一九六五年一月二十九日早朝 サイゴンの広場
短い叫び声が薄明を走った
十人のベトナムの憲兵が十挺のライフル銃で
一人の細い青年を撃った 青年はガクリと膝を折った
が うなだれたまま首をゆっくり左右にふった
近づいた将校が回転式拳銃で とどめの一発を撃ち込んだ
私のなかで何かが粉砕され 吐き気がこみあげた
もしこの青年が逮捕されていなければ
手榴弾と地雷で必ず人を殺す
あるいは メコン・デルタかジャングルでマシンガンを乱射する
あるいは 或る日 泥のなかで犬のように殺される
少年のような彼の信念を支持するかしないかで
彼は《英雄》にもなれば《殺人鬼》にもなる
それが ここの《戦争》だ
しかし この広場には《絶対悪》と呼んでよいものがひしめいていた
後で 私はジャングルで何人もの死者を見ることになるのではあったが
奇妙な国だ
一日二百万ドルをアメリカにつぎ込んでもらって
ジャングルや泥のなかでは毎夜死闘が繰り返されているのに
このサイゴンの輝かしいこと!
戦争があって初めて豊かになる都
何がどうなって こうなっているのやら
社会の不平等を失くし 矛盾を克服し 平和を求め
外国の干渉から独立し 貧窮を失くしたい
ベトナム人の八割を占める仏教徒たちは言う
しかし べトコンも同じ事を言います とも
農民とべトコンの区別はつきません
仏教徒の活動は農民を それ故べトコンを助けることだと
政府は仏教徒の活動を制限してきます
《非暴力》の教義をひたすら死守し
黙々と大地に伏す仏教徒たち
その寡黙な従順さに私は感動した
ベトナムのカギを握るのは 仏教徒たちか?
彼らの思いとは裏腹に 全土が戦争の最前線だった
広漠としたジャングルとゴム林の地下には
クモの網のようにトンネルがめぐらされている
その中に べトコンの南下を食い止めるのが使命の砦
その兵舎で私は二週間余り暮らした
季節を問わず 朝から晩まで
戦争は不死の怪物となって のたうちまわっていた
すでに 枯葉作戦も始まっていた
「いったいあなた自身は誰のために戦っているのですか」と
私はアメリカ人の少佐に訊いた
少佐は何か言いたげだったが口を閉ざした
じっと頬杖をついて 《国家》に押しつぶされているように見えた
このジャングルで 味方が何人死に 敵が何人死んだか
誰にも分らなかった
多くの負傷兵は 不思議なことに 呻きもせずひっそりと死んだ
アメリカが北ベトナムを爆撃したというラジオ放送に
みんなは深刻な沈黙におちこんだ
“I am very sorry.”(たいへんすみません)
満月の夜 中学生のように小さい砲兵隊将校が私にあやまった
“Oh. What has happened ?”(どうしたんです?)
将校はぽつりと ひとこと
“My country is war.”(私の国、戦争です)
とつぶやいた
(本書は、一九六四年十一月から翌年二月にかけての現地取材に基づく記録文学である。
同じ作家に『輝ける闇』という、同じくベトナム戦争を題材にした、この作家独自の
凄まじいまでの文学的表現に満ちた小説がある。)