茅ヶ岳への思い
私はこの山が好き
明野の北にどっしりと 八ヶ岳に似たその容姿
頂に立てば 南に連なる南アルプス 西には八ヶ岳
甲府盆地越しに見える端麗な富士山
幾度も過ごした頂の夜は 空一面に輝く星と
宝石を散りばめた甲府盆地の灯
私はこの山が好き
新緑の春 花咲く夏 金色の秋 そして雪化粧の冬
登るたびに姿を変え 登るたびに深さを知る茅ヶ岳
これからもきっと登り続けるだろう
山梨百名山の一座として指定された茅ヶ岳に、当院のワンダーフォーゲル部が標柱を建てたのはもう十数年前である。この標柱は何者かに引き抜かれてしまったのか紛失してしまい、再建の依頼が山梨県庁観光資源課から当院にあったのが平成19年7月のことだった。協力者を募り、当院職員を中心とするメンバー約20人で標柱を担ぎ上げ、平成19年9月1日、標柱は無事設置された。しかし、わずか2ヶ月にしてこの標柱は何者かによって引き抜かれ、みんなで建てた標柱は茅ヶ岳山頂から姿を消してしまった。金ヶ岳側の斜面に投げ捨てられていたのが発見され、回収して標柱が破損していないことを確認し、すぐに再建にとりかかる。今度は引き抜かれないように、登山愛好家の有志を募ってセメント50kgを予め荷揚げし、11月10日、山頂で混ぜた石を含めると約70kgの土台の上に標柱が建て直された。今度はゆすっても蹴ってもびくともしない頑丈な標柱ができあがった。抜けないものだから、今度は標柱の文字に傷がつけられた。最初は「山梨百名山」の文字、次に茅ヶ岳の「茅」の文字。この山の愛好家はたくさんおり、標柱に変化があるたびに真っ先に私のところにメールが届き、そのたびに標柱の修復に向かい、大好きなこの山の標柱を守ってきた。

無残に切られた茅ヶ岳標柱
しかし、遂にやられた。おそらくはこの一連の標柱損傷事件は同一犯のものだろうが、遂に、ノコギリで標柱を切ってしまったのだ。平成22年7月11日の山日新聞の記事を見た時、そこまでやるか!という思いと、遂にやられたか、という思いが交錯した。果たして再建は可能なのか?数日後に残った標柱の破損状況を調べ、その上に標柱を乗せて再建可能かどうか検討するため茅ヶ岳に登った。見事にすっぱりと切られていた標柱、しかし土台はしっかりしていた。犯人の心理状態を推察するに、切断するのにおそらく10分以上はかかるはず。登山者の多いこの山で人に見つからないようにこの作業をして、切り取った上部を捨てるには、それほど遠くまで持って行く心理的余裕は無いはずだ。金峰山側の林の中を、刈られた木の枝を分けて探すと・・・あった。隠すように捨てられていた標柱の上部を発見した。雨水を吸って痛んではいるものの、乾かせば十分に使える。切り口を保護して林の中に隠し、後日、土木関係に詳しいアウトドアショップELK関係者にお願いして、鉄の棒と板を標柱に打ち込んで接着剤で接合し、添え木をあてて固定してきた。あとは接着剤が固まるのを待って、鎹(カスガイ)という固定釘を打ち込めば再建完了だ。

多くの皆様の協力と励ましをいただき、標柱再建に向かう

平成22年8月8日、この日は「山の日」に指定されている日だ。院内掲示板や自分のブログ等で協力者を募集し、総勢13人で再建に向う。初心者もいれば、熟練した人もいる。東京からやって来たブログ仲間もいる。さらに、当日都合がつかずに行けなかった多くの人たちから励ましの言葉やメールをいただいた。この標柱は茅ヶ岳を愛する、山を愛するたくさんの人たちの思いがつまった標柱なのだ。初めて会うメンバーも居り、標柱再建の度に仲間が増えて行く。作業は約1時間で完了し、見事に標柱は再建された。お祝いに山頂でラーメンを作ってみんなで食べたが、この味は格別だった。

標柱再建作業

再建完了
執拗に損傷される茅ヶ岳の標柱、犯人の心理が全くわからないわけでもない。おそらくは私と同様、この山を本当に愛している人なのだろう。大好きな山にこんな邪魔なものが立っているのが目障りでしかたないのだろう。しかし、この標柱は意義がある大切なものなのだ。山梨百名山を登ったからこそわかるのだが、この標柱とともに山頂で記念撮影することこそ、山梨百名山の一座を制覇した証であり、皆それを楽しみにしているのだ。犯人を憎んではいないが、ここまで執拗にやる理由を聞いてみたいものだと思う。お互いに山好きな者同志、きっとわかりあえる時が来ると信じている。
私はこの山が好き
明野の北にどっしりと 八ヶ岳に似たその容姿
頂に立てば 南に連なる南アルプス 西には八ヶ岳
甲府盆地越しに見える端麗な富士山
幾度も過ごした頂の夜は 空一面に輝く星と
宝石を散りばめた甲府盆地の灯
私はこの山が好き
新緑の春 花咲く夏 金色の秋 そして雪化粧の冬
登るたびに姿を変え 登るたびに深さを知る茅ヶ岳
これからもきっと登り続けるだろう
山梨百名山の一座として指定された茅ヶ岳に、当院のワンダーフォーゲル部が標柱を建てたのはもう十数年前である。この標柱は何者かに引き抜かれてしまったのか紛失してしまい、再建の依頼が山梨県庁観光資源課から当院にあったのが平成19年7月のことだった。協力者を募り、当院職員を中心とするメンバー約20人で標柱を担ぎ上げ、平成19年9月1日、標柱は無事設置された。しかし、わずか2ヶ月にしてこの標柱は何者かによって引き抜かれ、みんなで建てた標柱は茅ヶ岳山頂から姿を消してしまった。金ヶ岳側の斜面に投げ捨てられていたのが発見され、回収して標柱が破損していないことを確認し、すぐに再建にとりかかる。今度は引き抜かれないように、登山愛好家の有志を募ってセメント50kgを予め荷揚げし、11月10日、山頂で混ぜた石を含めると約70kgの土台の上に標柱が建て直された。今度はゆすっても蹴ってもびくともしない頑丈な標柱ができあがった。抜けないものだから、今度は標柱の文字に傷がつけられた。最初は「山梨百名山」の文字、次に茅ヶ岳の「茅」の文字。この山の愛好家はたくさんおり、標柱に変化があるたびに真っ先に私のところにメールが届き、そのたびに標柱の修復に向かい、大好きなこの山の標柱を守ってきた。

無残に切られた茅ヶ岳標柱
しかし、遂にやられた。おそらくはこの一連の標柱損傷事件は同一犯のものだろうが、遂に、ノコギリで標柱を切ってしまったのだ。平成22年7月11日の山日新聞の記事を見た時、そこまでやるか!という思いと、遂にやられたか、という思いが交錯した。果たして再建は可能なのか?数日後に残った標柱の破損状況を調べ、その上に標柱を乗せて再建可能かどうか検討するため茅ヶ岳に登った。見事にすっぱりと切られていた標柱、しかし土台はしっかりしていた。犯人の心理状態を推察するに、切断するのにおそらく10分以上はかかるはず。登山者の多いこの山で人に見つからないようにこの作業をして、切り取った上部を捨てるには、それほど遠くまで持って行く心理的余裕は無いはずだ。金峰山側の林の中を、刈られた木の枝を分けて探すと・・・あった。隠すように捨てられていた標柱の上部を発見した。雨水を吸って痛んではいるものの、乾かせば十分に使える。切り口を保護して林の中に隠し、後日、土木関係に詳しいアウトドアショップELK関係者にお願いして、鉄の棒と板を標柱に打ち込んで接着剤で接合し、添え木をあてて固定してきた。あとは接着剤が固まるのを待って、鎹(カスガイ)という固定釘を打ち込めば再建完了だ。

多くの皆様の協力と励ましをいただき、標柱再建に向かう

平成22年8月8日、この日は「山の日」に指定されている日だ。院内掲示板や自分のブログ等で協力者を募集し、総勢13人で再建に向う。初心者もいれば、熟練した人もいる。東京からやって来たブログ仲間もいる。さらに、当日都合がつかずに行けなかった多くの人たちから励ましの言葉やメールをいただいた。この標柱は茅ヶ岳を愛する、山を愛するたくさんの人たちの思いがつまった標柱なのだ。初めて会うメンバーも居り、標柱再建の度に仲間が増えて行く。作業は約1時間で完了し、見事に標柱は再建された。お祝いに山頂でラーメンを作ってみんなで食べたが、この味は格別だった。

標柱再建作業

再建完了
執拗に損傷される茅ヶ岳の標柱、犯人の心理が全くわからないわけでもない。おそらくは私と同様、この山を本当に愛している人なのだろう。大好きな山にこんな邪魔なものが立っているのが目障りでしかたないのだろう。しかし、この標柱は意義がある大切なものなのだ。山梨百名山を登ったからこそわかるのだが、この標柱とともに山頂で記念撮影することこそ、山梨百名山の一座を制覇した証であり、皆それを楽しみにしているのだ。犯人を憎んではいないが、ここまで執拗にやる理由を聞いてみたいものだと思う。お互いに山好きな者同志、きっとわかりあえる時が来ると信じている。