自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

ヒトは遊ぶなり。

2014年09月01日 | Weblog

 ホモ・ルーデンス。遊ぶヒトの意。遊びのなかに一定のルールがあるものの、時間的・空間的に分離された場があり、そこに非日常的で利害にとらわれない自由があるとホイジンガ-が説いた(1938年)。
 ホモ・サピエンスやホモ・ファベル(道具を作るヒト)などという、文化・文明偏重の性格付けに対して、文化・文明も遊びから生まれたと想定し、近代精神を把握し直そうとした。
 思うに、ホモ・ルーデンスという性格付けは的を射ている。
 何故なら、僕の日々の営みの殆どが遊びだからである。本を読むのも、囲碁をうつのも、食事をするのも、パソコンのキーを打つのも、睡眠以外は殆ど遊びだと思っている。ときどき若い人に何かを教えるのも遊びだと思っている節がある。食事をするのも、何を食べるかという選択遊びであり、日々日替わりで利害にとらわれている訳ではない。(ただ、食事の用意をしてくれる方も選択遊びだと思って欲しいと思うのは身勝手というものだろう。)
 思うに、「遊ぶ」ほうが「仕事をする」より優雅ではないか。スポーツも元々は利害に関係のない遊びであった。物作りも元々は商品としてではなく、自分好みの遊びごとであった。
 思うに多くの現代人は汲々としている。汲々とすることに慣れているのではないか。これでは文化の生じる余地は少ない。これではいけないと思う。
 今世紀は温暖化ガスとゴミを出さない「遊び」が求められているのだと思う。勿論、知に長けた戦争遊びは利害の追求であり、あってはならない。