自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

シャガ( 著莪 )

2015年04月30日 | Weblog


 この時期の花々ではシャガ(著莪)が最も好きである。

 /////// 譲ること のみ多き日々 著莪の花 /////// 塙 義子

 塙 義子氏については全く存じ上げないが、偶々出会ったこの句に共鳴した。
 謙譲の美徳と言ってしまえば、身も蓋も無いが、シャガ(著莪)からは慎ましさを感じる。

地球に優しいグリーンコンシューマー10原則( 再掲 )

2015年04月29日 | Weblog

 イギリスに端を発する活動でグリーンコンシューマー10原則というものがある。文字通りに「緑の消費者」とでも訳すのであろうか。地球環境に優しい買い物をしようではないかとアピールしている。次がその10原則。
 1.必要なものを必要な量だけ買う。
 2.使い捨て商品ではなく、長く使えるものを選ぶ。
 3.包装はないものを最優先し、次に最小限のもの、容器は再使用できるものを選ぶ。
 4.作るとき、使うとき、捨てるとき、資源とエネルギー消費の少ないものを選ぶ。
 5.化学物質による環境汚染と健康への影響の少ないものを選ぶ。
 6.自然と生物多様性を損なわないものを選ぶ。
 7.近くで生産・製造されたものを選ぶ。
 8.作る人に公正な分配が保証されるものを選ぶ。
 9.リサイクルされたもの、リサイクルシステムのあるものを選ぶ。
 10.環境問題に熱心に取り組み、環境情報を公開しているメーカーや店を選ぶ。

 10は近頃、テレビのコマーシャルなどで企業や大型小売店が宣伝しているが、その数はまだ少ない。5や6や8に基づいて買い物をする情報・知識の普及度が低い。こういった問題点があるものの、多くの人が普段の買い物で10原則に配慮すれば、地球環境保全に貢献できる。
 一つ例を挙げる。かつて安上がりの立食パーティに参加したとき、取り皿がアルミ製だった。アルミ製品は2や4に反する。ところが、別の立食パーティでの取り皿はジャガイモのデンプン製だった。これなら捨てても害にならない。なんなら食べることも出来る。
 日本での最大の問題は7だと思う。地産地消。これが実行できていない。例えば奈良県はスイカや果実の名産地なんだが、地元のスーパーマーケットで奈良県産のスイカを入手できない。熊本産とか鳥取産とか遠方からのスイカを買わざるを得ない。何故だろう。奈良県産は大阪などで高く消費されるからではないか。地産地消を目ざすべきだ。
 とにかく10原則を目安にして買い物をすれば、地球に優しい消費者になれる。

ミミズ

2015年04月27日 | Weblog

 これから暑くなるとミミズが道の上に出て来る。理由は定かではないが、雨水が巣穴に流れ込み、避難して路上に出て来るという説がある。
 どちらかというと、ミミズは嫌われ者の生き物かもしれない。だが、ミミズたちは農業の縁の下の力持ちである。土中を縦横無尽に動き回ることで土が柔らかくなり、酸素も行き渡る。土と有機物を体内に通し団粒をつくる。その糞はカルシウムに富み、弱アルカリ性の土壌を生む。肥えた土にはミミズがいるというのは、多くの人が知るところである。(要らぬことを言えば、ミミズのような役割をする人々が居てこそ、社会は維持される。そういう人々の役割が十二分に認められる社会であってほしい。)
 ものの本によると、かつて東京の某デパートでミミズが売り出され、長野県産の5万匹のミミズがあっという間に売り切れたという。買った人々は家庭菜園に放したに違いないが、ミミズたちは元気に活躍しただろうか。
 進化論のダーウィン(昨年、生誕200年)の晩年の研究テーマは「ミミズと土壌の形成」(1881)だった。ミミズの棲む畑に産出される有機成分と量を算出し、その有用性を説いている。ダーウィンを持ち出すまでもなく、古くから世界各地でミミズの能力は知られていた。土や植物に関わる神話や伝承も多い。
 稀有壮大な神話の一つに、台湾の創世神話がある。大洪水の後ミミズが無数に現れ土を食らい、糞を出して肥沃な大地をつくったというものだ。おそるべきミミズの能力。
 さて、僕はと言えば、ミミズは嫌いではないが、好きだと言うほどでもない。だが、ミミズには感謝しなければならない気がする。菜種梅雨や本物の梅雨に入ったら、雨水に耐え切れず路上に出て来るミミズも多かろう。元の土中に戻れることを願う。

ゲーテ『ファウスト』より( 再掲 )

2015年04月25日 | Weblog

   「私は、ただ遊んでばかりいるには、歳をとり過ぎているし、
  あらゆる希望を捨てるには若過ぎる。」

 これは『ファウスト』第一部「書斎の場」で、主人公が塞いでいるのを見て、塞ぎの虫を追いはらってみせようと、悪魔のメフィストーフェレスが、金の縁取りをした赤い服、絹のマント、鳥の羽をさした帽子という派手な出で立ちで訪れたのに対して、ファウストが言い放った台詞である。
 如何に若くても遊びほうけるのは愚かだし、どんなに歳をとっても希望を捨てては、生きるしるしがない。一所懸命生きることだ。
 ただ最近僕は、大袈裟に言えば人生に疲れた。何故かというと、親しい人が一人去ったと思うと、また一人去っていくのだから。何故先に逝くの?

シェイクスピア 『 マクベス 』( 概要 )

2015年04月22日 | Weblog

戦国の世の宿命だったのだろうか
殺すつもりでなかった王ダンカンを
魔女の予言によって殺し
スコットランドの王位に就くマクベス

星々よ みずからの輝きを覆え
我が暗い野望の底をのぞきこむな
妻までもが言う
暗い暗い夜よ 地獄の黒煙に身を包め と

マクベスが躊躇していると
足を濡らさずに魚を獲る猫のよう と
マクベスをなじり けしかける妻
妻の奸計が功を奏し ダンカンは暗殺された

悪を始めたからには悪に支えてもらう他は無い
一部始終を知っていた僚友バンクォーまでをも
刺客を雇い
だまし討ちにしたマクベス

だが 魔女が差し向けた幻影に苛むマクベス
我が身の残忍 好色 貪婪 陰険 不実 奸悪
血糊で固まった髪のバンクォーが笑いかける
人々の命が帽子に挿した花より儚いスコットランド

やがて イングランドの精鋭たちが
ダンカンの息子マルカムに味方する
マクベスはひとゆすりすれば落ちる熟れた果実だ
積もった恨みが血煙立つ修羅へと彼を堕とした

思えば 哀れなマクベス
自分もダンカンのように死にたかったのでは
死ななければ 彼の心は
拷問台に係留され絶え間ない惑乱に満ちたままだった


(あらためてシェイクスピアの四大悲劇を読んで気がついたのだが、気がつくのが遅すぎたのだが、シェイクスピアの劇は当時もそうだったのであろうが、現代でも大衆演劇として充分に通用する。)

シェイクスピア 『 リア王 』( 概要 )

2015年04月21日 | Weblog

渦巻く愛情と憎悪 逆巻く忠誠と離反
余はブリテンの国王リア
今では齢を重ね 悲しみに打ちひしがれた
哀れな老いたる孤独な男

家督相続をした愛する長女と次女に裏切られ
なぶり者にされ おめおめと屈辱に耐え忍び
荒野を流浪する身
狂気の沙汰 なさけなや

あまりにも不条理な有為転変
誰がこの世を憎まずにおられよう
神々よ あなた方に背く者どもを暴き出されよ
娘どもよ 苛むがよい

忠臣グロスター曰く
「ありあまる贅沢に溺れ、
欲望をほしいままにする者どもは、
天の命ずるところを蔑ろにし、
人の痛みを感じぬゆえに
人間 何をなすべきかを知ることもない。」

陰謀 欺瞞 反逆
ありとあらゆる破壊がこの世に満ちている
天罰か
娘二人は死者の国へと追放された

果てなき流浪の末 乞食同然のリア
慎ましく気品あふれる末娘コーディリアに遭遇
運命の女神の導きであったろう
二人は黄泉の国へと旅立った

シェイクスピア 『 ハムレット 』 ( 概要 )

2015年04月20日 | Weblog

生か死か それが問題だ
不法な運命を堪え忍ぶべきか
剣をとって苦難に立ち向かうべきか

お互い恋い慕ったオフィーリアにまで
心にもない罵詈雑言を口走るハムレット
狂気か 入水 天国に旅立つオフィーリア

何故こんな運命に翻弄されるのか
偏に叔父と母の奸謀 父王を毒殺 
デンマーク王とその妃になった叔父と母

ハムレットは意を固めた 肝腎なのは覚悟だ
一羽の雀が落ちるのも神の摂理
いつ死ぬべきか 誰にもわかるまい

ハムレットの決意を嗅ぎつけた王と妃
彼を亡き者にせんと謀る
オフィーリアの兄レイアーティーズと決闘させる

切っ先に毒を塗った剣を一本
毒入り酒の杯
正気に戻ったか 母がまず杯をあおぐ

剣を交える二人
ハムレットの油断を見て 傷を負わせるレイアーティーズ
猛然とつかみ合う二人の間で剣が偶然にも入れ替わる

毒刃で深手を負うレイアーティーズ 死ぬ
返す剣で王を刺し 毒杯をあおがせる
余りに卑劣な企みにハムレットは狂した如く

かつて語ったものだった
「人間、まさに自然の傑作、智にすぐれ、
五体、五感の働きは精妙をきわめ、
つりあいの美しさ、動きの敏活、天使の如き直観、
あっぱれ神さながら、あらゆる生物の師、人間。
それがいったい何だというのだ。」

毒がまわったハムレット 最期を遂げる

シェイクスピア 『 オセロウ 』( 概要 )

2015年04月19日 | Weblog

俺は姑息な心の持ち主イアーゴウ
のみならず 奸計の才にかけては誰にもひけをとらぬ
おまけに 出世欲の塊
さてこそ にっくきは わが主で剛胆なオセロウ将軍の幸福
黒い肌の奴めに慎み深く美しき妻デズデモーナ
二人の仲を是が非でも裂いてやる

デズデモーナの愛を余すところなく享けるオセロウ
だが 勇猛果敢で高潔な将軍ならばこそ容易に騙された
御賢慮が何より大切 と言いながら
イアーゴーはオセロウの心に猜疑心を植えつけた
デズデモーナが不義密通をはたらいているのでは と

巧妙この上ないイアーゴウの計り事
オセロウの副官とデズデモーナが
さも密通し合っているかの如くの証拠をでっちあげた
オセロウは妻の誠実を信じたが 同時にその不義を疑った
彼の志操堅固 彼の正気を地の果てに追いやって

デズデモーナを責めるオセロウ
恥を知れ! 地獄に堕ちるがよい!
ああ 神様 お慈悲です! とデズデモーナ
イアーゴウのでっちあげた証拠に心を掻きむしられ
デズデモーナを刃にかけるオセロウ

ついに イアーゴウの奸計が暴かれた
遅きに失した
悲嘆にくれてたオセロウは自刃して果てる 
妻と夫の痛ましい最期
愛することを知らずして愛し過ぎた男 オセロウ

レンゲソウ

2015年04月18日 | Weblog



 近頃はレンゲ畑を見る機会が少ない。かつてレンゲ畑は春を代表する光景だった。近頃は田圃の畦道に申し訳ていどに咲いている。レンゲソウに蓮華草という漢字を当てるのは、花全体の形をハス(蓮)の花の形に見立てたからだそうだ。
 レンゲソウは、枯れない内に土に鋤き込んで肥料にする緑肥として植えられた。マメ科のレンゲソウの根には根粒菌が共生しており、根粒菌は空気中の窒素をあらゆる植物が利用できる形で固定している。そのおかげで土が肥え、植物の生育がよくなるので、水田に肥料としてレンゲソウが植えられるというわけである。
 レンゲソウを緑肥として利用するようになったのは江戸時代中期以降らしい。明治に入ると全国に広がったが、その後、化学肥料の普及によって、この無害の肥料は次々と姿を消していった。だが、近年になって有機農業への関心が高まるにつれて、レンゲソウの美しい絨毯を観光資源にしている地域もあるという。
 僕は生来が田舎者だから、レンゲ畑に郷愁を覚える。僕んちの近くに面積は小さいが、レンゲ畑がある。まだ少し時期が早いが、しばらくしたら、ボーと寝ころびに必ず出かける。

木偏の文字について等々( 再掲 )

2015年04月17日 | Weblog

 木や森について通の稲本正さんの本を読んでいたら、面白い記述に出会った。竹は木か草か?イネ科の草だと考えられてきたが、最近、竹は独立してタケ科になり、竹は竹なんです。
 この本には木についての含蓄のある話が多く載っている。なぜ木偏に「無い」と書いて橅(ブナ)なのか? つまり木だと思っていなかったんですよね。昔は今のプラスチックみたいに、いやそれ以上に沢山あったということです。・・・無いくらいにあった、ブナだらけだったわけです。
 木偏の文字、松、桐、杉、梅、桜、・・・これぐらいは大抵の人は知っていると思うけど、江戸時代の人は五十種類ぐらいは知っていたんじゃないですか。
 木に会うと書いて檜(桧)、何故でしょう?木と木をあわせると火が出ますね。火の木が本来で、今のは当て字なんです。(これ、ホントやろか?疑う訳ではないけど。)
 桐には茎があって、桐は多年草の草なんです。そこで、「木と同じ」つまり桐という当て字にしているんです。
 森は杜ですね。偏は木、つくりは土。だから杜が正しくて、森は当て字なんです。
 この本『森を創る 森と語る』には、普段気がつかない事が一杯書いてあるが、この本の主旨は「人類全体が化石燃料による物質文明を謳歌し、それこそが繁栄の証だと思い込んだ時代は終わった。それに替わる人間的豊かさと自然環境の豊かさを確保するには、何から始めたら良いのだろう」と模索するところにある。
 今世紀は環境の世紀だという謳い文句を実現するには、自然の現状を知ることから始めなければならないということを、この本は伝えたいのだと思う。

本棚

2015年04月16日 | Weblog

本棚の前に立ちました
一冊の本が ポト と落ちました
「お入り」と言うので 
何の衒いも無く
「お世話になっています」と
小さな入り口からお邪魔しました
そこは 未知の世界
かつて訪ねたところも 今はもう
そこは 未知の世界
迷路をとぼとぼと歩いていると
「やあ、君、久しぶり」と
それは 二百五十年前の猫背の人
「あなたが居なければ、
僕も居なかったでしょう」と
ちょっとお世辞を言いました
それから いろいろな絵本が 
シグナルをおくってくれます
僕は 「こんにちは」 を連発します
連発しすぎたのか 「お帰り」と
叱られました 叱られて
銀河系を 眺めていました
そこは本棚の中でした


(こんな駄文、書いていていいのだろうか???)

プラトン 『 ソクラテスの弁明 』

2015年04月14日 | Weblog

紀元前三九九年 七十歳を越えたソクラテスは
無神論者にして且つ青年たちを腐敗せしめたとして
そんな罪科で告発され 死刑を宣告された
彼が従容として刑に服したのは何故にであったのか

告発者の言い分のひとつ
ソクラテスは能弁家で青年たちを欺いたという
虚言に対しては 彼は弁明せざるを得なかった
彼の全く関知しなかったところだったから

確かに彼は青年たちの魂に訴えて
智と真理を引き出そうと機会ある毎に問題を投げかけた
そのために 利己に依る悪しき能弁家(ソフィスト)と同一視された
ソフィストたちは青年たちを教育すると称し 謝礼を要求した
 
彼は智者をもって自らを任じてもよかった
なぜなら 自ら知らぬ事を知っていると思っていない限りにおいて
ソフィストたちより優れているとプラトンたちに思われていたから
というよりも 彼は今もって智の探求者だった

智の探求者であり続けたが故に
人々から真理を得ようと 誰かれとなく問答をしかけた
そのために 人々の理性を混乱させた
「彼は青年たちを腐敗させる者である」というわけである

彼に対する誹謗 猜忌 敵意
これを逃れるには一言 謝罪釈明をすれば済むことだった
だが 彼はしなかった 自らが真理と思うところを貫くためには
死を微塵も念頭においてはならぬ

死を恐れ 智を愛する者としての自己を放棄すれば
彼の言動は奇怪しごくと言うべきであったろう
彼はただ 智と真理の探求と魂を善くする事にのみ心を用いた
処刑後 青年たちが神々から罪人扱いされないためにのみ弁明した

そしてまた 死を恐れるが故に正義に反しないため
反したならば 我が身を滅ぼすに到るという事を
青年たちに熟慮してもらいたいとの希望のもとでの弁明だった
それが徳というものである

かくの如き弁明の後に 死ぬことを
自己保存し生きる事よりも遥かに優れりと彼は心の奥底から考えた
魂を育む事つまり徳を磨く事と真理の探究に殉じたが故に
獄死を意に介さなかった

(悪しき能弁を弄する輩はいつの世にも幾らも居る。しかしソクラテスは居ない。)

井上靖 『 本覚坊遺文 』

2015年04月13日 | Weblog

利休は太閤秀吉の俄なる勘気を蒙り 堺に蟄居の後
天正十九年 聚楽第屋敷の四畳半で自刃した
何故の勘気だったのか
何故に利休は一言も申し開きをせず自刃したのか
勘気の理由は巷間様々に噂されている
大徳寺山門上に利休の木像が置かれたから とか
秀吉の朝鮮出兵に異を唱えたから とか

私 本覚坊は
十年足らずの間 師利休のお側近くで茶の湯を教わり
師の心意気や立ち居振る舞いに親しんだ者でございます
師亡き後およそ三十年
折にふれて師への思いを胸に養い
縁の人々と師のことを語らい
あるいは 夢の中で師に出会い
追懐してまいりました
今もって判らないことは
師が自刃に到ったまことの理由であります

東陽坊様の仰せでは
利休どのの茶は凄かったな 茶に命を張っていた
それだけに烈しかった
烈しかったから 命を全うできなかった
死の原因
結局のところは利休どの御自身が招いたことではなかったか
大徳寺の山門事件 あれは利休どのの知ったことではない
わしが太鼓判を捺す
利休どのは茶室以外のところにお座りにはならぬ

師利休御自身が招いた自刃とは如何なることか
御自分の運命を見透していらしたということか
それはもう お覚悟は常にお持ちであったとは存じます

『山上宗二記』には
宗易(利休)ノ茶ノ湯モハヤ冬木ナリ と記されております
師は冬木のままで死を迎えなかればならなかったのでありましょう
それだけに 何事にも酔わぬ醒めたお心をお持ちでした

古田織部様の仰せでは
侘数寄者中の侘数寄者
もうあのような御仁はあとを断ってしまった
一言も申し開きをされず 茶は自分一代でいい
こうお思いだったのか
自分の茶がこれ以上生きて行けぬことをお見透しだったのか
ただ 何が利休どのをそのようにしたのか それが判らぬ
私 本覚坊も同念でございます
その織部様も 如何なる理由によってか自刃なされました
家康公に一言の申し開きもなされずに
織田有楽様の御見解では
織部どのは罪に服したのではない 利休どのに殉じたのだ

有楽様の仰せでは
何十回 何百回 太閤様は利休どのの茶室に入る度に
死を賜っていたようなものだ
大刀は奪り上げられ 茶をのまされる
まあ その度に殺されている
太閤様も一度は そうした相手に死を賜らせたくもなろう
いづれにせよ 利休どのに肩を並べる茶人は居ない
自分ひとりの道を歩いた 自分ひとりの茶を点てた

有楽様のお言葉で
今までつかえていたものが流れ出したでもしたように
気持ちがすっきりしました

夢を見ました 師曰く
死を賜ったお陰で 侘茶というものが
如何なるものか 初めて判ったような気がしております
永年 侘数寄 侘数寄と言ってまいりましたが
やはりてらいや身振りがございました
私は生涯 そのことに悩んでいました
突然 死が自分にやって来た時
もはや何のてらいも身振りもございません
妙喜庵の二畳の席を造った時の初心を思い出すことができました


(題材の扱い、全体の構想、文体、どれをとっても本書は傑作である。
初版は1981(昭和56)年 講談社)

タンポポ

2015年04月10日 | Weblog

 道端で春の情緒を感じさせてくれるのがタンポポ。あまりに馴染みがあり過ぎて特別に人の気を引くことも少ないかもしれない。
 ものの本によると、このキク科の多年草は北海道から九州までと広範囲に分布。日本には約10種が自生している。これに帰化種のセイヨウタンポポが加わる。こちらの方が繁殖力が旺盛で、在来種にとって替わっている。ことに都市部でその傾向が顕著で、造成地など撹乱された土地でいち早く根付き、舗装道路の隙間からなどにもしっかりと顔を出す。
 漢方では蒲公英(ほこうえい)と呼ばれ、ステロールなどによる抗菌消炎作用がある。また、若葉をゆでたり天ぷらにしたり、生のままサラダにしたり、根を煎じると代用コーヒーなど食用としても知られている。今では、こんなふうに用いることは、まずないだろう。こんなことを知らされると、やってみたくなる。セイヨウタンポポの若葉や根でも効能は同じだろうか。
 花として観賞する人も、今では少ないだろう。僕もそうで、タンポポよりアザミの方が好きだ。アザミはわざわざ採りにいくこともあるが、タンポポを採りにいくことは、まずない。子供の頃、タンポポの茎を短く切って草笛にしたことを思い出した。

「 驚き 」

2015年04月09日 | Weblog

 民芸運動の発起人、柳宗悦の本はかつてよく読んだ。ちょっと読み返してみたら、『 心偈 』という書き物に「驚きを抱く者は幸いである」とある。
 思うに、人間の精神的な成長が年齢とともに老化するか否かは、この「驚き」の心を持ち続けることが出来るか否かにあるのだろう。世間には、立派なもの、美しいもの、鮮やかなもの等が確かに存在する。しかし、それを、立派だ、美しい、鮮やかだと受け止めるのは自分の心であって、その心があるからこそ、その存在を認めることができると言わねばならない。その新鮮な「驚き」の心がなくなれば、それらは単にガラクタにしか見えないだろう。
 ああ素晴らしいと驚く、さすがだと驚く。驚くとは出会った物事に対する肯定的評価であり、宗悦によると、「喜び」なのである。そのような心を持ち続けている限り、心は老いることはない、
 と言って良いだろか、僕にとって。