自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

不知火

2010年09月30日 | Weblog
 普段それほど使わないが、ふと気になる言葉がある。不知火もその一つだと思う。これ、ご存知のように「しらぬい」と読む。かつて相撲の親方で不知火親方という人が居たと記憶している。
 不知火とは何か、気になったので調べてみた。
 九州の有明海と八代海(不知火海)で見られる漁火の異常現象のことだそうだ。蜃気楼と同様の現象で、陰暦八月一日前後と十二月末は光源となる漁火の数が多いこともあって、出現率が高いそうだ。月のない午前三時前後の大潮の干潮時に、約2時間半ぐらいにわたって大小無数の灯がゆらめいて見えるのだそうだ。不知火とはよく言ったものだと感心する。漢語をまねた言葉なんだろう。
 今年は113年間で一番猛暑日が多かったとか。とにかく暑かった。それに各地で局所的豪雨の被害も多かった。例年のように大地震が起こらなければいいのだが。例年にないような猛暑日の連続も例年のように起こるかも知れない局所的豪雨や大地震も自然界の異常現象と言っていいだろう。
 不知火は毎年だいたい決まった時の現象だが、局所的豪雨や大地震はいつか起きることが分かっていても、いつ起きるかは分からない現象。異常現象にも二種類あるのかも知れないが、後者の異常現象にはなす術がない。今年は自然界が異常なのかも知れない。今年に限ったことであればいいのだが、来年も再来年も自然が牙をむくかもしれない。杞憂で終わればいいのだが。

(今日は恵みの雨。京都へ久方ぶりに行ってきます。)

ノーベル平和賞・・・中国が警告

2010年09月29日 | Weblog
(朝刊より)
 服役中の中国の民主活動家、劉暁波氏へのノーベル平和賞授与の可能性が取りざたされていることをめぐり、ノーベル研究所のルンデスタッド所長(ノルウェー・オスロ)は、中国の傅瑩外務次官から授賞は「中国とノルウェーの関係に否定的影響を及ぼす」と関係悪化を警告されたと明らかにした。28日のAP通信などが報じた。
 受賞者選考はノルウェー議会が任命する同国ノーベル賞委員会が行い、同研究所はノーベル平和賞選考の事務局を務めるため、中国政府は外交的圧力をかけ、授賞阻止を狙った形だ。中国側は圧力を否定しているが。
 所長によると、傅次官が6月、オスロを訪問した際、同所長に中国大使館での面会を要請。傅次官は反体制派への授賞は「非友好的行為」とも述べた。中国高官と同研究所幹部の面会は初めて。
 一方、中国外務省の姜瑜副報道局長は28日の定例記者会見で「(劉氏は)中国の法律を犯し刑罰を科された人物。その行為はノーベル平和賞の趣旨に反するものだ」と不快感を示した。
 劉氏は共産党独裁の廃止を呼び掛け、今年2月に懲役11年が確定し、服役している。


(反体制派を国内法で服役させるのは、戦前の日本に似て、時代錯誤と思うが、ノーベル平和賞の選考に一国の政府が口を挟むのも理非曲直を弁えない行為だ。)

生物多様性条約会議(国連地球生きもの会議)

2010年09月28日 | Weblog
 生物多様性条約の第10回締約国会議(国連地球生きもの会議)が来月、名古屋市で開催される。
 「生物多様性」という言葉は、「生物が互いに網の目のように複雑につながっている状態が重要だ」という考えを表している。1992年に採択された条約は、
・「生物多様性の保全」
・「資源の持続的な利用」
・「遺伝資源から得られた利益の公平な配分」
を三つの主要目的としている。
 名古屋会議では、この3番目の対策を盛り込んだ「議定書」が採択できるかどうかが注目されている。
 生物多様性は、目的が大きすぎて具体的な対策がまとまりにくい。議定書ができれば20年近い条約の歴史で最大級の成果になる。「名古屋議定書」へ、議長国・日本の責任は重い。
 議定書は「遺伝資源の利用と利益の配分」の英語の頭文字をとって、ABS議定書といわれる。
 マラリアの薬キニーネは南米アンデスの先住民が解熱剤として使っていた植物からつくられた。今後はこのような、先進国企業が途上国の資源を利用して薬などを開発する活動では、利益の一部を原産国に支払うようになる。そのルールを決める議定書だ。
 しかし議定書づくりには対立点が残っている。途上国は、過去の利益の配分も求めている。「条約採択の92年までさかのぼるべきだ」との意見や、アフリカ諸国には「植民地時代の略奪も支払え」という声がある。先進国は、さかのぼることに反対だ。
 歴史を踏まえれば、先進国は途上国の主張に一定の理解を示すべきだろう。その半面、途上国が現時点であまり無理な要求をするのも合意を妨げる。
 途上国の遺伝資源と先進国の技術が出合いやすくする仕組みをつくることで大きな利益を生み、それを配分する。将来の地球と人類の共通利益に視点を置けば、解決策は見えてくるだろう。
 先進国や中国のような大国には地球資源を独占したいとの思惑がある。そういう思惑が通じない国際条約を締結すべきだ。

文化とか文明とかではなく、呆然と・・・

2010年09月27日 | Weblog
 僕らは生まれてこの方「おまえは人間だ、おまえは人間だ」と暗黙の内に言われ続けてきた。そういう教育も受け、自発的に人間としての文化・文明を得ようともしてきた。
 思うに、時にはそういう文化・文明から自らを解放してみては如何であろうか。そういう文化・文明は僕ら人間にとっての好都合な作業であり、その成果である。しかし蛙やドジョウやメダカやその他、無数の野生の(野生の、というのも人間から見てのことである)動植物にとっては有害でさえある。
 ところが、そういう無数の動植物が心地よく生活してくれていないと、巡り巡って、僕ら人間の生活も疲弊する。だから(という訳ではないが)、身近の動植物になったつもりで、人間の文化・文明の本性を想像してみる事が大切なのではないだろうか。そんな想像はできないと言われるかもしれない。
 僕は時たま、例えば倒木に座って、木々の間を過ぎ行く風の音を聴く。その風がどんな経験をして、今ここを通り過ぎていったのかを想像してみる。大阪上空で汚染されて、生駒山で濾過されて、・・・もし風に感情が備わっていたら、喜怒哀楽を経験するのではないだろうか。
 僕ら人間は、時には文化とか文明とかに距離を置いてみるべきだと思う。という事は、時には人間を止めてみるべきだ。文化・文明によって飼育されている秩序を離れて、ただ単に呆然と空とか山とか海とかを眺めてみる事を経験してみては如何であろうか。

核燃料再処理をどうするのか?

2010年09月26日 | Weblog
 青森県にある六ケ所再処理工場の本格操業が2年延期され、2012年となった。延期は18回目、当初予定の1997年からは15年遅れ。
 再処理工場は原発の使用済み燃料からプルトニウムを取り出す工場。日本の核燃料サイクル路線の要の施設だ。試験運転中だが、放射性廃液とガラスを混ぜる工程がうまく動かない。
 遅れに遅れている核燃料サイクルだが、当分の間、展望は開けない。
 核燃料サイクルで使う高速増殖炉は今年、原型炉「もんじゅ」が14年ぶりに運転を再開したが、すぐ故障した。次の実証炉を建設するのが電力業界なのか、国なのかも決まっていない。
 コスト高やプルトニウム管理の難しさから撤退する国が多いなかで、日本は使用済み燃料は全量再処理することを基本とし、高速増殖炉で使うという一本の道しか用意していない。1970年代には多くの国がとった路線だが、今や現実味が薄い。
 原発建設計画にも課題がある。
 EUと米国で昨年つくられた発電設備は、どちらも発電能力の割合で39%が風力だという。新設に費用と手間のかかる原子力は「選択肢の一つ」になっている。
 日本のエネルギー基本計画では、現在の54基に加えて、20年までに9基、30年までに14基以上の新増設をめざす。これまでもそうだったように、過大な計画ではないだろうか。
 今年になって、原発建設技術をインドなどへ輸出する計画にも批判が集まっている。
 脱原発の方針が望ましく、原発の稼動や建設や核燃料再処理にかかる莫大な費用を太陽光発電などのコストダウン技術の開発に振り返るべきだ。 

痛いところを衝かれました。

2010年09月25日 | Weblog
  『徒然草』第百六十八段
 年老いたる人の、一事すぐれたる才(ざえ)のありて、「此の人の後には、誰にか問うはん」など言はるるは、老の方人(かたうど)にて、生けるも徒らならず。さはあれど、それも廃れたる所のなきは、一生此の事にて暮れにけりと、拙く見ゆ。「今は忘れにけり」と言ひてありなん。大方は、知りたりとも、すずろに(むやみに)言い散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞こえ、おのづから誤りもありぬべし。「さだかにも弁へ知らず」など言ひたるは、なほまことに、道のあるじとも覚えぬべし。まして、知らぬ事したり顔に、大人しく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを、さもあらずと思ひながら聞き居たる、いとわびし。

 僕は時々知ったかぶりをします。兼好法師に痛いところを衝かれました。気をつけようと思いました。思いましたが、思う通りに生きられるかどうかは保証の限りではありません。しかし、人に「いとわびし」と思わせるような事は言わないように心掛けます。 心掛けますと言っても、保証の限りではないところが痛いです。

(今日はちょっと遠出してきます。)

やったね!イチロー、10年連続200安打

2010年09月24日 | Weblog
 【トロント共同=小西慶三】米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手(36)=本名鈴木一朗=は23日、カナダ・トロントのロジャーズ・センターで行われたブルージェイズ戦で、大リーグにデビューした2001年から10年連続でのシーズン200安打を達成した。
 自らが昨季、成し遂げた9年連続の大リーグ記録を更新するとともに、達成回数でピート・ローズ(レッズなど)の持つ最多記録「10」に並んだ。ア・リーグ最多記録のタイ・カッブ(タイガースなど)の9度は更新した。
 イチローは昨季、ウィリー・キーラー(オリオールズなど)が1894年から1901年に記録した8年連続を抜き、108年ぶりに連続200安打の新記録を樹立した。今季は152試合目での200安打で、160試合を要した05年に次ぎ、02、03年と並ぶ遅めの到達となった。
 プロ野球オリックスから移籍したイチローは01年に242安打で新人のシーズン最多安打、04年には262安打のシーズン最多安打を達成。昨季は日本選手初のメジャー2千安打に到達し、今季は9月18日に日米通算で3500安打を超えた。
 通算4256安打の大リーグ記録を持つローズは、メジャー17年目に38歳で10度目を達成。

(毎年今頃、イチローの快挙には慣れていたものの、今年はシーズン後半、やきもきさせられた。打てない日が多かった。でも、やってくれた。素人解説なんだけど、内角の速球に腰が回らず凡打に終わった。相手投手はそこを狙った。が、イチローは持ち前の工夫と脚力で乗り越えた。ここに至るまでの体力維持には他の人が及ばない努力があったに違いない。連続200安打記録を来年も、と期待するのは素人だけに出来ること。ピート・ローズの通算4256安打を超えるには後3年半。イチローならやってくれる。)

秋分の日に寄せて・三輪山

2010年09月23日 | Weblog
 春分の日、大和の太陽は三輪山の真後ろから登る。神奈備の稜線を黒々と浮かび上がらせる黄金の光背から忽然とまっ赤な光球が生まれ出て、ぐらぐらと揺れるように天空に上がる。大和の日出る地・三輪。
 そして、真西にそびえる二上山の雄岳雌岳の谷間に吸い込まれていくように、秋の彼岸の太陽を見送る地・三輪。
 写真家などへのアンケートで日本の風景で残しておきたい風景として三輪山が上位にあった。
 山麓には古くから豪族が住いし、その豪族との融合なしには大和は治められなかったのだろう。記紀には、神武・崇神帝の、三輪祭祀を巡る悪戦苦闘ぶりが伝えられている。
 そんな大昔の事を知らなくても、この山には、その姿の美しさにも拘わらず、おどろおどろなるものがある。山自体が御神体であるが、何の謂れか蛇が祀られている。
 しかし檜原神社の池畔から眺めていると(写真は公共の場からの借り物)、現世のかしましさが嘘のようで、まさに異界で遊ぶ事ができる。
 昨日は猛暑日。今朝は一転して大雨とともに雷。秋分の日が雷鳴とともに始まった。涼しい。夏バテが長引いて秋バテという言葉があるそうだ。皆様、お体をおいたわりくださいませ。 

検察が検察自身を改竄したに等しい!

2010年09月22日 | Weblog
(今月11日に、検察という組織は戦前の特高警察の流れを引きずっているのではないか、と早まったことを書いた。そこまで言わなくとも、昨日から報道されている検察特捜部の主任検事によるフロッピーディスク改竄は、検察が検察自身を改竄したに等しいと言って過言ではないだろう。ただ、僕はまだ冷静な判断ができないので、朝刊より。)

 前代未聞の不祥事である。検察への信頼は根底から揺らいでいる。
 厚生労働省の元局長が無罪判決を受けた郵便不正事件で、大阪地検特捜部で捜査を指揮した主任の前田恒彦検事が、押収品のフロッピーディスクのデータを検察に有利なように改竄した疑惑が明らかになった。最高検は証拠隠滅容疑で前田検事を逮捕した。
 物証などの偽造や改竄は、ふつう容疑者の側が罪を逃れるためにする犯罪だ。捜査する側が客観的な証拠を捏造すれば、どんな犯罪もでっちあげることができる。戦前の思想犯事件を思い起こし、背筋が寒くなる。
 事件の「痕跡」が物や書類などに残されている客観証拠は、刑事裁判では揺るぎない事実として扱われる。有罪か無罪かを判断するための重要な材料であり、それを検察が改竄するようなことがあれば裁判の根幹が崩れる。
 問題のディスクは元局長の共犯として起訴された元係長の自宅から押収された。その中には、実態のない障害者団体に発行したとされる偽の証明書などの作成データが入っていた。
 偽証明書の最終的な更新日時は「2004年6月1日」。ところが前田検事は、ディスクを保管中の昨年7月13日、専用ソフトで「2004年6月8日」に書き換えていた。
 特捜部は証明書の偽造を元局長が指示したという構図を描き、その指示が04年6月上旬だったという元係長の供述調書などを作成していた。「6月1日」では偽造の後に元局長が指示したことになり、つじつまが合わない。前田検事が供述調書に合わせるように改竄した疑いが強い。
 最高検の検事が自ら捜査にあたるのは異例のことだ。身内だからといって決して手心を加えるようなことがあってはならない。徹底的に解明し、その結果を詳しく公表するべきだ。
 最高検は1人の検事が引き起こした不祥事と考えるべきではない。
 特捜検察を解体し、出直すつもりで取り組まねばならない。そこまでの覚悟があるか、国民は注視している。

(ただ、僕が危惧するのは、この前代未聞とされる事件によって他の事件の取り調べに検察が及び腰になるのではないか、ということ。検察のことだからそんなことはないだろうが、厳正・中立・公正を期して国民の税金を使うべきだ。)  

へその緒でカネミ油症被害を証明

2010年09月21日 | Weblog
(朝刊より)
   長山淳哉さん (62、九大準教授)
 へその緒を大切にとっておく日本ならではの研究成果だった。
 猛毒のダイオキシン類が食用の米ぬか油に混入し、1万4千人が被害を訴えた42年前のカネミ油症事件。原因物質が母親から胎児に伝わり、被害をもたらしたことをへその緒の分析で分析で証明し今夏、オランダの科学雑誌に成果が掲載された。
 「へその緒はタイムカプセル。次世代への化学物質の影響を探る大きな手がかりになる。世界の研究者に保管する意義を知ってほしい」。
 カネミ油症との出会いは大学院生のとき。患者が食べた米ぬか油を分析し、ダイオキシン類のポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)が主な原因であることを突き止めた。1975年のことだった。
 油症患者の母親からは「黒い赤ちゃん」が生まれた。差別や偏見は今もつきまとう。3年前からへその緒の研究を始めたのは、「胎盤を経由した被害を科学的に証明したかったから」。油症の母親が70年代に産んだ患者のへその緒からは高濃度のPCDFが検出された。
 国内最大の食品公害事件と言われるが、厳しい検査基準に阻まれ、1941人しか患者と認定されていない。根治療法も開発されていない。被害者が求め続ける救済法制定は先の国会でも実現しなかった。
 「患者のためにという気持ちが私の研究を支えてきた。事件は終わっていない。へその緒がそう物語っています」。

(目のつけ所が、おそらく日本人研究者だけのものだろう。国会が超党派で早く救済法を制定することを願う。一応無関係のことなのだが、HIVウイルスを撒き散らした旧ミドリ十字という製薬会社の重役に、戦前、中国で行われた細菌兵器の研究班・731部隊の主な研究員が就いていたことを、最近、本で読んだ。)

貧困や飢餓撲滅を!!!

2010年09月20日 | Weblog
(NHKニュース速報より)
 世界の貧困や飢餓の撲滅を目指すミレニアム開発目標首脳会合が、日本時間の20日夜からニューヨークの国連本部で始まり、日本を含むおよそ140か国の首脳が一堂に会して、あと5年に迫った目標達成期限までにどのような対策を取るべきかを話し合う。
 2000年の国連総会で採択されたミレニアム開発目標は、2015年までに、貧困や飢餓に苦しむ人たちの割合を半減させることや、乳幼児の死亡率を3分の1に削減するなど、8つの目標を掲げている。今回の首脳会合は、目標達成の期限まであと5年となった今、各国の進捗状況を報告するとともに、今後どのような対策を取るべきかを話し合うもので、日本時間の20日午後10時から始まる。初日は、フランスのサルコジ大統領や、開発が最も遅れているとされるアフリカのモザンビークやマラウィなど、いわゆるサハラ以南の国々の首脳も演説を行うことになっている。一方、マンハッタン中心部では、19日、世界各国から集まったおよそ130のNGOなどが、各国首脳に対して、貧困や飢餓の撲滅に向けて、より積極的な取り組みを訴えるイベントが行われた。ガーナから参加したNGOの関係者は「先進国、途上国それぞれが、10年前の約束を守り、互いに協力して取り組んでもらいたい」と話し、国際社会の結束を求めた。
 菅首相は、今週、ニューヨークで行われる国連総会で演説し、西暦2015年までに発展途上国の貧困層の割合を半減することなどを目指す「ミレニアム開発目標」について、日本が資金や人材の面で積極的な役割を果たす決意を表明することにしている。

(グローバルという言葉が流行し始めたのは前世紀が今世紀に替わる頃からであろうか。文字通り、地球規模でという意味だが、この言葉が最も意義を持つのは地球上から貧困や飢餓や乳幼児の死亡率を激減させること等に於いてであろう。
今日はちょっと遠出してきます。)

小林桂樹さん逝去 俳優人生70年

2010年09月19日 | Weblog
(新聞より)
 映画やテレビで昭和から平成を代表する俳優・小林桂樹さんが16日午後4時25分、心不全のため死去していたことが18日、分かった。享年86歳。合掌。
 没個性的な「平凡」さが異彩を放った。小林さんは生前、自ら俳優としての長寿の秘けつを「強烈な個性がなかったこと」と語っていた。「役者には強烈な個性が必要だが、役が限られてしまう。僕は平凡だから、どんな役柄にもなれる」。その言葉通り、故・森繁久彌さん主演の「社長シリーズ」でサラリーマンの哀歓をユニークに演じ、東宝喜劇の人気を支えた一方、「裸の大将」(58年)や「名もなく貧しく美しく」(61年)では、シリアスな役柄を好演した。
 僕は映画館が何故か苦手で、もっぱらテレビで小林さんの役柄を観て楽しんだ。土曜ワイド劇場「牟田刑事官事件ファイル」は、僕のお気に入りであった。
 「日本映画の黄金時代の最後の俳優。一人、画面にいるだけで、背筋が伸びる」とは、大林宣彦監督の評。
 藤沢周平の「一日をまっとうする」を座右の銘としていたそうだ。
 テレビを観る時間が少なくなったことは、僕にとっては好ましいことではある。 

秋は霧

2010年09月18日 | Weblog
 春の霞に対して秋は霧である。気象観測によると、1キロ以上の遠くがぼんやりして見えない場合を霧として、それ以上見えるときは靄(もや)と言うそうだ。

   有明の浅間の霧が膳をはふ   一茶

 浅間山麓に一人棲んだ一茶の朝餉を詠んだ句。
 ところで、五里霧中という言葉がある。試験に出されると五里夢中と書く人がいるかも知れない。この言葉は、国語学者の金田一春彦氏によると、中国の『後漢書』に出てくる故事に由来するそうだ。裴優(はいゆう)という男が三里霧をつくったのに対して、張楷(ちょうかい)は五里霧をつくることが出来た。それは一種の忍術だった。中国の戦いの話にはよく霧を起こして相手をケムに巻く話が出てくるそうな。したがって、五里霧中は五里霧の中に入って西も東も分からなくなってしまったことを言うわけで、「ゴリム・チュウ」と切れる言葉だそうだ。
 思い悩んで気がふさぐことを「心の霧」といい、その悩みが解決した気持ちを「拭うように晴れた」という。僕の心の霧はいつ晴れるのだろう、なんちゃって。朝晩は、先日記したように秋思の季節ではある。ただいま、11年ぶりに小説執筆中。さて、終結するだろか。

老人クラブ離れ

2010年09月17日 | Weblog
(朝刊より。僕にも関係があるのかな?)
 社会の高齢化が進み65歳以上の人口が急増している陰で、その親睦団体であるはずの「老人クラブ」が近年、減り続けている。ピークだった12年前に比べ昨年までにクラブ数で約1万5千、会員数で約150万人が減った。クラブ解散の流れに歯止めをかけようと、国も従来は「50人以上」だったクラブの基準を「30人以上」に引き下げるなど、対策に乗り出している。
 減った理由は様々だが、60代を迎えた団塊の世代の意識の変化が大きい。1998年には25%いた60代会員は、08年には19%に減少。逆に70代以上が急増し、08年には8割を占めた。
 兵庫県内の男性(65)は「介護保険の通知が先日届いてギョッとした。まだまだ若いし、老人クラブに入るなど考えたこともない」と話す。図書館に行ったり街を散策したり、忙しい毎日。ブログ仲間も全国にいる。「クラブの存在は否定しないけど、僕には無縁の世界です」。
 老人クラブについて、国は老人福祉法で高齢者の福祉増進や自立生活のための組織と位置づけ、今年度は27億6千万円の予算をつけるなど支援してきた。だが、相次ぐ解散や休会といった現実を前に、厚生労働省は昨年、補助対象となるクラブの規模を「30人以上」に引き下げた。

(そうか。60代の人はまだ老人クラブに入ることを敬遠しているんだ。僕も。
話はそれるが、長妻厚生労働大臣の退任が固まったそうだ。政治や政界に余り関心がない僕だけど、正直そうな長妻さんだけは何となく応援してきた。年金問題などで、この1年間充分には手腕を発揮できなかったのか?)

尹東柱 (ユン ドンヂュ)

2010年09月16日 | Weblog
 昨日リルケの名を記した途端、思い出した詩があった。終戦の六ヶ月ほど前に福岡刑務所で獄死した尹東柱の詩。

   星をかぞえる夜  (1941.11.5)

季節の移りゆく空は
いま、秋酣(たけなわ)です。

わたしはなんの憂愁(うれい)もなく
秋の星々をひとつ残らずかぞえられそうです。

胸に ひとつ ふたつと 刻まれる星を
今すべてかぞえられないのは
すぐに朝がくるからで、
まだわたしの青春が終わっていないからです。

星ひとつに 追憶と
星ひとつに 愛と
星ひとつに 寂しさと
星ひとつに 憧れと
星ひとつに 詩と
星ひとつに 母さん、母さん、

母さん、わたしは星ひとつに美しい言葉をひとつずつ唱えてみます。小学校のとき机を並べた児らの名と、偑(ベエ)、鏡(キョン)、玉(オク)、こんな異国の少女たちの名と、すでにみどり児の母となった少女たちの名と、貧しい隣人たちの名と、鳩、子犬、兎、らば、鹿、フランシス・ジャム、ライナー・マリア・リルケ、こういう詩人の名を呼んでみます。これらの人たちはあまりにも遠くにいます。星がはるか遠いように。
(長い詩なので以下略)

 (日本の統治下、「平沼東柱」と改名させられて同志社大学に留学した彼の詩は、このブログで何度か紹介したが、故郷を想うこの「星をかぞえる夜」はリリシズムに満ちている。
今日は久しぶりに野球観戦に行こうと計画していたが、生憎の雨。一雨ごとに秋が深まってくれればいい。集中豪雨はご免蒙る。)