自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

耐寒(凍)温度

2007年11月30日 | Weblog
 昨日、今日と暖かく季節外れの陽気だ。自然界のリズムがどうもおかしい。僕は寒いのは苦手だが暑いよりましだ。本格的な冬が来て、気温がぐうんと下がると、あらゆる生物は寒さ・冷たさに耐えようとする。人間様は電気・ガス・石油など人工的なエネルギーを無造作に使って冬を過ごすが、他の生物は自らが持って生まれた能力で冬を越す。多年性の植物はどうやって寒さに耐えるのだろかと気になって、ものの本で調べてみた。
 植物でも熱帯と寒帯のものでは耐寒性が異なることは言うまでもない。極寒地に自生する植物は耐凍能力を備えている。これは体の大部分が凍っても耐えられる能力のことである。細胞まで凍ると死ぬから、細胞内の水分はその外に出されて凍る。これを細胞外凍結という。
 この耐凍能力にたけている植物で馴染み深いのはシラカバだろう。シラカバは、何と零下70度でも細胞を凍らせることなく生き続けるそうだ。シラカバは岐阜県以東、北海道からシベリアまで自生する。あの白くすらりとした優しい印象からは窺い知れない強靭な生命力をもっている。因みに、杉は零下20度、ブナでも零下30度が耐凍温度だそうだ。
 植物は外気が冷え込むと、夏の細胞から冬の細胞へと、細胞内から水分を抜き、糖類、タンパク質、脂肪を蓄える。
 人間様以外の生物は自家製の耐寒能力を備えている。ぐうんと昔の人間も自家製の耐寒能力を備えていたのであろうが、火を自在に使えるようになってからの人間様は自然界を対岸に見て、しかも自然界の化石燃料への依存度を増す一方の暮らしをするようになった。これを文明と言う人間様が多く居る。 

2007年11月29日 | Weblog
 掲示板に「キツネ」という動物の名前が載った。狐とはどんな動物か、気になった。ものの本で見ると、面白いことが載っていた。
 秋、狐は子別れの儀式をすませるという。或る日突然、優しい母狐は狂暴なアカの他人に豹変する。子狐はかみつかれ、追い回されながら、生まれた故郷を去っていく。厳しい冬を前にして、なんともむごく思える。雄の子は雌にくらべると早々と古巣を捨てて、新しい土地をめざす。あきらめがいいのか、それとも行動力があるのか。いずれにせよ、晩秋にさすらいの旅を続けているか、新開地に定着するようになるのだろう。
 狐を人間はあまり好まない。何故だろう。明確な理由もないのに、「狐につままれる」というような表現も出てくる。あらぬ濡れ衣を着せられて、スケープゴートに祭り上げられている。しかし、稲荷信仰の神の使者でもあったわけだから、いくら化けるのが得意でも、さぞかし忙しいことだろう。その昔、狐に対して、敬して遠ざけるという気持ちもあったのかも知れない。
 僕は野兎や狸にはお目にかかったことはあるのだが、狐にはまだ出会ったことがない。狐に敬遠されているのか、嫌われているのか、一度近くで会いたいとも思うが、先入観によるのか、狐には会いたいという気持ちにはなれない。
 晩秋も晩秋の今頃、野山の子狐は新しい巣を見つけたであろうか。

雑木林

2007年11月27日 | Weblog
 冬枯れの季節に近い雑木林の中は、葉が散って明るい。雑木林という名前から連想すると、いろんな木が雑然と立ち並んでいる林と思われがちだが、人の手がかなり加わらないと維持できない空間だそうだ。理想的には18~20年に一度、根元から伐採する必要があるのだそうだ。一昨日買い求めた本にそう書いてある。
 昔は伐採した木を薪に使ったり、椎茸のホダ木に使ったり、枝葉は堆肥になったりしたが、だんだんとそういうエネルギーとして使われなくなったため、雑木林が放置されることになった。僕の育った山里の雑木林も荒れ放題になっている。
 雑木林の枝打ちや下草刈りによって、日当たりがよくなり、いろんな植物が芽を吹き出す。枝を払うことで幹はまっすぐに伸びる。人による管理がいきとどいた雑木林は、林床が広々としていて、開放感があるということになる。
 僕が棲んでいる近くにも小さな雑木林があり、時々散歩するとき、この歳になってもやはり開放感を味あう。この開放感はどこに由来するのだろうか。ずっとずっと昔の祖先が森で生活していた、その血が今に至るまで、知らず知らずの間に、受け継がれているからであろうか。
 経済文明の発展とともに、雑木林が荒れたり、無くなったりする一方だが、人間を含む様々な生物にとって雑木林はなくてはならない存在ではないかと思う。命充つる空間だから。

上手(じょうて)と下手(げて)

2007年11月26日 | Weblog
 焼き物の本を読んでいたら、上手(じょうて)と下手(げて)という言葉に出会った。普通の読み方ではない。いつの頃からか焼き物好きが言い出した読み方であろう。僕は焼き物が好きだ。何故好きかと問われても答えはない。焼き物についての本も読む。本に概略次のような戒めが載っていた。勿論、誰も好んで下手のものを買う人はいない。皆、その時はその品に魅力を感じ、懐具合と相談しながら、買う訳だから、それはそれでいい事だ。問題は、その後六ヶ月、一年とその品を座辺に見続けて一向に飽きがこない場合で、しかし研究、経験が進み美意識が昇華すれば下手のものには飽きが来る場合だ。これは必ず来る。およそ、この世界でビギナーがいきなり下手から上手へジャンプする事は至難の事で、根本的に己の美感覚を研鑚する事が肝要だ。研鑚には次の三項目を目安とすべし。
  1、上手のものを扱う筋のよい店とつき合う。
  2、掘り出し根性は捨てる。
  3、よき先輩の忠告を虚心に聞く。
 この三項目は、焼き物鑑賞に限らず、他の分野でも言える事ではないかと思う。僕などは掘り出し根性丸出しで、外国の文献を漁り変てこな考えに肯き、後になって後悔した事も一度ならずある。「よき先輩の忠告を虚心に聞く。」この「虚心」という事が難物で、我欲が出てくる。よき先輩は幾らも居るのに、忠告を聞かず、我欲が出てくると上手のものにも出会わない。何事かに通じるという事は困難を極める事ではあるが。さりとて下手の領域に甘んじるのも気持ちが許さない。

2007年11月25日 | Weblog
 森と林はどう違うのか。森の方が林より木が一本多い、といえば冗談のようだが、字面だけからしても森の方が林より鬱蒼としている。木という漢字がもともと象形文字で、その木を50本も100本も書く訳にはいかないから、三つ集めて一文字とし、三つの木は殆ど無数の木の集合を表していると考えられる。
 森の字を含む熟語に「森厳」があって、「森厳の気満つ」などと使われる。この表現は奥深い大自然を前にして人々が抱いた畏敬の念を想像させる。「森羅万象」と言えば、一般に宇宙の万物を差すが、辞書によれば「森羅」とは本来無数の木が茂ることを言う。ともあれ、天地万物の象徴として森のイメージが用いられたこと自体、自然・世界に対する人間の感じ取り方を本来表していると思われる。
 古代には世界中至る所に人跡未踏の森があり、そこには神々が住まいし、木霊、木魂が棲んでいた。神秘な畏敬すべき場であった。オランウータンは「森の人」を意味し、人間は彼らを敬った。
 古代に戻ることは出来ない。戻れなくても、しかし、森を守り、森を増やすことは出来る。環境破壊から持続可能な世界を目差すには木に頼ることが必須である。木を植える人を大切に思わなければならない。僕の視界からどんどん林が消えていくのを見るとき、つくづくそう思う。

ピエタ

2007年11月24日 | Weblog
 美術の写真集を見ていたら、目が釘付けになった。ミケランジェロの「ピエタ」。丁度30年前にバチカンのサン・ピエトロ大聖堂の中で迷いながら殆ど極彩色の壁画などを眺めていた時、「ピエタ」に出会った。あの時も言うに言われぬ不思議な感情に駆られた。
 十字架から降ろされた死せるイエスを抱くマリアの悲哀(ピエタ)。近距離からは見られない実物よりもリアルに接写された「ピエタ」像の皮膚や着衣の細部。その迫真性に心を奪われる。その美しさは言葉では表現しようがない。
 それにしてもマリアの何と若いことか。どう見ても20代だ。イエスが十字架に架けられたのは30歳代である。とすれば、マリアは50歳前後だろう。そして、このマリアが抱くイエスは50歳を超えているように見える。イエスの方が生母より老けている。しかし、そんな不合理は少しも気にならない。それほどに、この「ピエタ」は美しい。
 僕は思った。本当の悲哀というものは美しいのではないか。あるいは同じことだが、本当に美しいということは哀しいことなのではないか。死せる我が子を抱いてマリアは慟哭も号泣もしていない。哀しみを抑え、むしろ静かさと安堵に満ちている。これはどういうことなのだろうか。無信心の僕には分からない。しかし、ピエタに見られる美しさは、例えば聖林寺の十一面観音像にも見られるように思う。
 美について語る資格は無いが、美と悲哀とは表裏の間柄にあるように思われる。

鎮守の杜――埋もれ木

2007年11月23日 | Weblog
 僕んちのすぐ近くに、歩いて5分とかからないところに鎮守の杜がある。人気が無く、常緑樹で覆われている杜の境内をそぞろ歩きしていると、冬の到来を感じる。鎮守の杜とは鎮守の神を祭った森である。森は神のすむところであり、非日常の世界である。
 子供の頃、山の神行事で、夜中に小高い山を松明を持って歩き回った記憶は僕の心情の原点と言ってよいかもしれない。グリムの『ヘンゼルとグレーテル』や『赤ずきん』などの物語は、森に踏み入って始まる。小さくとも鎮守の杜が近くにあることは有り難い。
 その鎮守の杜の傍で水道工事をしていたが、それほど大きくはない木が出てきた。長年地中に埋まっていた埋もれ木である。人気が少ないとはいえ、町の中での埋もれ木は珍しい。埋もれ木は、世間から顧みられない存在の喩えでもある。ここのところ僕は凹んでいて、どうせなら埋もれ木のようになれたらと弱気になっている。

「結局あなたなんですよ」

2007年11月22日 | Weblog
  あなたは、そうですねぇ・・・・・
  結局あなた、なんでねぇ。
  何百万本もの巻き毛を植えつけた
  ふさふさの鬘をかぶっても、
  やたら底の厚い履物をはいても、
  あなたは、結局あなたなんですよ。  (ゲーテ『ファウスト』より)

 『ファウスト』第一部の「書斎の場」で、ありとあらゆる学問と取り組みながら、何も得られずに苦悶するファウストが、「俺は一体何者なのだ」と問うのに対する悪魔メフィストーフェレスの答である。
 悪魔の台詞だからといって、否定的に解釈してはならない。ゲーテの考えは、主人公の口からのみならず、悪魔の口からも発せられるからである。人間の本質は、外側を変えたところで、どうにもならないのが真実だ、とゲーテは言いたいのだ。 悪魔に言わせているから、余計に真実味がある。精神年齢が一定に達したら、外側に気を配る必要はないのかもしれない。ところが、僕などは外側も気にせざるを得ない。あさはかだと我ながら思う。仕方がないと我ながら思う。嗚呼。

再び、大根について

2007年11月21日 | Weblog
 再び、大根について。それだけ僕が大根を好きだということだ。煮炊きした琥珀色のブリ大根やオデンの具としての大根も美味いが、塩で軽く味付けした殆ど生の真っ白な大根も美味い。この時期の大根が美味い。
 かつては辛みのある大根が多かったが、いつの頃からか辛みの少ない青首大根が主流をしめているようだ。原産は地中海沿岸から中近東で、日本には中国を経て伝わったらしい。
 根にはビタミンC、B群、カリウム、カルシウムなどが含まれる。でんぷんを分解するジアスターゼも含まれ、消化吸収を助ける。辛み成分には胃液の分泌促進、解毒作用があるらしい。
 葉にはカロティン、ビタミンC、B群、ビタミンEが多く含まれているので、捨てないで細かく刻み、炒め煮などにすると良い。かつて休耕田を借りて野菜作りをしていた頃、大根の葉をよく食したものだ。近頃は葉は手に入らない。
 山里で育った幼少の頃、木組みに高く干された大根の並びを美しいと感じた。その頃の感覚が現在の僕に残っていると思われる。とにかく白い大根が好きなのだ。田舎者のしるしである。

たきび

2007年11月20日 | Weblog
一 かきねの かきねの まがりかど
   たきびだ たきびだ おちばたき
   「あたろうか」「あたろうよ」
   きたかぜぴいぷう ふいている

二 さざんか さざんか さいたみち
   たきびだ たきびだ おちばたき
   「あたろうか」「あたろうよ」
   しもやけ おててが もうかゆい

三 こがらし こがらし さむいみち
   たきびだ たきびだ おちばたき
   「あたろうか」「あたろうよ」
   そうだん しながら あるいてく


(四季ごとに童謡があって、いいですね。猫の額に一輪、山茶花が。)

大根

2007年11月19日 | Weblog
 野菜の中で一番好きなのが大根であるかも知れない。この季節、次第に美味しくなるのが大根である。夏の辛い大根おろしも、それはそれで美味いが、大根はやはり冬の野菜であろう。
 大根の古い言い方は「おおね」。これに大根という字を当てたが、漢語ではない。ものの本によると、中世の頃から「だいこん」と音読するようになったが、そこには「根」という言葉を避ける庶民の思いがあった。飢饉になると、木や草の根で飢えをしのぐことが一般的だったので、「根」が飢饉を連想させたからである。春の七草の一つ、スズシロは野生の大根で、正月には鏡餅の上に飾ったので鏡草とも言われた。大根を詠んだ和歌は殆どないそうで、大根の情趣を発見したのは俳諧だそうだ。

 菊の後大根の外更になし  (芭蕉)
 死にたれば人来て大根煮(た)きはじむ (下村魁太1910-1966)

 芭蕉の句に付け加えることなし。
 「死にたれば」という上句が深刻な下句を予想させるが、作者はなにくわぬ顔で極めて日常的な情景を淡々と詠む。死を見とどけると、悲しみにくれる間もなく、葬儀の準備が始まる。会葬者のための食事の支度に近所の人々がとりかかる。生きている者にとって、死ぬのはいつも他人なのだ。死が、死を免れた人々にとっては日常のひとこまであることが、大根を炊く行為に、隠れようもなく明かされている。僕らの日常を代表するのが大根なのである。

久しぶりに、尹東柱(ユン ドンヂュ)

2007年11月18日 | Weblog
尹東柱の詩に出会ったのは比較的最近、13年ぐらい前である。終戦を待たずに1945年2月16日に福岡刑務所で獄死した朝鮮の若き詩人の清純さに驚いた。死後出版された詩集『空と風と星と詩』からその「序詩」を。

    序 詩

  死ぬ日まで天を仰ぎ
  一点の恥なきことを、
  葉あいにそよぐ風にも
  私は心を痛めた。
  星をうたう心で
  生きとし生けるものをいとおしまねば
  そして私に与えられた道を
  歩みゆかねば。

  今宵も星が風に吹き晒らされる。



(こんな類の詩を書けるのは若者の特権だろう。が、若者であれば誰だって書ける詩ではない。どんな惨い境遇にあろうとも、自己の本性を失わない若者だけが書ける詩であろう。)

久しぶりに、シューベルト

2007年11月17日 | Weblog
『冬の旅』より9番「鬼火Irrlicht」
  深き谷間へと 鬼火は誘う
  われは迷えども 心痛まず
  鬼火の誘いに われは慣れたり
  喜び嘆きも すべて鬼火のしわざなりしか

  水なき川に沿い われは下りぬ
  すべての流れは海に注ぎ
  すべての悲しみは
  墓場につづかん

 (夜の旅は、あてどない道をゆく若者に恐怖を与える。鬼火は彼を深い谷間へと誘う。しかし若者はもう慣れた。この世の喜びも悲しみもすべて鬼火の仕業だと感じる。
 この曲で、若者は一つの思想を初めて抱く。それは「諦観」である。それまでは恋人への執着を歌っていたが、この世は鬼火のようなものだという虚無感に襲われたとき、二十代後半のシューベルトは絶妙な歌曲を産み出した。
 二十代後半、懐かしい。昨晩のこと、もの思う秋であった。)

旅愁

2007年11月16日 | Weblog
    楓橋夜泊(ふうきょうやはく)  張継(中唐)

  月落鳥啼霜満天   月落ち烏啼いて 霜天に満つ
  江楓漁火対愁眠   江楓(こうふう)漁火 愁眠に対す
  姑蘇城外寒山寺   姑蘇(こそ)城外の寒山寺
  夜半鐘声到客船   夜半の鐘声(しょうせい)客船に到る

(月が沈み、鳥が啼いて、霜の気が天に満ちわたる。
 岸の楓と漁火が、うつらうつらとする旅愁の目に映る。
 そこへ、蘇州郊外の寒山寺から、
 夜半を告げる鐘の音が、わが乗る小舟に聞こえてきた。)

 高校の頃、漢文の時間に杜甫や白楽天の漢詩を学んだが、単に景色を写しただけ(と思った)文が、なぜ詩なんだろう、と疑問に思ったことがある。詩というものは内面からの声を絞り出すものではないかと思っていた。大学で吉川幸次郎や高橋和己の授業に遊び半分に出て、高校の頃の考えが変わった。詩というものは、内面の声を外界に託して、外界を内面に取り込む営為だと思うようになった。
 上の詩は、秋の夜半、しっとりとした旅愁を詠った優作である。

地雷除去、未達成の可能性

2007年11月15日 | Weblog
(新聞記事より)
 対人地雷禁止条約の順守状況の監視や地雷除去に取り組む非政府組織(NGO)、地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)は12日、07年版の地雷報告書を発表した。同条約は発効(99年)から一定期間内の埋設地雷の除去を締約国に義務づけているが、09~10年に期限を迎える29カ国の半数近くが目標を達成できない可能性が高いことがわかった。06年に報告された地雷による死傷者は5751人にのぼった。

 報告書によると、期限内の地雷除去が絶望的なのはボスニア・ヘルツェゴビナやカンボジア、チャドなど14カ国。国際支援が十分でなく、資金の手当てが難しいことなどが理由だ。

 死傷者は05年よりも16%減ったが、パキスタン、ミャンマー(ビルマ)、ソマリアでは増えた。死傷者の7割以上は一般市民で、その34%が子供だった。地雷で手足を失うなどした生存者は07年8月時点で世界に約47万3000人いる。

 新たに対人地雷を埋設したことが確認されたのはミャンマーとロシアの2カ国だった。中国、ロシア、米国など非加盟の約40カ国が保有する地雷数は約1億6000万個。地雷を実際に製造し、または製造する権利を放棄していないのは中国、ロシア、米国、北朝鮮、韓国、パキスタンなど13カ国。

(地雷、卑劣な兵器。これを容認して進んで使用している国々の真意が全く、全く判らない。他に劣化ウラン弾なども。)