自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

ピエタ

2013年06月30日 | Weblog

 美術の写真集を見ていたら、目が釘付けになった。ミケランジェロの「ピエタ」。
 34年前にバチカンのサン・ピエトロ大聖堂の中で迷いながら殆ど極彩色の壁画などを眺めていた時、「ピエタ」に出会った。あの時も言うに言われぬ不思議な感情に駆られた。
 十字架から降ろされた死せるイエスを抱くマリアの悲哀(ピエタ)。近距離からは見られない実物よりもリアルに接写された「ピエタ」像の皮膚や着衣の細部。その迫真性に心を奪われる。その美しさは言葉では表現しようがない。
 それにしてもマリアの何と若いことか。どう見ても20代だ。イエスが十字架に架けられたのは30歳代である。とすれば、マリアは50歳前後だろう。そして、このマリアが抱くイエスは50歳を超えているように見える。イエスの方が生母より老けている。しかし、そんな不合理は少しも気にならない。それほどに、この「ピエタ」は美しい。
 僕は思った。本当の悲哀というものは美しいのではないか。あるいは同じことだが、本当に美しいということは哀しいことなのではないか。死せる我が子を抱いてマリアは慟哭も号泣もしていない。哀しみを抑え、むしろ静かさと安堵に満ちている。これはどういうことなのだろうか。無信心の僕には分からない。しかし、ピエタに見られる美しさは、例えば聖林寺の十一面観音像にも見られるように思う。
 美について語る資格は無いが、美と悲哀とは表裏の間柄にあるように思われる。

たまには音楽の時間です~♪

2013年06月29日 | Weblog

 フランス音楽が苦手の僕にも例外的に好きな曲がある。フォーレとフランクは若い時からしばしば聴いている。
 中でも、フランクのヴァイオリン・ソナタは好きを通り越して、この曲を弾きたいがために、ヴァイオリンの猛練習をしたことがある。(今は全く弾けない。) 何処に魅力があるのか。ドイツの古典にのっとった構成を堅持し、その上でフランス風な感覚が楽想となっているが、その感覚が極度に純化されている、そんなところに魅力の源泉があるのではないかと思う。
 19世紀最後の四分の一世紀に、ブラームスのヴァイオリン・ソナタと並んで一般に高く評価されているのは、豊かな旋律形態と、和声の色彩の豊かさ、説得力の強い形式の故であろう。第一楽章は4小節のピアノの前奏に続いて、何とも美しく感動的な主題が始まる。この感動をどう表現すればいいのか。この品の良さは、白い服の女性が、少しだけ、ほんの少しだけコケティシュに、透き通るような森の中で舞っている、そんな光景を思い浮かばせる。これは、第二楽章の一種のスケルツォと対照的である。第三楽章は幻想曲風で、第四楽章はカノン風な主題で、対位法を完全に使いこなしている。もったいぶった表現主義に陥ることなく、古典的楽想とロマン的楽想が融合している。
 この曲が好きだという人が多いと聞く。人は何かしら共通感覚というものを共有しているのかもしれない。

消えた画学生(再掲)

2013年06月28日 | Weblog


 10数年前に訪れた信州上田の「無言館」で買った本をあらためて観て読んだ。あらためて、ではあるが、時々あらためて、である。
 自己流の下手な油絵を描いた経験からすると、一枚の絵を仕上げる前に、何らかの都合で筆を擱かざるを得ないはめに陥ったときの心残りは後々まで続く。絵がたまらなく好きな画学生が徴兵されたがために筆を擱かざるを得なくなったときの断腸の思いは、僕の経験からは推察できない。そんな画学生を戦争で亡くした親の思いも推察できない。
 弘前の造り酒屋に生まれた千葉四郎は、昭和13年に東京美術学校を卒業した。千葉の徴兵検査の結果は、現役には適さないという丙種合格。「母の坐像」という陶彫を残している。そんな千葉が突然召集されるのは19年7月、30歳の時、物不足で革靴がなく、地下足袋での出征だったという。敗戦後、部隊は満州林口で解散、病院へ行くと言い山を下りた千葉の消息はそこで絶える。母は戦死公報を受け入れず、昭和28年に没するまで息子の還りを待ち続けた。その後、戦死公報を拒否する家が青森県内で千葉家だけになった時、遺族は仕方なく四郎の”死”を認めた。伯父のひとりは、現地で確かめるまでは甥の死を承認できないと言いつつ亡くなった。
 こういう話に現実味を感じ難くなっているのは僕だけではないかもしれない。過去が僕の内面で風化しつつあるのかもしれない。しかし、風化させてはならないと思う。忘れることをよくする人間にとって難しいことではあろうが。だが、記憶するという能力が備わっているのも人間である。
 高台にある「無言館」に入ると誰しもが無言になってしまう。何か崇高な感じがする。

オオカミ

2013年06月27日 | Weblog

 最近、ジャック・ロンドンの『白い牙』を再読しています。
 ところで、日本オオカミが姿を消したのは何故だったのか。
 芭蕉が旅をしていた頃、オオカミは熊とともに山野に生きる猛獣として恐れられていた。その前はどうかと言うと、古来、オオカミ(山犬)は人語を解して善人を守り悪人を害する聖獣と信じられたり、山の神の使いとして「御犬様」の名で信仰の対象ともなった。邪気、火盗の難を除くとされた。また農民や狩人にとって、オオカミは田畑を荒らす猪や鹿を追い払ってくれる益獣という考えも多くの地方にあったらしい。
 ところが、近世になり、田畑の開墾が進み、山野が切り開かれるとオオカミの生活圏が狭まり、餌となる野生動物の数も減ったため、人や家畜を襲う害獣として考えられ始めた。この考えは江戸中期以降らしい。
 人は自然の中で生きるために、他の動物を狩り、木や岩を利用して棲み処を作り、自然の厳しさと恵みの両方を受け入れてきた。恵みを受け取ると同時に、一度迷い込んだら出てこられない場所として森や山野を畏怖した。その象徴が御犬様であり、オオカミだった。森や山野に対する恐れが無くなり、単に利用するものと考える近代が始まったとき、約100年前にオオカミが姿を消したのは必然のように思う。
 今さら言っても仕方がないことではあるが、オオカミが消えるような自然環境を作ってきた人為は、それはそれで良かったのであろうか???

時間のスパン

2013年06月26日 | Weblog

 僕らは百年の時間を視野に据えて、モノゴトを考えているだろうか。樹木の育成を百年のスパンで考えている林業家も居るだろう。林業家以外の人で、百年という時間のスパンでモノゴトを考えている人が居るだろうか。
 経済性、効率、競争。現代をひたすらニーズという名で追求する市場原理。
 長い時間のスパンでモノゴトを考えなければ、未来は危ういのではないか。
 僕がかつて関係していた教育・研究の分野では、百年以上続いた大学制度が、数年の議論の後、「改革」され、市場原理が持ち込まれた。聞くところによると、あちこちの大学で基礎研究が危うい状況に追い込まれている。この国の未来に危惧を抱く。基礎の無い応用は無い訳で、基礎にこそ資金を費やすべきだと強く思う。
 西岡常一というよく知られた宮大工の棟梁の本に次のような一文がある。五重塔解体修理中に地震が起こる。心中穏やかではない。
 「見ていると、初層が右に揺れれば二層は左と、波のようになる。全体としてそれで揺れを吸収してしまう。今の高層ビルでいう柔構造を、千三百年前にやってのけていたのだ。」
 五重塔は、百年どころか、千年以上の時間のスパンで構想されていた。棟梁は千年先を見通して解体修理したという。
 モノづくりも人づくりも、穏やかに流れる長い時間のスパンで構想しなければならないのではないか。「急がば回れ」精神を取り戻す必要がある。
 事ほど左様に、エネルギー政策も百年以上の時間のスパンで熟慮すべきだ。そうすると自ずと未来が見えてくる。原発はたかだか40年で核爆発する(場合がある)。石油などの地下資源は百年以内に枯渇する。海底に天然ガスが眠っていて、それを電力開発に使えばどうかという意見があるが、海底はプレート移動するから、頼りにならない。すると、残るのは・・・。

個人主義

2013年06月25日 | Weblog

 人は考える事をよくする。ロダンの「考える人」からはいかにも何かを考えているような印象を受ける。
 僕は物事について筋道を立てて深く掘り下げて考えているだろうか、と気になることがある。人の請け売りをしているだけではないのか?しかし、本当に請け売りではない知識というものがあるだろうか?あるとしても、余程の異質な経験を積んだ人か、考えに考えを重ねて、そこに偶然がはたらいて新しい事を考え付く人か、とにかく、請け売りではなく考える人は少ないのではないか。
 そうだとすると、僕の考えなどはすべて請け売りだと言わざるを得ない。請け売りで考えるにしても、僕の為だけになるようには考えたくない。普通思われているような個人主義には陥りたくない。
 思うに、個人主義は、自分の利益だけを排他的に考える立場ではない。そうではなくて、自分の意思を尊重するのであれば、他者の意思も尊重しなければならず、他者の意思を尊重するという枠の内で、自分の意思の実現に向けて考える事が、個人主義という立場なのだ。このような立場に果たして僕は常に居るだろうか。請け売りで考えているのであれ、他者の意思を尊重するという枠内で考えたいものだ。それがなかなかに難しい事なんだけれど。様々な分野に排他的な個人主義が居座っているように思われる。

詩人・尹東柱(ユン ドンヂュ)

2013年06月24日 | Weblog

 某月某日にも記したと思うが、再度。尹東柱、創氏改名させられて平沼東柱。戦時下、立教大学そして同志社大学に留学。祖国解放について密談したとの嫌疑で特高によって拘束。1945年2月福岡刑務所で獄死(27歳)。死の前に九州帝大の医師によって特攻兵の士気を高揚させるための試薬を注射されたとの説あり。

    序詩
  死ぬ日まで天を仰ぎ
  一点の恥なきことを
  葉群れにそよぐ風にも
  私は心を痛めた
  星をうたう心で
  すべての死にゆくものを愛さねば
  そして私に与えられた道を
  歩みゆかねば

  今宵も星が風にこすられる    (1941年11月20日)

 この詩は高等学校の教科書にも載っていることもあり、知る人も案外に多いかもしれない。同志社には詩碑も建立されている。初めてこの詩を読んだとき、僕は戦慄を覚えた、その稀有な殉情に。

沖縄平和宣言

2013年06月23日 | Weblog

以下は昨年の「沖縄平和宣言」。今年はどんな内容が盛り込まれるのだろう。

 66年目の6月23日を迎えた。史上稀にみる熾烈な地上戦により、20万人余りの尊い命を失ったばかりでなく、貴重な文化遺産や美しい自然をも、沖縄は失った。
 過酷な体験のなかから、私たちは、二度と戦争の悲劇を繰り返さないことと、平和こそ何物にも代えがたいものであることを深く学んだ。この教訓を土台に、沖縄県民は復興と発展の道を力強く歩んできた。
 しかし、その一方で、県民は依然として過重な基地負担を強いられており、基地から派生する事件や事故、騒音に悩まされている。安全・安心な県民生活はいまだに実現していない。
 基地負担の大幅な軽減と、危険な普天間飛行場を一日も早く県外に移設すること、そして日米地位協定を抜本的に見直すこと、このことを日米両政府に強く訴えていく。
 昨年3月11日に発生した巨大な地震と津波、そして原発事故により、東日本は大きな犠牲と被害を被っている。この大震災によって、わが国の経済・産業と国民生活もまた深刻な事態に陥っている。
 沖縄の私たちには、自分たちに課せられた問題の解決に全力で取り組むとともに、大震災によるさまざまな困難に立ち向かっている人々のことに深く思いを致し、同時にまた、わが国全体のために何ができるのか、真剣に考え、行動することが求められている。
 平和な世界を求める沖縄の心に立ちながら、大震災に苦しむわが国のために、沖縄もまた貢献の任を果たしていく。
 慰霊の日にあたり、沖縄戦の全戦没者の御霊に追悼の誠を捧げるとともに、私たちは、県民の英知を結集し、平和創造に積極的に取り組み、世界に発信することを宣言する。

                                     平成24年6月23日
                                     沖縄県知事 仲井真弘多

0.1%

2013年06月22日 | Weblog

 地球は確かに「水の惑星」ですが、その99. 9%は人間が飲めない水です。わずか0.1%だけが人間がすぐに使える水なのです。
 また空気中の二酸化炭素は現在0.35%ですが、これがもう0.1%増すと地球の気候変動は大変なことになります。
0.1%の水も0.1%の二酸化炭素も森の状態に左右されています。人類が21世紀に、またそれ以降にも、もし持続可能な発展を遂げようとするならば、森とどう共生するかが欠かせないテーマです。
木々の葉の力の、その偉大さに改めて驚かされます。サクラでもスギでもカツラでも、あの葉で水と二酸化炭素から太陽エネルギーの助けで太い幹を創ったのです。液体と気体から、あの葉で固体を合成したのですから、殆ど無から有を生じさせたようなものです。しかも、人間が物を製造すると、常に処理に困る廃棄物がつきまとうのに、葉は炭水化物を造る時に酸素を排出するだけです。そして当然、人間はその酸素がないと生きることができません。
 水と二酸化炭素に関する0.1%という数値は、この上なく貴重な地球の存在の重みを象徴的に表しています。そして0.1%という数値と森の営みとには切っても切れない重要な関係があります。木の葉の低力と価値には今更ながら驚かされます。僕らは、森や山からの目に見えない恩恵を普段からもっと心に留めなければならないと思うのです。

生物時計

2013年06月21日 | Weblog

 畑違いの人から面白いことを聴いた。
 アサガオは暗室に入れておいても約24時間毎に花を開くというのだ。やはり、どこかに生物時計を隠し持っているのだろうというのだ。高等動物の場合には、脳の中枢にある松果腺が生物時計の歯車の一つではないかと言われている。
 思うに、この生物時計を現代人は余りにも蔑ろにしているのではないか。腕時計に頼りすぎて、自然のリズムを体全体で感じ取る術を麻痺させているのではないか。僕も遅寝遅起きで、完全に生物時計に違反している。都市生活者の多くは生体のリズムを乱している。人生はマラソンなのに、息せききって百メートル競走を続けているような人も居るのだろう。このような状態が事故の元であり、あるいは自分の生活に疲労を感じる元である。生物時計のリズムにそむいて生活することは、それだけ電気使用量などが増える訳で、回りまわって自然の生態系にも悪影響を及ぼす。
 生物時計に従うことは、都市生活者にとって今はもう不可能なのかも知れないが、なぜ不可能なのか、その原因を探ってみるのも必要な時代に来ているのではないかと思われる。

理解せんとしよう

2013年06月19日 | Weblog

理解せんとしよう
世界の混沌を
理解せんとしよう
世の中の難事を
理解せんとしよう
世論の実態を
理解せんとしよう
二十一世紀である事を
理解せんとしよう
きみの瞳の輝きを
理解せんとしよう
僕が何者であるかを

けれど、どの理解も僕の理解を超えているのかも
それでも、理解に理解を重ねようと僕は決意した
なぜ決意したかって?
白い槿の花が一輪咲いたからさ

育ちゆくもの

2013年06月18日 | Weblog

 ひとが、何かしら目的を持ったとき、現在の能力だけでそれを達成しようとすると、まもなく行き詰まってしまう。そんなとき、場合によっては自暴自棄になったり、あるいは方向転換を考えてしまう。
 見通しをつけて事に着手するのは大事だが、人間万事に完璧な見通しの分かるはずはなく、先のことは分からないが、このことは是非やり遂げたいと切に考えるときは、何を頼りに前に進めばよいのか。
 夢というか希望というか、そんなものを設定できたら、自分の中の「育ちゆくもの」を信頼して進む他はない。進む道に困難が立ちはだかれば、根気を奮い起こさねばならない。素朴に何の衒いもなく愛を込めて奮い起こさねばならない。「育ちゆくもの」に信頼を込めて、そして出来ることなら、情熱を傾けて、一歩一歩前に進むことだ。それが若人の特権というものだ。
 僕の中に未だ「育ちゆくもの」があるとすれば、もしあるとすれば、それに促されて、残された年月を歩み行かねばならない。

1999年8月6日広島にて

2013年06月17日 | Weblog

 僕はこの年初めて原爆死没者慰霊式並びに平和記念式に臨んだ。遅きに失したが、学ぶところが多かった。平和については学ぶのみである。その時の「平和宣言」の冒頭部分を復習しておく。
 「戦争の世紀だった20世紀は、悪魔の武器、核兵器を生み、私たち人類はいまだにその呪縛から逃れることができません。しかしながら広島・長崎への原爆投下後54年間、私たちは、原爆によって非業の死を遂げられた数十万の皆さんに、そしてすべての戦争の犠牲者に思いを馳せながら、核兵器を廃絶するために闘ってきました。
 この闘いの先頭を切ったのは多くの被爆者であり、また自らを被爆者の魂と重ね合わせて生きてきた人々でした。なかんずく、多くの被爆者が世界のために残した足跡を顧みるとき、私たちは感謝の気持ちを表さざるにはいられません。
 大きな足跡は三つあります。
 一つ目は、原爆のもたらした地獄の惨苦や絶望を乗り越えて、人間であり続けた事実です。・・・家族も学校も街も一瞬にして消え去り、死屍累々たる瓦礫の中、生死の間をさまよい、死を選んだとしてもだれにも非難できないような状況下にあって、それでも生を選び人間であり続けた意志と勇気を、共に胸に刻みたいと思います。・・・」
 このように始まる平和への祈りを僕は聴いていた。今年はどのような宣言が謳われるのであろうか。言葉は違っても主旨は同じであるはずだと想像している。

2013年06月16日 | Weblog

 蛍について伝聞する季節になってきました。
 ものの本によると蛍は世界に広く分布し、およそ二千種、日本にはそのうち四十種が生息しているそうだ。日本のように蛍を愛でる習慣は欧米にはなく、単に”光るウジ”と呼ばれる気味悪いだけの昆虫のようだ。蛍は光るものと思われるが、光らない種も多く、日本にいる蛍で光るのは十種ほどである。その光は発熱しないので冷光と言われる。何故光るのかというと、言うまでもなく恋のシグナルで、まれに威嚇の場合もあるそうだ。面白いことに、その光り方、交信のパターンは複雑で、種ごと、地域ごとの発光パターンをもつそうだ。ゲンジボタルは東日本では四秒間隔、西日本では二秒間隔で点滅するという。
 平安の昔から、歌や物語の恋愛の場面に蛍はしばしば登場する。また人の怨霊が蛍に化すという伝説も各地に残る。
 高倉健が主演した映画『ホタル』では、特攻隊で生き残った主人公が、特攻で不帰の人になった青年の遺品を韓国の家族のもとに返しに行く話である。遺品を入れた包みを開けると、夕闇にホタルが一匹飛び出す。青年がホタルの姿を借りて帰って来たのだ。映画館に行かない僕はビデオを買って観た。物語はもっと複雑なのだが、ホタルに身を化すという独特の味わいが印象に残っている。
 残念ながら、僕んちの近くのコンクリート壁に覆われた秋篠川では蛍は見られない。