自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

廃炉まで長期戦

2011年03月31日 | Weblog

 だいぶん以前から原発に関心を持っているので、今回の大事故について記さざるを得ない。
(朝刊より)
 津波被害で危うい状態にある福島第一原子力発電所の原子炉を落ち着かせる作業はますます難しく、そして長びく様相を見せている。【巨大地震と巨大津波が原発事故の原因であるが、原因はそれだけだろうか。40年間も稼動させてきた間に沸騰型原発の様々な部品が劣化して、その劣化した全部の部品を取り替えたであろうか。】
 強い放射能を帯びた水が建物の地下などに大量にたまって作業の邪魔をする一方で、原子炉や核燃料の貯蔵プールを冷やすには、水を注ぎ続けるしかない。だが、注げばそれだけ汚染された水があふれ出す。1~4号機の現場で、そんなバランスが必要なきわどい作業を根気よく続けながら、放射性物質が外に出るのを抑え込んでいく。それが目下の課題である。時間がかかることを覚悟しなければならない。【どれぐらい時間、日数、年数がかかるのかを責任者は言うべき時期に来ている。】
 長丁場の闘いとなれば、この際、しっかり態勢を立て直すことが求められる。なにより忘れてならないのは、現場で働く人たちのことである。【現場で働くことを下請け会社や孫請け会社の人々に任せてはいないか。】
 その過酷な状況の詳しい様子が、今週になって原子力安全・保安院によって明らかにされた。発電所の敷地内は高濃度の放射性物質が飛び散っているため、作業する人たちは外気の入らない特別の建物に集まり、床で毛布にくるまって雑魚寝している。食事は1日2回、朝は乾パンと野菜ジュース、夜も非常食のご飯と缶詰だ、という。【こんな食事状況におかれるのは何故?】
 放射能レベルが高く、瓦礫も散らばる場所で危険に直面しながらの作業である。現場を離れた時くらいは休息を十分にとれるよう、東京電力と政府は手を打ってほしい。それは、二次被害を防ぎ、原子炉を早く安定させることにもつながる。限度を超えた疲れは、作業ミスの引き金になりかねない。【このことを東電や政府は肝に銘じるべきだ。】
 放射性物質が大気や海に出るのをできる限り抑えながら、効率的に作業を進めるための方策を編み出すことも、今後の重要な課題だ。それには、国内外の知恵の総動員が必要である。
 四つの原子炉施設で同時並行に、不安定状態の制圧をめざす、世界でも例のない難作業である。
 長い闘いは総力戦である。

【残念ながら、スリーマイル島、チェルノブイリ、フクシマという歴史が生まれた。】

廃炉まで50年!?

2011年03月30日 | Weblog

(共同ニュースより)
 建屋の地下にたまった水で作業員3人が大量被ばくした東京電力福島第1原発で、実際に復旧作業にあたった下請け会社の男性社員が30日までに共同通信の取材に応じ、被ばく事故現場に放射線量を管理する責任者がいなかったことを問題点として指摘した。
 男性はさらに、汚染された水に足が漬かった状態で3人が作業していたことについても「普通は水の中に入って作業なんかしない」と述べ、東電の安全管理のあり方に疑問を投げかけた。
 3号機タービン建屋地下で24日に被ばくしたのはケーブル敷設作業をしていた下請け、孫請けの3人。そのうち、作業をしていたのは孫請けの作業員1人で、下請けの2人は現場監督だった。孫請けの作業員ほど、危険が高い難作業を任される構図になっていた可能性もある。男性は3人が被ばくした事故の問題点として、近くに線量管理の責任者がいなかったことを挙げた。
 現在、放射線量の低い場所の作業は一日8時間に及ぶこともある。作業員は全員、敷地内の免震重要棟で寝泊まりし、乾燥米や缶詰など1日2食、1・5リットルのペットボトルに入ったミネラルウオーター1本という過酷な条件下にいる(この件は多くのマスメディアで報道された)。
 男性は、東電が作業員を集めるために日当として1人数十万円を払うという新聞記事を読んだ。「そんなことはない。作業は何年もかかるし、多くの人員が必要だ。誰がそんな金を出すのか」とあきれる。
 深刻な状態が続く1~4号機は廃炉になる可能性が高い。男性はずっと第1原発に携わってきた。「廃炉作業が終わるまでには50年くらいかかるのではないか。できれば最後まで作業を続けたい」と心情を吐露。近く、第1原発に戻るという。

(廃炉まで50年もかかるのか! 政府の一部に福島第1原発の再稼動を促す声がある。今の時期、何を言っているのか。
大企業では下請け、孫請け会社の作業員が危険にさらされるのか。)

被災地の生活の再建

2011年03月29日 | Weblog

 政治の場で「復興」を巡る議論が始まった。港湾や道路といったインフラや公共施設の修復、日本経済を再び浮揚させることだけが、復興ではない。何よりも被災者の生活の再建が、その柱でなければならない。
 ではどこに住むか――。被災された方々は重い現実に突き当たる。
 津波にのみ込まれた海岸に再び居を構えようという人は少ないだろう。山が迫る湾沿いに、残った土地は少ない。港近くの高台への住宅移転を検討する市もある。土地の権利調整という難題もある。自治体の行政と商業施設を一緒に移さねばならない街もあろう。既に県外に移設(当面の間)している自治体もある。
 高齢化が進む地域でもある。再建の余力のない世帯は復興公営住宅に入ってもらう形になるかもしれない。孤立する人が出ないよう、住民のきずなを維持する工夫も必要だ。
 街づくりとともに、生業の復興は難しい課題だ。漁港も養殖場も工場も甚大な被害を受けた。すべての復旧はかなわない。産業施設をある程度集約し、災害に強い、活気のある海洋都市を目指すしかない。
 仮設住宅を経て、自立まで。将来を見通せなければ、故郷に見切りをつける人、集落ごとの転出を選ぶ例も出てくるかもしれない。長い、険しい道のりが続く。
  国がすべきことは何か。自治体と知恵を絞り、生活や住環境の再建を支援する財源をきちんと用意する。前例にとらわれず、被災地・被災者の事情にあった制度を整える。その上でどんな街を再生し、暮らしを落ち着かせるか。被災者自身が復興の道筋を話し合い、絵を描き、選択できるよう、明かりをともし続けることだ。

 それにしても、と言わざるを得ないのだが、原発の大事故がなければ、と思わざるを得ない。この大事故の処理状況は悪くなる一方だ。僕の想像では、処理に10年以上かかる。その間に重大な核汚染がないことを・・・。

「森は海の恋人」の漁場もほぼ全滅か。

2011年03月28日 | Weblog

(本ブログ、08年11月20日の記事より)
 平成2年の或る雑誌に次のような広報記事が載っていた。「森は海の恋人」というキャッチフレーズが生まれたのは、岩手県室根村と宮城県唐桑町の協力による植樹活動が始まつた平成元年以来のこと。室根村は県境にある典型的な山間地域で、村のランドマーク、室根山(859m)から東へ20キロも行けば、宮城県気仙沼市である。気仙沼湾ではカキ、ホタテの養殖が盛ん。その美味しい貝を育てる養分は海水そのものにあるのではなく、室根山から注ぐ「大川」の水が運んでくる。カキやホタテに限らず、海の豊かな貝や魚を育てているのは、山からの水である。室根山にはミズナラ、トチ、ケヤキなどが毎年植林されている。こうして、山と海が再び結ばれ出している。

 今日の朝刊によると、気仙沼湾での漁もほぼ全滅だとのこと。
 約20年間にわたって5万本以上の木を植え続けてきた。気仙沼湾は豊かになり、カキやホタテの養殖はこれから最盛期を迎えるはずだった。しかし、今回の津波で、70台の養殖用いかだや5隻の船、いけす、作業場、作業機械など、所有していたほぼすべてを失った畠山重篤さん(67)は、NPO法人「森は海の恋人」代表。毎年実施している植樹祭も開催できるかどうか、わからない。
 畠山さんはしばらく無言で海を見つめ、つぶやいた。「今はまだ、何も考えられません。ただ、たとえどんなことがあったとしても、漁師は海から離れては生きられないと思うんです」。
 ご健闘を祈念するばかりです。

文章作法の奥にあるもの

2011年03月27日 | Weblog

 何かについて書く事を毎日続けられるのは何故だろう。その日によって内容も異なり、文章作法も違う。誰が見てもつまらない内容であったり、表現も変だったりする。僕自身こんな事を毎日するとは思ってもみなかった。書き出して、今日は休もうと思った事が何度となくある。何故こんな苦しみを味わわなければならないのかと、少々怒りに似た感情を抱いた事もある。
 そんな時、何でもいいから書く事、それが目的なんだ、と定年後の自分に言い聞かせる僕が居る。
 文章作法がどうのこうのと言っても、元々作法なんてものは身につけていない。ただ、書く時ほど書くという意識に苛まれる時はない。
 同じ事をしゃべるのと書くのとでは何か決定的に違うような気がする。頭が一番うごめいていると自覚できる時が書いている時なのではないだろうか。頭がうごめいているという状態は説明できない。比喩的に言えば、開かずの扉をこじあけているという、そんな感じ。そんな感じが、とにかく、文章作法の奥にあるような気がする。こんな気持ちで書き続けていいのだろうか。すっごく不安。
 今の時期、贅沢な不安ではある。被災地の方々のご苦労と懊悩を思わざるを得ない。

(今日はちょっと遠出してきます。)

四季の歌

2011年03月26日 | Weblog

 被災地の方々へ。
 まだまだ先の計画を考える余裕をお持ちではないかもしれません。
 一人ででもグループででも歌いませんか。
 被災されていない方もご一緒に♪

    四季の歌

  作詞・作曲 荒木とよひさ

1 春を愛する人は心清き人  すみれの花のような僕の友達


2 夏を愛する人は心強き人  岩をくだく波のような僕の父親


3 秋を愛する人は心深き人  愛を語るハイネのような僕の恋人


4 冬を愛する人は心広き人  雪を溶かす大地のような僕の母親

原発コスト(再掲)

2011年03月25日 | Weblog

 朝刊によると、今回の原発事故が、放出された放射能の推定量からみて、国際評価尺度で大事故にあたる「レベル6」に相当することがわかった。これはスリーマイル島原発事故(レベル5)を上回る規模である。
 ところでこの大事故の処理に幾らかかるのか、想像もつかないが、本ブログの過去記事(09年3月)がもしかしたら参考になるかもしれない。

 (03年に切り抜いた新聞記事から。温暖化対策で原発の効用を再認識しようという情勢がある。原発について考える材料としたい。)
 原発の使用済み核燃料の再処理など、核燃料サイクルを前提にした原発の後処理費用が、総額18兆9千億円になるとの試算を電気事業連合会が公表した。電力業界や政府は、天然ガスや石炭火力発電に比べ原発の発電単価は割安としてきたが、後処理費用を加えるとコストの優位が薄れることになる。
 試算は再処理工場が06年から40年間操業することが前提。後処理費用18兆9千億円を、この期間に原発で発電すると想定される電力量で割った発電単価は、1キロワット時あたり1.53円、集めた資金を使うまでの運用益を現在の金利水準で見込むと同1.13円になる。この半額近くにあたる再処理工場の操業費と高レベル放射性廃棄物の処理費は、既に電気料金として徴収が始まっている。
 発電単価は、99年に政府の総合エネルギー調査会(当時)原子力部会の試算で、原子力が5、9円、天然ガス火力が6、4円、石炭火力が6、5円、石油火力が10、2円とされた。原発の発電単価に後処理費用を織り込むと、6円台になるとみられる。
 経済産業省や電力業界は、一貫して「原発の発電コストはほかの電源より割安」とし、原発推進の拠り所としてきた。だが、後処理費用を上乗せすると、原発の経済優位は薄らぐ。
 電気事業連合会は、中東依存度の高い石油と比べ、ウラン燃料は安定して調達できることや、二酸化炭素を排出せず環境負荷が小さいことなど、総合的に判断すると、依然、原発の優位は崩れないとの立場を維持する。
 それでも、後処理費用の追加負担について、電力業界には「全額負担は重すぎる」との意見が根強い。これまでは地域独占が認められ、発電コストも総括原価主義で電力料金に上乗せすればよかった。
 しかし、00年から始まった電力の小売の自由化で、新規事業者との激しい価格競争が強いられている。石炭や天然ガス火力などで発電した安い電力を武器にシェア拡大をめざす新規事業者に対し、電力各社は1基で4千億円とされる原発の新規建設計画をもつ。
 さらに巨額の後処理費用の大半を電力会社が負担すると、競争上不利との見方もある。「自由化の中で膨大な原発コストを回収できるか? 原発をもつこと自体がリスク要因になる時代に入り、株価にも影響を及ぼす」とも言われる。
 一方、放射性廃棄物の最終処理には数万年という管理が必要で、費用の負担も長期にわたる。このため電力業界には「数万年は企業の負担を超えている。原発の恩恵は誰もが受けているので、後処理も広く薄く負担してもらいたい」と、新規事業者や政府にも引き受けを望む意見が多い。
 しかし、経済産業省は追加支援に否定的だ。再処理工場の操業費徴収制度で税制上の優遇を講じている上、収益力の高い電力会社にさらなる支援をする説明がつかないためだ。今後の役割分担や費用負担については、これから議論が始まるが、簡単には結論が出にくい情勢だ。
 原発の使用済み核燃料の再処理など、核燃料サイクルを前提にした原発の後処理費用に18兆9千億円かかるという。気の遠くなる金額である。さらに、最終処理には数万年という管理が必要だとのこと、これもまた気の遠くなる話だ。
 ところで、日本の核燃料サイクル事業とは、使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、再利用する事業のことだ。高速増殖炉で使う予定は95年の「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故で停止した。国や電力会社は当面、プルトニウムをウランとの混合酸化物(MOX)燃料に加工して原発で使うプルサーマル計画を進めているが、東京電力の計画は原発トラブル隠しで福島県や新潟県が事前了解を撤回。


 以上のような巨大な価格、数万年という年数、必ず起こる事故などに鑑みるとき、原発が電力供給源として果たして必要なのかという問題が現実味を帯びてくる。欧州では、脱原発の動きが主流であったが、ここ数年来原発推進に動いている。この欧州の動きも日本の原発擁護派を刺激した。
 原発に替わる電力源として、太陽光発電や燃料電池などのコストダウンにもっと税金を費やすべきではないか。さらに、それに先だって、電力需要を企業や家庭が抑える努力をすべきである。これは難しいことであるかもしれないが、抑えなければ、原発を生業としている電力事業会社と国の言いなりになるかもしれない。価格、年数、事故、この三者を乗り越える術のひとつは需要者側にあると思う。一説に、自動販売機を全部無くせば、原発の3分の1は不必要になる。昼夜逆転の生活を元に戻すことも一つの術であろう。僕らは、出来るところから電力需要の減に心がけねばならないと思う。無謀な原発に頼らないために。

ことば

2011年03月24日 | Weblog

  ことば

ことばが生まれるとき
こころの中に道が通ります
行き先はあなたが決めます
山を越えるか 川を渡るか
その間に 見つけることば
あなたのこころで結晶したことばは
あなたの勇気になります

ことばはある日 突然やってきます
驚かないように 訓練する勇気
勇気をもたなければならないのは
あなた つまり ぼくなのです


(ことばづかいの達人・梶井基次郎の短編『冬の蝿』を読んでいたら、今日が「檸檬忌」であることに気がついた。1932(昭和7)年、31歳の若さで病没した作家・梶井基次郎の命日である。彼は関東大震災に遭っていたと思われる。)

放射性降下物との永い闘い

2011年03月23日 | Weblog

(朝刊より)
 福島第一原子力発電所の大事故は、地元の福島県内はもちろん、近隣の県に住む人々の前にも、気がかりな数字をいくつも突きつけている。
 文部科学省が公表した環境放射能の調査では、この原発から約120キロ離れた茨城県ひたちなか市や200キロ以上の距離にある東京都新宿区で、上空から降ったとみられる放射性のセシウム137やヨウ素131が、相当量測定されたという。これらの値のなかには、国の放射線管理区域の基準値を超えるものもあった。原発の外へ漏れ出た放射性物質が大気中を漂い、大地に降っている実態がわかる。
 菅首相が一部の農産物の出荷停止を指示したのも、ホウレンソウなどの品目で規制値を超える放射性物質が見つかったからだ。
 一つひとつの数字を見てパニックに陥るのは禁物だ。だが、甘くみるのはもっといけない。政府は急いで詳しいデータを集め、打つべき手を考えて適切な判断を下さなくてはならない。【この文脈で「だが」に注意!】
 忘れてならないのは、原発災害などで漏れる放射能の影響を永い目でとらえる必要があることだ。
 いったん環境に放たれた放射性物質は回収が難しい。種類によっては長く大気にとどまり、土壌に残って放射線を出し続ける。セシウム137ならば半減期は約30年だ。それに接したり、体内にとり込んだりすると、悪さをする。環境中の値が基準より低くても、影響がまったくないわけではない。
 しかも、人々が放射線に長い間少しずつさらされる場合、健康被害は時間がたって表れることが多い。
 たとえば、人体のDNAを傷め、がんを起こす可能性は数年から10年以上の時間尺度で考えなくてはならないといわれている。微少とはいえない放射性の降下物が広い範囲に散ると、長い年月を経て、人々の発がんの確率がほんのちょっと高まる。だが、その幅はきわめて小さいので、一人ひとりはあまり神経質になることはない。【この文脈で「だが」に注意!】
 【わたしたちは、この「だが」の文脈で生活しなければならなくなった。】
 いま最も重要なことは、事故炉から大量の放射性物質が出ることを食い止めることだ。そしてその先には、環境と健康の被害を最小にするための永い闘いが待っている。
 【広島・長崎を経験した日本がこんな闘いをしなければならないとは、誰が予想したであろうか。】

渡水看花

2011年03月22日 | Weblog

 めったにデパートに行かないが、用があって行ったら、所要のものが入るまで一時間かかると言うので、本屋で立ち読みをして過ごした。書棚を巡った。『旅でもらった一言』という、俳優の渡辺文雄の本を何気なしに開いて読んだ。この人の文を読むのは初めてだ。実に読み易い。感心した。立ち読みで全部読んだ。題名の通り作者が旅の最中に話をした人の一言についての感想、後日談などを集めたアンソロジーである。その最後の話を紙切れにノートしてきた。

    渡水看花
   
   渡水復渡水
   看花環看花
   春風江上路
   不覚到君家
 (水を渡り、復(ま)た水を渡り、花を看て環(ま)た花を看て、春風江上の路、覚えずして君の家に到る。)

 明代の高啓の作。友人の胡隠君を訪ねた有名な詩だそうだ。何の不思議もない情景描写のように思えるが、最後の「君」について議論があるそうだ。「君」は阿弥陀様のことだとの解釈があるらしい。渡水看花とは来世に行く風景。死出の旅路は恐ろしくない事を詠んだ詩との解釈があるらしい。
 そして、作者・渡辺文雄が肯いているのは、この詩は、逝った人に贈る詩でもあるが、見送る人がこの詩で和むのだ、という事である。僕はそうかも知れないと思った。昨日は彼岸の中日だった。

原発に関する世論

2011年03月21日 | Weblog

 1999年9月30日午前10時35分ごろ、茨城県東海村にある株式会社JCO東海事業所のウラン加工工場で、日本で始めて「臨界事故」が起こった。作業員3人が大量の放射能を浴びて倒れ、病院へ運ばれたが、そのうち一人は12月21日に亡くなった。ほかにも60人あまりが被爆した。
 「臨界」状態は、決死隊が数分交代で工場に突入し、沈殿槽の弁を壊して冷却水を抜いたことで約20時間後に停止したが、工場内はもちろん、工場外にも放射能が洩れて、半径350m以内の住民には避難を半径10キロ以内の住民約30万人には屋内退避の措置がとられた。
 国際原子力機関(IAEA)が定めている原子力施設の事故のランクによると「レベル4」。もしかすると「レベル5」に相当するかもしれないと言う。レベル5と言えば、79年に起こったアメリカのスリーマイル島原発事故に匹敵するわけで、日本で起こった史上最悪の事故であった。今回の福島第1原発の事故は「レベル5」。僕の素人考えではレベル5とレベル6の間。
 この「臨界事故」をマスメディアが大々的に報道にもかかわらず、国民は比較的冷静に、あるいは鈍感に受け止めたようだ。事故から一週間後の世論調査によると、「このような事故が起きると思っていた」人が43%もあり、「日本の原子力発電は、今後、どうしたらよいと思うか」という問いに対する答えも事故前に思っていた比率と事故後に思った比率が殆ど変らなかった。ちなみに、その数字を挙げてみる(カッコ内は事故前)。
 「増やすべきだ」8%(10%)
 「現状維持に留めるべきだ」50%(50%)
 「減らす方がよい」24%(20%)
 「やめるべきだ」13%(11%)
 そして、「原子力発電を推進することに賛成か、反対か」という問いに対する答えが、賛成35%、反対42%と出たが、これは過去20年間のデータとあまり変化がないということであった。レベル4ないし5の事故後も原発に関する世論にあまり変化がなかった。
 86年4月のチェルノブイリ原発事故で賛否が大幅に逆転したが、90年代になると、また揺れ戻しというか賛否の差は再び接近し、96年以降だいたい6~7ポイント差で賛成が上回って現在に至っている。その理由は、原子力発電の実績の積み重ねと地球環境問題の影響だろうと思われる。原子力委員会は、原発の安全性とともに、クリーンさを盛んに宣伝した。
 この流れから、東海村の事故はスリーマイル島事故やチェルノブイリ事故の際のような大きな動きをもたらさなかったことが分かる。国民は極めて冷静に、あるいは鈍感に受け留めたと言えるだろう。

 今回の福島第1原発の事故に際して、世論はどう動くか。あまり動かないようにとの願いを込めて、関電などは「安全対策」に巨費を投入しようとしている。

春思 

2011年03月20日 | Weblog

   春 思   賈至(かし) 盛唐

草色青青柳色黄   草色青青として柳色黄なり
桃花歴乱李花香   桃花歴乱として李花香(かんば)し
東風不為吹愁去   東風(とうふう)為に愁いを吹き去らず
春日偏能惹恨長   春日偏に能(よ)く恨みを惹いて長し

(草は青々として、柳は黄色に芽ぶき、桃の花は咲き乱れて、李(すもも)の花はかぐわしい。でも、春風は、愁いを吹き払ってはくれず、春の日は、ただ尽きぬ嘆きをひきおこすばかり。)

 前半は明るい春の情景を詠う。青、黄、紅(桃の花)といった色彩のコントラストと、香り。後半は一転して麗しい春の日にいや増す悲愁。何となく僕の心情を代弁してくれているようで、この詩を読むと、かえって安堵します。

 戦後最悪の災害に襲われた被災地の方々に日々の安堵感が訪れるのはいつの日だろうか。被災地から遠く離れて生活している僕らにどんな共助が出来るのか。僕ら一人一人が考え行動に移さなければならない。
 こんなことを言うのはまだ早いが、被災者の方々が毎日1分でも2分でも、可能なら1時間でも安堵を感じられるようにと思わざるを得ない。

大震災発生から1週間:被害、戦後最悪

2011年03月19日 | Weblog

 国内観測史上最大の巨大地震に襲われた東日本大震災の被災地は18日、発生から1週間を迎えた。近く仮設住宅の建設が始まるなど復興へ向けた動きも出始めたが、物資不足が続く。被災者の厳しい状況は変わらず、約38万人が不便な避難所生活を強いられている。死者は6911人に上り、阪神大震災(死者6434人)を超えて戦後最悪の自然災害となった。
 政府の緊急災害対策本部によると、被災地ではこれまでに、自衛隊や消防などが計約2万7000人を救助。それでも18日午後5時現在、1万人以上の行方がわからない。
 岩手県では、県庁など各地で地震発生時刻に合わせて職員らが1分間の黙とうをし、犠牲者を悼んだ。今後は徐々に行方不明者の捜索から被災者の生活支援に重点を移す。陸海空の自衛隊でつくる「統合任務部隊」の君塚栄治指揮官も同様の方針を表明。
 福島県は原発事故の影響で県外に避難する人が増えているため、受け入れ先自治体に連絡調整役の県職員を派遣することを決めた。県によると、山形、新潟、群馬、栃木、茨城、埼玉の6県が受け入れを表明している。
 仮設住宅の建設も始まる。岩手県は陸前高田、釜石両市で計300戸の建設へ向け19日に着工。第1陣は4月上旬には入居できる見込み。福島県でも相馬市で建設用地を選定中で、早期に着工する。国土交通省によると、岩手8800戸、宮城1万戸、福島1万4000戸などの建設を各県知事がプレハブ建築協会に要請している。
 東北電力では約32万戸が停電(18日午後3時現在)。ガスも大部分が停止したままだ。水道は宮城約45万戸、福島約23万戸、岩手約8万戸など、11県で少なくとも100万戸が断水している。
 国交省によると、被災地の高速道路や国道などの幹線道路は94%が応急復旧したが、市町村道などでは寸断された箇所も多い。東北新幹線は那須塩原-新青森間で不通だが、盛岡-新青森間は23日に再開予定。在来線は不通区間が多数残る。
 気象庁によると、18日正午現在、マグニチュード(M)5以上の余震は少なくとも262回あり、うちM7以上は3回。今後、M7以上の余震が起きる確率は、同日午後3時から3日以内が30%、その後3日以内は20%となっている。
 福島第1原発を放射線漏れ許容範囲で廃炉にするには、今日が山場か。

(今日はちょっと遠出してきます。)

原発事故との闘い

2011年03月18日 | Weblog

(朝刊より)
 福島第一原子力発電所に、自衛隊員が操縦するヘリコプターが何度も水をまいた。地上からは警視庁の機動隊員と自衛隊員が放水を試みた。
 原発のまわりは、漏れ出た放射性物質でひどく汚染されている。いずれも重い防護服に身を包み、被曝量を測りながらの、決死の作業だ。
 きのう朝から夜にかけて、原発の冷却に向けての作業を、私たちは固唾をのんで見守った。
 東京電力や協力会社の作業員、消防隊も、地震の発生以来、不眠不休で経験のない災厄に挑んできた。津波やこれまでの爆発で、行方不明やけがをした人もいる。さらに、第一原発の制御を取り戻すため、多くの作業員が電源の復旧作業に取り組んでいる。
 事態が少しでも好転してほしい。
 そして、まさしく生命をかけてこの難局に立ち向かう人びとの被害が、最小限に抑えられるように――。 努力が結実することを願う。
 ひとたび重大な原発事故が起きたとき、誰が危険をおかして作業にあたるのか。これまで突っ込んだ議論を避けてきた私たちの社会は、いま、この重い課題に直面している。
 軍国主義時代の日本や独裁国家ではない。一人ひとりの生命がかけがえがなく、いとおしい。そこに順位や優劣をつけることはできない。
 一方で、誰もが立ち向かえる仕事ではない。電気をつくり、供給することを業務とし、専門の知識と技術をもつ人。一定の装備をもち、「事に臨んでは危険を顧みず」と宣誓して入隊する自衛官。同じく公共の安全の維持を責務とする警察官。
 もちろん自衛隊や警察にとっては、およそ想定していなかった仕事だ。しかし、事態がここまで進んだいま、私たちは、そうした人たちの使命感と能力を信じ、期待するしかない。
 危険な作業はこれから長く続く。この先も、苦渋の選択が求められる場面が何度もあるだろう。
 その判断をし、指揮・命令する立場にある人は、適切な情報に基づいた確たる覚悟が求められる。最終責任を負う政治家も同様である。
 多くの知恵を結集して様々な場合を想定し、三重四重の対応策を考え、物資を調達し、決断する。
 ここを誤り、右往左往し、あるいは責任を転嫁するような振る舞いをすれば、作業にあたる人やその家族はもちろん、国民は何も信じられなくなる。
 私たちは、最前線でこの災禍と闘う人たちに心から感謝しつつ、物心の両面でその活動を支え続けなければならない。
 電気を使い、快適な生活を享受してきた者として、そしてこの社会をともに築き、担ってきた者として、連帯の心を結び合いたい。

(放射線漏れが首尾良く収束することを願う。幸いにして収束した後、原発に関して私たちはどう考え判断するのか。今回の大事故が投げかけた問題である。収束していない今、こんな問題を提起するのは不謹慎だろうか。少なくとも原発の安全性をアピールする楽観的なコマーシャルは止めて欲しい。)

津波被災地から

2011年03月17日 | Weblog

(朝刊より)
 市街地だった場所をがれきが覆い尽くす。泥の中から突き出した腕。コンクリートの廃材から足だけが見える。まるで爆撃を受けたような惨状だ。
 生活の痕跡がかろうじて残る。ぬいぐるみ、ハイヒール、結婚写真……。家族を亡くしたのか、泣きながらアルバムを掘り起こす若い女性がいた。
 巨大な津波に襲われ、壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町。1万7600人が暮らしていたが、その半数近い8千人の安否がわかっていない。
 余震が続くなか、寒波が戻り、底冷えのする被災地に入った。
 高台の避難所では寝具が足りない。教室のカーテンにくるまって寝る子がいる。停電が続くが、発電機はない。暖をとるストーブも少ない。赤ちゃんのミルクは底をつこうとしている。
 ここだけではない。東北地方を中心に40万人以上が避難所に身を寄せるが、物資は決定的に不足している。
 道路が寸断され、救援がまったく届いていない地域もある。
 急がねばならないのは、かろうじて難を逃れた人々が命をつなげるよう、必要な物資を手元に届けることだ。
 被災した人々を懸命に支えるのも、やはり被災者である。【いわゆる共助が行き渡っている。隣人を思い、遠くの被災者を思い、独り善がりにならない被災者の方々の優しさに心打たれる。】
 戦後最悪の自然災害と言われた阪神大震災に比べても、支援の届き方は少なく、遅い。
 その規模さえいまだにはっきりしない被害の大きさに加え、原発事故も救援の行く手に立ちはだかっている。【原発事故によって避難せざるを得ない人々の処へは、放射線汚染という風評被害のため、救援物資が余計に届かない。】
 政府だけではなく各地の自治体は応援を急ぎ、条件が整えばボランティアも被災地に駆けつけてほしい。【ボランティアをオーガナイズする総理補佐官が任命されたが、その後続情報は全く伝わってこない。】
 牡鹿半島などの海岸には遺体が次々と打ち上げられている。自衛隊員らが捜索にあたるが、余震に中断され、思うようにはかどらない。【今回の巨大地震の余震はしつこい。】
 遺体の傷みがひどくなりつつある。土葬が検討されている。身元が確認できないまま埋葬する事態も覚悟しなくてはならないだろう。 そうした際にはDNAを保存しておく必要がある。警察だけでなく、研究者らも協力して、遺族が見つかれば確認できる態勢を整えてもらいたい。
 集落ごと津波にさらわれたという情報もあり、壊滅の言葉が誇張ではなく使われる。街ごと消えるという事態をどう受け止めるのか。被災地のために何ができるのか。【もしも、と言うのは憚れるが、もしも原発事故がなかったら、救援はもっとスムースに行われるはずだ。】