後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「私の人生のいろいろ(14)清朝の発祥の瀋陽の故宮を訪ねた」

2024年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム
瀋陽は清朝発祥の地であり中国の歴史の重要な街です。また私も個人的に訪問したので色々な思い出のある所です。
今日は瀋陽の歴史や現在の瀋陽の風景をご紹介します。そして私の思い出も紹介します。
瀋陽市は人口820万人で中国の東北地方(旧満州)の真ん中より少し南に ある大都会です。そして瀋陽の故宮は清朝の発祥したところです。故宮が北京へ移転した後は離宮として使われていました。
1625年、清朝につながる初代のヌルハチが後金をつくり、ここ瀋陽に遷都して「盛京」と呼びました。1636年、清朝2代目のホンタイジ(皇太極)は国号を「清」とし、清朝を創立しました。そして1644年、北京に遷都し ました。
ヌルハチとホンタイジの二人が居住したのが、瀋陽の故宮です。瀋陽は清朝の発祥の地なのです。それでは写真をお送り致します。

1番目の写真は瀋陽の故宮の入り口の楼門です。
17世紀、中国北方の遊牧民族である満州族は、清朝の前身となる後金王朝を建国し、その勢力を拡大しました。初代・ヌルハチは瀋陽を都としこの楼門を作ったのです。

2番目の写真は瀋陽故宮の主殿の大政殿です。
瀋陽故宮の広さは北京故宮の12分の1ですが部屋数はおよそ300で建築物の数は約70もあります。
敷地内は東路、中路、西路の3つに分けられます。東路は最も古く、ヌルハチの時代から使われていました。大政殿自体は、遊牧民族が使用した移動式テント(ゲル)を模しています。ヌルハチが政務を執っていました。
清朝の乾隆帝は瀋陽故宮の増築を行いました。建築様式は漢民族の様式に増築したのです。遊牧民族と漢民族の文化が混合しているのが瀋陽故宮の特徴です。
3番目の写真は現在の瀋陽の駅です。駅の建物は私と家内が訪問した1980年代と変わっていません。
4番目の写真は現在の瀋陽です。車が溢れ高層ビルが林立しています。私共が訪問した1980年代には古い満州の街の奉天(瀋陽の昔の名前)そのままの貧し気な都会でした。隔世の感です。

5番目の写真は大和ホテルです。昔の大和ホテルが美しく改装されています。

6番目の写真は瀋陽にある東北大学です。私が訪問した当時は東北工学院という名前でした。学長の陸先生は日本の旅順工業大学の卒業生でした。当時日本から赴任した教授たちに大切にされたそうで日本人を懐かしがり、私どもを大歓迎してくれました。
この東北工学院から金応培先生と大学院生の張力偉君が私が働いていた東京工業大学へ長期の留学をしてくれました。瀋陽では金応培先生と張力偉君の自宅にも招待され楽しい思い出がいろいろあります。

今日は中國の瀋陽の歴史や現在の瀋陽の風景をご紹介しました。そして私の個人的な思い出も紹介しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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