自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

知の及ばぬところ (再々掲)

2014年05月31日 | Weblog

 近頃、とりわけ近頃思うんですが、僕(ら)の知はしれたものではないかと。しれたものだから、畏れる気持ちをもたねばならないのではないかと。

 「孔子曰く、君子に三畏有り。
 天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。
 小人は天命を知らずして、畏れざるなり。大人に狎れ、聖人の言を侮る。・・・・・」

 私見では、あくまでも私見では、天命とは自然の摂理であり、大人とは弱者の味方であり、聖人の言とは市井の人々の言である。この三者を畏れる心を僕はしばしば忘れる。まだまだ小人、これ忘るるべからず。

染付秋草文面取壺と「朝鮮の土となった日本人」

2014年05月29日 | Weblog


近頃は東京へ行く機会がないが、行った時は駒場の日本民藝館を訪れた。
初めて訪れたのは30年以上前。
柳宗悦の肝いりで1936年に竣工したこの民藝館に入ると、気分が落ち着く別世界。
最初に目に入ったのが、染付秋草文面取壺。
李朝白磁の逸品だが、元々は朝鮮国内では雑器であった。
その美に着目したのは、淺川伯教(のりたか)・巧兄弟であり、伯教が宗悦に贈り、宗悦が朝鮮の焼き物の美に初めて魅せられたという逸話がある。

大正から昭和にかけて、日韓併合時代の京城(現ソウル)に暮らす日本人兄弟が居た。昔ながらの朝鮮服を着て、木履をはいて町を闊歩する。
彼の地にすっかり溶け込んだ生活の中で、彼らは李朝工芸の美しさを見出し、それを宗悦などの日本人に伝えた。
淺川兄弟が心底ほれこんだ、健やかで愛らしい李朝の美。それを典型的に表しているのが、染付秋草文面取壺だと思う。
淺川巧は林業技師としても朝鮮の白松などの栽培方法を研究したが、同時に兄と共に朝鮮の日常生活の中にある工芸品の美を初めて見出した。
困難な時代にあって、相手国の日常の美に着目できる程に器量の大きな人物だったのであろう。巧は朝鮮の土となっている。
朝鮮(韓国)の人々は兄弟への尊敬の心を今も失っていないと聞く。
隣国との間柄は、こうでなくてはと強く思う。もちろん隣国と、だけではない。

杉の森

2014年05月28日 | Weblog

 杉の森が、神々の住むところだという考えは昔から日本人の心に根差していたようだ。
   石上布留の神杉神さびし
       恋をも我は更にするかも

 万葉の古歌にも、神杉という言葉があり、杉の樹が神と崇められていたことを示している。

 同じく万葉に、三輪山の杉が出て来る。
   昧酒を三輪の神が斎(いわ)ふ杉
       手触れし罪か君に遇いがたき

 三輪とは大神(おおみわ)神社(桜井市)のことで、この社には本殿がなく、三輪山を神体とする。現在の三輪山はアカマツの山林となっているが、遠い昔は杉で覆われていた。この杉が神木で、この樹に触れることはタブーだった訳で、この恋歌は、神の禁忌を侵した報いかと、恋人に遇えぬ心を詠っているのだろう。

 30年ぐらい前から三輪山に登ることが許可された。案外に急な山で汗をかいた覚えがある。当然のことながら、「遇いがたき」人に遇えぬ。

『坊ちゃん』

2014年05月26日 | Weblog

 一昨日、電車にゆられている間、漱石の『坊ちゃん』を数十年ぶりに再読した。何度読んだか覚えていないが、痛快な小説だ。
 田舎者でずるい生徒たち、曖昧なことを言って世間体をごまかす校長、狸、そして表面的にはものやさしい文化人に見えるが陰険な策謀家の教頭、赤シャツ。赤シャツの腰巾着でおべっかたれの図画教師、野だいこ、悪意に対してすら憎む心をもたないお人好しの国語教師、うらなり。正義漢であるがどこか思慮の足りない数学教師、山嵐、一本気であるが世渡りの知恵をもたない坊ちゃん。読んでいて僕は山嵐の性格と心情に僕自身を重ねた。
 それぞれに個性豊かな登場人物が織り成すおもろい出来事や事件は、よき時代を象徴している。現代ではこんなおもしろくて他愛も無い出来事や事件に時間を費やす学校は無いかも知れない。それだけに心に余裕が無くなったということだろうか。
 『こころ』や『道草』や『明暗』など、新聞小説を書く以前の漱石は読者を意識しないで思いのままを小説にした。『吾輩は猫である』も『坊ちゃん』と同様、そうである。
 だが、漱石は一筋縄ではいかない複雑な人。『坊ちゃん』の字面の裏も読まねばならないのだろう。時代背景を考慮して、裏はいつかまた読むことにしたい。

永久凍土が融ける

2014年05月25日 | Weblog

 新聞によると、モンゴル最大の湖フブスグル湖(ロシア国境に近い)の水位が1960年代と比べ60cmも上がっているそうだ。その水の圧力は湖畔の土を削り、カラマツを根元からすくい水中に引きずり込んでいる。
 水位上昇の原因は地球温暖化にある。この地方の気温は30年間で2度近く上がった。そのため、周囲の氷河や地下の永久凍土が融け出し、地下水となり湖に流れ込んでいるとみられる。
 永久凍土とは、地下水とともに一年中凍結している土のこと。それが皿のような役割を果たし雨水を蓄え、夏には表面だけが融け、木や草を成長させる。しかし、その凍土が地下の深いところまで融け出したようだ。
 一般的には気温が上がれば水分の蒸発で湖の水位は低下するが、フブスグル湖の場合は永久凍土という水の貯金をどんどん引き出しているため、湖水は上昇するという仕組みになっている。
 だが、貯金が減れば、地面は潤いを失い、更にそこを、温暖化による水分蒸発が襲う。実際、モンゴル各地で小川や浅い湖が枯れ出し、草原の退化が進んでいるそうだ。その結果、例えば黄砂の飛来が増える。
 永久凍土は最早永久凍土とは言えなくなった。温暖化は進行し続けるであろう。地球環境破壊にもっともっと関心がはらわれ、温暖化をくい止める手立てを地球規模で考えなければならないと思う。

知里幸恵と『アイヌ神謡集』 (再掲)

2014年05月24日 | Weblog

 僕は何故か『アイヌ神謡集』が好きだ。あえて理由を言えば、自然の摂理に背を向けた現代社会が『アイヌ神謡集』など、自然に根付いた言の葉を渇望しているからであるかもしれない。
 知里幸恵は1903年北海道登別生まれ、没年1922年。享年19歳。アイヌ出身である彼女は、金田一京助に励まされて、アイヌ語のローマ字表記を工夫し、身近な人々から伝え聞いた物語の中から十三編の神謡を採り出して日本語に翻訳した。十八歳から十九歳にかけての仕事であった。以前から心臓の悪かった幸恵は、校正を終えてから東京の金田一家で急逝した。刊行はその一年後であった。
 『アイヌ神謡集』はもともと口承詩であるから、それを文字、しかも日本語に置き換える作業はどんなにか困難であったろう。しかし幸恵は、リズミカルな原語のローマ字表記とみずみずしい訳文の日本語を、左右に対置させた。それによって相乗効果が生まれ、極めて独創的な作品となった。
 幸恵がこの仕事に精魂こめていたころ、多くの日本人はアイヌ民族を劣等民族と見なし、様々な圧迫と差別を加えている。同化政策と称してアイヌからアイヌ語を奪ったのもその一例である。しかしこの少女はめげなかった。

 幸恵はその序文でかつて先祖たちの自由な天地であった北海道の自然と、用いていた言語や言い伝えとが滅びつつある現状を哀しみをこめて語りながら、それゆえにこそ、破壊者である日本人にこの本を読んでもらいたいのだ、という明確な意志を表明している。
 一方、『アイヌ神謡集』の物語はいずれも明るくのびやかな空気に満ちている。幸恵の訳文は、本来は聴く物語の雰囲気を巧みに出していて、僕の気分にもよるが、思わず声に出して読み上げたくなる。

 「銀の滴降る降るまはりに、金の滴降る降るまはりに。」

近代の文学とは感触が異なる。十三編のうち九編はフクロウやキツネやカエルなどの野生動物、つまりアイヌの神々が自らを歌った謡(うた)であり、魔神や人間の始祖の文化神の謡にしても自然が主題である。幸恵は序文や自分が選んだユーカラを通して、アイヌが自然との共生のもとに文化を成立させてきたことを訴えたかったのであろう。

 『アイヌ神謡集』に登場する神々は支配的な存在ではなく、人間と対等につきあっている。敬われればお返しに贈り物を与える神もいるが、悪さをしたり、得になるための権謀を弄すれば、懲らしめる神もいる。しかし、皆どことなく愛嬌があって憎めない。絶対悪も絶対善もない世界は、あたかも種間に優劣がなく、バランスのとれた自然界の写し絵のようである。この点では、現代の環境文学の礎として見られなければならないであろう。
 豊かな自然を前にして謡われる神謡が、何故に環境破壊極まったこの時代に流布しつつあるのか。僕たちの身体感覚にまだ残っている自然性の証なのであろうか。言葉の意味だけに寄りかかってきた多くの文学作品が何かを取り残してきた事への反省なのであろうか。ユーカラのような口承文芸が過去の遺産ではなく、文学の一ジャンルとしての地位を担うのも当然であるが、『アイヌ神謡集』が読まれる機会は案外少ない。
 知里幸恵の仕事は、様々なテーマを現代に投げかけてくる。

尹東柱 (ユン ドンヂュ)

2014年05月23日 | Weblog

 終戦の六ヶ月ほど前に福岡刑務所で獄死した尹東柱の詩をひとつ。

   星をかぞえる夜  (1941.11.5)

季節の移りゆく空は
いま、秋酣(たけなわ)です。

わたしはなんの憂愁(うれい)もなく
秋の星々をひとつ残らずかぞえられそうです。

胸に ひとつ ふたつと 刻まれる星を
今すべてかぞえられないのは
すぐに朝がくるからで、
まだわたしの青春が終わっていないからです。

星ひとつに 追憶と
星ひとつに 愛と
星ひとつに 寂しさと
星ひとつに 憧れと
星ひとつに 詩と
星ひとつに 母さん、母さん、

母さん、わたしは星ひとつに美しい言葉をひとつずつ唱えてみます。小学校のとき机を並べた児らの名と、偑(ベエ)、鏡(キョン)、玉(オク)、こんな異国の少女たちの名と、すでにみどり児の母となった少女たちの名と、貧しい隣人たちの名と、鳩、子犬、兎、らば、鹿、フランシス・ジャム、ライナー・マリア・リルケ、こういう詩人の名を呼んでみます。これらの人たちはあまりにも遠くにいます。星がはるか遠いように。
(長い詩なので以下略)

 (日本の統治下、「平沼東柱」と改名させられて同志社大学に留学した彼の詩は、このブログで何度か紹介したが、故郷を想うこの「星をかぞえる夜」はリリシズムに満ちている。)

<大飯原発>「安全性に欠陥」 福井地裁、運転差し止め判決

2014年05月22日 | Weblog

(朝刊より)
 関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働は危険だとして福井県の住民ら計189人が関西電力を相手取って運転差し止めを求めた訴訟の判決が21日、福井地裁であった。樋口英明裁判長は住民側の主張を認め、運転差し止めを命じた。東京電力福島第1原発事故を念頭に「大飯原発は地震の際の冷却や放射性物質の閉じ込めに欠陥があり、原発の運転で人格権が侵害される危険がある」と厳しく指摘した。原発の運転差し止めを命じた司法判断は福島事故後初めて。電力会社の再稼働判断にも影響を与える可能性がある。関電側は控訴する方針。

 過去に運転差し止めが認められたのは、2006年にあった北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)に関する金沢地裁判決(高裁で逆転し確定)だけだった。

 主な争点は▽耐震設計の基準となる「基準地震動」は適切か▽大地震の際に冷却機能が働くか▽使用済み燃料プールの放射能漏れ対策は十分か--などだった。

 基準地震動について関電は、敷地周辺の断層による地震を想定すると700ガル(現在は856ガルに引き上げ)が適切と主張。しかし判決は理論上の数値計算よりも、各地の原発で05年以降、基準地震動を超える揺れが5回観測されている事実を重視し、大飯でも同様の危険があるとした。

 冷却機能に関して判決は、想定を超える地震が起こればメルトダウンに結びつくと指摘。地震動が想定内でも電源が失われる恐れがあると指摘した。さらに燃料プールに関しても、福島原発事故の際に燃料プールが危機的状況に陥ったことを例に、原子炉格納容器と同等の、より堅固な施設が必要とした。

 また、訴えを起こせる住民の範囲に関しては、福島事故の際、原子力委員会委員長が原発から250キロ圏内の避難勧告を検討した経緯から、250キロ圏内にまで広く認めた。

 大飯3、4号機は昨年9月に定期検査のため運転停止した。これに先立つ同年7月に関電は再稼働を申請しており、現在、原子力規制委が審査中。判決には、判決確定前に内容を実行する「仮執行宣言」が含まれていないため、判決が確定しない限り、審査に適合すれば原発は運転できる。ただ、再稼働の前提として地元同意は不可欠で、司法判断が確定しない中での再稼働は事実上、難しい状況だ。

自衛隊機 夜間差し止め 厚木基地、米軍機は認めず

2014年05月22日 | Weblog

(朝刊より)
 在日米海軍と海上自衛隊が共同使用する厚木基地(神奈川県大和、綾瀬市)の航空機騒音に対し、住民約七千人が国に損害賠償と自衛隊機、米軍機の夜間・早朝の飛行差し止めを求めた第四次訴訟の判決で、横浜地裁(佐村浩之裁判長)は二十一日、自衛隊機の毎日午後十時~翌午前六時の飛行差し止めを命じた。米軍機の飛行差し止めは「国の支配の及ばない第三者の行為」として退けた。基地の航空機の飛行差し止め判決は全国で初めて。また、一~三次訴訟の確定判決同様、騒音の違法性を認め、国に総額約七十億円の損害賠償の支払いも命じた。

 原告は大和市と綾瀬市、東京都町田市など基地周辺のうるささ指数(WECPNL=W値)七五以上の区域の住民。第四次訴訟では損害賠償などを求めた民事訴訟のほか、基地騒音訴訟では初めて行政訴訟で、国に自衛隊機と米軍機の飛行差し止め、米軍機の滑走路使用許可禁止なども求めていた。

 佐村裁判長は、自衛隊機について「運航は防衛相の権限行使に当たり、住民に騒音の受忍を義務付けている。騒音による睡眠妨害は健康被害に直接結び付く相当深刻な被害」と違法性を指摘。「毎日午後十時~翌午前六時、やむを得ないと認める場合を除き運航させてはならない」とした。

 ただ、防衛省南関東防衛局によると、厚木基地では一九七一年に日米共同使用を始めて以降、自衛隊機は海難救助などの緊急時を除き、この時間帯の飛行は自主規制している。

 過去分の損害賠償は、W値の大きさにより月四千~二万円の五段階で支払いを命じたが、将来分は一~三次訴訟同様に退けた。

 小野寺五典防衛相は「国の主張に理解が得られず残念。判決内容に受け入れがたい部分があり、慎重に精査し、適切に対処したい」とコメントした。

 ◆横浜地裁判決骨子
▼防衛大臣は、厚木基地で午後十時から翌日午前六時まで、自衛隊機を運航させてはならない
▼国が米国に基地使用を許可する行政処分は存在せず米軍機の飛行差し止めを国に求めることはできない
▼国は住民に対し、損害賠償として総額約七十億円を支払え
▼騒音被害は健康や生活環境に関わる重要な利益の侵害だ

時について

2014年05月21日 | Weblog

(ゲーテ『西東詩集』より)
時を短くするものは何か? 活躍。
時を耐えられぬほど長引かせるものは何か? 無為。
負い目をおわすものは何か? 執念深い待機。
利益をもたらすものは何か? くよくよ思案せぬこと。

 これは極めて明快で実践的な箴言である。一日の内でこの四項目のどれかに思い当たるところがあり、反省させられたり、励まされたりするはずだ。くよくよ思案するのは害あって益なし、であろう。
 以上は自分本人への警報である。

こんな詩があります。

2014年05月20日 | Weblog

   遠い道でもな
   大丈夫や
   一歩ずつや
   とちゅうに
   花もさいているし
   とりもなくし
   わらびかて
   とれるやろ

 
 原田大助君という少年の詩集『さびしいときは心のかぜです』(樹心社)から一つ選びました。僕がどう生きるのがいいのかを、こんなにも明晰に、こんなにも優しく語ってくれる言葉は、めったにあるものではありません。かつて観たテレビ・ドラマ『北の国から』の五郎や純や蛍が歩いた道も、こんな「遠い道」だったのだと思います。ドラマの中だけの「遠い道」ではないようです。こんな「遠い道」を歩いている人も居るわけで、学びたいと思います。だいぶん歳をとりましたが、歩けると思っています。でも、わらびをとるのは難しくありませんが、「遠い道」はやはり「遠すぎる道」なのかもしれません。「ほどほどに遠い道」が待っていてくれることを願います。

寓話もしくは想像力

2014年05月19日 | Weblog

 よく知られた寓話の一つ、「オオカミとツル」を略述すると、
「ご馳走を食べたい両者は互いに食事に招待した。招待されたツルはオオカミの出した平らな皿にうすく盛られたスープを長い嘴でつつくだけ。オオカミは舌で何杯もたいらげた。一方、招待されたオオカミはツルの用意した長い壷に入つたシチューに舌も届かず、よだれも涙に変わつてしまつた。」
 略述すると元の寓話表現のインパクトがおそろしく減るのであるが、この寓話の意味するところは、オオカミとツルは互いに相手の食べ方を忖度した心情的エゴイストだということだろう。
 ところで、寓話表現の面白さは、人や動物、ときには樹木さえもが共に会話をするという非日常を描きながらも、そこに、不自然さが感じられない、という点にある。不思議なのは、そのようなことを可能にする想像力、構想力という能力を僕たちの祖先が太古の昔から持っているという事実である。この能力をいかに使うかによつて、僕たちの未来の明暗がある程度決まると思われる。大国は貧しい小国のことを、政府は国民のことを、甲は乙のことを意を尽くして想像してみることだ。これをしなければ心情的エゴイズムが蔓延するだけだ。

痛いところを衝かれました。

2014年05月18日 | Weblog

  『徒然草』第百六十八段
 年老いたる人の、一事すぐれたる才(ざえ)のありて、「此の人の後には、誰にか問うはん」など言はるるは、老の方人(かたうど)にて、生けるも徒らならず。さはあれど、それも廃れたる所のなきは、一生此の事にて暮れにけりと、拙く見ゆ。「今は忘れにけり」と言ひてありなん。大方は、知りたりとも、すずろに(むやみに)言い散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞こえ、おのづから誤りもありぬべし。「さだかにも弁へ知らず」など言ひたるは、なほまことに、道のあるじとも覚えぬべし。まして、知らぬ事したり顔に、大人しく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを、さもあらずと思ひながら聞き居たる、いとわびし。

 僕は時々知ったかぶりをします。兼好法師に痛いところを衝かれました。
 気をつけようと思いました。思いましたが、思う通りに生きられるかどうかは保証の限りではありません。
 しかし、人に「いとわびし」と思わせるような事は言わないように心掛けます。 心掛けますと言っても、保証の限りではないところが痛いです。

時間のスパン

2014年05月17日 | Weblog

 僕らは百年の時間を視野に据えて、モノゴトを考えているだろうか。樹木の育成を百年のスパンで考えている林業家も居るだろう。林業家以外の人で、百年という時間のスパンでモノゴトを考えている人が居るだろうか。
 
 経済性、効率、競争。現代をひたすらニーズという名で追求する市場原理。
 長い時間のスパンでモノゴトを考えなければ、未来は危ういのではないか。
 
 僕がかつて関係していた教育・研究の分野では、百年以上続いた大学制度が、数年の議論の後、「改革」され、市場原理が持ち込まれた。聞くところによると、あちこちの大学で基礎研究が危うい状況に追い込まれている。この国の未来に危惧を抱く。基礎の無い応用は無い訳で、基礎にこそ資金を費やすべきだと強く思う。

 西岡常一というよく知られた宮大工の棟梁の本に次のような一文がある。五重塔解体修理中に地震が起こる。心中穏やかではない。
 「見ていると、初層が右に揺れれば二層は左と、波のようになる。全体としてそれで揺れを吸収してしまう。今の高層ビルでいう柔構造を、千三百年前にやってのけていたのだ。」
 五重塔は、百年どころか、千年以上の時間のスパンで構想されていた。棟梁は千年先を見通して解体修理したという。
 
 モノづくりも人づくりも、穏やかに流れる長い時間のスパンで構想しなければならないのではないか。 「急がば回れ」精神を取り戻す必要がある。

 事ほど左様に、エネルギー政策も百年以上の時間のスパンで熟慮すべきだ。そうすると自ずと未来が見えてくる。原発はたかだか40年で核爆発する(場合がある)。石油などの地下資源は百年以内に枯渇する。海底に天然ガスが眠っていて、それを電力開発に使えばどうかという意見があるが、海底はプレート移動するから、頼りにならない。すると、残るのは・・・。