後藤和弘のブログ

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ヨーロッパ文化の闇(8)魔女狩りと魔女裁判

2013年11月08日 | 日記・エッセイ・コラム

「ヨーロッパ文化の闇」はいろいろありますが、最も陰惨で残酷なものは「魔女狩り」と「魔女裁判」と思います。

あまりにも残酷なので具体的な描写はいたしません。代わりに絵画を下に一枚示します。

Joan_of_arc_burning_at_stake1_3
魔女裁判の画像を検索すると、目を覆いたくなるような酷い拷問の絵が沢山出てきますが、左の絵は拷問の絵でないので見ることが出来ます。

(この絵の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Joan_of_arc_burning_at_stake.jpgです。)

魔女狩りは近年の厳密な研究によると、15世紀から18世紀まで行われ、その1428年から1782年までの処刑者総数は40000人と言われています。

 

しかし昔から一般的にはキリスト教会が主導して数百万人が処刑されたという噂が世界中に広がり、その噂を信じている人々が多いのも事実です。

 

魔女裁判を非常に簡略化して書けば、農民や町の大衆が独り暮らしの怪しげな女を魔女として捕まえ、拷問にかけ、その後、当時の権威者であった教会へ連れて行って、聖職者による魔女裁判にかけ処刑したケースが多かったようです。

 

全てではないにしてもかなりの割合で聖書者が断罪したことは間違いないようです。

 

それを真摯に認め、ローマ法王のヨハネ・パウロ2世は魔女裁判も含めて過去の過ちを神へ謝罪し、そのことを公表したのです。

もう少し詳しく書くと、2000年三月に法王は、キリスト教会の分裂、十字軍、異端審問、魔女裁判、反ユダヤ主義、先住民族への侮辱などに関する教会や信者の責任を認め、神に対し赦しを請うたのです。

 

これは権威主義者的なヨーロッパ人にとっては驚天動地のことでした。

 

それにしても過ちを率直に認め謝罪したヨハネ・パウロ2世ほど偉大な法王はいなかったと私は信じています。彼は1978年から法王の座につき、84歳で亡くなっています。(1920年5月18日生まれ - 2005年4月2日逝去)

 

「魔女狩り」や「魔女裁判」を検索すると沢山の詳しい情報が出ているので、ここでは省略いたします。末尾の参考資料をご覧下さい。

 

それにしても魔女裁判ほど大きなヨーロッパ文化の闇はありません。他の原始的な民族に少数の例がありますが、ヨーロッパの魔女裁判のように残酷で、40000人も、300年にわたって殺された例は空前絶後の悲劇と思います。

 

ヨーロッパ人の心の闇の深さに暗然とします。しかしヨハネ・パウロ2世の謝罪で世界中の人が救われた気持ちになったと信じます。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

======参考資料=======================
(1)魔女裁判へ対するヨハネ・パオロ2世の謝罪:http://blog.goo.ne.jp/heywa/e/bdc7c6da1dda74488e24e6cba8fc77b8
 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が四月二日に八四歳で逝去した。歴代のローマ法王の中でも、最も偉大な法王ではなかったかと思われる。彼が成し遂げた偉業の数々をあげてみよう。

 共産主義の終焉――一九七八年に法王に選出されたヨハネ・パウロ二世はポーランド人で、四五五年ぶりの非イタリア人法王であった。カトリック国ポーランドは、自国出身の法王に熱狂した。当時、共産主義に支配されていた東欧圏で、共産党の一党独裁を最初に揺るがせたのは、ポーランドの独立自主労働組合「連帯」であった。一九八九年から始まった一連の東欧革命の背後には、カトリック教会の支援があった。ヨハネ・パウロ二世は、ゴルバチョフと並んで、共産主義を終焉させた立役者として、歴史にその名が刻まれるであろう。

 無限なる赦し――法王は一九八一年、イスラム教徒トルコ人に銃撃されたが、のちに犯人を訪問し、彼を赦した。犯人は、法王の愛と赦しに改心し、その犯行が共産圏の指示によるものであったことを自白した。

 科学界との和解――一九九二年には、一七世紀に地動説を唱えて教会から破門されていたガリレオ・ガリレイの破門を解いた。法王は進化論も認めた。

 過去の謝罪――長い歴史を持ち、世俗的権力とも結びついてきたカトリック教会は、過去において数々の過ちも犯してきたが、ヨハネ・パウロ二世はそれらを率直に認め、勇気をもって謝罪した。二〇〇〇年三月に法王は、キリスト教会の分裂、十字軍、異端審問、魔女裁判、反ユダヤ主義、先住民族への侮辱などに関する教会や信者の責任を認め、神に対し赦しを請うた。そしてその直後には、さらにイスラエルを訪問し、ユダヤ人に謝罪するとともに、イスラエルとパレスチナの和解を訴えた。
 非戦の訴え――法王は、湾岸戦争やイラク攻撃など、アメリカの武力攻撃を批判し、国際紛争を対話によって解決することを訴えた。

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(2)魔女狩りと魔女裁判:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E5%A5%B3%E7%8B%A9%E3%82%8A

中世末期から近代にかけてのヨーロッパや北アメリカにおいてみられた魔女(sorcières、Witch)や魔術行為(Witchcraft)に対する追及と、裁判から刑罰にいたる一連の行為のこと。現代では、このような行為は心理学的な観点から集団ヒステリーの産物とみなされているが、現代においても前近代的な文化や古来からの伝統を重視する社会において魔女狩りに類した行為が行われることがある。

かつて魔女狩りといえば「12世紀以降キリスト教会の主導によって行われ、数百万人が犠牲になった」というように言われることが多かったが、このような見方は1970年代以降の魔女狩りの学術的研究の進展によって修正されており、「もともと民衆の間から起こった魔女狩りは15世紀から18世紀までにかけてみられ、全ヨーロッパで最大4万人が処刑された」と考えられている。(以下省略)

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