自分でつくる事」、そしてその生活が「自然に優しい事」、「人間に優しい事」、そして「余剰物を分かち合う事」である。この原則は都市においても不変で、都市に住みながら実践する事も可能である。現在、組織されつつある「パーマカルチャー・ネットワーク」の参加者の9割以上が都市の住民であるという事からも分かるように、パーマカルチャーへの関心は農村よりも都市で高いとみられる。この事実は都市生活の改革の必要性を多くの人々が意識しつつある事を示しているように思われる。比較的小さな地方自治体においても町づくりにパーマカルチャーという考えを取り入れようという動きも出てきている。(続く)

パーマカルチャーという生き方 ④

2010年05月27日 | Weblog
 日本でのパーマカルチャーの可能性の高い理由は二つある。ひとつは「日本には既にパーマカルチャーがある」という事、もうひとつは「都市が病んでいる」という事である。
 日本の伝統的集落は「地域社会と地域住民の生活と生存を支えるために、土地や環境を活用する事によって形成されたものであり、生活空間の結晶体である」と考えられる。パーマカルチャーでは土地を有効に利用するために、目的、用途に合わせたゾーンを設定する事が基本になっているが、日本ではゾーンによる土地の区分けが、個人レベルだけではなく集落レベルで行われ、居住地域、生産地域、保全地域が自然の地形や気象に合わせて巧みに配置されていた。このシステムを発展させる事によってパーマカルチャーも成長していくと考えられる。
 二つ目には都市の問題がある。かつてビル・モリソンは過剰な放牧によって緑が失われた土地を6年間で実り豊かな森に変身させ、「世界中をジャングルに変える」と言っていた。彼の故郷タスマニアの原生林の9割が既に伐採されているという事がその言葉の背景にあったのであろうが、人間による開発によって病んだ土地をパーマカルチャーによって癒すという強い意志が感じられる言葉である。
 人間の営みによって森を失った場所は病みます。土壌流失や砂漠化が進んで土地は生産性を失い、浄化されなくなった水や空気は汚染されたままになり、人間は健康を損ない、そして何よりも、自然とのつながりを失う事により文化を維持できなくなる、と考えられる。
 現在、日本では都市がそういう状態にある。(続く)

パーマカルチャーという生き方 ③

2010年05月26日 | Weblog
 ビル・モリソンの運営するパーマカルチャー・インスティチュートなど、パーマカルチャー推進の中心となって活動しているところでは年に数回、コンサルタント養成のための講座が開かれ世界中から受講生が集まってきている。
 また、世界各地で経験を積んだコンサルタントたちが講師となりワークショップが開催されたり、定期的な講座が開かれている。ネパールなどでは発展途上国に対する支援の一環としてパーマカルチャーによる農園整備の指導も行われている。パーマカルチャーは宗教や文化の相違を超えて受け入れられているが、その理由はパーマカルチャーが基本的に「成長する結晶」であることに依ると考えられている。
 原子の集まりが様々な法則により結び付けられて結晶となるように、ビル・モリソンが設定した原則により、様々な要素が結び付けられながら、自然の中に組み入れられた人間の生活というシステム=結晶が創られるという訳です。
 多種多様な要素で有機的に構成されたシステムが「環境と共生する」機能と「永続する」性質をもつ訳です。ですから、世界のどこにおいてもパーマカルチャーの実践は可能ということになります。
 エネルギーの利用を最小限にし、資源の無駄使いを無くすために、例えば、石油を消費する大型トラクターの代わりに、ゴミの減量にも協力してくれる牛を使い土を耕し、同時に有機肥料の撒布まで行うことができる。窒素肥料を使う代わりに緑肥やマメ科の木を使う。芝刈り機使わないで、草食のアヒルや背の低いハーブを使う。台所の生ゴミを堆肥に使う。風や太陽光を電気エネルギーに転換する、家の構造や材質などに自然の要素を取り入れる、などアイディアは様々です。実践する人の創意と工夫によって、新しい結晶が次々と生み出されていく、と考えられている。(続く)

パーマカルチャーという生き方 ②

2010年05月25日 | Weblog
 そのようなデザインに基づいて、地形や生物資源を効果的に利用し、エネルギーの再利用によってエネルギー消費を減らしていく方法、地域に適した土地の使い方、建物の建て方、農業の方法、菜園の作り方などについて様々な提案がなされている。
 具体的には、ひとつの要素を使うとき、幾つかの異なった視点から分析して、多くの利用法を考える。例えば、防風林を作る場合、牛が食べる餌葉や豆殻となる木、焚きつけや薪になる木を選ぶ。一例として、アカシアの木を選べば、鳥の食べる実を提供するし、葉は家畜の餌にもなり、土壌中に窒素を固定し、花はミツバチに蜜を提供できる。このように、ひとつのものができるだけ多くの機能をもつように考えることが必要だという訳です。
 あるいはまた鶏を飼う場合にも、卵を産む、食用肉となる、羽毛を利用する、害虫を食べるなど、鶏のもつ要素を分析し、それにふさわしい効果的な利用法を考えることが必要だという訳です。
 このように、日常生活の中にある木や水や、家畜、エネルギー、建物などを自然との関係において考えることによって、忘れ去られていた、あるいはこれまで気がつかなかった可能性や機能性が明らかになり、これを利用することによって、より環境に負荷をかけない生活をデザインすることができると、パーマカルチャーでは考えられています。
 パーマカルチャーは、東西、南北を問わず、すでに世界各地で実践されています。(続く)

パーマカルチャーという生き方 ①

2010年05月24日 | Weblog
(以下の6回の連続ものは以前に記したものですが、その後ますます大事なことになってきたような気がしますので再掲。)

 パーマカルチャーとは、パーマネント(永久の)とアグリカルチャー(農業)もしくはカルチャー(文化)を合わせた、提唱者ビル・モリソンの造語で、人間にとって持続可能な環境を創り出すための生活のデザイン、あるいはそのシステムの事です。(参照、『パーマカルチャー』農文協刊)
 自然の中にある物と物との関係を知り、その関係に人間の生活を調和させていくという事は、日光、土、岩、木、動物や気候、地形といった自然を織り成す有形無形の要素との関係を損なう事なく利用していけるように人間の生活を見直し、設計し直す事で、自然に逆らうのではなく、自然に従っていこうというのがパーマカルチャーの基本的な考えです。
 つまり、人間の生活を自然の構造にできるだけ近い形にデザインし直す事によって、人間の生活を自然に融和させ、自然が備えている永続性を人間の生活も取り戻す事ができる、とパーマカルチャーは主張している訳です。
 基本的な考えはこのように要約できますが、パーマカルチャーの特徴は、現実的なデザインの描写にあります。すなわち、「植物や動物の固有の資質とその場所や、建造物の自然的特徴やを活かし、最小限の土地を活用して都市部にも田舎にも、生命を支えていけるシステムを創り出していく」ために、自然のシステムを観察し、昔からの農業のやり方に含まれている知恵を、そして現代の科学・技術を活かして家、村、街などをデザインしていこうというものです。なお、「パーマカルチャー」でネット検索すると興味深い情報が得られます。(続く)

祭りの日の夜

2010年05月23日 | Weblog
 五月は日本三大祭りなど各地で大小様々な祭りが行われる月。僕は秋祭りの方に親近感を覚えるが、それでもやはり子供の頃の血が騒ぐ。

    宵に寝てまた醒めし祭かな   中村草田男

 子供の頃の思い出の句であろう。近くのお宮のお祭りで、笛太鼓の祭囃子が聞こえてくる。御神輿も出た。いつもはひっそりしている町並みも今日は賑やかだ。幼い日の作者は朝からはしゃいでいた。お兄ちゃんたちがかつぐ子供御輿の樽みこしの行列について歩いたり、神社の境内に並ぶ物売りの店をのぞいたり、一日中、遊びほうけた。
 日の暮れ、軒先の祭提灯に灯が入る頃にはすっかりくたびれている。「子供は早く寝るんですよ」と言われるとすぐ寝床に入った。気持ちはたかぶっているのだが、疲れでいつの間にかぐっすり眠ってしまったのだった。ふと目が覚めて、もう朝かと思ったのに、隣の茶の間にはあかあかと電灯がともり、外を通る人の声や足音が聞こえてくる。まだ宵の口なのだった。子供は祭りの賑わいが気になって仕方がない。大人たちは何をしているのだろう。起きて出たいのだが、親に叱られることが分かっているので、一所懸命、目を閉じてもう一度寝ようとするのだった。
 子供の頃の懐かしい思い出である。

ヒトの厚み

2010年05月22日 | Weblog
 生態学の本には興味深いことが一杯載っている。次はその一つ。
 地球という生態システムにおけるヒトの占める位置の量は極めて小さい。地球の半径は約6400km。その周囲に生物は貼りつくようにして生きている。生物が生存する範囲は、高さがせいぜい数千m、深さは最深の深海生物が棲む所でも10km。この範囲に生きている生物を全部集めて地球の表面に均等に並べると、その厚みは(驚くなかれ)1.5cmにしかならない。
 しかもその90%は植物で、動物だけの厚みは1.5mmにしかならない。動物の大部分は海の動物で、陸上動物はその250分の1、つまり0.006mmの厚みにしかならない。
 現在、陸上動物の中で量的に最も繁栄しているのはヒトである。勿論個体数だけをとれば、バクテリア、微生物などはヒトより遥かに多い。が、重さを含めて計算すると矢張りヒトが一番である。大雑把な計算によると、ヒトの総重量は約1億6000万トン。これは陸上動物のほぼ4分の1だと推定される。だから厚みにすれば0.0015mmぐらいになる。半径6400kmの地球に対して0.0015mmの厚み。
 この微小なヒトの存在が地球という生態システムに甚大な悪影響を及ぼしてきて、この生態システムが後100年もつか否かという事態を引き起こしているのだ。


(今日はちょっと遠出してきます。暑いやろなー。)

「いわんや悪人をや」

2010年05月21日 | Weblog
(次は以前の徒然想に書いたことがある。)
 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」
 ホームページの掲示板に一日三度阿弥陀様に手を合わせているとの書き込みがあった。信心のない僕ではあるが、親鸞の思想の核心を知りたくなり、昨晩、『歎異抄』を読み、肝心のところを不十分を承知の上で意訳してみた。(この昨晩は以前の昨晩ではなく、今日からみての昨晩である。)
 「善人ですら極楽浄土へ行ける。ましてや悪人が極楽浄土へ行けるのは当然ではないか。それなのに世間の人々は悪人ですら極楽へ行ける、まして善人が極楽へ行けるのは当然ではないかと、逆にとらえている。
 世間の人々のほうが理屈が通っているようにみえるが、本願他力の教えの主旨に反している。
 なぜならば、自ら善を励み、自分の徳や善によって極楽往生しようとする人は、阿弥陀如来におすがりしようとする心が欠けているので、阿弥陀如来の救済の本来の対象ではない。しかし、そういう人でも自力の心を改め、阿弥陀如来の力にすがるようになれば、正真正銘の極楽浄土へ行くことができる。
 ところが、心の中に様々などす黒い欲望を沢山持つ我々が、どんな行(ぎょう)によってもこの苦悩の世界から逃れることができないでいるのを、阿弥陀如来があわれんで願いを起こされた本意は、この悪人を成仏させようとするためであり、ひたすら他力を頼む我々のような悪人のほうが、かえってこの救済にあずかれるはずなのである。
 だから法然上人は、善人ですら極楽へ行ける、ましてや悪人が極楽へ行くのは当然である、とおおせられたのである。」

 親鸞は「この経典を読め」と何かお経を示したのではない。救われたければこれだけは守りなさいという戒律もない。お経もなく戒律もなく、ただ南無阿弥陀仏と唱えよというだけである。しかも阿弥陀如来はどんな人間でも救うと言う。こちらが救われたくなくても、救うという。これは、宗教史上、前例のない宗教である。
 言葉の上での理解は何とかできても、信じて実行する気のない僕であります。

タイ―さらなる暴動

2010年05月20日 | Weblog
(タイ情勢に関して何度か投稿したので、これが最後になることを祈って、新聞より)
 タイのタクシン元首相支持派「反独裁民主統一戦線(UDD)」の繁華街デモ解散から一夜明けたバンコクでは20日、UDD幹部がデモ中止を決めたことに不満を持つ一部メンバーがさらなる暴動を起こす恐れがあり、警戒が高まった。日本人居住区からも放火による黒煙などが見えたことから、不安が広がっている。
 治安部隊が19日、占拠地域内に強行突入したことで、UDD幹部は警察への出頭とデモの中止を決定した。大半のメンバーはこれに従い会場を後にしたが、反発した一部グループが周囲の建物に火を付けるなどして抵抗を続けた。
 メンバーらは集会場に隣接していた大規模ショッピングセンターに放火。建物は大きく燃え上がり、向かいの病院の患者らが避難する騒ぎになった。こうしたグループによる放火は、バンコク市内で20カ所以上に及んだ。

(タクシン派は実力行使に踏み切ったアピシット政権への憎しみを深め、タイはさらに収拾のつかない泥沼にはまり込む恐れがある。11月総選挙を約束した現政権は総選挙の時期を早めるべきだ。一方、「全土にテロ行為が広がる」との不気味な予言をしたタクシン氏。これは民主国家にあるまじき暴言だ。タイ政府タイ国民は国連の説得に傾聴すべきだ。
今日は京都へ行ってきます。)

植物の「鼻」と「耳」

2010年05月19日 | Weblog
 クチナシの花が独特の強い香りを放っている。
 20年ぐらい前の科学雑誌を見ていたら、興味深い記事に出会った。このクチナシの花を用いた実験がある。
 例えばバラに含まれるシトロネロールという香料成分をクチナシの葉に吹き付けると、特定の反応がある、というのだ。つまりクチナシは、匂いを「知る」機能を備えているということだ。クチナシに限らず、程度の差はあれ、それぞれの植物がそれぞれの匂いに反応した。しかも極めて微量の匂いをかぎわける力をもっていることが分かった。この力を応用すれば、植物による匂い感知器が実現する。果物や魚肉の生鮮度を見抜いてくれる測定器などが出来るかもしれないという。「まだ夢のような話なんですよ」と専門家は言う。
 植物は音にも反応する。騒音を流すと生体電位なるものに特定の反応があるし、音楽を流すと別の反応を示す。太鼓の音や雅楽のような音楽の時は反応が大きいが、モーツアルトの場合はむしろ少ないという。この差が何に依るのかは定かではない。
 ただ、植物には「鼻」も「耳」もあるということは確かなようだ。
 ポプラは虫に襲われると大気中に苦味をもったガスを出す。それを「知った」周りのポプラも苦味をもった物質を出して虫を防ごうとする。
 こういった研究は20年ぐらい前のものであるが、その後研究はどのように進んだのであろうか。いずれにせよ、僕らは植物のことをもっと知る方がいいし、植物の立場をもっと尊重する方がいいことは確実である。

泣き言

2010年05月18日 | Weblog
 自遊想を毎日休み無く書くことは、本心を言うと辛い。自遊なるままにとは言えない。日々話題がある訳ではなく、いわば捏造するしかない日もある。それでも、奇特な人あって拙文が読まれると考えると、書く方がいいのかなあ、と思いもする。しかし、重ね重ね言えば、辛い。それでも、書く方がいいのかなあ、と思う。こんな泣き言を書くことは、もっと辛い。でもねえ、辛さに耐えて、いつまで続くか、見てのお楽しみというところだろうか。誰が楽しむって?勿論、僕自身。そう、辛さを楽しむ。自遊想を記すことは、自虐的なんだ。本心を言うと、自虐は僕の性格ではないのだけれど。僕の本性はボーとすることだ。だけど、何を言っても単なる泣き言に過ぎない。泣き言ねえ、本当に泣きたくなってきた。ま、明日があるさ。

 タイ情勢は内乱状態。混沌としてきた。新聞記事から推察するに、貧富の格差が余りに大きいことに主たる原因がある。
 貧富の格差と言えば、この格差は日本でも広がりつつある。年収1500万円以上の家庭と年収200万円以下の家庭が増え、中間層が減ってきている。

なにがしとかいひし

2010年05月17日 | Weblog
   徒然草第二十段

 なにがしとかいひし世捨人の、「此の世のほだし持たらぬ身に、ただ空の名残のみぞ惜しき」といひしこそ、誠にさも覚えぬべけれ。
 (何とかいう名前の世捨て人が「この世に何の身を束縛するものも持たない(私の)身にとって、ただ自然の風物のみが(私の身に)残す余情だけが執着のたねだ」と言ったことこそ、本当にまさに感じられそうなことだ。)

 こんなこと言われても、世捨て人になれないことはおろか、「空の名残のみぞ惜しき」なんていう心境にもなれない。このところ音沙汰のない呆さんは既にそういう心境になっているのかもしれないが、僕にはそういう素質がない。素質なきことこそ、「誠にさも覚えぬべけれ」と昨日はまさに覚えさせられることに遭遇した。どうも素直になれぬ。