魚つき林という言葉が注目されているそうだ。海岸部に存在する森林ばかりでなく、生態系としての森と海のつながりという観点から森林の機能が再認識され、河川上流部の森林も広い意味で魚つき林と言われている。宮城県の「牡蠣の森を慕う会」の活動(漁民を中心とした人々が河川の上流域に植林をする活動)など、森と海のつながりを取り戻そうとする運動が、「森は海の恋人」を合言葉に各地で展開されている。
海の生態系に好影響をもたらす森林の機能としては、(1)土砂の流出を防止して、河川水の汚濁化を防ぐ、(2)清澄な淡水を供給する、(3)栄養物質、餌料を河川・海洋の生物に提供する、等があると考えられている。
僕はだいぶん前に本欄で「サクラエビ」と題して報告したことがある。
静岡県の富士川河川敷には、毎年春になると、富士山を背景にピンクの絨毯が広がる。駿河湾で漁獲されたサクラエビを天日干しにしているのだ。写真で見るだけなのだが、見事だという他はない。
体長4、5センチの海老で、干したものがせんべいやかき揚げなど様々な加工品に利用されるほか、生食もされる。カルシウムやリンを他の海老より比較にならないほど多く含む栄養価の高い海老である。
このサクラエビが、昭和初期に激減して、環境問題に発展したことがある。生態が分かっておらず、対策の手立てがなかった。困った漁民たちは生物学者中沢毅一に支援を求めた。中沢は私財をなげうって「駿河湾水産生物研究所」を創立し、研究を開始した。
中沢は、富士川河口の沖にサクラエビの産卵場があると考え、生まれた子エビの成長には、河川から流れてきた有機物が直接かかわり、狭い海域で大量のエビが成長できるのは、殻を形成するカルシウムを笛吹川とその流域の森林の石灰岩盤が供給していると考えた。
中沢の研究成果は地元ぐるみの実践運動につながった。まず、貴重種サクラエビを天然記念物に指定するための意見書を作成し、同時に富士川の環境保全運動にも尽力した。また。当時設立された製紙工場が大井川に廃水を垂れ流していたが、中沢は漁民と共に排水停止の交渉にもあたった。中沢らの運動は、環境保全運動の先駆けとしても記憶されるに至った。
まさに「森は海の恋人」「魚つき林」を実践した先駆けだと言ってよい。海と森林は生態系として繋がっているのだ。
海の生態系に好影響をもたらす森林の機能としては、(1)土砂の流出を防止して、河川水の汚濁化を防ぐ、(2)清澄な淡水を供給する、(3)栄養物質、餌料を河川・海洋の生物に提供する、等があると考えられている。
僕はだいぶん前に本欄で「サクラエビ」と題して報告したことがある。
静岡県の富士川河川敷には、毎年春になると、富士山を背景にピンクの絨毯が広がる。駿河湾で漁獲されたサクラエビを天日干しにしているのだ。写真で見るだけなのだが、見事だという他はない。
体長4、5センチの海老で、干したものがせんべいやかき揚げなど様々な加工品に利用されるほか、生食もされる。カルシウムやリンを他の海老より比較にならないほど多く含む栄養価の高い海老である。
このサクラエビが、昭和初期に激減して、環境問題に発展したことがある。生態が分かっておらず、対策の手立てがなかった。困った漁民たちは生物学者中沢毅一に支援を求めた。中沢は私財をなげうって「駿河湾水産生物研究所」を創立し、研究を開始した。
中沢は、富士川河口の沖にサクラエビの産卵場があると考え、生まれた子エビの成長には、河川から流れてきた有機物が直接かかわり、狭い海域で大量のエビが成長できるのは、殻を形成するカルシウムを笛吹川とその流域の森林の石灰岩盤が供給していると考えた。
中沢の研究成果は地元ぐるみの実践運動につながった。まず、貴重種サクラエビを天然記念物に指定するための意見書を作成し、同時に富士川の環境保全運動にも尽力した。また。当時設立された製紙工場が大井川に廃水を垂れ流していたが、中沢は漁民と共に排水停止の交渉にもあたった。中沢らの運動は、環境保全運動の先駆けとしても記憶されるに至った。
まさに「森は海の恋人」「魚つき林」を実践した先駆けだと言ってよい。海と森林は生態系として繋がっているのだ。