紀元前三九九年 七十歳を越えたソクラテスは
無神論者にして且つ青年たちを腐敗せしめたとして
そんな罪科で告発され 死刑を宣告された
彼が従容として刑に服したのは何故にであったのか
告発者の言い分のひとつ
ソクラテスは能弁家で青年たちを欺いたという
虚言に対しては 彼は弁明せざるを得なかった
彼の全く関知しなかったところだったから
確かに彼は青年たちの魂に訴えて
智と真理を引き出そうと機会ある毎に問題を投げかけた
そのために 利己に依る悪しき能弁家(ソフィスト)と同一視された
ソフィストたちは青年たちを教育すると称し 謝礼を要求した
彼は智者をもって自らを任じてもよかった
なぜなら 自ら知らぬ事を知っていると思っていない限りにおいて
ソフィストたちより優れているとプラトンたちに思われていたから
というよりも 彼は今もって智の探求者だった
智の探求者であり続けたが故に
人々から真理を得ようと 誰かれとなく問答をしかけた
そのために 人々の理性を混乱させた
「彼は青年たちを腐敗させる者である」というわけである
彼に対する誹謗 猜忌 敵意
これを逃れるには一言 謝罪釈明をすれば済むことだった
だが 彼はしなかった 自らが真理と思うところを貫くためには
死を微塵も念頭においてはならぬ
死を恐れ 智を愛する者としての自己を放棄すれば
彼の言動は奇怪しごくと言うべきであったろう
彼はただ 智と真理の探求と魂を善くする事にのみ心を用いた
処刑後 青年たちが神々から罪人扱いされないためにのみ弁明した
そしてまた 死を恐れるが故に正義に反しないため
反したならば 我が身を滅ぼすに到るという事を
青年たちに熟慮してもらいたいとの希望のもとでの弁明だった
それが徳というものである
かくの如き弁明の後に 死ぬことを
自己保存し生きる事よりも遥かに優れりと彼は心の奥底から考えた
魂を育む事つまり徳を磨く事と真理の探究に殉じたが故に
獄死を意に介さなかった
(悪しき能弁を弄する輩はいつの世にも幾らも居る。しかしソクラテスは居ない。)