自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

アラン『幸福論』より ②

2010年04月30日 | Weblog
 〈躁鬱の原因〉 一週間毎に躁と鬱が繰り返しやってくる人がいた。診療した心理学者氏が観察をかさね、様々な処置をほどこした後で、ついに重大なことを発見した。血液一立方センチメートル中の血球数の変化を調べた結果、喜びの時期が終わる頃には、血球数が減少し、悲しみの時期が終わる頃には、血球数が増大するという「法則」を発見した。そうして、「大丈夫ですよ。明日になればきっとよくなっていますから」と診断したが、躁鬱の人が信じる訳がない。
 この話に対して、自分は悲しいのだと思いたがっている別の人が言った。「分かりきったことじゃないか。我々の力ではどうすることも出来ないのだから。考えたところで血球数が増える訳ではないし・・・。要するに、どんな哲学も無駄なことだ。この大宇宙はそれ自身の法則に従って我々に喜びをもたらす事もあれば、悲しみを与える事もある。まるで冬も来れば夏も来るように。・・・ぼくが幸せになりたいと望んだところで、そんなこと、散歩がしたいと思うのと大して変わらないではないか。・・・」
 血球数が問題だと知る事は、悲しみを突っぱねてしまう事だ。本当の友人が居ないというよりも、血球数が少ないという方がいいではないか。

(はてさて、躁鬱の原因が血球数の増減だとは?この増減は「大宇宙の法則」だと言うのであろうか。僕にも喜怒哀楽がある。今日は連休中の谷間。外出したくないのに、夜、会議がある。夕方から出かけるのは億劫である。血球数が減少しつつあるような心持ちがしてきた。)

アラン『幸福論』より ①

2010年04月29日 | Weblog
 アラン、本名エミール・シャルティエ(1868-1951)の『幸福論』は幸福について体系的に書かれた書物ではなく、93のテーマについて断片的にウイットをもって書かれ、全体として幸福に関する事柄を扱った書物である。正直に言って僕はフランス人のウイットを解せない愚鈍を自認する者であるが、昔かじったこの『幸福論』から気になる所々を、多少編集して抜書きしておきたい。

 〈原因はピン〉 幼な子が泣き止まない時、乳母はその子の幼い性格について、好き嫌いについてあれこれ想定する。心理学的詮索の後に乳母は、すべての原因がおむつの中のピンにあることに気がついた。・・・
 現代の外交官たちはみんな、彼らのおむつの中に刺し損ねたピンをもっている。そこからヨーロッパの紛争が出てくる。・・・1914年の不幸(第一次大戦)は、要人たちが不意打ちをくらったことから生まれた。そこから彼らは怖がってしまった。人間が怖がると、怒りが遠からず起きる。興奮すると直ぐに苛立つ。・・・でも、人間というものは意地悪なものだと言ってはだめだ。彼らがこれこれの性格を持つと言ってはだめだ。ピンをさがしたまえ。

(近頃の要人たちのおむつの中にあるピンとは、どんなピンなのだろう。自己中という大きなピンと追随というピンに違いない。こんなことを言うから、僕にはウイットがない。)

木の「昼寝」

2010年04月28日 | Weblog
 深い森林の上層部を「林冠」という。そこは、枝葉が繁り光合成が盛んだ。林冠の調査研究の先鞭をつけたのは、今は亡き井上民二だった。この調査研究はその後急速に進み、最近分かった面白い事がある。マレーシア・サラワクと北海道・苫小牧の森林での比較調査での事。苫小牧ではイタヤカエデ、ミズナラなど6種、サラワクではナンヨウクスなど2種を調査。日中には光合成が鈍る、木の「昼寝」の仕組みが解明されたという。
 光合成には光、二酸化炭素、水が必要。だが、光が強まると光合成が盛んになり、木の上部への水の供給が追いつかなくなる。葉からの水分蒸発を防ぐために気孔が閉じ、その結果、気孔からの二酸化炭素の摂取量も不足する。こうして、測定された8種すべてで、午前10時から午後3時頃に光合成の量が大きく落ち込んでいた。この現象を木の「昼寝」という。5時間もの「昼寝」。うらやましい。
 だが、うらやましいとばかりは言っておれない。「森林、とくに熱帯雨林の破壊は急激で、現状では研究が追いつかない」そうだ。森林破壊が警告されて何十年経つのだろうか。砂漠化や地球温暖化が進む一方だ。「林冠」研究で分かった事は面白い事だけではなかった。

ミミズ

2010年04月27日 | Weblog
 これから暑くなるとミミズが道の上に出て来る。理由は定かではないが、雨水が巣穴に流れ込み、避難して路上に出て来るという説がある。
 どちらかというと、ミミズは嫌われ者の生き物かもしれない。だが、ミミズたちは農業の縁の下の力持ちである。土中を縦横無尽に動き回ることで土が柔らかくなり、酸素も行き渡る。土と有機物を体内に通し団粒をつくる。その糞はカルシウムに富み、弱アルカリ性の土壌を生む。肥えた土にはミミズがいるというのは、多くの人が知るところである。(要らぬことを言えば、ミミズのような役割をする人々が居てこそ、社会は維持される。そういう人々の役割が十二分に認められる社会であってほしい。)
 ものの本によると、かつて東京の某デパートでミミズが売り出され、長野県産の5万匹のミミズがあっという間に売り切れたという。買った人々は家庭菜園に放したに違いないが、ミミズたちは元気に活躍しただろうか。
 進化論のダーウィン(昨年、生誕200年)の晩年の研究テーマは「ミミズと土壌の形成」(1881)だった。ミミズの棲む畑に産出される有機成分と量を算出し、その有用性を説いている。ダーウィンを持ち出すまでもなく、古くから世界各地でミミズの能力は知られていた。土や植物に関わる神話や伝承も多い。
 稀有壮大な神話の一つに、台湾の創世神話がある。大洪水の後ミミズが無数に現れ土を食らい、糞を出して肥沃な大地をつくったというものだ。おそるべきミミズの能力。
 さて、僕はと言えば、ミミズは嫌いではないが、好きだと言うほどでもない。だが、ミミズには感謝しなければならない気がする。菜種梅雨や本物の梅雨に入ったら、雨水に耐え切れず路上に出て来るミミズも多かろう。元の土中に戻れることを願う。

再びタイ情勢

2010年04月26日 | Weblog
(気になるので再び新聞より)
 タイのアピシット首相は25日、テレビで演説し、タクシン元首相派勢力「反独裁民主戦線」(UDD)が占拠を続ける首都バンコクの繁華街について、「奪還する。時期は言えないが計画もある」と述べ、強制排除に乗り出す可能性を示した。
 UDD側は反発、全国の支持者に対し占拠地への結集を呼びかけ、対決姿勢を強めている。
 演説には、実力行使には慎重と伝えられてきた治安対策責任者のアヌポン陸軍司令官も同席。司令官は「政府決定に従う」と述べ、軍・政府一体であることを強調した。首相は演説で、議会解散時期について、「即時」から「30日以内」に緩めたUDDの譲歩案を改めて拒否。占拠地からの撤退を強く求めた。
 首相はテレビ演説で、「政治解決を拒絶するわけではない」とも述べたが、UDDは、選挙後の新政権が憲法改正を行うべきとしており、双方の主張は大きく隔たっている。関係筋によると、最後の仲介役として期待がかかる王室とその側近グループは、「不介入」という形で事実上、現政権を支持しているという。
 UDDが首都を占拠したまま、現政権が国会で憲法改正作業に入るのは難しい。だが、再度の強制排除に乗り出して、流血の惨事が繰り返されれば、政権の維持は困難との見方が強い。強気のアピシット政権を手詰まり感が覆っている。
 こうした中、反タクシン派団体「市民民主化同盟」(PAD)を中心とする政府支持派が、30日に大規模集会を計画しており、UDDとの衝突の懸念も出ている。

(第二の【ビルマ→ミャンマー】にならなければいいが。)

JR西事故から5年

2010年04月25日 | Weblog
 107人の死者と562人の負傷者を出したJR西事故から5年、今日、追悼慰霊式が行われた。
 遺族による「慰霊の言葉」では、長男の孝広さん(当時34歳)を亡くした石橋位子さん(64歳)が「JR西日本は一人ひとりの大切な命を無駄にしないためにも、二度とこのような事故を起こさないためにも、安全面には特に配慮してほしい」と涙声で訴えた。
 長女の容子さん(当時21歳)を亡くした奥村恒夫さん(62歳)は午前7時過ぎに献花。「宝物をなくし、自分の残りの人生もなくしたような気持ちでずっといる」と、沈痛な表情で5年間を振り返った。
 次男の昌毅さん(当時18歳)を亡くした上田弘志さん(55歳)は家族で事故現場を訪れた。「5年がたっても事故の真相はまだ分らない。起訴された歴代の社長には、裁判で真実を正直に話してほしい」と祈るように話した。

 僕が思うに、正義は常に被害者の側にある。このモットーを歴代の社長などは肝に銘じてほしい。

タイ情勢

2010年04月24日 | Weblog
(4月8日にタイ国内の騒乱について記したが、まだ解決にはほど遠いのかもしれない。新聞より)
 タイの首都バンコクの繁華街を占拠し、反政府デモを続けているタクシン元首相派団体「反独裁民主統一戦線」(UDD)の主要幹部が二十三日、三十日以内の下院解散を条件に、政府との協議に応じる用意があることを明らかにした。これまで下院の即時解散しか受け入れないとしてきたUDDが初めて、政治的解決に向け、譲歩を示した形だ。
 同幹部は同日、占拠地を訪れたオーストラリアやペルーなどの外交官にこの案を説明。解散後、六十日以内に総選挙を実施することを条件とした。
 一方、軍報道官は二十三日、軍トップのアヌポン陸軍司令官が「武力行使は今の問題を解決しないばかりか、多くの波紋を広げるだろう」と述べ、強制排除を含む実力行使に否定的な考えを示したことを明らかにした。
 タイ行政当局は同日、前夜にバンコクのビジネス街シーロム地区であった連続爆発事件の死者は一人、負傷者は八十五人と発表。ステープ副首相は死者三人と公表していたが、当局によると、病院で死亡が確認されたのは一人だけとしている。負傷者には日本人男性(62)も含まれていたが軽傷だった。

(一日も早い解決を望むとしか言いようがない。政治家ではない僕は妥協というものを好まないが、政治家は行き詰った場合、妥協を得意とするのではないか。)

青い花

2010年04月23日 | Weblog
 青い鳥という表現はよく知られているが、青い花という表現もある。ロマン派の詩人で哲学者のノヴァーリスNovalis(1772-1801)、これはペンネームで本名Heinrich von Hardenbergが詩の中で用いた。詩の主人公は或る夜、「青い花」を夢見て、憧れを感じて以来、青い花がいつも頭から覚めやらず、生涯青い花を求め遍歴した。青はノヴァーリスの好きな色で、青い空、青い山、青い海はロマン派の憧れる「遥かなもの」「無限なもの」を感じさせるのだそうだ。(最近、品種改良されて青いバラが咲いたと聞いたような気がする。青いバラは愛好者にとっては永年の夢だったそうだ。)
 向こうを張るわけではないが、僕は白い花が好きだ。今の家に越して来た頃、猫の額ほどの庭に槿(ムクゲ)の花を植えた。それも、白一色の槿。今年は肥料を念入りに施したので、葉の群れる勢いが旺盛だ。毎年咲き始めるのが近所の槿と比べると遅いのだが、今年はどうだろう。気になる。
 哀しみと気高さと、他に何が要るだろう、と言ったのは誰だったろう。白い花には哀しみと気高さがよく似合う。

志賀直哉『暗夜行路』

2010年04月22日 | Weblog
(ホームページの新着情報の欄(この欄は元々は日記用)に読んだ小説の粗筋を書くことにしている。だいぶ前に、これで何回目か、志賀直哉『暗夜行路』を読み、その粗筋を書こうと試みたのだが、長編の粗筋をまとめることは至難の業で、諦めていた。昨日思いついて肝心要の箇所だけを引用する形でお茶を濁した。)

 《仕事に対する本能的な欲望を時任謙作は持っていたが、母と祖父の間の子という出生の秘密を知ったせいか、放蕩もしくは放蕩に近い生活をおくっていた。意に沿わぬ友人のせいでもあった。
 妻の過失にいつまでも拘泥する自分の心の拠り所を見つけたくもあった。》

 《長編の終り近くで友人が嗜め、それに応える箇所がある。》
「下らない奴を遠ざけるのは差支えないが、時任のように無闇に拘泥して憎むのはよくないよ」
「実際そうだ。それはよく分っているんだが、遠ざける過程としても自然憎む形になるんだ。悪い癖だと自分でも思っている。何でも最初から好悪の感情で来るから困るんだ。好悪がすぐさまこっちでは善悪の判断になる。それが事実大概当たるのだ」
・・・・・・・・・・
「気分の上では全く暴君だ。第一非常にイゴイスティックだ。――冷たい打算がないからいいようなものの、傍の者はやっぱり迷惑するぜ」
「・・・・・」
「君自身がそうだというより、君の内にそういう暴君が同居している感じだな。だから、一番の被害者は君自身といえるかも知れない」
「誰にだってそういうものはある。僕と限った事はないよ」
 しかし謙作は自分の過去が常に何かとの争闘であった事を考え、それが結局外界のものとの争闘ではなく、自分の内にあるそういうものとの争闘であった事を想わないではいられなかった。
 《伯耆の大山に登る決心をする》
 雨さえ降らなければ、よく近くの山や森や河原などへ散歩に出かける。私はこの山に来て小鳥や虫や木や草や水や石や、色々なものを観ている。一人で丁寧に見ると、これまでそれらに就いて気がつかなず、考えなかった事まで考える。そして今までなかった世界が自分に展(ひら)けた喜びを感じている。お前(妻)に話したかどうか忘れたが、数年来自分にこびりついていた、想いあがった考えが、こういう事で気持ちよく溶け始めた感がある。・・・とにかく謙虚な気持ちから来る喜び(対人的な意味ではないが)を感ずるようになった。・・・お前には色々な意味で本当に安心してもらいたい。

(以上のような抜粋だけで『暗夜行路』の真髄が分るはずもないが、好悪が善悪の判断になってしまうという心境を乗り越えるプロセスをこの小説が描いていることに間違いはない。

日本の本当の良心と思い慕ってきた多田富雄さんが昨日逝去された。享年76歳。本欄でも多田さんに言及したことがある。御冥福をお祈りします。

今日は京都へ行かざるを得ません。)

日本兵を語り継ぐ

2010年04月21日 | Weblog
(朝刊より)
 ドン・キブラーさん(73)
 カンガルーが顔を出す草原に大戦中、日本兵の捕虜収容所があった。オーストラリアのシドニーから320キロ内陸のカウラ市。「鉄条網の向こうで野球や相撲をしている捕虜が見えた」。子どもの目には憎い敵の姿も牧歌的に映った。
 北部のダーウィン市を空襲した日本兵らが収容されていた。「生きて虜囚の辱めを受けず」との戦陣訓が生きていたため、多くは偽名を使っていた。ところが1944年8月、脱走事件が起き、捕虜234人、豪州兵4人が死亡した。成功するはずもない脱走は「名誉の死」を果たすためだった、と後で知った。「それが武士道なのかと思ったが、哀れでならなかった」。
 73年、皇太子だった今の天皇がカウラを慰霊に訪問した後、和解のための日本庭園の建設を提案した。反対意見も出たが「捕虜たちがここを故郷だと思って眠れるように」と訴えた。80年に市議になり、度々来日して日本の財界にも支援を頼んで回った。
 庭園は86年に完成。併設された日本文化センターの会長になった。今では市内一の観光拠点として年5万人が訪れる。2千本を目標にサクラの植樹を進めており、満開になる9月にはサクラ祭りを催す。長年の謝意を伝えたいと現在、来日中。
 「日豪両国が戦ったことを知らない若者たちが増えている。でも歴史から、戦いの後には許し合うことが大切なのだと学んでほしい」。

病む事(再掲)

2010年04月20日 | Weblog
(過去の記事で案外に気に入っているものを時々再掲しています。) 
 十四年前に大病というのか急病というのか、とにかく一歩間違えば彼岸にいく病を得た。それ以来、投薬を続けている。体調はいたって順調ではあるが、順調であるように思えるだけで、病んでいる事は事実のようだ。近頃思うのだが、病は生命のひとつの姿ではないかと。(当然だと言われれば返す言葉がないが。)病む事があるからこそ、生命のバランスを保っているのではないかと。一病息災とはよく言ったものだと。一病であればいいのだが。
 病んだとき、例えば風邪で寝たぐらいのときでも、風の音に耳を傾け、流れる雲を静視する自分に気がつく事があった。
 志賀直哉は交通事故の後養生に城崎温泉へ出かけ、蜂や鼠やイモリの死を見つめる事で死生観を問い直し、『城の崎にて』を書いた。梶井基次郎は肺結核の療養で滞在した伊豆の湯ヶ島で『闇の絵巻』や『交尾』などを書き、自然と生命を凝視する眼を澄ませた。島木健作は修善寺に病身を運び、そこで見た蛙の死に、小さな命に宿る崇高さを感得し、『赤蛙』を書いた。彼は敗戦の翌々日に病死するが、『赤蛙』には、四十二歳という若すぎる最期が未完でなかった事が窺える。
 病んで、場合によっては死ぬ事があっても、自然の本当の姿を垣間見る事が出来る。病む事は生を豊饒にするとも考えられる。僕の場合、問題は、「考えられる」という事だけで、上に挙げたような作家のようには感受性がはたらかないという事である。

鉄人記録、自ら終止符

2010年04月19日 | Weblog
 偉大な世界記録がついに途絶えた。阪神の金本知憲(ともあき)外野手(42)が更新していた連続試合全イニング出場が18日、1492試合で止まった。野球ファンを含む球界には、今月3日で42歳になった「鉄人」自らが申し出た先発出場辞退の英断を理解するとともに、記録ストップを惜しむ声が広がった。
 金本以外で昨季、全試合フルイニング出場を達成したのは新井(阪神)と中島(西武)の2人だけ。金本はこの難業を10年以上も継続してきた。(1試合フルイニング出場で約3時間、試合前の練習が約5時間。これを1年間続けるのにどれだけの鍛錬と不屈の意志を要することか!これを10年以上だから、まさに鉄人の異名にふさわしい、と僕は心底感心する。)
 男の決断だった。「これ以上迷惑を掛けられない。勝つためには自分の記録が途切れてもいい」。試合前の練習の後、阪神の金本は真弓監督に申し入れた。「もう少し頑張ろう」と説得する指揮官に、重ねて「先発から外してほしい」と懇願したという。
 メンバー表提出のわずか5分前。「鉄人」の固い決意に真弓監督も折れた。99年から累々と積み重ねてきた連続フルイニング出場の金字塔に、終止符が打たれた瞬間だった。
 「金本も随分考えていたんだろう。一イニングでも長く続けてほしいと思っていたんだが」と真弓監督。だが、開幕前に痛めた金本の右肩は、それほど悪化していた。その影響から打率は1割台に低迷し、前日の試合では、左翼守備からの送球でボールを地面にたたきつける失態を演じてしまった。この日は、テーピングで負傷個所を固定したが、状態は改善されなかった。数々の故障を乗り越えてきた金本だが、もはや限界を超えていた。

 連続フルイニング出場は途切れたが、歴代2位(1位は元広島の衣笠)になる連続試合出場は続いている。熱狂的なファンは金本を「アニキ」と呼ぶ。アニキ、まだまだやれるぞ! 

中国・青海地震と言葉

2010年04月18日 | Weblog
 新聞によると、14日の発生から震災の死者が1339人、行方不明者が332人、負傷者は1万1849人に上っている。酸素がうすい高地での救助には時間がかかる。もう一つの問題は言葉。
 中国青海省地震で、被災地の仮設医療所では言葉の壁が立ちはだかっている。北京など中国各地からの医療隊員が漢族の標準語を使うのに対し、チベット族の高齢者の患者らがチベット語以外は話せないからだ。
 玉樹県中心部の広場に設けられた軍の医療テント。気分が悪くなり、背負われて運び込まれたチベット族の高齢の男性は、名前を尋ねるだけの呼び掛けさえ、聞き取れなかった。
 地震発生から丸三日たち、手術器具やエックス線機器など医療資材はほとんどそろい、ある程度、大掛かりな手術もできる。担当医師は「言葉が通じない時、治療は医師の勘が頼り。目と目を見合ってアイコンタクトするしかない」と明かした。
 最近では復旧作業中の負傷やねんざなどが目立つ。テントや野宿での慣れない生活がたたり、体調を崩す人も少なくない。
 地震による心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩むチベット族も増えている。自宅が全壊したドブジェ君(14)は「夜は怖くて眠れない。ビルを見ているだけで倒れてきそうで、近くを歩けない」と打ち明けた。
 このため、現地の医療現場ではPTSDに関する説明書のチベット語への翻訳作業も行われている。また、西寧市内の病院十三カ所にチベット族の大学生約三百人がボランティアとして通訳し、医師が見た目だけでは分かりにくい病気の治療を手助けしている。

春愁

2010年04月17日 | Weblog
 特に4月、目が覚めている間は春愁にひたっています。春愁をどう説明すればいいのか、この説明が難しいのですが、室生犀星の詩が春愁を或る程度詠っているのではないかと思い、引きます。

   寂しき春(『室生犀星詩集』より)

  したたり止まぬ日のひかり
  うつうつまはる水ぐるま
  あおぞらに
  越後の山も見ゆるぞ
  さびしいぞ
  一日もの言はず
  野にいでてあゆめば
  菜種のはなは
  遠きかなたに波をつくりて
  いまははや
  しんにさびしいぞ

 僕は寂しくはないのですが、「うつうつまはる」とか「一日もの言はず」とか「遠きかなたに波をつくりて」とか、こういったテンポの遅い粘着性の語法で、春を詠むココロが僕には何となく分かるのです。何となく分かるところに春愁がつけこんでくるのだと思います。かと言って、犀星を好んでいる訳ではありません。犀星を読めば、気が滅入りますが、この時期は気が滅入るのを厭いません。
 しかし今年はこんな呑気なことを言っておられない4月です。例年になく気温が低く日照時間も短いので、とりわけ野菜類の成長に被害が相当に広がっています。梅や柿などの果物についても同様です。稲作にも悪影響を及ぼすことでしょう。 

ライシャワーの予測

2010年04月16日 | Weblog
 元駐日米国大使ライシャワーの『ザ・ジャパニーズ』という本を古本屋で買った。僕は彼について特別の関心をもっているわけではないが、本屋で立ち読みしている間に読んでみようと思った。
 この本の最後に「日本の未来」と題して四点の問題が挙げられている。
 1.天災では日本はいつもたっぷり手痛い目にあってきた。1923年の関東大震災の災禍は日本人の意識に深く焼きついているが、当時と比べ、高層建築や高速道路、高架鉄道や地下街がひしめいている今日では、大地震はおろか大暴風雨ですらが、旧に倍する災害をもたらす恐れがある。
 2.社会の内部構造の問題。現代の工業化社会はあまりに複雑化し、自らの重みに耐えかねて、管理不可能かつ崩壊の兆しをみせつつある。指導者達の「自己管理能力」が問われかねない。
 3.世界的な環境ならびに資源という点において、大国のうちで一番の脅威にさらされるのは日本であろう。これを避けるには日本単独では不可能である。
 4.そこで、第四に、国際間協力が必要になってくる。単に環境・資源問題のみではなく、世界規模での貿易と平和のための国際間協力が欠かせない。

 いずれの問題も現代の日本にのしかかっているように思う。この本は1979年に初版が出て、同じ年に第19刷を数えている。小さな字で430頁の本である。よく売れ、よく読まれた本だったのであろう。しかし、彼の挙げた問題を反芻している人が今日どれだけ居るだろう。