自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

復興支援酒が完成 宮城産米使用 奈良の醸造元など協力

2012年02月29日 | Weblog

(朝刊より)
 東日本大震災で被災した宮城県多賀城市の復興を支援するため、友好都市提携を結んでいる奈良市と東大寺、同市内の醸造元3社が協力して醸造した復興支援酒が完成し、28日、発表した。多賀城市で収穫された米「ヒトメボレ」を使用し、「遠(とお)の朝廷(みかど)」とネーミング。3月1日から発売し、売上金の一部は義援金として同市に送られる。
 奈良市や東大寺はこれまでに、東日本大震災の被災地を物心両面で支援。昨年8月に東大寺の僧侶らが多賀城市を訪れた際、多賀城市の米を使って日本清酒発祥の地ともされる奈良市の醸造元で復興支援の清酒を造ることが提案された。
 この提案が実現され、今西清兵衛商店、奈良豊澤酒造、八木酒造の3社が新酒を醸造。それぞれ味わいの異なる酒に仕上げた。
 新酒の名は、古代に東北の拠点だった「多賀城」の別名「遠の朝廷」にちなみ、「みちのく多賀城『遠の朝廷』大和のかほり」に決定。東大寺の北河原公敬別当がラベルの字体を書いた。
 復興支援酒は東大寺境内で披露され、奈良市の仲川げん市長は「一人でも多くの人がこの酒を通じ、復興支援の輪に加わってもらいたい」、北河原別当は「多くの人に酒を買っていただき、支援につなげることができれば。今後も被災地のために努力していきたい」と話した。
 多賀城市の菊地健次郎市長は「(取り組みを)継続することができれば、さらに友好が深まる」と期待を込めた。
 復興支援酒は、いずれも720ミリリットル入りで、税込み1575円。東大寺境内の東大寺ミュージアムショップなどで販売する。

(奈良市民の一人として喜びを感じる。)

佐賀で脱原発集会

2012年02月27日 | Weblog

(朝刊より)
 「脱原発」をめざして26日に佐賀市で開かれた集会では、定期検査で止まった原子力発電所の再稼働を容認する姿勢を見せる政府に「常識外れ」「住民の気持ちを考えていない」という批判が相次いだ。
 玄海原発全4基の操業差し止めを求める「原発なくそう! 九州玄海訴訟」の原告団長で、前佐賀大学長の長谷川照(あきら)さんは「世界から見れば再稼働は見識を外れたみっともないこと。法廷で再稼働を許さない争いを続けたい」と強調した。
 福岡県からは約250人が参加。平和・人権・環境福岡県フォーラムの前海満広事務局長(56)は「玄海原発が事故を起こせば、福岡市中心部も被害にあう」と心配する。九電の原発全6基は停止中で、「原発なしでも電気が足りているのだから、再稼働は必要ない」と話した。
 集会では、大きな事故を起こした東京電力福島第一原発がある福島県に住む女性も発言。「福島第一の事故は原発の『安全神話』がうそだと国民が知るきっかけになった」と訴えた。
 基山町の主婦百崎加代子さん(72)は「福島で被害にあった人のことを思うと、とても原発再稼働なんて言えないはずだ」と批判した。
 集会では、最後に全原発を計画的に廃炉にすることなどを求める決議を採択した。

(こういう活動が全国で広がることを念願する。)

ムカデミミズ(?)のたわごと

2012年02月26日 | Weblog

 最近、視力が衰えた。衰えた視力で新聞などを読んでいると、とんでもない誤読をしてしまう。ムカデミミズ?・・・アカデミズムをムカデミミズと誤読した。しかも、しばらくの間、その誤読に気がつかなかった。衰えた視力でボーッと読んでいたからだ。衰えたのは視力だけではない、ということだ。
 僕はムカデもミミズも嫌いではない。幼年期に知らずに触れたムカデに刺されて指がはれあがったが、蟻酸を塗ったら一晩ではれがひいた。痛い思いをしたが、日向ぼっこをしに縁の下から出てくるムカデを見ていると、何かしらかわいらしく感じた。ミミズには世話になった。ミミズをちぎって釣り針につけて川魚をよく釣ったものだ。痛かったであろう、ミミズよ。今更謝っても許してくれないだろうなあ。
 ところで、誤読されるぐらいだから、アカデミズムも地に堕ちたものだと考えるのは僕だけではないだろう。今は懐かしいアカデミズム。地に堕としたのは誰だ!
 アカデミズムにもムカデとミミズをたした程のいい所があったのに。いい所の一つは、静かだということ。静かな雰囲気で長期的計画を立てられること。幼年期のアカデミズムの復権を望みたい、無理を承知の上で。

梅一輪

2012年02月24日 | Weblog

   紅梅の落花をつまむ畳かな   正岡子規

 脊髄カリエスで病床に臥す子規に、伊藤左千夫が紅梅の盆栽を贈った。それを見てつくった一句。
 散った落花をいとおしみつつ、そこに望みのない自分の運命を見ていたとも解釈できる。が、そんなことを考えないで、そのまま味わった方がいいと思う。子規は俳句を革新して写生という方法を導入したのだから。
 そうは言っても、病床六尺の子規の気持ちも見てとれる。

 今年は例年になく寒威が厳しく、梅の開花も相当に遅れた。でも、ようやく春の陽射しが。
 3.11を前にして被災地の方々はどんなお気持ちで居られるであろうか。

自然暦

2012年02月23日 | Weblog

 『自然暦』の編著者・川口孫治郎氏によると、「自然を目標にとった自然暦、それが往々却って太陰暦、太陽暦よりも確かなところがある」。どんなに高度な科学技術でも、自然の複雑さには太刀打ちできないし、それだけに、永年にわたって培ってきた単純な経験的推測の方が自然を的確に捉えるということなのかも知れない。
 同書には次のような記述がある。「自然観察が、言い伝えとなり、諺となって固定したのが自然暦である。猪苗代湖南の村々では、湖をへだてた北の磐梯山に残る雪形を見て耕作の時期を知り、寺の境内の大きな桜の木を種まき桜と言って、その桜の花の咲く時を播種の基準として生活してきた。日本アルプスをはじめ各地にある白馬岳、駒形山のような名のついた山も、その山に残った春雪の形で農耕の時を知ったことから、ついた名である。」
 自然暦は農耕に関連する。農業にとって、農作業の適期を知ることが何よりの関心事であったに違いない。適期をはずせば、農作物の命取りにもないかねない。農作業の適期は、その年の気象条件が決めるのであって、カレンダーが決めるものではないから、自然暦の方が合理的だという説には肯けるところがある。
 同書には様々な諺やその類が載っていて、夫々に面白い。自然の摂理に根ざした知恵というものは、場合によれば、科学的を称する知識よりも有益であろう。逆に言えば、有益でなければ自然の摂理に根ざした知恵とは言えないということであろう。ただし、こんな薀蓄はどうでもよく、農業の現状がますます先細りになっていくのではないか、その事が気にかかる。
 自然暦は農作業の目安となる諺などを集めただけではなく、食べ物に関する諺などにも事欠かない。特に「寒」についてのものが面白い。
 例えば、羽前北小国村(現・山形県小国町)の「ヤマドリは寒明けに脂が不足する、タヌキは寒中に脂で太る」などは、土地の人の永い経験に裏付けられた知恵として面白い。その他、食べ物の上に「寒」をつければ、それで立派な自然暦の役目を果たすらしい。「寒雀」(飛騨高山)、「寒ウツボ」(紀伊田辺町)などと同様に、フナ、カレイ、ブリなどの上に「寒」がつけば、美味ということになる。
 食べ物の話は、特に雪国の寒中の冬籠りに欠くことのできないものであるが、自然の生き物たちは、この時期最も厳しい試練にあっている。生き物たちは、春を迎えるまでの長い期間苦闘の連続であろう。タヌキが寒中に太るとか、イノシシが太るなどと人間はうそぶいているが、タヌキやイノシシは生き延びるための必死の対策をとっているのであろう。
 僕らは自然の摂理をもっとよく知るべきだと思う。が、その知り方をまず教えてもらわなければならない。自然の摂理を知らない人間が多くなり、自然を荒らすものだから、タヌキやイノシシが里に来て悪さをする。お互いのテリトリーを守るのも自然の摂理の一つだろう。 

春の隣

2012年02月22日 | Weblog

 関西では東大寺二月堂のお水取りが済み、陽春とか芳春と言ってもいい暖かな春が間もなく到来することでしょう。
 春の隣とは、春めく頃のことです。冬と春の間に厳密な境目がないのは当然ですが、寒威から春めいたと感じられる自然の節目が何となく感じられるのが日本人の季節感ではないかと思います。
 ところが、今年は寒威が居座って、僕は猫のように丸くなって、だらだらと歩んできたような気がします。そんな気持ちで居たつもりではないと自負していますが、そう言えば、去年も一昨年もその前も、またその前もそうでした。
 今日、こんなことをぼそっと考えている間にも、もうすぐ蛙の目借時がやって来るのでしょう。去年もそうでした。
 念のために言っておきますと、蛙の目借時とは、蛙が伏せた目をして借りてきたような目をしているところから、眠くなる季節を表す語句です。が、蛙の妻狩り時と言う場合もあります。蛙の求愛の季節です。この時期、蛙は随分と頑張るのでしょう。
 話がそれますが、流行おくれの「となりのトトロ」が今でも大好きな自分であります。数年前の四月五日、誘われて伊勢・飯高町の水屋神社のお水取り( 実際に祠から恭しく水を取るんです )を見てきました。町と言っても山に囲まれた田圃が大部分を占める村です。夕刻、その山を越えて行く猫バスが見えました。

(こんな呑気なことを記していて良いのだろうか???)

原発安全性 1次評価では「不十分」

2012年02月21日 | Weblog

(朝刊より)
 定期検査中の原子力発電所を再稼働させる条件の「ストレステスト(耐性検査)」1次評価について、内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長は20日、記者会見で「原発の安全性を評価するには不十分」と述べた。
 安全委は21日、経済産業省原子力安全・保安院が「妥当」とした関西電力大飯原発3、4号機の1次評価の検証作業に入る。
 保安院の審査に問題がないことを安全委が確認すると、首相と関係閣僚が地元の同意を得て運転再開の是非を判断する。班目氏は「政府が決めること。その方針に反対しているわけではない」と述べた。
 安全委は当初、さらに詳しい2次評価も含めた報告を、保安院に求めていた。しかし、電力各社による2次評価は、まだ1基分も提出されていない。

(斑目氏の発言には信用できる部分と信用できない部分があるように思う。この記事に関してのみならず。)

(再掲)今年届いた年賀状より 脱原発へ

2012年02月20日 | Weblog

 あけましておめでとうございます。
昨年の震災、とくに原発問題は身近なことだけにいろいろ思うところがありました。若いころ、脱石油依存、原発推進という国の政策に沿って、大手プラントメーカーの、原発の圧力容器の中で、燃料ペレットを収納する容器の製造設備新設のご支援の仕事をしたことがあります。その後、原発そのもの、中央制御室のみならず、完成直前の原発の中心部まで見る機会がありました。それぞれ関係者から十分な説明を受けました。
 私は、原発の安全性について、技術的にも費用的にも、完璧なことができないことは明らかだが、大事故が発生する確率は相当低く、原発建設をやめるという理由にはなりにくいと考えていました。
 後日、第一次オイルショック後の1976年、中近東産油諸国を歴訪後、イスタンブールで開かれた中近東官民合同会議に、政府側の一員として参加するという得難い機会を与えてい...ただきました。この会議などを通じ、原発推進は間違っていなかったと改めて確信しました。
 しかし、昨年3月、考え方は一変しました。危険と感じ、娘と3歳の孫娘が娘婿の関西の実家に避難しました。実態からみて危機一髪だったのです。当事者にとっては原発の事故はあってはならないものです。格率の問題ではない。これを皮膚感覚で実感しました。今は原発を廃止し、新エネルギーを懸命に確保してゆくべきと考えています。
 皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。 

  東京都町田市・・・・・・


(この年賀状の差出人と僕は40年来のつきあい。彼と議論・口論することしばしば。彼が年頭の挨拶で吐露した考えを変えないことを願うばかり。)

宮城・石巻でメガソーラー計画 国内最大1万キロワット

2012年02月19日 | Weblog

(朝刊より)
 日立製作所などが、宮城県石巻市の牡鹿半島に大規模太陽光発電所(メガソーラー)を建てる見通しになった。35億円を投じ、国内最大級の1万キロ(10メガ)ワットの出力とする計画で、来夏の稼働を目指す。
 東光電気工事(東京都千代田区)と地元の土木建設会社が、事業を担う特別目的会社をすでに立ち上げており、日立も出資を検討している。今夏から始まる自然エネルギーによる電力の「全量買い取り制度」を使い、東北電力に売る。
 東日本大震災の被災地では、三井物産も宮城県東松島市にメガソーラーを建てる計画で、復興の後押しになると期待されている。トヨタ自動車も、子会社の工場がある宮城県内陸部の大衡村で10~20メガワットのメガソーラーを建てる。

(要するに、脱原発・非原発へ向けた事業は大いに望ましい。電力会社という独占企業の壁を破ることが大事である。)

アロマテラピー

2012年02月18日 | Weblog

 僕のような無粋な野郎がアロマテラピーなんていう言葉を知っているのは、我ながら変だと思う。この言葉、いつごろから流行り出したのか。
 食の博士・小泉武夫さんによると、芳香療法のことで、薬を飲まず、匂いを嗅がせるだけで病を治そうというもの。この方法だと副作用もなく、治療費も安い。夢のような話である。この療法はロシアやドイツで活発に研究されてきたが、日本での研究は少ないそうだ。様々な化学成分、薬草、香料を嗅がせることによって呼吸器系、循環器系、消化器系、神経系などが刺激され、これを繰り返すことによって治療するというものである。
 この療法の歴史は古く、古代エジプトや古代中国で盛んに行われていたものが、現代に復活したのだそうだ。当時は、木の香りや芳香性植物の匂いを嗅がせたり、舐めさせたり、匂いに触れさせたり(今では森林浴が好例)など、様々な方法が試されていたが、これを医学的に確立しようとしたのがアロマテラピーだとのこと。
 複雑化した現代社会ではストレスの発現は当たり前のようになった。半健康人が多くなった。そこでアロマテラピーの有効性が注目されだしたというわけ。
 アロマテラピーの原理を説明するのにちょうどよい身近な例では、疲労したときに優雅な香りを紅茶などで嗅ぐと精神的にその疲労がいやされたり(精神の安定)、鰻屋や焼き鳥屋の前で旨そうな匂いを嗅ぐと消化器系が刺激され空腹感を覚える(食欲増進)など。
 僕が最近気がついたのは蓬餅。蓬(ヨモギ)はキク科の多年草で、特有の強い香りがある。この香りの成分は森林浴にも共通する香りの成分で、気持ちを快適にする作用がある。
 蓬餅は美味い。うん。気持ちが快適になったかどうかは分らない。
 森林浴の効果はずっと前から体験している。

染色家としての志村ふくみ

2012年02月16日 | Weblog

 染織家(人間国宝)志村ふくみ(1924-)、僕が思慕する女性の一人。その染織は神業に近い。彼女の文章を引く。

 「草木の染液から直接緑色を染めることはできない。この地上に繁茂する緑したたる植物群の中にあって、緑が染められないことは不思議である。植物染料の中でたった一つ、神は大切なものを忘れたのであろうか。
 しかし、そうではない。より深い真実を私たちに伝えるために、神の仕組まれた謎ではないだろうか。久しい間、私はそう考えつづけてきた。
 緑の色は直接出すことはできないが、そのかわり、青と黄をかけ合わせることによって緑が得られる。すなわち、藍甕に、刈安・くちなし・きはだなどの植物で染めた黄色の糸を浸けると、緑が生まれるのである。ほかの色は色が染まるというのに、緑のときだけはなぜか生まれるといいたくなる。  
 みどり児の誕生、甕から上がってきた緑色に思わずそういいたくなるのはなぜだろうか。
 やはり緑は生命と深いかかわり合いをもっていると思う。生きとし生けるものが、その生命をかぎりなくいとおしみ、一日も生の永かれと祈るにもかかわらず、生命は一刻一刻、死にむかって時を刻んでいる。とどまることがない。その生命を色であらわしたら、それが緑なのではないだろうか。
 たとえ植物から葉っぱを絞って緑の液が出ても、それは刻々色を失って、灰色がのこるばかりである。移ろいゆく生命の象徴こそ緑なのである。」

 いかにも彼女らしい含蓄のある名文である。僕はこういう文章から生命をもらっているような気がする。

日本各地で鹿の食害が広がっているが・・・

2012年02月15日 | Weblog

(朝刊より)
【春日山原始林 共生へ 県専門家委 奈良の鹿】

 県は、奈良市の春日大社近くに広がる世界遺産・春日山原始林(約300ヘクタール)で、国の天然記念物「奈良のシカ」による食害が深刻化している可能性があるとして、新年度、生態系の専門家らでつくる委員会を設置して対策を検討することを決めた。担当者は「奈良を代表する原始林とシカが共生できるよう、道を探りたい」と話す。
 原始林は国の特別天然記念物。平安時代に伐採や狩猟が禁止され、豊臣秀吉も植林して保護したという記録が残る。世界遺産には1998年に登録された。
 学術調査を除き、人の立ち入りが原則、認められていないため、シカによる食害の全容は不明だが、原始林を研究する前迫(まえさこ)ゆり・大阪産業大教授(生態学)は、「シカがカシやシイの若木や芽を食べ、次の世代の木が減っている」と指摘。木がなくなってできた空き地の比率は1961年の3%から2003年には8・8%に拡大したという。
 また、シカが食べやすい高さ0・7メートル以下の植物は64年に27種類あったのが、99年には14種類に減少したといい、「植物の多様性が失われつつある」と分析する。
 一方、春日大社の神鹿(しんろく)とされる奈良のシカは戦前の約900頭から戦後、いったん100頭以下に激減したが、愛護団体が保護に取り組み、57年には国の天然記念物に。60年747頭、80年1035頭と増え続けて近年は約1100頭前後と“過密状態”になり、餌不足で原始林の若木や芽を食い荒らしているという。
 県が研究者や行政の担当者ら約10人をメンバーに設置する委員会では、原始林の保護について効果的な対策を検討するほか、シカがいる場合といない場合で植物の成長にどう差がつくか実験も行う予定。県奈良公園室は「古くから住民の心のよりどころにもなってきた貴重な山とシカの両方を、100年先を見据えて守りたい」としている。

(生態系をいかに守るか、僕は興味津々。奈良だけではなく、日本全体、世界の生態系が上手に機能していくことを願う。)

医療・介護の値段―「最期は自宅」のために

2012年02月14日 | Weblog

(朝刊より)
 私たちが受ける医療サービスは、国が一つひとつ値段(診療報酬)を決めている。
 このうち1~3割は患者が病院の窓口で払う。残りはみんなで負担する保険料から出す。
 2年に一度の見直しで、4月からの新しい診療報酬が決まった。今回は3年に一度の介護報酬見直しと重なった。
 介護では、住みなれた地域や自宅で老後も暮らせるようにするため、24時間対応の新しい訪問サービスに月決めで報酬を払うようにした。
 医療も歩調をあわせる。
 24時間対応する在宅医療の報酬を、患者一人あたり月4万2千円から5万円に引き上げた。緊急往診の加算は1回6500円から8500円にした。
 自宅にいながら必要な医療が受けられれば、コストのかかる入院を減らせる。社会保障と税の一体改革が掲げる医療費抑制の有力な手段だ。
 日本は他の先進国に比べ、入院期間が長い。政府は負担削減のため、病院のベッド数を減らす方向だ。
 一方、団塊世代が高齢期に入り始めている。年間死亡者数は現在の約120万人から、20年後には160万人に達する。
 いまは8割の人が病院で亡くなっているが、今後はできるだけ自分の家で最期を迎えられるようにするのが、国が描く理想像だ。家族の負担は重いが、高齢者本人の希望でもあろう。
 しかし、簡単ではない。
 なにより、すぐれた在宅医が不足している。
 複数の病気を抱える高齢期の患者を、生活全体に目配りしながら適切に治療し、上手に苦痛をやわらげながら、やすらかな最期を迎えてもらう。
 訪問看護師、介護のケアマネジャー、薬剤師、行政など様々な人たちとの連携が必要だ。
 臓器別に専門家の育成を尊重する医学教育や医療界の意識を変えなければいけない。同時に私たちも、自らの地域で在宅医療を志す良医を大切に育てるような意識が必要ではないか。
 医師不足が深刻化した小児科では、兵庫県内の病院で親たちが安易な夜間・休日受診を控える運動をした結果、勤務状況が改善したことで医師が増えた例がある。
 在宅医療についても、患者側が医師や看護師側の事情を理解し、節度ある行動をとれば、医師の意欲も高まるだろう。
 老後の安心はお金を使うだけでは実現しない。「最期は自宅で迎える」ために、住民がどう参加できるのか、真剣に考えるときが来ている。

(「最期は自宅で迎える」。これ、僕の持論なんだけど、さて、はて、実現するかな。)