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自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

「想定外」ということ

2016年03月22日 | Weblog

▼「想定外」は炉心溶融した原子炉の封じ込めや住民避難についての対策をも思考の外に置くことだ。

「想定外」ということに関して改めてまとめておきたい。
▲2011年3月11日に起きた東日本大震災は、一か所の震源で起きたのではなく、岩手・宮城県沖、福島県沖、茨城県沖の三か所の海底断層のはね上がりが次々と連続して起きた地震で、そのエネルギーの大きさは M 9.0だと言われている。そして、災害規模の巨大さ。この地震と大津波による(とされる)原発大事故によるとてつもない大災害。
▲この大地震・大津波・原発大事故は「想定外」だったのか? 「想定外」の意味を考えたい。
  A. 本当に想定できなかったケース。
  B. ある程度想定できたが、データ不足のために除外されたケース。
  C. 発生が予測されたが、その事態の対策に本気で取り組むと投資額が巨大になるので、そんなことは当面起こらないだろうと楽観するケース。
 ケースAは極めて少ない。BかC、あるいはBとCの中間あたりのケースが大半を占めてきたように思われる。
▲「想定外」の二重構造
 歴史に残っている地震などから東北地方の太平洋側沖合の地震を予測する地震学の専門家は、かねてから東電の津波想定は甘いと警告していたし、古い原発の耐震性を再検討する経済産業省審議会でも警告していた。しかし、原発の安全対策基準に責任をもつ原子力安全・保安院も原子力安全委員会も、そうした警告を無視するかのようにして、東電の甘い津波予想を了承していた。理由は、可能性の小さいものまで考えていたら、経済的に見合う設計ができないということであった。
 そこで、もうひとつ問題なのは「想定外」という線引き主義がもたらす思考停止は、二重の構造になっていて、そのことが被害の構造まで二重にしたという点である。
 第一の局面は、原発建設の地震・津波対策について、現実主義による最大の想定値を決めた途端に、万一「想定外」の巨大地震・津波が発生した場合に、どんな事態になるかということについて思考停止してしまったこと。
 第二の局面は、全電源と冷却水の喪失による炉心溶融が生じた場合の、原子炉の封じ込めや住民避難について対策を立てておくことまで、思考停止してしまったこと。
 「想定外」という思考停止の二重構造は、大失敗の二重構造でもあった。

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