自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

有機栽培の効用 (再掲)

2013年09月30日 | Weblog

 愛読書という程ではないが、暇にまかせて斜め読みする本に『地球白書』がある。この本は地球の未来への警告を発するために様々な分野における資料を収めている。そのひとつを抜粋する。
 化学物質使用量を減らして農地汚染を抑えることは、農地の生物多様性保護の基本である。イギリス土壌協会の最近の報告によると、有機栽培農地で次のことが判明した。
・それぞれの種の個体数の多さと種の多様性はかなり高いレベルにあり、野生植物や希少種や減少種も五倍であった。
・農地の周辺の鳥類は二五%多く、秋から冬にかけての農地内の鳥類は四四%多い。
・鳥類が食べる虫の数は一.六倍。
・害虫ではない蝶の数は三倍。
・クモの数は一~五倍。
・ミミズを含め、土壌中の生物は著しく増加。

 化学物質を使わない有機栽培で、特に興味深かったのは、緑肥(マメ科作物を土にすき込む)の使用が生物多様性に有利な状態をつくる、ということである。そういえば、蓮華もマメ科の植物ではなかっただろうか。蓮華畑が田圃に変わることによって稲作が営まれ、水田には様々な水生動物が活動していた。もう大分前から毎年、蓮華畑を見る機会が随分と少なくなった。寂しい気がする。

素朴さ

2013年09月29日 | Weblog

 以前からちょっと気にしていることがある。素朴さとは一体どういう心持ちなのだろう。
 都会人より山里や海辺に住む人の方が素朴に生活されているだろうと推測される。この文脈での素朴さの意味には自然の摂理に逆らわないという側面があるのだろう。
 もう少し一般的に素朴さの意味を探索してみたい。素朴さの積極的な意味は、心を開いてありのままの自分を見せることだと思う。率直さと言い換えてもいい。この意味での素朴さとは、真実への愛、自己を偽ることへの嫌悪、自分の欠点を正直に打ち明けることなど、自他の関係において隠し所の余地がないことだと思う。
 このような意味での素朴さを僕は持ち合わせていない。私的な隠し所を大いに持っている。この歳で我ながらあきれはてたことだと思う。
 素朴さの消極的な意味、それは自然の摂理に逆らわないということであろう。消極的な、と言ったが、この形容詞は当てはまらないとも思う。自他の関係にも自然の摂理というものがあって、その自然の摂理に沿うことが素朴さなのであろう。生身の人間だから、他人に対する好き嫌いの感情を抱くのは自然なことであろう。その好き嫌いの感情を良い悪いの判断に転化してしまうところに、素朴さと対極をなすと考えられるエゴイズムが顔を見せる。
 そうすると、エゴイズムから自己浄化された状態が素朴さということになるのであろうか。素朴さの意味をまだまだ探索しなければならないが、探索すればするほど、僕には縁遠いもののようにも思われる。縁遠いのは死ぬまで、あるいは強度の認知症になるまで、残念ながら続くだろう。
 日頃の自我を少しだけ反省しています。

焼き物鑑賞・上手 (じょうて)と下手(げて)

2013年09月28日 | Weblog

 焼き物の本を読んでいたら、上手(じょうて)と下手(げて)という言葉に出会った。普通の読み方ではない。いつの頃からか焼き物好きが言い出した読み方であろう。僕は焼き物が好きだ。何故好きかと問われても答えはない。焼き物についての本も読む。本に概略次のような戒めが載っていた。
 勿論、誰も好んで下手のものを買う人はいない。皆、その時はその品に魅力を感じ、懐具合と相談しながら、買う訳だから、それはそれでいい事だ。問題はその後六ヶ月、一年とその品を座辺に見続けて飽きがくるかどうかだ。研究、経験が進み美意識が昇華すれば下手のものには必ず飽きが来る筈だ。およそ、この世界でビギナーがいきなり下手から上手へジャンプする事は至難の事で、根本的に己の美感覚を研鑚する事が肝要だ。研鑚には次の三項目を目安とすべし。
 1、上手のものを扱う筋のよい店とつき合う。
 2、掘り出し根性は捨てる。
 3、よき先輩の忠告を虚心に聞く。
この三項目は、焼き物鑑賞に限らず、他の分野でも言える事ではないかと思う。僕などは掘り出し根性丸出しで、外国の文献を漁り変てこな考えに肯き、後になって後悔した事も一度ならずある。「よき先輩の忠告を虚心に聞く。」この「虚心」という事が難物で、我欲が出てくる。よき先輩は幾らも居るのに、忠告を聞かず、我欲が出てくると上手のものにも出会わない。何事かに精通するという事は困難を極める事ではあるが、さりとて下手の領域に甘んじるのも気持ちが許さない。困った事だ。上手と下手の間ぐらいに居所を見つけねば。

人間てぇ生き物

2013年09月27日 | Weblog

人間てぇ生き物は、
言葉を聞きさえすれば、
どんな言葉でも、値打ちのある意味があると、
思っちまうもんだなぁ。

 これは、『ファウスト』第一部「魔女の料理場」で、ファウストが魔女の呪文の意味を問題にしている場面に対する悪魔の答えである。
 現代では、さしずめインターネットの情報を鵜呑みにする人々に対する重要な警鐘となるかも知れない。
 また「言葉」を「活字」に置き換えると、世の有識者たちに対する忠告となるであろう。活字にする場合にも、活字を読む場合にも。
 僕の場合には、「どんな言葉でも」とは言わないが、往々にして話し言葉に対するいわば警戒心のようなものがある。特に立て板に水を流すような、論理的と思わせる論調風圧には警戒心が強い。もっと素直になればと、しばしば思うが、身に付いた習慣はおいそれと無くなるものではない。老いが深まれば深まるほど、この習慣は強く僕を襲うかも知れない。ほどほどにしておかねばならないと、と思う。

興味がなくなれば・・・

2013年09月26日 | Weblog

 「興味がなくなれば、記憶もなくなる。」(ゲーテ『箴言と省察』より)

 記憶の要領は興味をもつこと、これは当然であろう。問題は、絶えずいろいろな事に関心をもつ事が難しい点にある。難しいが、老化防止には役立つに違いない。
 ゲーテが、短命な時代に八十三歳近くまで生きて、最後まで活躍できた原動力は、彼の多様で旺盛な関心にあったのであろう。
 しかし、物忘れを恐れない事も大事だと思う。コロッと忘れてしまったような事柄は、裏を返せば、関心をもつに値しない些事なのだ。
 しかし、些事かどうかをどうして決めるのか。忘れた事は些事と言っていいのだろうか。そうは言えまい。僕はしばしば大事な事を忘れる。後で、後悔する。後悔するのは、忘れていた事を思い出した時であるが、その時は後の祭りである。
 しかし、まあ、忘れたら、気にせず、自己嫌悪などに陥らず、さらっと生きる事に心がけようと、最近になり思っています。しかし、そうすると、老化が早くなるのでは・・・。矢張り、興味津々の日々を送らねばならないのではないかと、ゲーテの言葉に頼りない蘊蓄を傾けながら、思う次第です。

『豆腐屋の四季』

2013年09月25日 | Weblog

 
 松下竜一 『豆腐屋の四季』
(こんなにも静謐な文に出会ったのは久しぶり。
この本の存在は知っていたのだが、2009年に復刻。
病弱の著者は20代より午前2時に起きて豆腐づくり、配達の毎日。零細も零細。病身の父。
短歌の習作を随所に置き、四季の生活を綴った青春の記録。
朝日歌壇に投稿された短歌は何度も入選。第一位も数々。)

ぼくのつくるものなんか ほんとうは歌じゃないと思っています
歌の型を借りた生活の綴り方
ぼくにとっていちばん大切なのは 日々の現実生活そのものです

日々を誠実に生きて 
せめてその狭い世界の中だけでも懸命に愛を深めたい
自分の仕事を愛することで 豆腐の歌が生まれる
妻をいとおしむことで愛の賛歌が湧き出る

幼い妻について
  今日よりの姓松下を妻汝(なれ)が夜汽車の窓に指書きおり
  老い父の味噌汁の好み問う汝よ我妻となり目覚めし明けに
(267頁に置かれたこの歌に接したとき、それまでの著者の困窮が偲ばれ涙腺がゆるんだ。)

世の中が激動する日々にも 人々は豆腐を食べるだろう
私は黙々と豆腐を造り続けよう
臆病な弱虫の私にはそんなひそかなことしかできない
そんな弱々しい生活から生まれる歌
弱い私はそんなはかない歌にすがってしか生きえない

(だが、こんな歌もある。)
  屈せざる小国チェコを思いつつ真夜凛々と豆腐造りおり
八月二十一日の夕刊に「ソ連東欧四カ国軍がチェコ全土に侵入」
戦車の前でなお屈することのないチェコ国民
二十九日の新聞には 
チェコ国民に絶望の気運が拡がり始めている と
思えば思うほど寂しい


(この本を底本にした、緒形拳主演のドラマがあったことは知らなかった。
72年から「環境権」を掲げた市民運動家。)

0.1% (再掲)

2013年09月24日 | Weblog

 地球は確かに「水の惑星」ですが、その99. 9%は人間が飲めない水です。わずか0.1%だけが人間がすぐに使える水なのです。
 また空気中の二酸化炭素は現在0.35%ですが、これがもう0.1%増すと地球の気候変動は大変なことになります。
 0.1%の水も0.1%の二酸化炭素も森の状態に左右されています。人類が21世紀に、またそれ以降にも、もし持続可能な発展を遂げようとするならば、森とどう共生するかが欠かせないテーマです。
 木々の葉の力の、その偉大さに改めて驚かされます。サクラでもスギでもカツラでも、あの葉で水と二酸化炭素から太陽エネルギーの助けで太い幹を創ったのです。液体と気体から、あの葉で固体を合成したのですから、殆ど無から有を生じさせたようなものです。しかも、人間が物を製造すると、常に処理に困る廃棄物がつきまとうのに、葉は炭水化物を造る時に酸素を排出するだけです。そして当然、人間はその酸素がないと生きることができません。
 水と二酸化炭素に関する0.1%という数値は、この上なく貴重な地球の存在の重みを象徴的に表しています。そして0.1%という数値と森の営みとには切っても切れない重要な関係があります。木の葉の低力と価値には今更ながら驚かされます。僕らは、森や山からの目に見えない恩恵を普段からもっと心に留めなければならないと思うのです。

坐る

2013年09月23日 | Weblog

 坐るという字は、土の上に人が二人すわっていることだ、という解釈がある。その二人とは自分と自分である。土に坐って自分と自分が対話し、自分の内面を見つめる、それが瞑想や坐禅につながるのだという仏教者は言う。
 無信心の僕は、仏教のことは知らないが、坐るという字を見つめていると、何となくそんな解釈がもっともらしく思えてくる。
 土の上、石の上、草の上、畳の上に黙って坐っていると、自分自身の喜怒哀楽を見つめることが出来るように思える。思うに、これは、椅子に座ることでは出来ない。椅子に座って事務や読書は出来るが、自分との対話は出来ないのではないか。
 ひょっとしたら、坐ることで自分との対話が可能になるということは、日本文化の特徴であるかもしれない。旅館の畳の上に坐って、窓越しに紅葉を見ているうちに自分と自分との対話が進む、そんな旅をしたいものだ。今年は紅葉狩りとしゃれこもうか。まあ、無理だろうな。近くの林の枯れ草の上に坐ってこようっと。

秋は霧

2013年09月22日 | Weblog

 春の霞に対して秋は霧である。気象観測によると、1キロ以上の遠くがぼんやりして見えない場合を霧として、それ以上見えるときは靄(もや)と言うそうだ。

   有明の浅間の霧が膳をはふ   一茶

 浅間山麓に一人棲んだ一茶の朝餉を詠んだ句。
 
 ところで、五里霧中という言葉がある。試験に出されると五里夢中と書く人がいるかも知れない。この言葉は、国語学者の金田一春彦氏によると、中国の『後漢書』に出てくる故事に由来するそうだ。裴優(はいゆう)という男が三里霧をつくったのに対して、張楷(ちょうかい)は五里霧をつくることが出来た。それは一種の忍術だった。中国の戦いの話にはよく霧を起こして相手をケムに巻く話が出てくるそうな。したがって、五里霧中は五里霧の中に入って西も東も分からなくなってしまったことを言うわけで、「ゴリム・チュウ」と切れる言葉だそうだ。
 思い悩んで気がふさぐことを「心の霧」といい、その悩みが解決した気持ちを「拭うように晴れた」という。僕の心の霧はいつ晴れるのだろう、なんちゃって。

黒澤明 死して15年 直筆ノートにあった“メッセージ”

2013年09月21日 | Weblog

 昨晩の「報道ステーション」でのこと。

 白河町(福島)では避難してきた双葉町の仮設住宅で、今年3年ぶりに踊った。近くに住む熊田雅彦さん(67)は、避難してきた人と接し黒澤明の「夢」を思い出したという。原発について描いた「夢」の制作主任をしていた熊田雅彦さん、撮影が行われたのは1989年だという。その22年後に福島第一原発で次々と爆発が起きた。
 黒澤明監督の長男・黒澤久雄さんは、「原子力は、父の中で大きい位置を占めていた」と話した。
 黒澤明監督の直筆のノートには、率直な想いが綴られている。
 長年黒澤作品に携わってきた野上照代さん(86)は黒澤明の原発映画について、「そういうのを問題にしないことを、恥と思うモラルはある」と話した。
 黒澤明が原子力の問題に取り組み始めたのは1950年代からだという。老人が放射能の脅威から逃れるために全財産を投げ海外に移住する話「生きものの記録」は、1954年ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験がある。
 「生きものの記録」などで黒澤明と共同脚本を書いた橋本忍さんは、黒澤明が戦争時代を経験している為に、繰り返される水爆実験等に憤っていたと話す。
 「生きものの記録」の台本には、スタッフに向けて「人間の弱さと愚かしさがあるのではないか」とメッセージも綴っていた。橋本さんは「放射能でみんな殺してしまうというのが核の本質で、これは“怖い”ということを超えた現実じゃないか」ということを「夢」で映画化しようとしたのではと話した。
 また、黒澤は「人間は幸せになる事を望まなきゃいけないのに不幸になるような事ばかりやっている事が一番の問題だよね」と話していた。死して15年。
 スタジオでは古舘伊知郎が、「自分が自覚していないだけで悪いことを犯している」と黒澤明が言っていることがガンガン自分に言われている気がしたなどと話した。

夏逝く

2013年09月21日 | Weblog

 大きな被害をもたらした大型台風の後、この二、三日秋らしい大気に満ちている。
 九月について永井龍男が書いている。
 「九月に入ってからのある日、私は身辺を振り返る。少年期もそうであったし、若い時も老いた今もそうである。別にめずらしいことではあるまい。四季の変化にめぐまれた島国の人間の生理が、おのずとそうさせるのである。」
 僕にはこういう感慨はない。ただただ夏の暑さから脱した気分の良さに浸るだけだ。
 ただ、夏が逝く、という表現は他の季節については使わないのではないかと、ふと思った。春が逝く、とかと言わないのではないか。
 何故だろう。九月の風、九月の雲、日本列島から厳しい夏が去っていくと、日差しの勢いが日一日と秋めいていく。その清々しい移り行きに、夏逝くという表現がふさわしいのかもしれない。
 夏逝くと言うと、逆に逝った夏を懐かしむ心意気もあるのだろう。特に稲作農家の人々は、夏の農耕の厳しさに耐えた、その労苦を思い遣り、同時にその労苦が報われる秋の到来に安堵されていることだろう。

歳はとりたくないもの

2013年09月20日 | Weblog

「そろそろ下り坂という年齢(とし)で、その肉体と精神の衰えを、はたの人に悟らせる人はめったにいない。」(ラ・ロシュフコー『箴言集』より)

 僕はもうとっくに下り坂で、肉体と精神の衰えを自覚しているが、近隣の人に知られたくないと思っているふしがある。正直に知って頂ければいいものを、知られたくないという自負心みたいな感情に誘われる。何故だろう?電車の中で僕ぐらいの年齢の人を見ると、比較してしまう。ん?僕の方が若くみえる?なんてつい思ってしまう。だが、実際には歳相応に、あるいはそれ以上にくたびれているのだ。
 ロシュフコーにかかれば、自分の心理を即座に見抜かれてしまう。見抜かれて、確かに歳をとったと実感させられる。
 だが、まだまだこれからだ!という強引そのものの感情を抱く。負け犬根性とは言わないが、負け犬にならない為には実行が伴わなければならない。さて、この実行が難儀なことだ!

ベートーヴェンの自然観 (再掲)

2013年09月19日 | Weblog

 ベートーヴェンの「田園」交響曲のリストによるピアノ編曲版の楽譜を入手して以来、時々練習を試みたが、歯が立たない。それでもテクニックが易しいところを弾くのは楽しい。
 ところで、ベートーヴェンにとって「田園」(Pastorale)はどんな意味における「田園」であったのだろうか。解説を参考にして僕なりに少し考えてみる。
 パストラーレとは本来、牧歌を表し、牧歌にはイエスの降臨を喜ぶクリスマス音楽としての役割と、牧人の音楽としての役割という二つの側面がある。「田園」交響曲の終章に「牧人の歌」と記されているのは後者の意味である。だが、牧人の歌は単に羊飼いの音楽なのではなく、ヴェルギリウス以来西欧に流れているアルカディアにおける牧歌であろう。アルカディアでは神と人が調和した生活を営むことができる。僕には実感できないが、神の恩寵に満たされた安らぎのある調和した生活の場がアルカディアであるなら、ベートーヴェンの「シンフォニア・パストラーレ」は音楽における「田園(アルカディア)の生活誌」である。
 「田園」は神の創造になる自然である。「嵐」は神の怒りの象徴であり、終章の「嵐の後の感謝の念」が「牧歌の歌」であることが、神の創造たる自然を表していると考えられる。
 簡単に言って以上のようなことは僕には実感できないが、この曲の美しさは、やはり自然の秩序を表す、ただならぬ美しさである。現代文明が忘れてきた自然である。

虚飾

2013年09月18日 | Weblog

「虚飾を捨てさえするならば、人間はなんとすばらしい生物であることか。」(ゲーテ『箴言と省察』より)

つまり、人間の諸悪の源は虚飾にある、ということなのだろうか。もっともなことであるとは思う。
だが、反面、人間を人間らしくしているのも虚飾だと言えよう。場合によっては、この虚飾が、人間の生き甲斐になっている事も大いにあるだろう。
虚飾がなければ、文化も貧弱なものになっていたかも知れない。
虚飾を捨て切れない人間! 人間とは哀しくも、面白い存在である。

だが、過ぎたる虚飾は人間とその文化をつまらなくしてしまう。これも事実であろう。つまらなくしてしまうどころか、文化を破壊してしまう場合も。福島第一原発大事故の事故収拾プロセスにおけるように。

島崎藤村

2013年09月17日 | Weblog

 明治以降の作家で最も大きな作家は島崎藤村だと思う。僕の好みも入っているが、これはかねてよりの僕の持論だ。抒情(『若菜集』)から社会問題(『破壊』『夜明け前』)まで、その一つひとつの作品において完成度が高い。
 どういう意味で高いのか。他の作家との比較は措く。思うに、詩、小説、随筆、紀行にいたるまで、藤村文学の底を流れるのは、回想という方法で人生を歴史の流れにおいて反芻し、凝集している点である。その事が、一方では自我の浪漫的な凝視と顕現となり、他方では自我の求道的な充実と社会的実現となっている。
 この二つの特色が藤村を、山また山の木曽に生いたった農山村の民として生活を営む、腰の坐った実生活者たらしめ、かつ理想主義者たらしめているのだと思う。 昨日一日、藤村をあれこれ読んだ。短文を二つ。

 「屋根の石は、村はずれにある水車小屋の板屋根の上の石でした。この石は自分の載って居る板屋根の上から、毎日毎日水車の廻るのを眺めて居ました。
 「お前さんは毎日動いて居ますね。」
と石が言ひましたら、
 「さういふお前さんは又、毎日坐ったきりですね。」
と水車が答へました。この水車は物を言ふにも、じっとして居ないで、廻りながら返事をして居ました。(「ふるさと」屋根の石と水車より)

 「檜木、椹(さはら)、明檜(あすひ)、槇、ねず---を木曽の方では五木といひまして、さういふ木の生えた森や林があの深い谷間(たにあい)に茂って居るのです。五木とは、五つの主な木を指して言ふのですが、まだその他に栗の木、杉の木、松の木、桂の木、欅の木なぞが生えて居ります。樅の木、栂の木も生えて居ます。それから栃の木も生えています。」(「ふるさと」五木の林より)