自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

土の偉大さ

2010年01月31日 | Weblog
 本屋での立ち読みを思い出して書き込むのだから誤っているかもしれないが、気の遠くなるような長さである。
 よく生育した一株のライ麦の根をつなぐと、その長さは六百キロにもなる。さらに絹糸のような根毛までもつなぐと、地球の四分の一周にも及ぶ長さになるという。(ライ麦とは寒い地方で採れる越年草の麦の一種で、実は黒みをおび、黒パンにする。寒い地方だから根をしっかりと張るのだろう。)この驚くばかりの営為は、一粒の種が自らの生を全うするためになし得た事だ。土に落とされた種は、自然の恵みを受けて芽を出し、株を造り、花を咲かせ、実を結ぶ。その一株の根を全部つなぐと、地球の四分の一周にも及ぶ長さになると・・・。疑う訳ではないが、驚いた。
 そんな麦を育てる土の偉大さに感謝しなければならないと思う。今僕が座っている床の約1メートル下にも土がある。あるいは15階建てのマンションに住んでいる人の下にも土がある。日頃、土の存在を気にとめなくとも、土が生物も家屋も支えているのだ。

 『ライむぎばたけでつかまえて』の著者サリンジャーの訃報に接した。1951年刊。物質的繁栄を享受するアメリカ中流階級に生まれた多感な少年の、やり場のない苛立ちを描いた。御冥福をお祈り致します。

自然(再掲)

2010年01月30日 | Weblog
 だいぶん前から気になっていた言葉の一つに「自然」がある。この言葉を僕らは何気なしに使っているが、nature という言葉が西欧から入ってきたのは勿論明治以降である。それ以前の日本では、漢字の自然はそれほど用いられていなかったようだ。(親鸞の「自然法爾(しぜんほうに)は有名だそうだが、僕は知らない。)親鸞の語法はむしろ例外的で、「おのずから然(しか)ある事柄の相」を指して自然という言葉は用いられていたと思われる。現在僕らが用いている自然という言葉は「天地」「天地万物」、あるいは山川草木、日月星辰、森羅万象を意味する語として用いられてきたと思われる。
 明治の初め西欧の学問とともに入ってきた nature をどう訳すかについてはだいぶん困ったふしがある。明治14年には、本性、資質、造化、万有などが当てられ、明治44年に初めて「自然」という訳語が追加されている(井上哲次郎「哲学字彙」1881年)。
 そこで、昔の日本人は、自然ということで「おのずから然ある事柄の相」を理解していたようで、自然という漢字で、山川草木、日月星辰、森羅万象を理解するようになったのは、むしろ新しいと考えられる。
 で、何が言いたいかというと、「自然」のむしろ新しい理解に昔の理解を重ねて、自然を重層的に理解するのが良いのではないか、ということです。荒廃した山川草木を「おのずから然ある事柄の相」で改めて見直すことが大事だと思う。思うだけでは何にもならないと思うが、そのように見直す姿勢を保っておれば、自然の違った相が見えてこよう。

(今日は囲碁愛好家の例会に出てきます。この例会には今まで1回出たのみです。強い人が多く、負けがこむのがイヤで出ずじまいでした。囲碁の打ち方にも「自然」体があるようで、この自然体に徹することが難しい。今日は自分を試して来ようと思います。)

2010年01月29日 | Weblog
 林とは、森と比べてどういうものであろうか。森ほど鬱然とした趣きを感じない。林は森より人里に近く、人の手を加えやすい木の里と言えるかもしれない。例えば、木を伐ったり植樹したりする職業を林業と言って森業とは言わない(但し、森林業と言う場合がある)。同様に、植林と言って植森とは言わない。
 大和ことばのハヤシが他動詞の「生やす」に由来する「生やし」であることは辞書に載っているが、「生やし」からハヤシ(林)を連想することには、それ程困難を感じないだろう。生やしたのが人であれば、人為的に植えたことになるし、そうでない場合は自生した木々である。人為的な場合とそうでない場合とを区別しないのは日本的ボカシというものだろう。いずれにせよ、「生やし」には、それ程夥しい木々が繁茂しているという語感がない。
 勿論、森と林という言葉の用法はそれ程はっきりと区別されている訳ではなく、森林という熟語が示しているように、この二つの語の意味は重複しているのが実際であろう。重複しているからこそ、僕はどちらも好きだ。
 ところで呆さんが定年退職後意を決して林業を生活の一部としている事は掲示板への書き込みで分かるが、林業を生業としているパンダさんは林業以外で最近忙しいらしい。一体何をしてござるのか?掲示板に投稿するのが恥ずかしいのだろう。カワイイところがパンダさんにはある。

温暖化基本法―低炭素時代へ

2010年01月28日 | Weblog
(たびたび新聞から引くのは能がないと気がひけるが、関心のあることは記憶に残しておきたい。朝刊より。)
 2020年の温室効果ガス削減の中期目標について、政府は「90年比で25%削減」を国連の気候変動枠組み条約事務局に提出した。「すべての主要国による公平かつ実効性のある国際枠組みができ、意欲的な目標に合意すること」という条件がついている。
 中期目標の提出は、昨年末にあった締約国会議(COP15)での「コペンハーゲン合意」が先進各国に求めているものだ。ただちに法的義務が生じるわけではないが、地球温暖化防止に向けた各国の姿勢が問われる。
 「25%削減」は昨年9月、鳩山首相が国連で表明し国際的に高く評価された。日本がそれを引き続き掲げることは、難航しているCOP交渉の打開にプラスに働くだろう。
 ただ、数字そのもののインパクトがいつまでも続くわけではない。 すでに国際社会の一部に「日本の目標には実体がない」という冷ややかな声もある。こうした空気が広がるようだと、COP交渉における日本の発言力が損なわれかねない。
 京都議定書に続く新たな国際枠組みづくりをリードするには、「25%削減」の政策的な裏付けをできるだけ早くはっきりさせるべきだ。
 具体的には、国内排出量取引制度や環境税、自然エネルギー拡大など、必要な政策を総動員するための法的な基盤づくりを急ぐことが必要である。
 鳩山政権は、3月までに地球温暖化対策基本法案を国会に提出する。
 中期目標を絵に描いた餅にしないためには、それぞれの政策を基本法に盛り込むだけでなく、骨格や工程も具体的に示す必要がある。「50年に80%削減」という長期目標を見すえたものにすることも大切だ。
 欧州では08年にできた包括的な温暖化対策の下、各国が社会や経済の低炭素化に向けた具体的な取り組みを着々と進めている。
 米国でも、温暖化対策法案が連邦議会に提出ずみだ。オバマ政権を取り巻く厳しい政治状況の下で審議は停滞しているが、成立後は速やかに各種の政策が動き出すだろう。
 高い目標に向かって政策を積極的に展開し、他国に先駆けて経済や社会を低炭素型に脱皮させる。そうすることで競争力を高めることこそ、新たな時代を生き抜く術だ。

(3月までに提出される地球温暖化対策基本法案の内実がどういうものになるのか、世界が注目するだろう。とりわけ中国と米国がなるほどと思うような基本法が成立することを望む。)

「土の記憶」

2010年01月27日 | Weblog
(新聞より) 
 不知火海を見下ろす山の斜面で、デコポンや夏みかんの収穫が盛んだ。そんな果樹農家のある熊本県芦北町の古石集落。廃校跡にできた生涯学習センターで、わらじ作りや織物教室を開く地域の人と交わる。山里で生きる「作法」を探りながら。
 小坂純也さん(26)。神奈川県生まれ。岩手県の山村生活体験塾に出あい、東京大を1年半で中退し「転校」した。1年近く住みついて、炭焼き、森づくり、草木染からカヤぶき屋根の補修まで、山で生きる技術を学んだ。
 田舎は好きだったが、農業は全く知らなかった。大学に入ったころ始めた古武道を思い浮かべた。刀を鞘に戻して一連の動作を結ぶ居合い抜きに「農の循環」との共通点を見た。森の木を切り、炭を焼く。灰は土に戻り、そこに木が育つ。
 果実は年により甘みや酸味が違う。「土の記憶」だと言う。それを何十年も探る農家に、「とても追いつけない経験の重みを感じた」。
 北海道や信州の農家を訪ね歩き、古石に落ち着いた。周りには、都会から来て機織りやかご作りを職にする若者もいる。彼らとしばしば話し込む。カネはなくても豊かな暮らしがここにある。でも、働く場を確保し、子を育てるのは難しい。
 コケ玉や、地元に多い草の根を使った焼酎。地域を売り出す特産品の開発に知恵をしぼる。
 土はごまかしがきかない。手を抜けば、作物は枯れる。山里に生きる作法を、土、人と向き合うことから考える。


(「土の記憶」という言葉に惹かれた。土を耕し利用すればするほど「土の記憶」は重層するのだろう。すべての生き物に欠かせない土。「土の記憶」に思いを馳せることも僕らが生きる上で大切なことだと思う。今日はちょっと遠出してきます。)

「黒い雨」の範囲

2010年01月26日 | Weblog
(朝刊より)
 広島への原爆投下直後、放射性物質を含む「黒い雨」が降った範囲が、国が援護対象に指定している地域より大幅に広い可能性が高いことが25日、広島市が実施した被爆者調査結果から分った。同市はこの結果を踏まえ、降雨地域の拡大を改めて国に強く要望する方針。
 「黒い雨」は広島市中心部から北西方向にかけて降ったとされる。国は被爆直後に地元の気象台の技師らが実施した調査をもとに、1時間以上降った「大雨地域」(南北10キロ、東西11キロ)と1時間未満の「小雨地域」(南北29キロ、東西15キロ)を決定。大雨地域在住者のみ公費で健康診断が受けられ、ガンなど特定疾患になった場合は被爆者健康手帳を交付している。
 広島市は2008年、市内と周辺2町在住の被爆者ら約3万7千人を対象に記入式の健康意識調査を実施。約2万7千人の有効回答者のうち、「黒い雨」の体験について記憶が明確な1844人の回答を解析した。その結果、原爆投下から約2時間後の午前10時台には、「黒い雨」が降ったとみられる地域が最も拡大。国の「小雨地域」と比べて、東西、南北方向とも10キロ前後広い円内で降っていた可能性が高まった。
 「小雨地域」に含まれておらず、爆心地の北西にあたる広島市佐伯区中部では「黒い雨が土砂降り状態だった」と答えた人が目立った。同区北部では「3~4時間降った」との回答も多かったという。


(原爆投下後65年。まだまだ新事実が出てくる。再度、最先端の科学技術で被災の現状を明らかにすべきだと思う。あのチェルノブイリのその後はどうなっているのだろう。)

梅干

2010年01月25日 | Weblog
 昨日レモンの絞り方について書いたが、実を言うと僕は、お寿司を除いて酸っぱいものが好きではない。レモン汁を飲食することも殆どない。何故好きでないのか、はっきりとした理由はない。好きではないが、かと言って嫌いという程のことでもない。普段あまり飲食しないから、しようとしないから、好きではないという程の好きではないということだ。
 健康にいいからといって、長姉が毎年梅干をおくってくれるが、殆ど食べない。でも、食べることに一大決心したことがあった。両親と僕以外の弟妹を亡くした後、「あなただけよ、私の最期を看てくれるのは。」と言われて、もう少し健康に気をつけようと思った。が、長続きしなかった。その長姉も認知症が緩慢に進みつつある。やはり梅干を定期的に食べることにしようか。
 梅干の効用は周知のところであろうが、おさらいをしておく。梅干の中のクエン酸と食塩が、胃液の分泌を促すため、毎朝一粒食べると健康によいと言われたり、夏はおなかの調子が良いと言われる。胃液がよく出ると食べ物の消化がよくなり、特に朝は眠っている消化器を目覚めさせるのにも役立つと言われる。胃液が充分に出ると、消化器を害する病原菌を殺す効能が強くなるのだそうだ。ただ、梅干一個に塩が2gも含まれているから、1日に2個以上は食べない方がいいらしい。
 しかし、梅干をそのまま食べるのは気が進まない。煮魚に入れたり、何か食べ方を工夫してもらいたいものだ。贅沢かなあ。

レモンの絞り方

2010年01月24日 | Weblog
 昔、外食をしていた時、何に付いてきたのか忘れたのだが、レモンが一個まるまる出て来た。その何かに絞ってかけて食べる。どうやって絞ろうかと思い悩んだ。すると、外食屋のおばさんが教えてくれた。「レモンが余ったものだから、今日は特別。絞り方が分からはんのでしょ。一番いい絞り方を教えてあげましょか。飯台の上にレモンを手で強く、あまり強すぎないように、押し付けながら、ゴロゴロ回転させてみて。レモンがつぶれない程度に力を入れて、ちょっとやってみて。そう、もうちょっと力を入れて、そう、そう、そうすると、中でたっぷり果汁がたまるのよ。レモンがやわらかくなってきたら、フォークで穴をあけて、そうすると、軽く絞るだけで、中からたっぷりレモン汁が出てきはるわよ。お好きなだけ絞って。」
 レモンでも柚子でも、このやり方が最も効果的だ。ただ、やわらかくなった段階でしばらく氷水に浸すのがよい。ゴロゴロ回転させている間に熱を帯びるから。
 何事につけても、その道の達人が居る。達人たちの手作業が文化を造ってきたのだろう。しかし、たかがレモン一個のことだ。しかし、一個のことだとたかをくくっているから、僕の人柄が雑なのだ。
 ついでに、レモンの効用について。レモンにはクエン酸、ビタミンCが豊富。クエン酸は身体の代謝を高める。さらに、この酸味はストレスによる刺激をやわらげ、気分を爽快にしてくれる。また、胃の調子が悪い時には胃酸の分泌が少ないので、肉や魚を食べる時には胃酸の代わりをするレモンをさっき言ったように絞って食べると効果的である。

足利事件再審

2010年01月23日 | Weblog
 昨年6月5日に記した冤罪事件のその後。(朝刊より)

 「ずるいんじゃないか、君」「なんで僕の目を見て言わないの」。DNA型鑑定をもとに検事が追及する。
 「ごめんなさい。勘弁してくださいよお」。泣きながら否認を撤回し、被告は再び犯罪を告白する。
 栃木県足利市で起きた女児殺害事件の犯人とされ、無期懲役で服役中に釈放された菅家利和さんに対する再審公判で、取り調べの様子を記録した録音テープが再生された。
 身体への拷問によってではなく、精神的に追いつめられて「自白」したことがわかる。無実の主張が否定され続け、ついに緊張の糸が切れて犯人を演じる。これこそが、事件を犯してもいないのに、うその自供をしてしまう典型だと心理学者は指摘する。
 自分がもし菅家さんの立場だったらと、背筋が寒くなる、恐ろしい事実である。
 うその自供と犯行現場の状況には食い違う点もあった。検事自身が当時、菅家さんの「自白」に不自然さを感じている様子も録音からうかがえる。
 ところが、検事は再び菅家さんを「自白」させてしまう。後に覆された精度の低い当時の鑑定で、菅家さんのDNA型と被害者の着衣に付いていた体液が一致していたこともあった。
 しかし、自白偏重の捜査手法に頼るばかりに捜査官が自縄自縛に陥り、ほかの事実に十分目を配ることができなかったのではないか。その結果、冤罪を生むだけでなく、真犯人をも逃してしまった。
 録音テープに登場した当時の検事は証人として出廷し、「犯人でなかったことを非常に深刻に受け止めている」と述べたが、菅家さんが求めた謝罪はしなかった。
 だがこれは、一人の担当検事だけに責任があるのではなく、捜査当局全体の欠陥が、冤罪と捜査の失敗を生んだととらえるべきだろう。
 警察と検察は、自白に頼る意識を捨て、客観的な証拠を集めて犯罪の立証をめざすという捜査の基本を徹底してもらいたい。密室での取り調べを全面的に録画録音する「可視化」は、そのための第一歩だ。

(幼稚園バスの運転手だった菅家さんに足利市が同様の仕事に就けるように配慮したところ、市民の投書で反対され、菅家さんは自分はまだ真っ白ではないんだ、と思ったという。当時の担当検事が今回の再審で一言謝罪すれば菅家さんの気持ちも相当に楽になったはずだ。真犯人(もう時効)の逮捕が待たれる。) 

続・台所の知恵

2010年01月22日 | Weblog
 昨日の問題の答えを記します、と言っても僕に分るはずもなく、すべて食の博士・小泉武夫さんの識見です。

①の答え: タケノコにはえぐ味の成分としてホモゲンチジン酸やシュウ酸があるが、タケノコを米のとぎ汁とともに煮ると、水から茹でていく間に、とぎ汁に含まれている酵素がタケノコの繊維に作用して、軟らかくするとともに、多量のえぐ味成分を茹で汁に引き出すため。
②の答え: 干した椎茸は、水温が高いほど速く吸水する。低い水温で戻すのには時間が長くかかり、その間、うま味成分もかなり失うことになる。かといって、熱湯で戻すと、うま味成分の溶け出しが著しい。そこで、ぬるま湯ということになる。砂糖を少々加えるのは、真水より砂糖液の方が浸透圧が高く、うま味成分の溶け出しを抑えるため。
③の答え: 海苔にはタンパク質が30~35%含まれている。これを焼くと、タンパク質が熱で縮減する。両面から焼くと両面から縮減するうえに水分も多く蒸発しボロボロとくずれやすくなる。だから、一方だけをさっとあぶるのが良く、二枚重ねで焼くと、両面の表面だけを焼くことになり、そのうえ、熱によって蒸発する香りや水分を反対側の海苔が吸収するから、逃げる成分を防ぐため。一枚の海苔を焼くときも二つ折りにして焼くのは、そのためである。
④の答え: ワサビの辛味はミロシナーゼという酵素の作用による。目の細かいおろし金でゆっくりとすりおろすのは、細胞組織を砕いて酵素が作用しやすくするため。おろしてからしばらくおくのは、おろしたては、まだ充分に酵素が作用しないために辛味が少ないが、時間の経過とともに辛味が増していくため。大根やニンニクなども同じ作用で辛くなる。
⑤の答え: 真水でも薄い食塩水でも魚からの塩出し速度はそう大差ない。しかし、真水で行うより、塩水中の方がうま味成分の溶け出しが抑えられるため。

 台所には他ににもいっぱい知恵があるそうだ。先人の知恵を後世に伝えることが大切だと思う。

台所の知恵

2010年01月21日 | Weblog
 いつだったか蒟蒻について、蒟蒻は包丁で切って味付けるより、手でちぎって味付けする方が美味だと書いた記憶がある。手でちぎった方が凸凹ができ、蒟蒻の表面積を広げることになり、熱の伝わり方がよく、調味料が浸透しやすいから。蒟蒻の雷煮がその代表例。
 食材の利用法に関して台所には様々な知恵がある。以下、問題を出します。

① タケノコを茹でる時、米のとぎ汁を使うのは何故?
② 干した椎茸を戻す時、ぬるま湯に砂糖を少々加えた液で行うのは何故?
③ 海苔を焼く時、二枚重ねて焼くのは何故?
④ ワサビをすりおろす時、目の細かいおろし金で円を描くようにゆっくりおろし、また、すりおろしてからしばらくして使うのは何故?
⑤ 保存のために塩でからめた魚から塩出しする時、迎え塩またはよび塩と言って、真水ではなく薄い食塩水(0.5~1%)で行うのは何故?

 答えを書いている時間的余裕がありません。何故なら今から京都へ行かねばならないからです。京都ではこんな問題は出したくても出せません。関心のある方々は答えをコメント欄にお願い致します。 

「レスキューハイチ」

2010年01月20日 | Weblog
(朝刊より)
 大阪を拠点に活動するハイチ育ちの壁画家ヒューズ・ロジャー・マシューさん(37)が大地震で壊滅的な被害を受けた母国への募金を呼びかけている。自分の作品のチャリティオークションも計画。「地震の怖さをよく知る日本の人たちの助けが必要です」と訴える。
 ハイチ人の両親のもとにニューヨークで生まれた米国籍のマシューさんは、間もなくハイチの首都ポルトープランスに移り、13歳まで過ごした。両親は亡くなったが、ハイチには兄妹ら親類30人以上が住んでいる。地震後、親類に電話をかけ続けているがつながらず、19日現在も安否が分らないという。「ニュースを見るたび、絶望的な気持ちになる。1秒でも早く、みんなが元気かどうか知りたい」と心配する。
 マシューさんは1992年にニューヨークで本格的な創作活動を始め、2003年に初めて大阪を訪れ一目ぼれ。04年に大阪市内にアトリエを構えた。御堂筋のイチョウ並木の美しさや、屋台の並ぶ下町風情が気に入ったという。大阪市内の老舗カフェにイチョウをモチーフにした天井画を描いたことも。浮世絵や日本の草木を金箔で装飾したり、ハイチで信仰される神々を描いたりして、双方の文化の融合を表現している。
 募金を呼びかけるサイト「レスキューハイチ」
  http://www.art-hrm.com/haitiearthquake/
を17日に設けた。募金の振込先は、三井住友銀行芦屋支店「普通5291434」、口座名義「レスキューハイチ」。問い合わせは芦屋市で開店準備中のサロン「ポルトープランス」(0797・32・6600)へ。

パブロ・カザルス(再掲)

2010年01月19日 | Weblog
 カザルスの伝記のような本を斜め読みした。これで何度目か分らない。どのページにも感動的な事が書かれている。一つ引く。
 「私には、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスといういつも変わらぬ友があった。また、演奏旅行には、たいてい音楽仲間で親友のハロルド・バウア、アルフレド・コルトー、ジャック・ティボー、フリッツ・クライスラーが一緒だった。どこの国に行こうと、どこで演奏しようと、それがモスクワの貴族会館ホールであれ、メアリランドの高校の講堂であれ、見知らぬ土地で異邦人だと感じたことは一度もない。モルフィ伯が数ヶ国語を勉強するように言ってくれたことに、いつも感謝していた。私は七ヶ国語は流暢に話せた。しかし、どこでも人々と理解し合えたのは、根本的に音楽を通してだった。国語は違っても、われわれの心を結ぶ言葉は同じであった。国境を越えて異国の町で眠っても、この共通の友愛の精神を常に発見できた。」
 懐かしい演奏家の名前が出てきた。僕の個人的な事を言えば、コルトーのショパンを聴いて、これがピアノ音楽というものかと実感した事がある。それはさて措き、「共通の友愛の精神」、現在の世界で最も求められている精神なのではないだろうか。この精神は平和を希求する精神に通じる。スペインのフランコ軍事政権に追われたカザルスが、いつだったか、おそらく40年ぐらい前に国連総会で感動的な演奏した。その演奏をテレビ報道ではっきりと覚えている。故郷カタルーニャの民謡「鳥の歌」を弾いた。弾く前に一言、「カタルーニャの鳥はピース、ピースと啼きます」。


(今日は高校時代の友人の告別式に出てきます。)

竹は木か草か?

2010年01月18日 | Weblog
 元日に今年の合言葉は「森の時代へ」だと書いた。木や森について通の稲本正さんの本を読んでいたら、面白い記述に出会った。竹は木か草か?イネ科の草だと考えられてきたが、最近、竹は独立してタケ科になり、竹は竹なんです。
 この本には木についての含蓄のある話が多く載っている。なぜ木偏に「無い」と書いて橅(ブナ)なのか? つまり木だと思っていなかったんですよね。昔は今のプラスチックみたいに、いやそれ以上に沢山あったということです。・・・無いくらいにあった、ブナだらけだったわけです。
 木偏の文字、松、桐、杉、梅、桜、・・・これぐらいは大抵の人は知っていると思うけど、江戸時代の人は五十種類ぐらいは知っていたんじゃないですか。
 木に会うと書いて檜(桧)、何故でしょう?木と木をあわせると火が出ますね。火の木が本来で、今のは当て字なんです。(これ、ホントやろか?疑う訳ではないけど。)
 桐には茎があって、桐は多年草の草なんです。そこで、「木と同じ」つまり桐という当て字にしているんです。
 森は杜ですね。偏は木、つくりは土。だから杜が正しくて、森は当て字なんです。
 この本『森を創る 森と語る』には、普段気がつかない事が一杯書いてあるが、この本の主旨は「人類全体が化石燃料による物質文明を謳歌し、それこそが繁栄の証だと思い込んだ時代は終わった。それに替わる人間的豊かさと自然環境の豊かさを確保するには、何から始めたら良いのだろう」と模索するところにある。
 今世紀は環境の世紀だという謳い文句を実現するには、自然の現状を知ることから始めなければならないということを、この本は伝えたいのだと思う。

阪神・淡路大震災から15年

2010年01月17日 | Weblog
(朝刊ニュース速報より)
 6434人が犠牲になった阪神大震災から丸15年を迎えた17日、兵庫県内の被災地で追悼行事が行われ、遺族や被災者は静かに手を合わせ、亡くなった人へ祈りをささげた。
 神戸市中央区の市役所南隣にある東遊園地では、午前5時から記帳が始まり、追悼行事「1・17のつどい」が営まれた。園内には犠牲者を悼む約1万本の竹灯籠がともされ、発生時刻の同5時46分には、来園者が黙とうした。
 犠牲者の名前が刻まれた「慰霊と復興のモニュメント」前では、震災で祖母を亡くした遺族代表の下浦裕美さん(49)が
 「震災は、多くの生命や大切なものを奪っていきました。しかし、人と人とのつながりや思いやりの心など人間にとって大切なこともたくさん教えてくれました。風化することのないよう伝えていきたい」
と追悼の言葉を述べた。
 神戸市長は「震災復興の過程で生まれた人と人との絆を忘れずに、人の命を守りながら被害を最小限に食い止める減災に取り組み、安全・安心なまちづくりを目指し、最善を尽くしていきます」と誓った。同7時までに、東遊園地には昨年より約2500人多い約8000人が訪れた。
 58人が犠牲になった淡路市(淡路島)の北淡震災記念公園でも同5時半から慰霊式典が行われた。会場では、震災1か月後に市立富島小学校4年の児童が亡くなった同級生のために書いた作文を、今回初めて朗読。女性職員が、「大工さんになってお父さんと一緒に仕事をしたいと言っていたな」「僕たちも今やりたいことや将来なりたいものがあります。それができなくなって、とても、とても残念だったと思います」などと、突然、未来を奪われた友だちへの思いを読み上げた。

(生まれが神戸の僕も、神戸生まれというだけで、被災者の方々の心情を他人事とは思われず追悼の気持ちを禁じえない。黙祷。)