昔から「燃える石」と呼ばれた石炭が,伊万里地方で採掘されたのは,19世紀初めと言われています。
(校長室に展示されている石炭)
山代町には,久原・立岩・西分(向山炭坑)・鳴石(長者炭坑)などに炭坑がありました。伊万里市内の炭坑は,明治から昭和20年代前半まで,盛衰はあったもののたいへん活気があったと言われています。山代町では,第一次対戦後の不況のために,西分の向山炭坑をのぞき,すべての炭坑が閉山しました。
(向山炭坑の跡 写真1)
(向山炭坑の跡 写真2)
昭和20年代後半,石炭から石油へのエネルギー革命が急速に進み,昭和38年(1963),向山炭鉱閉山,昭和45年(1970年),大川町の立川炭坑の閉山を最後に,伊万里市内の炭坑は,すべてなくなります。
<この記事の内容については、伊万里市教育委員会が発行している「伊万里ふるさと読本ー第6集 歴史編ー」から引用しています。>
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