自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

空気について

2014年11月30日 | Weblog

 毎月送られてくる、或る老人ホーム(かつてそこの鑑査をしていた)からの便りに、空気について分かりやすい説明が載っていたので、引用させて頂く。
 「私たちは、酸素がなくては生きていけません。そのため、寝ているときでも休みなく酸素を取り入れています。その酸素を含んでいるものが空気です。
 空気のような存在というたとえのように、私たちは普段、空気のことをあまり意識しません。でも、体調が優れないときや、汚れた空気の場所にいるとき、何か息苦しい感じがする経験はあります。それは、私たちの体がよどんだ空気を敏感にとらえて、きれいな空気をほしがっているためです。
 ナイチンゲールは、公害や犯罪、病気が多発する産業革命の時代に生き、環境と健康の関係を強調しました。そして、呼吸する空気の条件を整えることが看護婦の役目だと述べています。時代は越えても、新鮮な空気の必要性は変わりません。
 ストーブの入っているこの時期は、窓を開ける機会も少ないですが、時々空気を入れ換えましょう。また、木の香りのするものや、空気をきれいにするという観葉植物などを置いて、森林浴効果を試してみてもいいですね。」
 
 
 生きていく上で空気の必要性を僕自身が重く感じたことはない。ただ、僕の兄は片肺がなく、65歳で亡くなったが、晩年酸素ボンベを側に置いていた状況を思い出すと、空気の存在を重く感じていたことであろうと追憶する。日常生活において現実に息苦しいという体験は、いかほどに苦しい思いをするのであろうか。便りを読んで、思わず兄のことを思い出した。

自然について(再論)

2014年11月29日 | Weblog

 だいぶん前から気になっていた言葉の一つに「自然」がある。
 この言葉を僕らは何気なしに使っているが、nature という言葉が西欧から入ってきたのは勿論明治以降である。それ以前の日本では、漢字の自然はそれほど用いられていなかったようだ。(親鸞の「自然法爾(しぜんほうに)は有名だそうだが、僕は知らない。)親鸞の語法はむしろ例外的で、「おのずから然(しか)ある事柄の相」を指して自然という言葉は用いられていたと思われる。現在僕らが用いている自然という言葉は「天地」「天地万物」、あるいは山川草木、日月星辰、森羅万象を意味する語として用いられてきたと思われる。
 明治の初め西欧の学問とともに入ってきた nature をどう訳すかについてはだいぶん困ったふしがある。明治14年には、本性、資質、造化、万有などが当てられ、明治44年に初めて「自然」という訳語が追加されている(井上哲次郎「哲学字彙」1881年)。
 そこで、昔の日本人は、自然ということで「おのずから然ある事柄の相」を理解していたようで、自然という漢字で、山川草木、日月星辰、森羅万象を理解するようになったのは、むしろ新しいと考えられる。
 で、何が言いたいかというと、「自然」のむしろ新しい理解に昔の理解を重ねて、自然を重層的に理解するのが良いのではないか、ということです。荒廃した山川草木を「おのずから然ある事柄の相」で改めて見直すことが大事だと思う。思うだけでは何にもならないと思うが、そのように見直す姿勢を保っておれば、自然の違った相が見えてこよう。

思慕と愛

2014年11月28日 | Weblog

(ゲーテ『箴言と省察』より)
 愛に一番近いのは
 思慕の念である。
 思慕の念が愛に変わるのも
 珍しいことではない。
 思慕の念は、
 清らかな精神の関係を
 表現する意味でも
 愛に似ている。

 ただ、
 愛は、
 現在の持続性を
 必然的に要求するが、
 思慕の念は、それを必要としない。

(これはゲーテの本音であろう。ちょっと分り難いのは最後の一行である。現在が持続して欲しいと願うことを思慕の念は必要としないのであろうか。まあ、こんなことは最早僕には無関係なんだけど。しかし、無関係だと他人事のように思って居直っていれば、精神的に老化が早まるかもしれない。居直るのはたやすいが、老化が早まるのは待って欲しい。)

晩秋、午後四時半の舞踏会

2014年11月26日 | Weblog



  晩秋、午後四時半の舞踏会

小さな植物園 そこが舞台
そのひと隅で照るひと株の
楓の壮麗な色彩 艶やかなヒロインだ

落葉した樹々たちは
この楓の黒子を
演じているのだろうか

僅かに枯れ葉を残した
若い栃の木が
楓の枝と交差する

交差するところに
山茶花が白装束で顔を出し
楓の前景に出ようとする

風で
山茶花の白が
見え隠れする

ヒロインは
意にかいさず
赤を極めた壮麗な深紅の装いで踊る

栃の木は若すぎ
山茶花は臆病だ
楓はどこまでもヒロインだ

けれど
徘徊する魑魅魍魎に
ヒロインは気づいているのだろうか

尾崎一雄『虫のいろいろ』(再掲)

2014年11月25日 | Weblog

 尾崎一雄という作家についてはいつか記すことにするが、この作品は小説というよりもエッセイの名作の一つだと思う。
 そこに描かれているのは、生活者の目線で書かれた哲学だと言ってよい。生きるということはどういうことなのか。虫であれ人間であれ、生きるものにとって自由とは何であるのか。こういう根源的な問いかけが作者自身の日々のなかで行われていて、読者に深く染み透ってくる。言うまでもないが、ここには哲学用語は見つからない。それだからこそ見事な哲学の営みを記したエッセイである。
 この作品が文庫本から消えて長く経っていたが、数年前に装いを新たに文庫に入った。僕が持っているのは昭和30年代の古ぼけた文庫本であるが、いつの頃からか文庫から消えた。何しろ易しい言葉で易しい文章で書かれているので、逆にその良さに気づく人が少なかったのかも知れない。新たに入手し易くなったことは喜ばしい。
 『虫のいろいろ』なんていうタイトルの文庫本にその特有の良さを見出すのは時代遅れかも知れないが、もう一つ『虫のいろいろ』以上にすごいと思っている作者晩年の作品がある。
 『退職の願い』。この作家の生き方の歴史を描いたもので、思想というものが頭ではなく体を通して造型されている。六十四歳になった作者が、「雄鶏という地位身分から去るの好機である。退職したい」という。親爺であることからも亭主であることからも退職して本来の自分に戻りたいという。その宣言が、この作家独自の上等なユーモアと共に語られている。
 僕もこういう宣言をしたいと思うが、そうやすやすと出来るものではないとも思う。そもそも「本来の自分」が何者であるかが、おぼろげにも分かっていない。

島崎藤村(再論)

2014年11月24日 | Weblog

 明治以降の作家で最も大きな作家は島崎藤村だと思う。僕の好みも入っているが、これはかねてよりの僕の持論だ。抒情(『若菜集』)から社会問題(『破壊』『夜明け前』)まで、その一つひとつの作品において完成度が高い。
 どういう意味で高いのか。他の作家との比較は措く。思うに、詩、小説、随筆、紀行にいたるまで、藤村文学の底を流れるのは、回想という方法で人生を歴史の流れにおいて反芻し、凝集している点である。その事が、一方では自我の浪漫的な凝視と顕現となり、他方では自我の求道的な充実と社会的実現となっている。
 この二つの特色が藤村を、山また山の木曽に生いたった農山村の民として生活を営む、腰の坐った実生活者たらしめ、かつ理想主義者たらしめているのだと思う。 昨日一日、藤村をあれこれ読んだ。短文を二つ。

 「屋根の石は、村はずれにある水車小屋の板屋根の上の石でした。この石は自分の載って居る板屋根の上から、毎日毎日水車の廻るのを眺めて居ました。
 「お前さんは毎日動いて居ますね。」
と石が言ひましたら、
 「さういふお前さんは又、毎日坐ったきりですね。」
と水車が答へました。この水車は物を言ふにも、じっとして居ないで、廻りながら返事をして居ました。(「ふるさと」屋根の石と水車より)
 「檜木、椹(さはら)、明檜(あすひ)、槇、ねず---を木曽の方では五木といひまして、さういふ木の生えた森や林があの深い谷間(たにあい)に茂って居るのです。五木とは、五つの主な木を指して言ふのですが、まだその他に栗の木、杉の木、松の木、桂の木、欅の木なぞが生えて居ります。樅の木、栂の木も生えて居ます。それから栃の木も生えています。」(「ふるさと」五木の林より)

ゲーテ『ファウスト』より

2014年11月23日 | Weblog

  「私は、ただ遊んでばかりいるには、歳をとり過ぎているし、
  あらゆる希望を捨てるには若過ぎる。」

 これは『ファウスト』第一部「書斎の場」で、主人公が塞いでいるのを見て、塞ぎの虫を追いはらってみせようと、悪魔のメフィストーフェレスが、金の縁取りをした赤い服、絹のマント、鳥の羽をさした帽子という派手な出で立ちで訪れたのに対して、ファウストが言い放った台詞である。
 如何に若くても遊びほうけるのは愚かだし、どんなに歳をとっても希望を捨てては、生きるしるしがない。一所懸命生きることだ。
 ただ最近僕は、大袈裟に言えば人生に疲れた。何故かというと、親しい人が一人去ったと思うと、また一人去っていくのだから。何故先に逝くの?

字と茶

2014年11月22日 | Weblog

 機械文字を打つようになって以来、どんどん字が下手になっていく。それは目に見えるように分かる。
 美しい字に出会うとホッとする。日本人の伝統では、どうも茶人と字は不即不離の関係にあるようだ。茶の本を読んでいてその関係が読み取れた。
 真の物は第一の大事也、唐人は先是を習う也、と書道は教えた。楷書にみる面正しさを茶の世界に求めようとしたのだ。そこでは唐物の荘重な台子飾りと厳格な書院の室禮が要請された。
 近代は皆、行の物を先に習う。行は中庸の故也、とも書道は教えた。茶の世界も、戦国の乱のころから、行の心が重んじられた。真にも草にも通ずる融通性が好まれた。
 真は一々の点を引きはなちて書き、草は点も字も連続して書きたる躰と、書道はいう。真の対極が草である。茶について言えば、書院に対する草庵の、民衆の心に通ずる世界である。利休の志した茶の理想がここにあった。
 概略以上が字と茶の関係である。言われていることは何となく分かる。だが、字を書くのにそんなにも目くじらを立てる必要はないと思う。大体、茶道の礼儀というものが煩わしい。煩わしくしたのは家元制度である。そんな茶道と字の関係を気にすることはないと思う。
 要は、字を書く人の個性が伝わればいいのではないかと思う。ただ、機械文字を打つようになって以来、漢字の書き方をよく忘れるようになった。これは困った状況である。

小豆について(請け売り)

2014年11月20日 | Weblog

 回転焼きというのか、呼び名は様々であろうが、小豆のあんこがいっぱい入った一種の饅頭が僕の好物。毎日食べる気はしないが、一週間に2日ぐらいは食べてもいい。
 小豆はアミノ酸バランスに優れたタンパク質、ビタミンB1・B2、鉄やカリウム等のミネラル、そして茹でると増える食物繊維、活性酸素を除去するポリフェノール等に恵まれている。
 ところで、日本の敗色が濃厚となった昭和19年、群馬県榛名山の村にも集団疎開の学童がやって来た。寺の本堂に寝泊まりしていた。
 ある日、村の子供達が慰問することにした。「明日、集団疎開の人達の慰問に行くから、家にある食べ物を何でもいいから持って来るように」と言われた。翌日、私たちは手に手に薩摩芋やジャガイモや大根やらを持って慰問に出かけた。寺の本堂には、私たちとは大違いの色白で上品な生徒達がいた。みんな痩せていた。
 一週間後、餅つき大会が催されることになった。先週の慰問品の中に、誰かが持って行った小豆があった。そこで寺の和尚さんが奔走して、もち米を工面してくれたらしい。
 疎開っ子と一緒になって餅をついた。口の周りを小豆のあんこだらけにして、つきたての餅を食べた。お互いの顔を見て笑いながら。

 以上は回転焼きの箱に書いてあったこと。一個の回転焼き、食べ応えがある。

大根が好き!

2014年11月19日 | Weblog


 野菜の中で一番好きなのが大根であるかも知れない。この季節、次第に美味しくなるのが大根である。夏の辛い大根おろしも、それはそれで美味いが、大根はやはり冬の野菜であろう。
 大根の古い言い方は「おおね」。これに大根という字を当てたが、漢語ではない。ものの本によると、中世の頃から「だいこん」と音読するようになったが、そこには「根」という言葉を避ける庶民の思いがあった。飢饉になると、木や草の根で飢えをしのぐことが一般的だったので、「根」が飢饉を連想させたからである。春の七草の一つ、スズシロは野生の大根で、正月には鏡餅の上に飾ったので鏡草とも言われた。大根を詠んだ和歌は殆どないそうで、大根の情趣を発見したのは俳諧だそうだ。

 菊の後大根の外更になし  (芭蕉)
 死にたれば人来て大根煮(た)きはじむ (下村魁太1910-1966)

 芭蕉の句に付け加えることなし。
「死にたれば」という上句が深刻な下句を予想させるが、作者はなにくわぬ顔で極めて日常的な情景を淡々と詠む。死を見とどけると、悲しみにくれる間もなく、葬儀の準備が始まる。会葬者のための食事の支度に近所の人々がとりかかる。生きている者にとって、死ぬのはいつも他人なのだ。死が、死を免れた人々にとっては日常のひとこまであることが、大根を炊く行為に、隠れようもなく明かされている。僕らの日常を代表するのが大根なのである。

蜜柑について

2014年11月18日 | Weblog

 冬の果物の主役は蜜柑。鮮やかな蜜柑色を目にすると、冬の到来を感じさせるとともに、師走さらには年の瀬を迎える気持ちも重なる。そわそわした気分の時に、食卓に盛られた蜜柑は団欒を誘う。
 蜜柑の消費量は果物全体の第一位。産地は、昭和初期までは和歌山が第一位だったが、その後、静岡、さらに愛媛、近年では九州七県で全生産量の半分近くを占めているそうだ。品種ではウンシュウミカンが圧倒的に多い。ウンシュウミカンもそうだが、近頃の蜜柑には殆ど種がない。種なし蜜柑が一般に出回るようになったのは明治以降だそうだ。江戸の家父長制のもとでは、種なしは子孫が途絶えるということで嫌われたらしい。

  夜行過ぎ蜜柑山また里に帰す  堀井春一郎(1927-1976)

 夜行列車が夜の静寂を破って、蜜柑山の麓を走り抜けて行く。走り過ぎてしまえば、何もなかったように、またもとの静寂が戻る。この句意に特段の問題はないようだが、「また里に帰す」には作者の感慨が込められているように思う。何か期待感のようなものとともにやって来た夜行列車。しかし何事も起こらず、列車は過ぎてしまう。期待感が崩れた寂しさと、里はやはり里であるとの安堵感を表しているように思われる。
 もの心ついた僕が小学2年生まで過ごした山里も、遠くに汽車が過ぎ行く故里である。夏蜜柑はあったが、冬蜜柑があったかどうかは記憶にない。

芭蕉の秋

2014年11月17日 | Weblog

   此の道や行く人なしに秋の暮

 或る連句の席でこの句は詠まれたが、その時もう一句、

   人声や此の道かへる秋の暮

もつくり、「此二句の間、いづれをか」と門人らに示したという。良い方を発句にしようというのである。それで、前句の方が良いということになって、これを発句として半歌仙(十八句の連句)が巻かれた。
 しかし、この二句はどちらが良いというものではなく、芭蕉の内面では等量の重みをもっていたのではないか。人の群の中で生きることと、単独者として生きることは、芭蕉にとっては二者択一の問題ではなかったと思う。人の群の中で生きながら、なお単独者として己の道を追求したのが芭蕉だったと思う。
 芭蕉でなくても、秋には人の群の中で単独者でいる己を見出すこともあろう。

森林の力(再掲)

2014年11月16日 | Weblog

 林野庁のホームページによると次の等式が成り立つそうだ。

    国内の森林≒443億リッポーメートル

 この等式は、国内の生活用水の3年分に相当する約443億リッポーメートルの水を保つ力が、国内の森林にある、という事を表す。こう言われても実感できないが、保水力が森林に備わっているとい事は周知のところである。
 森林に降った雨水は、スポンジのように柔らかい森林の地面に染み込み、地層によって濾過されて徐々に河川へ流れる。森林が保水に優れ、「緑のダム」と呼ばれるのも故ある事である。
 森林の木々は根から水を吸い上げ、葉から水蒸気として大気に戻す。森林が気温を下げているのはこの時の気化熱のおかげである。この他にも、土の中に張り巡らされた根が土砂崩れを防いだり、微生物から動物まで様々な生物を育んだり、また言うまでもないことだが、二酸化炭素の吸収に大きな役割を果たしている。
 森林の重要性をもっともっと認識する必要がある、と強調したことがあったが、都会の若い人は怪訝な顔をしていた。

銀杏

2014年11月15日 | Weblog

 僕んちの近くの銀杏が黄葉し始めている。今年は紅葉・黄葉が遅いような感じがする。
 子供の頃、親戚の寺にあった銀杏の老木の周りで遊んだ憶えがある。盛り上がった根に乗って乳房(チブサイチョウという特殊な銀杏があることは後で知ったのだが、)に飛びついて、転んで足をくじいたことがある。その老木は何故か後年伐採されてしまった。
 銀杏は雌雄異体。晩秋に銀杏の実がたわわに実る。実といっても果実ではない。果肉のようなじゅくじゅくした部分は種子の皮にあたる。独特の臭気を放つこの皮に含まれるイチョウ酸で皮膚がかぶれる。かぶれたら痒い。
 多肉質の皮を取り去ると銀杏(ぎんなん)が出てくる。デンプン質に富み、タンパク質、脂肪など、種々の栄養素を含む。滋養あふれる健康食材だ。茶碗蒸しの具にするだけではもったいない。子供の頃は火鉢の炭火で焼いて堅い殻を剥いで、よく食べたものだ。焼くとき気をつけなければならないのは、堅い殻に空気穴をあけておくことだ。これを忘れると、はじけて痛い目にあう場合がある。
 銀杏の大木でよく知られているのは、鎌倉・鶴岡八幡宮の老木である。この八幡宮は八百年を越えた。銀杏の樹齢は八百年を越えることになる。大木・老木に何か神秘的なものを感じるのは何故であろうか。
 僕んちの近くの銀杏はまだ幼木である。住宅開発が迫ってきても生き残ってくれることを願わざるを得ない。
 秋が深まりつつある。

想像するということ

2014年11月13日 | Weblog

 想像には大別して三種類あるように思う。
 一つは再生的想像。これは過去の体験を思い出す想像で、連想と言ってもよく、経験の支配下にある。
 もう一つは産出的想像。これは過去の体験をもとにする場合もあれば、そうでない場合もある。
 前者の場合の産出的想像は過去の体験に導かれて何らかの新しい事柄を連想する。
 後者の場合の産出的想像は過去の体験に縛られないで、且つ人間の内面の深みから何らかの新しい事柄を想像の上で産出する。秀でた芸術家や科学者にインスピレーションとなって生じるような産出的想像である。
 もう一つの想像は単に空想と呼ばれる想像で、これは誰にでも備わっているが、発揮できるか否かは人による。この第三の想像が昂じると幻想という熱を帯びた想像になる。
 熱を帯びない空想を無為の空想と言うことにする。決して自画自賛する訳でもなく、お勧めする訳でもないが、僕はこの無為の空想をよくする者である。目的がないから熱を帯びることもなく、かといって睡魔に襲われることもなく、ただ何となく空想に浸る。無為だと意識することもない。こういう人も居るであろうか。居ると思う。居るから、抽象画のような、鑑賞者におもねる事が無く、目的意識の無い文化が生まれてきたのだと思う。こういう思いを手前味噌という。手前味噌であって、僕の空想が文化を造るとは断じて思わない。ただ、無為の空想に浸るという事はただ単にいい事だと思う。