平松純宏『写真集 棚田の四季』をゆっくりと観賞した。棚田(千枚田)に映る田毎の月に見ほれた。「田毎の月」という昔聞いたことのあるような言葉に惹かれて、調べてみた。この言葉は、江戸初期の「藻塩草」(1669年)に表れている。
「信州更級(科)の田毎の月は姨捨山(冠着山、1252m)上より見下ろせば、・・・」
姨捨山伝説からも推測されるように、棚田の一つひとつは、食べる米がないという現実から農民が止むを得ず山に登り耕していった労苦の所産である。にもかかわらず、田毎の月を映す棚田は美しい。それは、農民が厳しい自然に素直に従わざるを得なかった結果であろう。
自然との深刻なかかわりこそが、人の心を打つ美しさを生むのだと思う。大型機械の入らない棚田での作業がどんなにか苛酷であったかと想像していたら、島根県柿木村・大井谷の棚田についての報告書に、当事者たちは「その苦労はなかった」「むしろ後から、動力脱穀機を田から田に担いだときのほうが大変だった、切なかった。」と、微笑む、と記されていた。
棚田は43道府県の891市町村に残っているそうだ。晴れた夜にはそれぞれの棚田に田毎の月が凛然と存在しているのだろう。