自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

こころ

2009年04月30日 | Weblog
 今日は大変珍しい日なんだそうです。昨晩の天気予報によると、今日の日本列島は北から南まですべて晴れのマーク一色。雲のマークも傘のマークも一切なし。
 四月も今日でおしまい。僕は特に四月が苦手です。例年のことながら、理由は分からないのですが春愁に浸っています。萩原朔太郎が北原白秋に捧げた『純情小曲集』に「こころ」という詩がありますが、この詩が含意する愁いほど深刻な心境ではないのですが、近いところがあります。

    こころ

  こころをばなににたとへん
  こころはあぢさゐの花
  ももいろに咲く日あれど
  うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。

  こころはまた夕闇の園生(そのふ)のふきあげ
  音なき音のあゆむひびきに
  こころはひとつによりて悲しめども
  かなしめどもあるかひなしや
  ああこのこころをばなににたとへん。

  こころは二人の旅びと
  されど道づれのたえて物言ふことなければ
  わがこころはいつもかくさびしきなり。

 これほどまで「さびしきなり」とは言えませんが、この詩を読めば、余計に愁いが迫ってくる気がします。どうもこの季節は苦手です。でも、今日はそうとばかりは言っておられません。京都へ行かざるを得ません。

タンポポ

2009年04月29日 | Weblog
 道端で春の情緒を感じさせてくれるのがタンポポ。あまりに馴染みがあり過ぎて特別に人の気を引くことも少ないかもしれない。
 ものの本によると、このキク科の多年草は北海道から九州までと広範囲に分布。日本には約10種が自生している。これに帰化種のセイヨウタンポポが加わる。こちらの方が繁殖力が旺盛で、在来種にとって替わっている。ことに都市部でその傾向が顕著で、造成地など撹乱された土地でいち早く根付き、舗装道路の隙間からなどにもしっかりと顔を出す。
 漢方では蒲公英(ほこうえい)と呼ばれ、ステロールなどによる抗菌消炎作用がある。また、若葉をゆでたり天ぷらにしたり、生のままサラダにしたり、根を煎じると代用コーヒーなど食用としても知られている。今では、こんなふうに用いることは、まずないだろう。こんなことを知らされると、やってみたくなる。セイヨウタンポポの若葉や根でも効能は同じだろうか。
 花として観賞する人も、今では少ないだろう。僕もそうで、タンポポよりアザミの方が好きだ。アザミはわざわざ採りにいくこともあるが、タンポポを採りにいくことは、まずない。子供の頃、タンポポの茎を短く切って草笛にしたことを思い出した。

草花

2009年04月28日 | Weblog
 道端の草が一斉に萌え、花を咲かせている。律儀に去年と同じところにナズナが咲き、ハコベが咲いている。
 山の花、野の花の多くは人の目にふれることが少なく咲き、そして散る。
 「それもよからう草が咲いている」
という山頭火の、定型を破った句がある。名誉利己を望まず、雑草のように野辺に散る、それもよかろう、と自分に言い聞かせているようだ。
 山頭火の句をもう二つ。

  雑草よこだわりなく私もいきている
  生きられるだけは生きよう草萌ゆる

 山頭火のように、生涯、漂白の旅を続けることは、今となっては物理的に不可能だが気持ちは彼の様でありたいと思う。

臓器提供を子どもに認めるか。 ④

2009年04月27日 | Weblog
 〈小児医療の現状〉 6歳未満の小児の「脳死」判定の問題が残る。1986年に策定されたガイドラインでは、6歳未満の小児は除外されていた。例数も少なく、小児の脳は可塑性が強く簡単に判定できないという理由からであった。その後2000年に「小児における脳死判定基準」が公表されている。二回の判定の間隔を6時間(これは現在の通常の「脳死」判定基準の一つである)ではなく24時間おくこと、生後12週未満の乳児は除くことなど、139の症例を基に小児の場合の特殊性を勘案して策定したとされている。しかし、これに対しては現場の医師たちから疑問視され、現在に到るまでまだ決着をみていない。
 その背景として忘れてならないのは、日本の小児救急医療の貧困さである。助かるはずの生命がたらいまわしの末救えなかった事件が最近でも報道されている。小児医療の体制が不充分で医師が足らない現状でどこまで確実に「脳死」判定ができるのか。
 「脳死」と臓器移植について、子どもの移植医療が行われている海外の実態の知った上で、移植医療のあり方を考えなくてはならないと思う。例外的に過渡期の医療として認めるのか、公平で公正な仕組みとして移植医療を定着させるのか、どれだけ費用と時間がかかるのか、報道はどうあるべきか、問題は山積している。子どもからの臓器提供の問題をきっかけに、医療政策を再考する時期にきているのではないか。議論の結果を急いではならない。

(今日はちょっと遠出してきます。)

臓器提供を子どもに認めるか。 ③

2009年04月26日 | Weblog
 〈子どもの意見表明権〉 民法の遺言可能年齢である15歳が妥当であるかどうかも議論になっている。子どもの権利条約には子どもの意見表明権を認めており、15歳未満が意思をもたないと決めつけることはできないはずである。医療の現場で実際に、子どもへの癌告知などを経験している医師たちは、小学校低学年でも或る程度理解できると言う。アメリカでは7歳以上の子どもからは子ども自身の「アセント」(同意、了解)が必要とされている。
 日本の著名な生命倫理学者は、15歳未満の子どもの臓器提供について二つの考えを提案している。一つは、12歳以上15歳未満の場合は「本人の意思表示」と「親権者の事前の承諾」とを条件とし、それ以下の年齢の子どもからは認めないというもの。もう一つは、12歳以上という条件に加えて、6歳以上12歳未満の場合は本人の意思表示が強制ではないこと、また虐待による「脳死」ではないことなどを倫理委員会が確認するという条件をつけて認め、6歳未満は禁止するというものである。
 だが、大人でも「脳死」と臓器移植についての理解が充分でないことが自覚されているとき、はたして子どもがどの程度理解できるか、という疑問が残る。生命の問題を伝えることは簡単ではない。
 ところで、もっと大きい課題は、医療現場で実際に求められていることが、本人の意思表明が不可能であると思われる乳幼児の場合だ、ということである。8歳くらいの子どもは日本で心臓移植を受け得る。心臓の大きさが合えばいいので、例えば20歳前後の小さい身体の人から提供を受けることが可能なのである。問題は、移植でしか助からない5、6歳以下の子どもに道を開くかどうかが問われている。(続く)

臓器提供を子どもに認めるか。 ②

2009年04月25日 | Weblog
 〈「親権者の代諾」は有効か〉 日本移植者協議会の提案では、15歳未満は本人の意思ではなく、遺族つまり親権者の提供の意思で臓器摘出を認めるとしている。この点は問題を含む。日常の医療では親が子どもの代わりに判断して治療が行われているのだから、それに準じて良いという意見がある一方で、通常の医療の場合には本人の利益のために親が判断しているのであって、臓器提供は本人のためではないという意見がある。極端な場合かもしれないが、幼児虐待という現実があるからには、子どもが「脳死」に陥った場合、例えば階段から落ちて頭を打って「脳死」状態に陥ったのか、それとも虐待の結果なのか。虐待が「美談」に変わるおそれがないとも限らない。現場の小児科医たちは「昨今の児童虐待や養育放棄など、親の子どもへの対応の変化を肌で感じて」おり、「必ずしも親が児の最大の保護者や代弁者であり得ない場合が多々あること」を痛感している。子ども本人が臓器提供を望んでいたかどうかを親が代わって判断するというより、親が自分の子どもをどうしたいかということだけで決まってしまうこともあろう。それでよいのだろうか。
 もう一つの問題。子どもの「脳死」に直面した場合に、主治医から「お子さんの臓器提供を考えますか? 移植コーディネーターを呼んでもいいですか? お子さんの身体の一部が生きていることになるのですよ」というような”説得”が行われないという保証はない。このような医療現場で、親が子どもの臓器提供について真摯に考え判断できるであろうか。(続く)

臓器提供を子どもに認めるか。 ①

2009年04月24日 | Weblog
 1997年に脳死臓器移植法が成立して以来、「脳死」患者からの臓器提供が80数例なされた。「間違った」移植医療が行われた場合もある。この間、臓器移植を求めて海外へ渡航する子どものニュースが続いている。臓器移植法のガイドラインで「民法上の遺言可能年齢等を参考として、法の適用に当たっては、15歳以上の者の意思表示を有効なものとして取り扱うこと」となっており、15歳未満の子どもからの臓器摘出は事実上できない。肝臓などは部分移植で可能であるが、心臓移植では子どもに合う小さな心臓の提供が日本国内では認められていないからである。移植を待ち望む子どもたちに何故機会を与えることができないのか。簡単に答えを出せない現状がある。
 〈本人意思の尊重〉 日本の臓器移植法は長い紆余曲折の末、本人の意思を尊重するということで決着し、「脳死」者からの臓器摘出を認めることとなった。限りなく黒に近い灰色と言われながら証拠不十分で不起訴になった1968年の「和田心臓移植」以降、長い議論の後、「脳死」判定基準ができ、脳死臨調の多数派は「脳死」を死として移植を認めるという結論に達したにも拘わらず、背景にある医療不信を拭い去ることができずにいる。しかし、脳死臨調で少数派で慎重派も臓器移植を完全に否定する理由を出し切れず、結局、臓器提供者の意思を生かすということで納得した形となった。したがって、意思を表明できない子どもからは臓器提供ができないことになった。
 本人の意思尊重を厳格に貫いているのはおそらく日本だけで、医療における自己決定を重視している米国でさえ、家族の同意のみでも臓器提供が行われているのが現状である。ヨーロッパの一部では、本人が事前に拒否していない限り臓器移植を行えるという考えをとっている。
 日本で移植を受けられない子どもが海外に出かけて臓器の提供を待つという現状には以上のような背景がある。こうした現状を放置して良いのか否かという論議がなされている。(続く)

庶民の味・鯵

2009年04月23日 | Weblog
 僕のような庶民にとっての庶民の味の一つが鯵。鯵は春から秋が旬。身の両側に「ぜいご」と呼ばれる固いウロコがあるので、これを取り除けば、如何様にも料理できる。
 鯵は普通は「真アジ」を指すが、その種類は多く、ムロアジ、シマアジなど、日本近海に約50種類が棲息しているそうだ。
 良質のタンパク質が豊富に含まれており、ビタミンB群やミネラルも富んでいる。脂肪にはDHA(ドコサヘキサエン酸)、FPA(エイコサペンタエン酸)などの不飽和酸が多く、血液をサラサラにして血中の中性脂肪やコレステロールを下げてくれる。加えて、動脈硬化や心臓病、高血圧など生活習慣病の予防も期待できる。
 僕が一番好きなのは、一夜干しの「ヒラキ」なのだが、これは僕んちの土地柄なかなか入手できない。鯵の「タタキ」も旨いが、これも同様、なかなか手が届かない。小鯵の南蛮漬けは骨ごと食べられカルシュームも摂れるので便利な食品だが、これは僕はあまり好きではない。仕方がないので、何夜干しか分からない、もしかしたら人為的に干した「ヒラキ」を食することが多い。
 回転寿司で出てくる寿司ダネの鯵は外国産だろう。それでも、僕は鮪などより鯵をすばやく取る。庶民の味、鯵ではあるが、新鮮な近海の鯵は庶民にとっては高嶺の花になってしまった。僕としては極めて残念なことではある。

(今日はちょっと遠出してきます。)

オオカミ

2009年04月22日 | Weblog
 最近、ジャック・ロンドンの『白い牙』を読み始めました。読み終えて気が向いたら「読後余滴」(近着情報)に記します。ところで、日本オオカミが姿を消したのは何故だったのか。
 芭蕉が旅をしていた頃、オオカミは熊とともに山野に生きる猛獣として恐れられていた。その前はどうかと言うと、古来、オオカミ(山犬)は人語を解して善人を守り悪人を害する聖獣と信じられたり、山の神の使いとして「御犬様」の名で信仰の対象ともなった。邪気、火盗の難を除くとされた。また農民や狩人にとって、オオカミは田畑を荒らす猪や鹿を追い払ってくれる益獣という考えも多くの地方にあったらしい。
 ところが、近世になり、田畑の開墾が進み、山野が切り開かれるとオオカミの生活圏が狭まり、餌となる野生動物の数も減ったため、人や家畜を襲う害獣として考えられ始めた。この考えは江戸中期以降らしい。
 人は自然の中で生きるために、他の動物を狩り、木や岩を利用して棲み処を作り、自然の厳しさと恵みの両方を受け入れてきた。恵みを受け取ると同時に、一度迷い込んだら出てこられない場所として森や山野を畏怖した。その象徴が御犬様であり、オオカミだった。森や山野に対する恐れが無くなり、単に利用するものと考える近代が始まったとき、約100年前にオオカミが姿を消したのは必然のように思う。
 今さら言っても仕方がないことではあるが、オオカミが消えるような自然環境を作ってきた人為は、それはそれで良かったのであろうか。

春はどうもいけませぬ。

2009年04月21日 | Weblog
(今朝からこのブログサイトの総元締め goo がメンテを行っていたため投稿が遅くなりました。)
 
 今日は小雨でまだしもという感じなんですが、昨日までは夏日が続き暑いこと暑いこと。暑くても四月。春の暑さです。この季節、僕はどうもいけませぬ。例年のことながら気分が滅入ります。滅入った気分で思い出したのが、太宰の『斜陽』に出てくる問いかけでした。僕には未だに充分な答えが出せません。

 「姉さん。
  だめだ。さきに行くよ。
 僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。 生きていたい人だけは、生きるがよい。
 人間には生きる権利があると同様に、死ぬる権利もあるはずです。
 僕のこんな考え方は、少しも新しいものでも何でもなく、こんな当たり前の、それこそプリミチヴな事を、ひとはへんにこわがって、あからさまに口に出して言わないだけなんです。・・・」

 本欄をご覧の方々、ご意見をお寄せ願いませんか。呆さん、如何ですか?編輯狂さんは近頃どうしているのかな?

カツオ

2009年04月20日 | Weblog
 僕は小学校低学年の頃、山里から4キロほど歩いて通学した。弁当のオカズで覚えているのはカツオの削り節である。醤油でまぶされた削り節が白飯の上に敷き詰められていた。削り節丼のようなものである。簡単この上ない弁当であるが、醤油が染み込んだ飯が美味かった。
 昨年は今頃、カツオのタタキが食卓に出たと記憶しているが、今年は未だ。たぶん女房の頭の中にタタキが登ってこないのだろう。女房も母親の世話で大変だ。僕としては早く初ガツオにありつきたいのだが。イワシを追って太平洋を北上する初ガツオ。
 カツオは、良質のタンパク質とカルシウム、鉄分に富み、頭のはたらきをよくするDHA、血液をさらさらにするFPA、コレステロールを下げるタウリンが多く含まれる。(こういうことをもっと早く知っていれば、カツオをもっと食べていたのに、と思っても後の祭りなんだけれど。)ビタミンは、B群のB1(疲労や精神のイライラを緩和する)、B2、B12(悪性貧血を防止する)が多い。また、カルシウムの吸収を助け、骨を強くするビタミンDも多い。特に生で食べるのが効果的である。
 人生の黄昏時に居る今からでは遅いが、今年は、できれば来年も、カツオを謝食することにしよう。

スルメイカ

2009年04月19日 | Weblog
 思い起こせば、おやつで最も多く食べたのはスルメかもしれない。火鉢で焼いたスルメの香ばしさが懐かしい。イカ飯なども好物である。日本人ほどイカを食する国民は他にないとも思われる。
 マイカとも呼ばれるスルメイカは、一年中日本近海にいて、いつでも漁獲されているように思われるが、実は一年をかけて日本列島を南北に往復しながら一生を終えるというライフサイクルをもっているそうだ。ものの本によると、西日本ではサクラが咲く頃に獲れるので「花イカ」、伊豆半島付近で漁獲されるものは「麦イカ」、三陸では「夏イカ」と、季節によって呼び名が変わって北上し、秋には「戻りイカ」となって再び南下する。
 日本で最も普通に食べられているイカだが、種名に「するめ」と付けられているほどには、スルメイカのするめは珍重されていない。ケンサキイカのするめを「一番するめ」というのに対して、スルメイカのするめは「二番するめ」と言われ、二番手扱いされているそうだ。しかし、昔から各地の地場産業を支えてきた産品なので、松前するめ、南部するめ、佐渡するめなど、産地名を冠して呼ばれるものも多いそうだ。
 日本を代表する魚、いわば国魚としてアユが挙げられるが、日本を代表するイカならスルメイカだろう。アユもスルメイカも寿命が一年。どうも日本を代表する生き物は、サクラもしかり、ぱっと散る短命のものが多いようだ。これは、好奇心は旺盛だが飽き易いという日本人の性格の反映なのか、それとも潔癖性を示しているのか、判断に苦しむ。いや、余計なことを記してしまった。

地雷廃絶を訴える地雷の被害者

2009年04月18日 | Weblog
(朝刊より)
 マーガレット・オレチさん(52歳)
 右足をひざ下から失ったのは、11年前のクリスマスの3日前だった。子供たちと祝うため、東アフリカ・ウガンダの首都カンパラへ、郊外の仕事先からミニバスで帰るところだった。突如、地雷が爆発、ゲリラが襲ってきた。目をかたく閉じて死んだふりをした。腕時計と血の付いたジーンズをはぎ取られた。
 「何もかも失った。誰も助けてくれなかった。希望はなかった」。2カ月入院した後に松葉づえで帰ると、家賃の滞納で子供たちは家から追い出されていた。友人は「不運が伝染する」と言って離れていった。仕事もできない。義足というものの存在も知らなかった。7、8カ月はショック状態でふさぎ込むばかりだった。
 英語を話せることから、被害者として国際会議で証言するよう頼まれ、支援団体と知り合った。病院を訪ね、孤立している被害者を支える側に回った。現在は、97年にノーベル平和賞を受賞した地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)の大使や、ウガンダで地雷被害者の団体の代表を務めている。「障害を持って生きることで、思いやりや忍耐、許しを覚えた。でも、地雷に対する怒りだけは決して収まりません」。
 NPO「難民を助ける会」の招きで3月、対人地雷禁止条約の発効から10周年の記念行事に合わせて来日。京都や長野で経験を語った。「大勢の子供たちが真剣に聞いてくれて、希望が広がった」。

(科学技術には必ずプラス面とマイナス面がある。地雷は、そのマイナス面の最たるものの一つだろう。地雷を作らせている輩や武器商人が歪んだ笑いを浮かべている。)

レンゲソウ

2009年04月16日 | Weblog
 近頃はレンゲ畑を見る機会が少ない。かつて、レンゲ畑は春を代表する光景だった。レンゲソウに蓮華草という漢字を当てるのは、花全体の形をハス(蓮)の花の形に見立てたからだそうだ。
 レンゲソウは、枯れない内に土に鋤き込んで肥料にする緑肥として植えられた。マメ科のレンゲソウの根には根粒菌が共生しており、根粒菌は空気中の窒素をあらゆる植物が利用できる形で固定している。そのおかげで土が肥え、植物の生育がよくなるので、水田に肥料としてレンゲソウが植えられるという訳である。
 レンゲソウを緑肥として利用するようになったのは江戸時代中期以降らしい。明治に入ると全国に広がったが、その後、化学肥料の普及によって、この無害の肥料は次々と姿を消していった。だが、近年になって有機農業への関心が高まるにつれて、レンゲソウの美しい絨毯を観光資源にしている地域もあるという。
 僕は生来が田舎者だから、レンゲ畑に郷愁を覚える。僕んちの近くに面積は小さいが、レンゲ畑がある。まだ少し時期が早いが、しばらくしたら、ボーと寝ころびに必ず出かける。

(今日はちょっと遠出して来ます。)

2009年04月15日 | Weblog
 僕は桜の花がそれ程好きではない。正確に言うと桜並木や桜山など、桜の花が大きな群れをなして咲いている光景を僕はあまり好きではない。何か圧倒される気分になってしまう。しかし、ぽつんと一、二本咲いている桜は好きだ。なぜかと問われても理由をきちんと明らかにすることは出来ない。
 一般に人は桜をなぜこれ程まで愛でるのであろうか?この問いにも明確に応えることが出来ないであろう。事実でもって応える他はないだろう。桜の花の移ろいは様々に表現されてきた。
 つぼみの頃の「待つ花」に始まって、「初花」、「盛りの花」、「花明かり」、「花おぼろ」、「花の雲」、「花の幕」、「朝桜」、夜桜」、「桜月夜」、そして「花散る」、「花吹雪」、「落花」、流れに浮かぶ花は「花いかだ」、「名残の花」があって、ゆく春を告げる「遅桜」、「葉桜」。
 或る花の移ろいを、これほどまでに克明な表現で染め上げた例は他にはないのではないだろうか。多くの人が桜を心おきなく愛でる理由は、このような詳細な言の葉で表現されているところから自ずと理解できる。桜を愛でる人の心情には融通無碍の柔軟さがあるように思われる。よくは分からないが、或る花に寄せるこれ程までの融通無碍の柔軟な心情は日本人に特有のものかも知れない。こういう心情はいつまでも残って欲しいと思う。