山代中ブログ~伊万里市立山代中学校~

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山代の自然と歴史6~山代町の炭坑~

2009年09月28日 11時48分31秒 | 自然と歴史

 昔から「燃える石」と呼ばれた石炭が,伊万里地方で採掘されたのは,19世紀初めと言われています。


  (校長室に展示されている石炭)

 山代町には,久原・立岩・西分(向山炭坑)・鳴石(長者炭坑)などに炭坑がありました。伊万里市内の炭坑は,明治から昭和20年代前半まで,盛衰はあったもののたいへん活気があったと言われています。山代町では,第一次対戦後の不況のために,西分の向山炭坑をのぞき,すべての炭坑が閉山しました。


   (向山炭坑の跡 写真1)

   (向山炭坑の跡 写真2)

 昭和20年代後半,石炭から石油へのエネルギー革命が急速に進み,昭和38年(1963),向山炭鉱閉山,昭和45年(1970年),大川町の立川炭坑の閉山を最後に,伊万里市内の炭坑は,すべてなくなります。

<この記事の内容については、伊万里市教育委員会が発行している「伊万里ふるさと読本ー第6集 歴史編ー」から引用しています。>

※ 関連記事:山代の自然と歴史7~川南造船所~ /山代の自然と歴史6~山代町の炭坑~山代の自然と歴史5~伊万里県と西山代村~ / 山代の自然と歴史4~楠久津の漁民~ / 山代の自然と歴史3~城山 飯盛城址~ / 山代の自然と歴史2~小島古墳~ / 山代の自然と歴史1~城山・伊万里湾大橋~

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1 コメント

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[ハマボウ(黄槿)の花] (小島 宏)
2011-07-05 10:17:34
昔、私が2歳頃(1949年)。変電所があった近くの「塩浜海岸」沿岸際に住んでいた叔父の家に私達家族も住むことになりました。其の叔父の家の直ぐ側の海岸際に、三本の木(ハマボウの花)が生息し、初夏から夏の終わり頃迄、綺麗な色(黄色)の花を咲かせていました。其の花の木は、きれいな水(海岸)の処に生息するとされています。昔の「塩浜海岸」は、澄みきっていて、魚が泳いでる姿を良くみました。其の昔が懐かしいです。
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