後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「インドの世界遺産「ゴアの教会群と修道院群」」

2024年07月01日 | 日記・エッセイ・コラム
インドの西海岸の ゴアはポルトガル領(1510〜1961年)の首府でした。ここはポルトガルのアジア交易の拠点となります。ポルトガルの首都リスボンと定期航路が結ばれていました。


1534年にローマ・カトリック教会の大司教座が置かれると、多くの宣教師が訪れ、その中にはイエズス会の創設メンバーの一人、フランシスコ・ザビエルもいて、日本を訪れた宣教師もこの地を経由していました。聖堂や修道院が多く建造され、キリスト教関連施設が世界遺産に登録されています。

詳しくは、https://worldheritage-mania.com/heritage-churches-convents-goa/ をご覧下さい。


「インドは日本の友好国」

2024年07月01日 | 日記・エッセイ・コラム
インド人は日本人に好意を持っているようです。非常に親しげにします。そして多くので日本人の面倒を見てくれるのです。
その優しさの原因には長年にわたり植民地として過酷に支配してきた大英帝国と戦争をして、インドの独立に貢献した日本人への恩義もあるのかもしれません。
第二次大戦後、東京裁判でA級戦犯全員の無罪を主張したのはインド人裁判官ただ独りであったのです。
その後、ネール首相が愛娘の名をつけたインド象を送ってくれ、敗戦で打ち沈む日本人の心を慰めてくれたのです。
一方、アメリカ人もインド人を尊敬しているようです。アメリカにいるインド人は忠誠心や責任感が強く、頭脳明晰な人が多いからです。
1990年前後に働いていたオハイオ州立大学の同じ学科には、2人のインド人教授がいました。
私が指導していた学生にも一人のインド人がいました。彼はとにかく全てについて熱心で、よく徹夜で実験をしていたのです。
アメリカの仕事場で知り合ったインド人は皆紳士で、よい思い出しかありません。
私はインド人が好きです。
 
写真はシーク教の寺院でインド西北にあります。

「インド人のフェルナンデス君の思い出」

2024年07月01日 | 日記・エッセイ・コラム

インドに行ったことはないが、アメリカやドイツで会ったインド人は皆例外なく親切で、私の面倒をよくみてくれました。宗教はヒンズー教が多いようです。日本人の仏教は大ざっぱに言えばヒンズー教の一派となるのか、非常に親しげにいろいろ面倒を見てくれるのです。

1969年秋、ドイツのローテンブルグでのこと。私は34歳。カトリック教会へ連れて行ってくれたインド人フェルナンデス君は22歳。中世風のカトリック教会で3ケ月間、毎日曜日ミサへ連れて行ってくれた。ミサの後は決まって傍のレストランでチキンの空揚げの昼食をとり別れた。宗教談義はしない。ただ「ヨーロッパを車で観光するときには、村々の教会へ入り、お祈りしなさい。ヨーロッパ人の宗教が理解できますよ」と言った。彼はカトリック教徒であった。
ローテンブルグを離れた私はシュツットガルト市へ引っ越しました。その後、家族が合流した。週末には南ドイツやスイスへ車で遊びに行くようになった。

村々の中心には広場があり、カトリック教会と新教のエバンジュリッシュ教会が向かい合っている。教会に静かに入り、お祈りして小銭を献金箱に入れて出てくる。フランスでもスウェーデンでも教会に寄った。有名な豪華な教会でなく、ひなびた小さい教会ほど味わい深いものです。

そして時々フェルナンデス君を思い出すのです。

フェルナンデス君が興味津々で聞いた話は、江戸時代260年の禁教とそれに耐えた日本の隠れキリシタンのことでした。

しかしフェルナンデス君とは一別以来会っていない。消息も分からない。ドイツから帰国した私は1971年に立川カトリック教会の塚本金明神父さんから洗礼を受けた。

インドにはザビエル神父の腕が保存してあり、カトリック信者の数も多いのです。マザーテレサをインド人は宗教の違いを超えて熱烈に支援しました。

あれから茫々50余年、フェルナンデス君のことを今でも良く思い出す。善良な彼の顔を思い出します。

写真はインドの農作業をする夫婦の写真です。出典は、https://depositphotos.com/jp/editorial/life-in-rural-india-49814359.html です。

 

 


「お釈迦様が生まれたインドの40もの世界遺産」

2024年07月01日 | 日記・エッセイ・コラム

世界遺産条約は1972年にユネスコで採択され,2023年10月現在,195か国が締結しています。日本も1992年にこの条約を締結し国際的な協力・援助体制の構築に貢献してきました。

2023年10月現在,世界遺産は文化遺産933件,自然遺産227件,複合遺産39件を含む1,199件に上り,そのうち日本からは文化遺産20件,自然遺産5件の計25件の世界遺産が登録されています。

さて今日はお釈迦様が生まれたインド世界遺産をご紹介致します。

インドは 歴史が古い国です。40件もの世界遺産があり、その数は世界一位です。40の世界遺産の一覧表は、https://whc.unesco.org/ja/list/?iso=in&search=& に掲載されています。
 
今日は8件の世界遺産を選んでそれぞれの写真を示します。
1番目の写真はエローラ石窟群(5世紀から7世紀)です。
2番目の写真はコナーラクのスーリヤ寺院です。建設されたのは、東ガンガ朝時代後期の13世紀です
3番目の写真は16世紀のゴアはポルトガル領のゴアの教会群と修道院群です。
4番目の写真はカジュラーホの建造物群です。
5番目の写真はファテープル・シークリーです。
ファテープル・シークリーは、「勝利の都」という意味を持ち、ムガル帝国の第3代皇帝アクバルによって建設されたました。
6番目の写真は大チョーラ朝寺院群です。
7番目の写真はサーンチーの仏教建造物群です。
8番目の写真はブッダガヤの大菩提寺です。紀元前3世紀にアショーカ王によって建てられました。
 
お釈迦様が悟りを開いた場所=ブッダ(悟りを開いた人)になった場所がブッダガヤです。
インド北東部、ビハール州の田舎にある町です。遠く離れ田園に囲まれた大変静かな田舎町の中心には、世界中から多くの人たちが訪れる場所があります。仏教が始まった場所です。
 
約2600年前に、釈迦族出身の王子「ゴータマ・シッダールタ」は29歳で出家し、長年の修行の末、35歳でこのブッダガヤにあった菩提樹の下で悟りを開きました。
 
現在、その場所には「マハボディーテンプル (大菩提寺)」と呼ばれる、高さ52メートルの大きな塔があり、その裏には樹齢100年を超える神聖な菩提樹が大きく手を開いています。
 
歴史的にも大変重要なマハボディーテンプル(大菩提寺)は、2002年、世界文化遺産に認定され、この場所を訪れる仏教徒や観光客は、年々増加しています。
9番目の写真はブッダガヤの菩提樹の下に集う人々です。
10番目の写真もブッダガヤの菩提樹の下に集う人々です。
 
現在の菩提樹は、お釈迦様の時代にあった木を接木して育ったスリランカにある菩提樹から、また接木したものなので、オリジナルの菩提樹の子孫だと伝えられています。
 
8、9,10番目の写真の出典は、https://busshinji.in/about/bodhgaya/ です。その他の写真はインターネットにある写真をお借り致しました。
 
考えてみると日本はこのブッダガヤの大菩提寺に深い影響を受けたのです。ここで生まれた仏教が大乗仏教になり日本へ伝承したのです。飛鳥時代以来、日本人の精神文化に深い影響を与えたのです。
日本は中国文化圏とよく言われますがインドの宗教の影響も受けているのです。お釈迦様が生まれた国なのです。そのインドには40もの世界遺産があります。その数は世界一です。
 
今日はインドの世界遺産の8つのの写真をご紹介致しました。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)