自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

犬の慢性痛兆候

2009年11月30日 | Weblog
(朝刊より)
 犬や猫の痛みを和らげることをめざす獣医師らが、犬の関節炎などの慢性痛を日常のしぐさから見抜く12項目の基準をまとめた。慢性痛の治療の第一歩は飼い主が気づくこと。当てはまる項目があれば、あなたの犬も痛がっているかも。こんなしぐさに要注意(抜粋)。
 ・散歩に行きたがらない。行ってもゆっくり歩く。
 ・階段や段差の上がり下りを嫌がる。
 ・家の内外であまり動かない。
 ・立ち上がるのがつらそう。
 ・食欲がなくなったと感じる。
 ・寝起き直後に動きたがらない。 
 ・尾を下げていることが多くなった。
 ・寝ている時間が長く(短く)なった。
急な痛みと比べ、関節などの慢性的な痛みは動作では分りにくい。普段から犬の様子を見ている飼い主が気づかなければ、動物病院に連れて行くのが遅れて病状が悪化する恐れもある。
 
(愛犬家諸氏が本当に愛犬家であるならば、飼い犬の様子に普段から注意されているはずである。犬でなくても猫にも上の項目は当てはまる。一応人間をやっている僕にも当てはまる項目が幾つかある。)

蜜柑

2009年11月29日 | Weblog
 冬の果物の主役は蜜柑。鮮やかな蜜柑色を目にすると、冬の到来を感じさせるとともに、師走さらには年の瀬を迎える気持ちも重なる。そわそわした気分の時に、食卓に盛られた蜜柑は団欒を誘う。
 蜜柑の消費量は果物全体の第一位。産地は、昭和初期までは和歌山が第一位だったが、その後、静岡、さらに愛媛、近年では九州七県で全生産量の半分近くを占めているそうだ。品種ではウンシュウミカンが圧倒的に多い。ウンシュウミカンもそうだが、近頃の蜜柑には殆ど種がない。種なし蜜柑が一般に出回るようになったのは明治以降だそうだ。江戸の家父長制のもとでは、種なしは子孫が途絶えるということで嫌われたらしい。

  夜行過ぎ蜜柑山また里に帰す  堀井春一郎(1927-1976)

 夜行列車が夜の静寂を破って、蜜柑山の麓を走り抜けて行く。走り過ぎてしまえば、何もなかったように、またもとの静寂が戻る。この句意に特段の問題はないようだが、「また里に帰す」には作者の感慨が込められているように思う。何か期待感のようなものとともにやって来た夜行列車。しかし何事も起こらず、列車は過ぎてしまう。期待感が崩れた寂しさと、里はやはり里であるとの安堵感を表しているように思われる。
 もの心ついた僕が小学2年生まで過ごした山里も、遠くに汽車が過ぎ行く故里である。夏蜜柑はあったが、冬蜜柑があったかどうかは記憶にない。さて、日曜日の朝、一息、蜜柑を食するとするか。

存在の意義 ④

2009年11月28日 | Weblog
A: しかし、『人間の土地』の作者の考えの筋道には、現在の私たちの心の渇きを救う水路がある。

「ある一つの職業の偉大さは、もしかすると、まず第一に、それが人と人を親和させる点にあるのかもしれない。真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ」。「人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ」。

真の贅沢」とは「人間関係の贅沢だ」。こんな台詞を心の底から告げることのできる人が、現在居るであろうか。居るとしても極めて少数派だろう。この台詞を咀噛すればするほど、体の中を冷たい風が吹き抜ける感がする。人間関係の真の贅沢とは、「僚友が勝ち得た勝利を誇りとすること」である。そこに、真に贅沢な友情が生まれる。ところが現実にはどうであろうか。「友情とは…利害関係に手心を加え合うだけのことだ」(ラ・ロシュフコー)との反語的表現を意識していようと、いまいと、そのまま字義通りに受容しているかのような人々の何と多いことか。私たち人間は、真に贅沢な友情を確保する努力をしなければならないと思う。これは至上命令であるように思われる。
D: 確保する努力をしなければ、人間関係はますます脆弱なものとなるのでしょうね。脆弱なものになればなるほど、他者の存在への礼節を忘れ、ひいては人間の立脚するこの大地を巡る争いが生じることとなるのでしょうね。
A: しかし、むしろ逆の言い方が適切であるように思われる。人間の立脚するこの大地を巡る争い事が「らちもない富豪」や「絶望に導くだけ」のイデオロギーやによって生じ、かくして、他者の存在への礼節が欠けることとなるだろう。そうならないためには、是非とも「真の贅沢」を確保する努力をしなければならない。
D: サン=テグジュペリは次のようないかにも彼らしい逸話を記しています。

「ぼくは人間のまことの死の一つを思い出す。それは一園丁の死であった。彼はぼくに言った〈旦那、…土地を掘るのが苦労だったことがござんした。リューマチで足が痛かったりすると、わしもこの奴隷仕事を呪いましたよ。ところがどうでしょう、このごろでは、わしは土地を掘っていると、気が楽でさあ! 土を掘って掘ってほりぬきたいほどですわい。土を掘るということがわしにはいい気持ちなんでさあ!土を掘っていると、気が楽でさあ! それにわしがしなかったら、誰がわしの樹木の手入れをしてくれましょう?〉彼が自分がしなかったら、一枚の畑が荒蕪地(friche)になるように思えるのだ。彼は自分が耕さなかったら、地球全体が荒蕪地になるように思えるのだ。彼は愛によって、あらゆる土地に、地上のあらゆる樹木に、つながれていた」。

土を掘るということがいい気持ちで、「自分が耕さなかったら、地球全体が荒蕪地になるように思える」、そのような人こそ、地球の住民と言えると思います。彼は決して地球の存在への礼節を忘れはしません。
A: 地球の存在への礼節を忘れない彼のように、人間関係を耕し、人の心を耕すことができれば、争い事は生じるはずもなく、「真の贅沢」を確保できるだろう。たとえれば、五月の風が雲を耕し、雨という恵みを大地に贈ってくれるとき、人々はその恵みによって、大地と真に贅沢な友情を結ぶことができ、その友情を介して真に贅沢な人間関係も成立するだろう。ところが、現在、大地の、人間による大規模な荒蕪地化、砂漠化が進行中である。そこで次のように言わねばならない。

「ただ、人間のためには、園丁がいない」。 

人間のための園丁がいなければ、人間は「荒蕪地」と化す。そのとき、「傷つく者は、個人ではなく、人類とでもいうような、何者かだ」。世紀が変わり新しい千年期に入った今、もう既に傷ついている「荒蕪地」をもう一度耕す者は居ないのだろうか。居ることを願う他はない。居るとしたら、どんな人だろうか。

「たとえ、どんなに小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる。そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから」。

このように言われはしても、「どんなに小さかろうと、」私たちは「自分たちの役割を認識」できているだろうか。認識できていないからこそ、「人類とでもいうような、何者か」が、「荒蕪地」に棲まざるを得ないのではないだろうか。ここで、「荒蕪地(friche)」とは、この語の意味からして言うまでもなく、人間に宿る刺々しい心を言い換えた表現であると解釈することもできよう。そのような現在において、    

「ぼくらの郷愁ははたして何であろうか?」

という問いが、その答えを求めて、地球という大地の存在へと、名も知らぬ動植物の存在へと、そして人生へと、時代を越えていつもながら発せられる。存在の意義を、存在への礼節を絶えず希求しなければならない。「ぼくらの郷愁」は、地球という大地の存在や、その他、恵みを贈ってくれるすべてのものの存在に向かう他はないのだから。そのように向かうことによってのみ、「生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与える」と言えよう。何故なら、贈られる恵みが生命にも死にも一行の回顧録ないし懺悔録を記すのであるから。
D: しかし、願わくば、新しい世紀に、新しい生命に、新しい死に、実り豊かで静謐な「郷愁」が訪れることを! そう願うことが「人類とでもいうような、何者か」の自制心に課せられた責務であると思います。願うからには、その願いは行為へと向けられなければなりません。荒蕪地を耕さなければなりません。
A: そう、その通りだ。今日は久しぶりに気分が安堵する会話ができた。感謝するよ。(了)      

存在の意義 ③

2009年11月27日 | Weblog
A: 地球上の何らかの危機に直面した人は、その危機を回避しようとするでしょう。しかし、回避しようとして、当てもなく逃げ回る人は、もし仮に逃げ通せても、大地の存在の意義を軽視した人間であり、大地の存在への礼節を忘れた人間である。最近、故障した宇宙ロケットの一部がプルトニウムを積んだまま海洋に落ち、それを回収処理する責任感覚をもたないという危機が生じた。あるいは錆びついた生物化学爆弾や地雷やの処理に困惑しているという深刻な状況が現にある。その他、礼節を意図的に欠いた諸々の行為が地球上で繰り返されている。こういった事態はすべて人間の欲望、征服欲のなせるところだ。地球を汚すものの内には、結果として意図的であると判明したもの、もしくは当初から意図的であるものがある。いわゆるイデオロギーの対立に基づき、兵器を用いた戦乱状態が意図的な地球環境汚染だ。火を使うことを覚えた人々は、火を兵器として用い互いに殺戮し合うのみならず、大規模な自然破壊をひきおこした。原子エネルギーを用いた核実験はその最たるものである。そこには地球への礼節は微塵もない。その根のひとつは、元をただせば一定のいわゆるイデオロギーに加担することにあった。一九三九年に刊行された『人間の土地』で作者は言う。一九三九年という年に留意して欲しい。

「イデオロギーを論じあってみたところで、何になるのだろう。すべては立証しうるかもしれないが、またすべては反証されるのだ。しかもこの種の論争は、人間の幸福を絶望に導くだけだ」。

かつて多くの人々の心の内に絶望だけが残った時代があった。私はあのような時代を忘れはしない。地球への礼節をイデオロギーに基づいて欠如させた時代を。礼節へ反乱した時代を。
D: 作者が言っています。                        

「なぜ憎しみあうのか?ぼくらは同じ地球によって運ばれる連帯責任者だ、同じ船の乗組員だ。新しい総合を生み出すために、各種の文化が対立することはいいことかもしれないが、これがおたがいに憎しみあうにいたっては言語道断だ」。   

言語道断だとしか言いようのない、諸文化間の対立・憎悪が二十一世紀に持ち越されたのでしょうか。対立・憎悪している限り、その文化は生命への礼節を、そして生命の宿る地球の存在への礼節を無視した文化であり、もはや文化の名に値しないと思います。
A: 地球の存在への礼節を忘れることのない文化とは、どのような特徴を担った文化であろうか。

「ぼくらは、食料さえあれば満足する家畜ではない、またぼくらにとっては一人の貧しいパスカルの出現が、らちもない富豪の出現などより価値がある」。    

この文の意味するところを熟慮しなければならない。「食料さえあれば満足する」人間であれば、地球を汚すことはないかもしれない。食料の足らないところへは、食料の余ったところから食料を分ければよい。しかし「らちもない富豪」の欲が欲を呼び、食料を分けるどころか、独り占めしようとする戦いが生じる。そこには文化のかけらもなく、地球を汚すに至るだけのことであろう。そのことを警告されても聴く耳をもたない、そういう文化なのであろう。それをしも文化と言うのであれば。    
D:「一人の貧しいパスカルの出現」はありそうにないと作者は言っています。パスカルという人は繊細な感情と冷静な思考を併せ持った人だったと聞いています。そういう人がもし仮に出現したとしても、それはそれで価値のあることでしょうが、現在の現実世界に影響力のある価値を産まないのではないかと思います。何故なら、人々の地球への思いが根本的に変化しているからです。例えば、電力を何故に必要以上に消費するのでしょうか。その消費によって。地球の存在はどれほど痛めつけられていることでしょうか。それだけではありません。例えば、三〇〇年前の弦楽器の音色を現在の樹木で再現した弦楽器で再生することはできないそうです。何故なら、樹木の細胞が水や空気の汚れによって変化を余儀なくされ、弦楽器の材料としては、三〇〇年前と比べると不向きになっているそうですから。僕たち人間についても同様のことが言えると思います。程度の差こそあれ、悪癖が日常茶飯事になっているのですから。人間の心のいわば細胞も四方八方から汚染され、地球の存在の下での生活が不向きとなったように感じ、だからこそ、地球の存在への礼節を、開発という名の下に、心の外に置き忘れてきたのでしょう。(続く)

存在の意義 ②

2009年11月26日 | Weblog
A: 私たちは危機に鈍感であるように思われる。与えられた職務を平々凡々とこなすだけの人間が、あるいは名誉欲にかられて他人の心を配慮せず、明日の予定を当てにする日々をおくっているだけの人間が、いわゆる文明を享受している社会では余りにも多いのではないだろうか。しかし現実には多方面で危機がついそこまで迫って来ており、もう手遅れという状態にあるとも思われる危機がこの大地を眸睨している。地球の存在意義の重さを、何よりもまず謙虚に思慕せざるを得ないのではないだろうか。謙虚に思うということは、地球への礼節と言い換えてよい。  

「難航のあとの、世界のあの新しい姿、木々も、花々も、女たちも、微笑みも、すべて、夜明け方ようやく色づいているではないか。この些細なものの合奏がぼくらの苦労に報いてくれるのだが、しかもそれは黄金のよく購うところではない」。

地球の存在の意義を金で買うことはできない。これは至極当然のことである。にもかかわらず、強者は弱者の土地を金や兵器で奪い、地球という大地の意義を台無しにしてきたし、今後もしようとしている。これは憂うべき最悪の事態のひとつだと思う。国際会議などで「憂うべき事態だ」と言いながらも、人間は地球の存在への気配りをおろそかにしていると言えよう。火を自在に使うことを覚えた人間は、火器による人間同士の戦いに明け暮れるのみならず、それどころか、他の動植物の命を断ち、地球の存亡をも手中に収めた感がある。例えば、人類史上最初の水爆実験(一九五四年)を「ブラボー」と名づけたことに、危機に対する鈍感さの、その象徴的な意味がある。それは時代のなせるところだと言うのであれば、その次の時代に背を向け、未来を無視していたと言わざるを得ない。「ブラボー」の時代から地球に対する人間の心の何が変わったというのであろうか…ちょっと私の心が昂ぶってしまったね。  
D: サン=テグジュペリが言ったように、「大地が人間に抵抗する」。その大地である地球が、人間に対してのみならず全生物に対してますます抵抗するよう仕向けたのは、人間をおいて他にはありません。しかし、だからと言って、僕たち人間は「万巻の書」より大地から何かを教わったと言えるのでしょうか。農作のような一部貴重な試行錯誤の繰り返しから人間だけに役立つ事柄を学んだ以外に、何を教わったと言えるのでしょうか。何らかの危機に直面した人は、その危機を回避しようとする気持ち、ないし欲求をもつのは当然です。しかし、その気持ち、ないし欲求をダイレクトに発揮し、それを行動に移してきたのが、地球にとって、また全生物にとって不幸の原因であったのだと思います。行動に先立って僕たちはどのような態度をとればよいのでしょうか。
A: 作者の見解はこうだ。                        

「ギヨメ君、きみは自分の敵に挑みかかるにあたって、いきなりまず相手を嘲笑したりする必要を感じる男ではない。性質(たち)の悪い暴風雨に直面した場合、きみは判断する。〈これは性質の悪い暴風雨だ〉と。きみはそれを正面から受けて立ち上がり、きみはそれを測る」。

現在、「嘲笑したりする」ことが地球の存在に向けられている。例えば、産業廃棄物の不法投棄、有毒廃棄ガスの撒き散らし等々、これらは地球の存在を嘲笑しているに等しい。このような場合には、地球の存在への礼節の欠如を伴った「判断する」という営みが作用しているのだ。したがって、危機を「測る」という営みも当然なされない。
D: 「測る」という言葉に含意されている事柄を考えなければならないと思います。暴風雨の場合は、計測計で測り、次の行動にはいることができます。しかし、測り、次の行動に入るには慎重さが求められます。この慎重さは、暴風雨に対する恐怖、畏敬、礼節の表れであり、ひいては地球への礼節の表れであると思います。礼節を欠き、慎重さを欠けば、飛行士の生命が危機に瀕するのみならず、地球を汚すことにもなるのです。そのようにして地球を汚すものが、数えるまでもなく如何に多いことかと最近思います。(続く)    

存在の意義 ①

2009年11月25日 | Weblog
(以下は10年ほど前に書いたもので、以前の徒然想に記したこともある。手直ししないままで少し長くなります。御容赦願います。)

   ▲サン=テグジュペリ『人間の土地』を読んで▲
  
               「ぼくらの郷愁ははたして何であろうか」

                 (A=五十歳代半ばの男 D=高校生)

A: サン=テグジュペリという二〇〇〇年に生誕一〇〇年を迎えたフランスの作家を知っている?
D: あの『星の王子様』の…。
A: そう。この作家を私は前から好きなんだけれど、今度また『人間の土地』を読んでみた。「定期航空」、「僚友」、「飛行機」、「飛行機と地球」、「オアシス」、「砂漠にて」、「砂漠の真ん中にて」、「人間」という短い八編から成るこの小説は、人間の責任感覚の重さを爽やかに、時には重厚に描き出している。この小説について君と話をしたいから、明日か明後日までに読んできてくれる? 
D: 思い出しましたが、宮崎アニメの『風の谷のナウシカ』などで描かれている飛行機はサン=テグジュペリが乗っていた飛行機をモデルにしているみたいですね。宮崎さんはサン=テグジュペリのファンだそうです。余談ですが。
      (二日後)

D: 短いですけれど、中身がぎっしり詰まったスケールの大きい小説ですね。まず次の、僚友ギヨメについての作者の思いに心を打たれました。

「彼の偉大さは、自分に責任を感じるところにある。自分に対する、郵便物に対する、待っている僚友たちに対する責任、彼はその手中に彼らの歓喜も、彼らの悲嘆も握っていた。…彼の職務の範囲内で、彼は多少とも人類の運命に責任があった」。

A: なるほど、着眼点がいいね。同感するよ。ギヨメについて回顧したサン=テグジュペリもまた、『夜間飛行』など、人間と大地を見つめた作品を残した後、一九四四年フランス解放戦線に従軍中、地中海で消息を絶った。人間の偉大さは、彼がどれ程の責任感覚を抱くかにかかっている。いかにささやかな職務であっても、その職務に責任感覚をもつ人であってこそ、その人は偉大である。このような意味での人間に巡り合うことは今日稀なんじゃないかなあ。その職務の範囲内でいい加減に責任感覚に浸り、批判を言い逃れるだけの人間は、偉大な人間とは決して言えない。このようなことを『人間の土地』はあらためて気づかせてくれる。
D: 責任感覚の希薄さが広まっているように、高校生の僕からみても思われます。例えば、授業中での私語はごく普通ですが、私語を止めようともしません。止めさせようとする先生も少ないように思います。授業に対する責任放棄と言えば言いすぎかもしれませんが。
A: 高校生も大変なんだ。それは大人社会の大人一人ひとりの責任であると私はつくづく思う。人間の責任感覚を問い、責任感覚を賛美するこの小説のもう一つの側面は、存在の意義についての洞察にある。どんな存在に責任感を抱くのか。これが、この書の総合的な主題だと思う。冒頭、                 

「ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える。理由は、大地が人間に抵抗するが故だ」

と言った勇敢な飛行士にして詩人の如き作者にとって、地球という大地の存在は掛け替えの無い意義をもっていた。危機に巻き込まれた飛行士は地球の一角を憧れる。    

「…ぼくらにとっては、生命の歓喜が、この香り高くて熱いひと口、この牛乳とコーヒーと小麦粉の混合物に、集中されているのであった。それを通じて人は、平和な牧場とも、異国風な耕地とも、収穫とも合体し、それを通じて人は、全地球とも合体するのであった。あれほど多くの星の中で、早朝の食事のこの香り高いひと椀を、ぼくらのために用意してくれる星は、ただ一つしか存在しない」。  

こんなにも美しく慎み深い文に出会うことはめったにない。ここで使われている「存在しない」という語の意義はこの上なく重い。何故なら、広大無辺の宇宙の中で人間に安らぎを与えてくれるのは、ただ地球のみであり、その「ただ一つの地球しか存在しない」のだから。     
D: 地球という大地の存在、その重み、それを実感できる人間の心の内を、今、私たちは推し量れるのでしょうか。「地球と合体」するということの意味を理解できるのでしょうか。幾多の危機に直面した人間だけが実感できるのでしょうか。(続く)

耐寒(凍)温度

2009年11月24日 | Weblog
 このところ寒く冷たい。が、まだ序の口だろう。僕は寒いのは苦手だが暑いよりましだ。本格的な冬が来て気温がぐうんと下がると、あらゆる生物は寒さ・冷たさに耐えようとする。人間様は電気・ガス・石油など人工的なエネルギーを無造作に使って冬を過ごすが、他の生物は自らが持って生まれた能力で冬を越す。多年性の植物はどうやって寒さに耐えるのだろかと気になって、ものの本で調べてみた。
 植物でも熱帯と寒帯のものでは耐寒性が異なることは言うまでもない。極寒地に自生する植物は耐凍能力を備えている。これは体の大部分が凍っても耐えられる能力のことである。細胞まで凍ると死ぬから、細胞内の水分はその外に出されて凍る。これを細胞外凍結という。
 この耐凍能力にたけている植物で馴染み深いのはシラカバだろう。シラカバは、何と零下70度でも細胞を凍らせることなく生き続けるそうだ。シラカバは岐阜県以東、北海道からシベリアまで自生する。あの白くすらりとした優しい印象からは窺い知れない強靭な生命力をもっている。因みに、杉は零下20度、ブナでも零下30度が耐凍温度だそうだ。
 植物は外気が冷え込むと、夏の細胞から冬の細胞へと、細胞内から水分を抜き、糖類、タンパク質、脂肪を蓄える。
 人間様以外の生物は自家製の耐寒能力を備えている。ぐうんと昔の人間も自家製の耐寒能力を備えていたのであろうが、火を自在に使えるようになってからの人間様は自然界の化石燃料への依存度を増し自然界を疲弊させる暮らしをするようになった。これを文明と言うヒトが多く居る。おじいさんは山へ柴刈に・・・の時代はぐうんと昔のこととなった。

おでん考 (再掲)

2009年11月23日 | Weblog
 おでんが美味しい季節の到来。或る食品メーカーによると、昨年食べた鍋料理のトップは「おでん」。99年にすき焼きを抜いて以来、連続でトップ。年代別でも、20代~50代のすべてで一位。おでんは、国民食という感すらある。
 おでんという言葉のルーツは田植えの際に五穀豊穣を祈り奉納した舞い(田楽舞)にあるそうだ。竹馬に似た一本の高足(鷺足)に法師が乗り踊ったとされる舞いである。その舞いに因んで、鷺足を串に、法師を豆腐、田を味噌になぞらえたことから、「豆腐田楽」が生まれたのは、足利時代末期のことらしい。その後、長く田楽と言えば、豆腐、辛し味噌と決まっていたが、江戸の中期ごろ、コンニャクや里芋が具に加わる。当初は豆腐田楽と同様に、焼いた石でコンニャクの水を飛ばし、味噌を塗っていたようだが、その後、竹串に具を刺して鍋で茹でてから味噌をかける「煮込み田楽」が考案された。幕末頃、醤油や砂糖で煮付ける、現在のおでんのスタイルへと変化していったのだそうだ。因みに、おでんには「御田」の字を当てる。
 醤油や砂糖で煮付ける関東風の煮込みおでんは、幕末以降、上方へと広まり、従来の焼き田楽と区別するために「関東炊き」と呼ばれるようになったと言われる。今でも、具を醤油と砂糖で煮付けしたおでん風の鍋を関東炊きと呼ぶ地域も少なくない。(中国からの渡来人が堺で大鍋で様々な具を煮込み食していた「広東炊き」に由来するという説もある。)
 関東のおでんはその後、関東大震災で炊き出しとして再注目されるまで、いわば冬の時代を迎える。
 ところで、料理の味付けで、しばしば「関東風」「関西風」なる表現がある。これは通常、醤油の濃淡を指し、一般的に関東風は濃い口、関西風は薄口の醤油を用いることからそう呼ばれることが多い。
 おでんにも関東風と関西風があるのだろうか。一般的に関東のおでんは鰹ダシをベースに濃い口醤油で味を整え、関西では昆布ダシに薄口醤油で味つけすると言われる。そこから、関東風、関西風と呼ばれるているようだが、元々、大阪には具を醤油で煮込むという習慣はあまりない。醤油はあくまで最後の香りづけとして用いられてきた。
 こうした点から言って、醤油で煮付けるおでんには、厳密に言えば、関西風なるものはないのである。とはいえ、関東で生まれたおでんが関西で様々に改良を加えられ、庶民の味として、料理として確立されたことも事実である。
 ところで、食べ物に関しては、何かと蘊蓄や能書きがつきものである。通の間では、おでんにも「がん、ちく、とう、だい」なる言葉がある。粋人の好む四大おでん具と言われるもので、「がん=がんも」「ちく=竹輪」「とう=豆腐」「だい=大根」となる。おでん具の中で最も手間の掛かるがんもで作り手の技量が、ダシのよしあしや煮込み具合で一目瞭然の大根が、店のレベルを物語るのだという。
 家庭で旨いおでんを作るには次の点に留意したい。(実際には留意しない事も多かろうと思うが。)
 さつま揚げやゴボウ天というような練り物は熱湯をかけて油を抜く。また、鶏肉などを入れる場合は(僕ちでは入れない)、お湯をかけてから水にひたし、余分な脂を除いておきたい。旨いおでんは下ごしらえが肝要である。
 大根は厚めに皮をむき、面取りをしてから、米のとぎ汁で茹でると形崩れしににくなる。コンニャクも一度茹でるのがおすすめ。また、いつもとはひと味違うコンニャクを味わいたいときは、茹でた後に表面を軽くごま油で焼くという方法も。この場合は、コンニャクは焦げ色がつく程度までしっかりと焼くのがコツ。(僕ちでは、こんな面倒なことはしない。)
 おでんのダシは、昆布と鰹節で取るのが一般的だが、骨つきの鶏肉を入れると絶妙の隠し味となる。(僕ちでは、こんな面倒なことはしない。)チキン味のスープの素でも可。
 おでんの具は日本各地で郷土色豊かであるが、ここでは省略する。
 とにかく、おでんという馴染みの鍋料理にも歴史があり、また蘊蓄を傾ける人もいる。他の料理でも同様のことが言えるのであろうが、この時期最も身近なおでん(御田)について、一考を巡らしてきた。こんな一考はどうでもいいと捨て置かれないことを切に願う。  

COP15

2009年11月22日 | Weblog
(朝刊より)
 地球温暖化の今後を左右する重要な国際会議が半月後に迫ってきた。デンマークの首都コペンハーゲンで開かれる国連の気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)。
 京都議定書を引き継ぐ国際的枠組みをつくるには、各国首脳がCOP15の場で大枠について政治合意をまとめなければならない。
 先週あった閣僚級のCOP15準備会合で、目指すべき「コペンハーゲン合意」の骨格を議長国デンマークのラスムセン首相が提案した。
 先進国の温室効果ガス削減目標をはじめ、新興国・途上国の削減行動、途上国への技術や資金の支援など、すべての課題について、具体的で政治的拘束力のある合意文書をまとめる。それをバネに、来年の早い時期に法的拘束力のある新しい枠組みをつくる。そういった内容の提案だ。
 コペンハーゲン合意をあいまいな内容にしないよう、この提案に沿って交渉を加速させる必要がある。
 これまで、先進国と新興国・途上国の対立で交渉は難航してきた。「京都議定書を単純延長すればいい」といった意見もくすぶっている。
 だが、現行の京都議定書の枠組みのままでは、離脱した米国と途上国扱いの中国に削減を促せない。排出量1位の中国と2位の米国だけで世界の排出量の4割も占める。二つの大国(G2)の削減努力が欠かせない。
 これまで中国は「先進国がまず削減すべきだ」と主張してきた。米国内には、中国にも削減義務を課すよう求める声が根強い。互いの出方をうかがう消極姿勢が国際交渉を足踏みさせてきたことは否めない。
 オバマ大統領は今回の訪中で胡錦濤国家主席と会談し、COP15の成功に向けて努力する姿勢を確認した。それは有意義なことだが、両国に求めたいのは行動である。排出削減の具体的な目標を早く示してほしい。
 オバマ大統領は、関連する国内法の年内成立が難しい現状では国際公約を掲げにくい、という苦しい事情を抱える。だが、米国の思い切った行動なしにCOP15の成功はない。大統領の指導力に期待したい。
 胡主席は、9月の国連会議で「国内総生産(GDP)当たりの排出量を05年より著しく減らす」と表明した。その意欲を裏付ける目標数値を早急に知りたいところだ。
 ここへきて、ブラジルや韓国などが相次いで削減目標を打ち出している。日本も12年までの3年間で90億ドル規模の支援で、新興国・途上国の行動を後押ししようとしている。中国が目標値を掲げるなど積極的に動けば、交渉を一気に加速させられる。
 いまこそ「二つの大国」が決意と行動で世界を引っ張る時である。

(ついでに。1900年における世界のエネルギー消費は石油換算で5億トン程度だった。それが2001年には91億トンを超え、18倍以上になっており、消費量は年々増加している。1900年の世界人口は15億人で現在は64億人、人口は100年で4倍強になったが、エネルギーの消費量はその4倍以上の勢いで増加している。この数値が示していることは、物質文明を如何に謳歌してきたか、ということである。)

レンジャク

2009年11月21日 | Weblog
 先だって、義母の葬儀の直前、寺の庭の木を眺めていたら、目の前10メートルと離れていない木に見慣れない鳥がとまった。小太りの体に長い冠羽、尾の先が赤色っぽい。レンジャクだっ!と推定した。かつてはよく見られた渡り鳥である。平地の田園や都会の広い庭などにも群をなして現れたが、近頃ではめっきり数が減ってしまった。近くで見るのは二回目である。一回目は、何と僕の前の棲家だった。が、そのときは直ぐに飛んでいってしまった。今回は2分ほど(?)眺めることができた。
 レンジャクで思い出した。もう十五年以上前になるが、先輩で本読みの天才が癌で若い命をおとした。母校の第6講義室で偲ぶ会が開かれ、弔辞のような文句を読んだ。大学院生の頃、読書会で先輩から薫陶を受けた。あれほど丁寧に本を読む人を今に至るまで知らない。
 その先輩の最後の年賀状にレンジャクをはじめ、自室から見た鳥の名前と星座の名前がぎっしり書かれていた。京都市内ではあるが修学院離宮も近い山際に住んでいたから、癌の鈍痛に耐えながら、窓外を見て命の火を燃やしていたのだろう。
 レンジャクを見ながら、先輩のことを回顧した。生きていてほしかった。真っ向勝負の議論をする相手が居なくなった。生半可な議論ではなかった。が、お互い引くところを心得ていた。引いて再度の議論。そういう間柄であった。
 レンジャクを見ていたらボーとしてしまい、本堂に入るのが少し遅れた。

(今日、少し早い目の四十九日で同じ寺に行ってきます。レンジャクに会えるかな。夜は野球部のOB会で大阪に出ます。)

食料生産は人口増に追いつくか?

2009年11月20日 | Weblog
 1950年頃における世界の穀物生産量は約6億9000万トン。この数字を当時の世界人口で割ると、1人当たり0.25トン。穀物の作付け面積は6.1億ヘクタールで、1ヘクタール当たりの生産量は1.13トンだった。穀物生産量はその後の20世紀を通して伸びてきた。
 1990年の生産量は19億トン。1人当たりに直すと0.36トン。作付け面積はそれ程拡大しておらず、7.1億ヘクタールで、1ヘクタール当たりの生産量は2.69トンに達している。穀物生産は人口の増加をかなり上回る勢いで拡大してきた。
 穀物の作付け面積は1950年頃の6.1億ヘクタールから1980年頃の7.2億ヘクタールまで順調に伸びた。しかし、それ以降は面積は横ばい、もしくは減少傾向に転じた。農業に適した土地の開発が限界まできた、あるいは、農地がより生産性の高い工業用地に転用されるなど様々な理由が考えられる。それでも、1990年頃までは穀物生産は拡大した。作付け面積が増えなくても、面積当たりの生産性が向上したからである。
 しかし1990年代に入ると伸び率も低下した。1999年の全生産量は20億6400万トンで、90年と比較すると8%強増えたにすぎない。ちなみに、その前の10年は生産量が20%以上拡大していた。1999年の全人口1人当たりの生産量は0.34トンで1990年を下回っている。灌漑の普及や化学肥料の利用、農業の機械化などで単位面積当たりの収穫量を増やし、人口の増加を充分に補ってきた穀物生産も、いよいよ人口増加に追いつけなくなってきたのかもしれない。
 1999年、先進国の1人当たりの穀物消費量は638kgと言われている。もちろん、これをすべて人間が食べているわけではない。穀物は食肉の生産にも使われている。例えば1トンの牛肉を生産するのに飼料が10トン必要である。世界中が先進国並の贅沢をすると、現在の穀物生産で養える人口は32億人強。世界が先進国の半分ですませれば、倍の64億人は養える。
 現状の穀物生産量は、現在の人口64億人を養うという意味では充分だし、たぶん80億人程度はそれほど無理なく暮らせるかも知れない。それなのに、世界を見渡すと10億人もの人が飢えで苦しんでいる。先進国の人々は栄養の過剰摂取でダイエットが必要、貧しい途上国の人々は飢えている。理不尽な話である。貧しい国では食料を買う余裕がないし、下手な食糧援助は途上国の農業を破壊する心配がある。妙案が見つからない。
 現状の食糧生産は、配分さえ合理的なら充分である。しかし、今後の人口増加に追いつけるかというと、楽観はできない。そればかりか、地下水の枯渇などで水の供給が不安定であること、塩類の蓄積で生産力を失う農地が拡大すること、農地が工業用地に転用される心配などを考えると、現在の生産レベルを維持できるかどうかさえ怪しい。

(僕が数字に弱いことを自認するが、若い人たちは一般にもっと弱いように思う。昨日、上のような話をしたが、殆どが上の空だった。)

ピエタ

2009年11月19日 | Weblog
(再掲)
 美術の写真集を見ていたら、目が釘付けになった。ミケランジェロの「ピエタ」。32年前にバチカンのサン・ピエトロ大聖堂の中で迷いながら殆ど極彩色の壁画などを眺めていた時、「ピエタ」に出会った。あの時も言うに言われぬ不思議な感情に駆られた。
 十字架から降ろされた死せるイエスを抱くマリアの悲哀(ピエタ)。近距離からは見られない実物よりもリアルに接写された「ピエタ」像の皮膚や着衣の細部。その迫真性に心を奪われる。その美しさは言葉では表現しようがない。
 それにしてもマリアの何と若いことか。どう見ても20代だ。イエスが十字架に架けられたのは30歳代である。とすれば、マリアは50歳前後だろう。そして、このマリアが抱くイエスは50歳を超えているように見える。イエスの方が生母より老けている。しかし、そんな不合理は少しも気にならない。それほどに、この「ピエタ」は美しい。
 僕は思った。本当の悲哀というものは美しいのではないか。あるいは同じことだが、本当に美しいということは哀しいことなのではないか。死せる我が子を抱いてマリアは慟哭も号泣もしていない。哀しみを抑え、むしろ静かさと安堵に満ちている。これはどういうことなのだろうか。無信心の僕には分からない。しかし、ピエタに見られる美しさは、例えば聖林寺の十一面観音像にも見られるように思う。
 美について語る資格は無いが、美と悲哀とは表裏の間柄にあるように思われる。

(急に寒くなってきました。皆様、暖かくしてお過ごしください。僕は今日は京都です。)

『豆腐屋の四季』

2009年11月18日 | Weblog
 この「自遊想」を訪れてくださる方々は案外に多くて感謝に堪えないのですが、この「自遊想」と連携しているホームページをご覧になってくださる方々はそれ程多くはない。ホームページに「新着情報」という欄があり、ここは本来は日記を書き込む欄なのですが、僕は「読後余滴」と称して、気に入った本を紹介しています。定年退職後の読書遍歴を残したいと思って始めました。今日は最新の「読後余滴」をここに写します。何のことはない、自己宣伝です。

 松下竜一 『豆腐屋の四季』
(こんなにも静謐な文に出会ったのは久しぶり。
この本の存在は知っていたのだが、この度、復刻。
病弱の著者は20代より午前2時に起きて豆腐づくり、配達の毎日。零細も零細。病身の父。
短歌の習作を随所に置き、四季の生活を綴った青春の記録。
朝日歌壇に投稿された短歌は何度も入選。第一位も数々。)

ぼくのつくるものなんか ほんとうは歌じゃないと思っています
歌の型を借りた生活の綴り方
ぼくにとっていちばん大切なのは 日々の現実生活そのものです

日々を誠実に生きて 
せめてその狭い世界の中だけでも懸命に愛を深めたい
自分の仕事を愛することで 豆腐の歌が生まれる
妻をいとおしむことで愛の賛歌が湧き出る

幼い妻について
  今日よりの姓松下を妻汝(なれ)が夜汽車の窓に指書きおり
  老い父の味噌汁の好み問う汝よ我妻となり目覚めし明けに
(267頁に置かれたこの歌に接したとき、それまでの著者の困窮が偲ばれ涙腺がゆるんだ。)

世の中が激動する日々にも 人々は豆腐を食べるだろう
私は黙々と豆腐を造り続けよう
臆病な弱虫の私にはそんなひそかなことしかできない
そんな弱々しい生活から生まれる歌
弱い私はそんなはかない歌にすがってしか生きえない

(だが、こんな歌もある。)
  屈せざる小国チェコを思いつつ真夜凛々と豆腐造りおり
八月二十一日の夕刊に「ソ連東欧四カ国軍がチェコ全土に侵入」
戦車の前でなお屈することのないチェコ国民
二十九日の新聞には 
チェコ国民に絶望の気運が拡がり始めている と
思えば思うほど寂しい


(この本を底本にした、緒形拳主演のドラマがあったことは知らなかった。
著者の誠実さを余滴に残すことは到底出来ない。
72年から「環境権」を掲げた市民運動家。)

秋刀魚

2009年11月17日 | Weblog
 炭火の熾った七輪の上の網に秋刀魚をのせると、ジュージューと音をたてながら、まず表面が焼ける。が、表面だけが早く焼けるようでは焦げついてしまうので、中までうまく火が通るようにしなければあらない。そこは炭火のよいところで、火を加減すれば充分にうまくいく。
 あの煙の匂いは、魚の皮や皮下脂肪が焼けて炭化する時のもの。秋刀魚には30%近いタンパク質と7~8%もの脂肪があるから、これが炭火で焙られると脂肪が溶け出し、これが炭火に落ちて燻られる。その煙の匂いには魚の生臭みの成分や脂肪とタンパク質が炭化した際の化合物などがあって、それらが特有の匂いを発する。
 「焼く」という調理法は、ごく一部の例外を除いて、地球上のほとんどの民族が最初に行った手法である。長い食の歴史を経て世界各国には「焼きの食文化」が盛衰してきた。
 その中で、食生活に独自の焼きの手法を取り入れ、バラエティに富ませ発展させたのが日本人であると、食の専門家・小泉武夫氏は語る。もちろん外国には、肉を串に刺して焼いたり、鉄板の上で肉を焼く料理、魚の燻製など、焼き料理は多数ある。しかし日本人ほど材料の持ち味を活かして焼く手法を確立した民族は珍しいらしい。塩焼き、照り焼き、付け焼き、串焼き、蒸し焼き、包み焼き、ほうろく焼き、等々。街には炉ばた焼き屋、焼き鳥屋、串焼き屋、たこ焼き屋、お好み焼き屋、焼き芋屋、等々。
 日本で焼く料理がこれほど独自に発展した理由は幾つかある。まず、魚介類や肉、野菜など、焼かれて美味い素材が豊富であること。焼いたものへの味付けとして醤油、味醂、日本酒などの特有の調味料があること。さらに備長炭に代表される炭や七輪、金網など焼く用具を調理に合わせてしつらえたこと。このような条件がそろっているのだから、焼いた料理を食べてまずいはずがなく、日本人の好む料理法となった。
 焼かれて美味い魚は多くの場合、日本の近海のもので、脂肪ののった魚である。その代表が秋刀魚。炭火で焼いてアツアツの内に食べるのが一番美味い。
 ところが残念ながら、いつの頃からか七輪が姿を消した。大抵の家庭ではガスで焼く。炭火とガス火では味が微妙に違う。脂の落ち方が違うのだろう。なお残念なことに、炭火を熾す、火を熾すという習慣が、特に都市部でなくなったことだ。

出来ますか?

2009年11月16日 | Weblog
(再掲)
 最近、気がついたこと。両手、両足指の動かし方。
まず、右手を開き(パー)同時に、
   左手を閉じる(グー)同時に、
   右足指をそのまま、同時に
   左足指をキュッと閉じる。
これは何度でも出来ます。

では、右手パー、同時に、
   左手グー、同時に、
   右足指キュッ、同時に、
   左足指そのまま。
これ、出来ますか?出来たら何度でも出来ますか?同時にですよ。同時に!力まずに!左足指をピクとも動かさずに!
 正直に言いまして僕は出来ません。僕だけなのかどうか、分りません。もしお出来になれない方が居られましたら、何故お出来になれないのか、その理由を教えて頂けませんか?