後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「国宝の茶室、如庵と待庵、そして茶道は日本人の誇り」

2023年12月21日 | 写真
国宝の茶室をご紹介致します。国宝の茶室は2つあります。如庵と待庵です。
いずれも質素で小さい建物です。それなのに国宝になっているのは茶道の奥深い精神文化のためなのです。
それでは如庵の写真を示します。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/如庵 です。
1番目の写真は現在愛知県犬山市にある如庵の外観です。
2番目の写真は如庵の有名な篠竹の「有楽窓」です。
この2枚の写真からは分からない如庵の間取りは、http://blog.livedoor.jp/iwasakiyasushi/archives/52070682.html に掲載されています。
この間取りはその後の日本の各地に作られた茶室の基本的な間取りになっています。
その後、全国の各地に写しの茶席が作られるようになりました。
一例を示します。

3番目の写真は宮城県の柴田町の茶室「如心庵」です。(http://www.skbk.or.jp/spot/view/kyodokan.html )
愛知県にある国宝茶室「如庵」を模写した本格茶室です。

現在、国宝の如庵は、愛知県犬山市の有楽苑にあります。
如庵は元和4年(1618年)に、織田信長の弟・織田有楽斎によって、京都・建仁寺の塔頭・正伝院が再興された際に建造された茶室です。それが後に神奈川県の大磯町に移築してありました。
それを昭和47年(1972年)に、名古屋鉄道によって神奈川県の大磯町から現在地に移築されたのです。
国宝指定は昭和26年(1951年)です。
この如庵という名称は、一説によれば庵主織田有楽斎のクリスチャンネーム「Joan」または「Johan」から付けられたといわれています。
間取りや構成は次の通りです。
杮葺き入母屋風の妻を正面に向け千利休の待庵とも違った瀟洒な構え、二畳半台目の向切りの茶室です。篠竹を打ち詰めた「有楽窓」が有名です。
この「如庵」と違う作りの茶室に草庵茶室があります。
草庵茶室の一例を示します。
4番目の写真は草庵風茶室の例で高台寺の遺芳庵です。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/茶道 です。

さて次に国宝の妙喜庵の茶室、待庵の写真を示します。写真の出典は、https://kotobank.jp/word/待庵 です。
5番目の写真は待庵の外観です。
6番目の写真も待庵の外観です。
7番目の写真は待庵の窓とにじり口です。
この茶室、待庵は京都府大山崎町にあります。東福寺の末寺妙喜庵にあります。
現存する最古の茶室で、1582(天正10)年に豊臣秀吉の命によって千利休が作ったと伝えられています。
隅に炉が切られた2畳の間と半畳程度の床、板敷き付きの1畳の次の間、1畳の勝手の間からなっています。
この茶室の詳しい説明は、https://kotobank.jp/word/待庵  に出ていますので省略します。

少し長くなりましたので終りとします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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