「本当に自由なものの考え方とは、他を認めることだ。」(ゲーテ『箴言と省察』より)
人ひとりの考えなど、しれたもので、そこから生まれるかもしれない行動の規範は極めて狭い。井の中の蛙が自由であるはずがないではないか。
自縄自縛という言葉があるが、その縄は「自分自身」であり、その縄の拘束力は比類ないほど強いばかりではなく、厄介なことに見つけにくい。
自分の殻を脱いで他を認める時、初めて僕(ら)はその縄から解き放たれ、自由なものの考え方をすることができる。
概略、このような意味であろう。しかし、言うは易しく行うは難しで、僕なんぞは自縄自縛の状態にある場合が多い。縄をほどき殻を脱ぐには、他の言を傾聴することが大事だと思う。たとえ、その言がつまらなく、愛想のよいものであっても。但し、その言が立て板に水を流すような言ならば、あるいは権威を傘にきた(つもり)の言ならば、僕は逃げることを良しとする。
とかく、自由な考え方というものには達し得ないものだ。そしてまた、もの言えば唇寒し秋の風ということも時々はわきまえておかなければならない。
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