自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

Do little! (再掲)

2013年10月31日 | Weblog

 古本屋で『ドリトル先生物語』(全十三巻)を見つけた。相当の年代物であるが、比較的安価であった。少年の頃、縮刷版で読んだ記憶がある。買おうかどうか迷ったが、今度にしようと何故か思った。今日買っても、当分は読まないことが分かっているからで、また当分の間売れる心配がないと思ったからである。

 「ドリトル」という活字を見て、あ、そうかと気がつきました。今頃気がつくのは遅すぎるのですが、「ドリトル」というのは「do little」ではないかと。そうだとすると、この物語の内容もタイトルに合うのではないかと思った。
 Do little先生はほとんど何もしない人というか、控えめに生きる人だ。控えめに!というのが、昔も今も求められているのではないかと僕は考えた。
 作者のロフティングは戦場で弾丸に当たって死んでいく人や負傷した人を見てきた人物である。立ち読みしたくだりに次のような話があった。
 戦争には馬たちも連れられる。馬も死んだり負傷したりするが、人間と違って馬は負傷したら、その場で射殺されてしまう。古来戦争に馬や牛や、その他幾つかの動物が駆り出されるが、彼ら動物は役に立たなくなれば捨てられか、殺される。それが戦争というものだ。
 しかし作者は、こんなおかしなことがあっていい訳ではないと考えた人だった。馬を治療する医者が必要だ、と戦争で馬たちのために心を痛めた人だった。なにより、人間のためにも動物のためにも、戦争が地上からなくならなければならないと痛感した人だった。そういう思いから生まれたのが『ドリトル先生物語』であった。

 何をするにせよ、自分の分をわきまえて控えめに! というモットーを掲げるのが良いとも思った。

時雨

2013年10月30日 | Weblog

 ブログを記すようになってから、季節の移り行きに敏感になったような気がする。毎日毎日そんなに記すことがあるはずもないので、自ずと季節についてなけなしの知識を本で補いながら記すということになる。
 日本海側や京都盆地、岐阜、長野、福島などの山間部では、十一月初め頃、急に空がかげったかと思うとシズシズと降り出し、短時間でサッとあがり、また降り出すという雨がよくある。これが時雨である。
 この時期、勢力を増した大陸性高気圧のため、北西の季節風が吹き始め「木枯らし」となる。これが中央脊梁山脈を吹き上げ、冷やされて雲をつくり降雨する。この残りの湿った空気が風で山越えして来る時に降らせる急雨が時雨である。
 時雨は本来、ローカルな気象現象なのだが、何故か日本人の好む言葉となっている。蝉時雨とか、時雨煮とかというように。確かに何となく響のいい言葉ではある。桑名の焼き蛤は美味だが、蛤の時雨煮も美味だ。アサリの時雨煮も美味い。牛肉の時雨煮は不味い。
 今年は台風が、それも大型台風が幾つも襲来し各地に大きな被害をもたらした。被害に遭われた方々には衷心よりお見舞い申し上げます。
 また集中豪雨の回数が毎年増えているような気がする。地球温暖化の影響だろう。この地球温暖化を防ぐ手立てを実行しなければ! 早期に! でないと、時雨も降りにくいだろう。

2013年10月29日 | Weblog

 近頃、僕んちの近くにある大小様々な柿の木が鈴なりの実をつけている。多くは渋柿だが、美しいものだ。

   柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

 正岡子規のよく知られた代表作。柿と法隆寺の取り合わせは、いかにも無造作に感じられるが、言われてみれば成る程と思わせる組み合わせだ。ただ、法隆寺ではなく、実際には東大寺の鐘というのが事実のようだ。しかし、イメージや音からして、やはり法隆寺が似合う。
 柿は東アジアの温帯に固有の種で、日本でも(狭義の)有史以前から既に栽培されていたという。戦前までは最も多く栽培されていた果実だそうだ(最近は、蜜柑、林檎、梨に次ぐ四位)。砂糖の普及していなかった時代には貴重な甘味だったし、柿渋や木材としての用途も広い。そのため、極めて身近、悪く言えば卑近な木とされていたので、歌などには柿の紅葉などが僅かに詠われる程度だったが、俳句の時代になってさかんに取り上げられるようになった。
 柿の葉の紅葉も美しい。最寄の駅のホームに落ち葉が何枚も見られるのも、もう間もなくだ。それぞれがそれぞれなりの紅葉で、すべて美しい。
 柿の葉寿司も僕の好物だ。縦横無尽に枝分かれした柿の木のシルエットも日本の秋を代表する光景だろう。

アロマテラピー

2013年10月28日 | Weblog

 僕のような無粋な野郎がアロマテラピーなんていう言葉を知っているのは、我ながら変だと思う。この言葉、いつごろから流行り出したのか。
 食の博士・小泉武夫さんによると、芳香療法のことで、薬を飲まず、匂いを嗅がせるだけで病を治そうというもの。この方法だと副作用もなく、治療費も安い。夢のような話である。この療法はロシアやドイツで活発に研究されてきたが、日本での研究は少ないそうだ。様々な化学成分、薬草、香料を嗅がせることによって呼吸器系、循環器系、消化器系、神経系などが刺激され、これを繰り返すことによって治療するというものである。
 この療法の歴史は古く、古代エジプトや古代中国で盛んに行われていたものが、現代に復活したのだそうだ。当時は、木の香りや芳香性植物の匂いを嗅がせたり、舐めさせたり、匂いに触れさせたり(今では森林浴が好例)など、様々な方法が試されていたが、これを医学的に確立しようとしたのがアロマテラピーだとのこと。
 複雑化した現代社会ではストレスの発現は当たり前のようになった。半健康人が多くなった。そこでアロマテラピーの有効性が注目されだしたというわけ。
 アロマテラピーの原理を説明するのにちょうどよい身近な例では、疲労したときに優雅な香りを紅茶などで嗅ぐと精神的にその疲労がいやされたり(精神の安定)、鰻屋や焼き鳥屋の前で旨そうな匂いを嗅ぐと消化器系が刺激され空腹感を覚える(食欲増進)など。
 僕が最近気がついたのは蓬餅。蓬(ヨモギ)はキク科の多年草で、特有の強い香りがある。この香りの成分は森林浴にも共通する香りの成分で、気持ちを快適にする作用がある。
 蓬餅は美味い。うん! 気持ちが快適になったかどうかは分らない。
 森林浴の効果はずっと前から体験している。

活力素 (再掲)

2013年10月27日 | Weblog

 山や森林を歩くと、予想していたより疲れない。
 昔の『科学朝日』に「森林が発散する未知の活力素」に関する記事があった。
山や森林では馥郁たる香りに包まれる。その香りを吸うと、それだけで生き返ったような気持ちになる。この芳香は、樹木が発散する活力素のためではないか、と言われる。テルペン物質(芳香性炭化水素)のことを言うらしい。
 樹木が発散するテルペン物質が大気中にただようと、太陽の光を散乱させ、「青」が強調される。遠い山が青く見えるのはこのためだそうだ。
 ドイツには森林療法が昔からある。森の中のバンガローで暮らし、毎日、森の空気を吸って心を落ち着かせるというだけのことだが、これも活力素の効用だろう。
 テルペン物質の研究はまだまだだそうで、未知の部分が多いそうだ。しかし、この芳香が気道のはたらきに良い影響を与えるという実験結果があるそうだ。こういう研究はもっと進めてほしい。
 そして、山や森林が炭酸ガスを吸ってくれて温暖化をくいとめてくれることは周知のところである。加えて、活力素。山や森林には命の糧があふれているのだ。

大根

2013年10月26日 | Weblog

 美味い大根はまだちょっと早いが、冬大根が野菜の中で一番好きかもしれない。かつて自分で野菜を耕作していたことがあったが、冬に突然の来客があると、まるまると太った大根を抜いてきて、フロフキにして馳走した。ブリ大根なども好きな副食である。おでんの具では真っ先に大根をとる。
 大根の古い言い方は「おおね」だそうだ。これに大根という漢字を当てたわけで、漢語ではない。中世の頃から「だいこん」と音読するようになったそうだが、そこには「根」という言葉を避けたい人々の思いがあった。飢饉になると、木や草の根で飢えをしのぐことが一般的だったので、「根」はどうしても飢饉の苦しみを連想させたからである。飢饉に見舞われたから「だいこん」という言葉が生まれたというのは言い過ぎであろうか。
 大地の恵に感謝する気分が薄れてきたように思う。子供に限らず青年たちの教育にも土とまみれる耕作をもっと取り入れる方が良いと思う。
 数日で今年の六分の五が終わる。やはり過ぎし日は早く逝った。残る六分の一をいかに過ごすかが、さしあたっての問題である。

城山三郎『落日燃ゆ』

2013年10月25日 | Weblog


 ぶれない作家として辛口評論家たちも認めている城山三郎が不帰の人になったのは2007(平成19)年。
 『落日燃ゆ』を再読した。

 1878(明治11)年に福岡県に生まれた広田弘毅は、東京帝国大学を卒業して外交官となり、諸外国での勤務を経て斎藤実内閣に外相として初入閣した。
 1936(昭和11)年、岡田啓介内閣が2・26事件のために総辞職し、広田はその後を受けて首相の座に就くが、閣内不一致で総辞職。
 1937年からの第一次近衛文麿内閣でも外相を努め、同年の盧溝橋事件に対して現地解決を主張するものの、日本は日中戦争・太平洋戦争へと突入した。
 敗戦後、無罪の訴えを潔しとしない広田は、東京裁判(極東国際軍事裁判)で絞首刑判決を受けた7人のA級戦犯における唯一の文官として、48年に処刑された。
 城山三郎は、大日本帝国海軍の特攻隊・伏龍部隊の隊員として終戦を迎えた。そんな経歴をもつ城山にとって、戦争とその責任は重大なテーマだった。城山の代表作とされるこの作品は、一人の悲劇の文官を描く伝記小説にして、印象的な場面に満ちた骨太の歴史小説でもある。広田弘毅の人柄と交流、東京裁判開廷直後に自殺した妻との逸話や法廷の異様さなど、劇的な史実を淡々と記すことで、城山は僕の胸を打つ物語を紡いだ。(毎日出版文化賞、吉川英治文学賞)

シューベルト

2013年10月24日 | Weblog

 好きな作曲家を一人挙げよと言われたら、難しいことであるが、もう何年も前からシューベルトを挙げている。歌曲に真骨頂があり勿論いいのだが、ピアノ・ソナタに魅力を感じる。弦楽四重奏曲や弦楽五重奏曲も好きだ。この五重奏曲を聴くと、何処へ連れて行かれるか少し不安になりながらも、楽想に沈潜してしまわざるを得ない。その吸引力が凄まじい曲だと思う。色んな形式の曲がすべて好きなのであり、要するにシューベルトの音楽を僕は好きだ。
 ピアノ・ソナタ10曲に思いを巡らしてみると、そこには共通する特徴が幾つかある。
 まず第一に、第一楽章の主題が多くの場合、静謐で長く、展開部を導き出すような動的な力に乏しい。第一楽章だけでひとつの長い歌であるかのような美しい旋律で満ち満ちている。
 第二に、このような主題の特徴の故に、展開部はごく控えめであるが、中にはあまりにも魅力的な美しさに溢れている楽想がある。あるいはまた、シューベルトの人知れぬ苦悩が提示されている。
 第三に、心の底から紡いだ歌への未練から抜け出す事ができず、同じ旋律をオクターブで繰り返したりすることがしばしばあるが、殆ど同じような旋律をメタモルフォーズしていく手法のなめらかさは、抒情的に静的な美しさを醸す。その美しさは単調であるかもしれないが、音色の微妙な変化が一種恍惚感をもたらす。
 第四に、シューベルトがピアノに求めたものは、日常的な個人的生活感情を何の衒いも無く表現することにあった。この点に、ベートーヴェンがピアノに交響曲的規模を表現しようとしたこと、ショパンが(誤解を招くかもしれないが、)打鍵に民族的抒情を表現しようとしたこと、ヴェーバーやリストがピアノに超絶的な華やかさを表現しようとしたこと、などと合わせ考えると、シューベルトの特徴が際立って感じられると思う。
 シューベルトの曲には彼の等身大の楽想で彼の喜怒哀楽が構成されているのだ。そこがいい。

大袈裟に言えば

2013年10月23日 | Weblog

毎日僕がブログを記すということは
大袈裟に言えば
僕が僕の生の輪郭を言葉で振動させることだ
僕の生の限界をぼんやりと浮かび上がらせることだ

記すことのはじまりは 読むことだ
話すことのはじまりは 聞くことだ
読み 聞き 記す
記した後に「投稿」ボタンで限界をつける

毎日僕がブログを記すということは
大袈裟に言えば
僕が世界をどう感じ どう考えるかを想像することだ
この想像の限界をぼんやりと浮かび上がらせることだ

生の限界と想像の限界をつけるために
「投稿」ボタンがある
ボタンを押した後 大袈裟に言えば
一日の限界に思い浸りながら ボーと過ごす

若いってのは本当にいいなあ。(再掲)

2013年10月22日 | Weblog

 高等学校の美術部を指導していた友人で著名な画家が、生徒たちの絵画展の案内を贈ってくれたことがあった。生徒たちのひたむきな言葉を載せたパンフレットを読んでいると、若いってのは本当にいいなあっとつくづく思った。二、三紹介したくなった。
 「いまはまだ、毎日の生活のなかで、見えなくなってしまいそうな自分を自分自身で確認するために、自分の呼吸を確かめるように絵を描いています。」
 「この世界が儚き共同幻想だったって? そんなこと、ずうっと前から僕は知っていたよ。」
 「私は絵に対してまだ勉強不足だが、描きながらある素晴らしさに気付いた。それは自分だけの線、自分だけの世界だ。自分だけがもっている線と感性で“自分”をだせることは、同一化が進む現代社会では素晴らしいことだと思う。私は“藝術”という海のまだ浅い所を泳いでいる。そしてもっと沖の方を目差す。あまりの深さに溺れ苦しむかもしれない。波に襲われるかもしれない。しかし私は突き進む。そしていつか広い海へと出るんだ。」

 再帰不可能な領域。参った。

亭主と女房

2013年10月21日 | Weblog

 時間をもてあそんでいると妙なことを考えてします。
 妻が自分の夫を主人と呼ぶのは封建制度の名残ではないか、とか。亭主と呼ぶのは、何処に由来するのだろうか、とか。そこで、ものの本で調べた。
 今の時期なら濃い青紫色のリンドウの花などを茶花に飾って、茶会が催される。亭主は茶道から出た言葉で、一間四方ぐらいの狭い茶室に客を招き、茶を供応する人のことであった。茶室には○○亭とか○○庵とか、名前がついていた。その○○亭の主というわけだ。
 一方、女房という言葉は、宮中に仕える女官の部屋のことを意味したが、それが転じて、そうした部屋を賜った高位の女官を意味するようになった。
 つまり、亭主は茶道に通じた趣味人であり、女房は宮廷で裳裾をひるがえす高貴の人であった。ところが、いつのまにか「うちの宿六」になり、「うちのカミさん」になってしまった。
 宿六を辞書で調べると、妻が自分の夫を卑しめたり、親愛の意を込めたりして言う語とある。卑しめられるのか、親愛の意を込められるのか、どっちなのか、僕としては個人的に気になった。「カミさん」の場合は、親愛の情をこめて妻のことをそう呼ぶ。
 日本語という代物は厄介ではある。一人称を表す「わたし」でも、方言などを加えると200ぐらい別の言い方があるそうだ。意味深長な日本語を達意の小説家は使いこなしているのであろう。

2013年10月20日 | Weblog

 機械文字を打つようになって以来、どんどん字が下手になっていく。それは目に見えるように分かる。美しい字に出会うとホッとする。日本人の伝統では、どうも茶人と字は不即不離の関係にあるようだ。茶の本を読んでいてその関係が読み取れた。
 真の物は第一の大事也、唐人は先是を習う也、と書道は教えた。楷書にみる面正しさを茶の世界に求めようとしたのだ。そこでは唐物の荘重な台子飾りと厳格な書院の室禮が要請された。
 近代は皆、行の物を先に習う。行は中庸の故也、とも書道は教えた。茶の世界も、戦国の乱のころから、行の心が重んじられた。真にも草にも通ずる融通性が好まれた。
 真は一々の点を引きはなちて書き、草は点も字も連続して書きたる躰と、書道はいう。真の対極が草である。茶について言えば、書院に対する草庵の、民衆の心に通ずる世界である。利休の志した茶の理想がここにあった。
 概略以上が字と茶の関係である。言われていることは何となく分かる。だが、字を書くのにそんなにも目くじらを立てる必要はないと思う。大体、茶道の礼儀というものが煩わしい。煩わしくしたのは家元制度である。そんな茶道と字の関係を気にすることはないと思う。要は、字を書く人の個性が伝わればいいのではないかと思う。ただ、機械文字を打つようになって以来、漢字の書き方をよく忘れるようになった。これは困った状況である。

追悼・山崎豊子

2013年10月19日 | Weblog
 
 先月9月29日に亡くなった山崎豊子(享年88歳)を偲んで、『二つの祖国』(1983年全三巻)を再読した。

 日本とアメリカ、両方の国で教育を受けた日系二世の天羽賢治は、ロサンゼルスの邦字新聞「加州新報」の記者として、真珠湾攻撃後も日系人の実態を記事にすべく奮闘していた。しかし政府命令により日系人は住居立ち退きを強制され、競馬場の厩舎に設けられた「仮集合センター」に収容されてしまう。家畜同然の扱いを受け、意気消沈する賢治の家族たちだったが、日本の戦局が悪化していくとともに、更なる試練が彼らを待ち受けていた。
 この作品は、『不毛地帯』『大地の子』と並ぶ山崎の「戦争三部作」の第二作にあたる長編小説。日米どちらの国においても「敵国の住人」として衆目に晒される日系人たちは、常に国家から忠誠を問う選択を突きつけられる。山崎は三部作で、元日本軍人の商社マン、在米日系人、中国残留孤児と、太平洋戦争を背景に二つのアイデンティティに引き裂かれ苦悩する者たちの姿を一貫して描いているが、この作品ほど苦しい決断を登場人物に迫る作品はないと思われる。
 作品の後半を占める東京裁判(極東国際軍事裁判)の場面では、山崎の膨大な資料調査に基づく再現描写に圧倒される。同時に、通訳モニターとして裁判に関わり精神を病んでいく賢治を通し、曖昧な正義の境界上に立たされた人々の慟哭が胸に響く。 

ギブ・アンド・テイク

2013年10月18日 | Weblog

 古い雑誌を見ていたら、面白い対句が載っていた。
「陽当りの良いマンションに住んで何が悪い」
         「日陰になる身を考えなさい、あなた達!」
「年寄りとは一緒に住みたくない」
         「誰のおかげで大きくなったんだ、お前は」
「ピアノは音楽です」 「あんなもの、ただの騒音」
「あなた汚い排気ガスまき散らして平気なの?」
          「せっかく買った車だから遠慮はしない」
「これ以上地球の人口をふやすと食えなくなるらしい」
         「子供は可愛いから何人でもほしいわ」

 面白いと思ったのは、これら五つの対句が、「ギブ・アンド・テイク」を表す代表的な対句と考えられて、こういう意味での「ギブ・アンド・テイク」を日本人は忘れていると主張している事である。もうちょっと気の利いた対句を考えられないものか。ブラックユーモアのつもりなのであろうか。だが、気の利いた事を言う事は、考えれば考える程難しいとも思った。

空の上なる豊かな水がめ

2013年10月17日 | Weblog

 バングラディシュの首都ダッカ近郊の村に「雨を飲む」施設ができているそうだ。
 牛舎と雨樋、コンクリートの貯水槽を組み合わせて造ったそうだ。雨水は、牛舎の屋根から樋を伝わって地上に導かれる。途中に蛇口がある。ペットボトルで水を受ける。樋のもう一方は貯水槽に結ばれ、すぐに使わない水はそちらに回る(このあたりの構造が正確には分からない。)水槽の容量は20トン。一人の飲み水を1日10リットルとみて、村の100人が20日間は利用できるそうだ。「空気が汚れていないので、雨もきれいです。ヒ素で汚染された井戸水を飲むよりずっといい」らしい。
 バングラディシュでは、地下水を原因とするヒ素汚染でこれまでに7千人以上が亡くなったそうだ。井戸を沢山掘りすぎた事が自然のメカニズムを狂わせたのではないか、とも言われている。同じような現象がインドや中国に広がっているとも言われている。いわゆる先進国でも化学物質による地下水の汚染は深刻だとも言われている。雨水の利用は、健康被害を避ける方策の一つとしてもっと注目されていいだろう。
 空の上なる豊かな水がめ、つまり大気を清浄に保つ事が必要な訳だ。それともう一つ。雨水が乏しく困っている地帯に雨を降らす大規模な装置が発明されないものだろうか。スペースシャトルや偵察衛星をとばす技術に、雨水を作り降らせる装置をつけられないものだろうか。地球に緑の衣を纏わせるには雨水が不可欠な訳なのだから。