山梨百名山から見る風景

四方を山に囲まれた山梨県。私が愛して止まない山梨の名峰から見る山と花と星の奏でる風景を紹介するページです。

紛失した茅ヶ岳標柱  平成22年8月20-21日

2010年08月23日 | 八ヶ岳・秩父山系
 再建して10日ともたずにまたしても破損されてしまった茅ヶ岳の標柱。内部に挿入したあの鉄の棒が、ああも簡単に曲げられてしまうとは思ってもいなかった。おそらくはぶら下がるようにしてねじ曲げて引き抜いたのだろう。破損状況はどうなのか?それよりも、果たして捨てられた標柱上部を見つけることができるのか?21日(土)の午後から予定が詰まっており、20日(金)午後から登って山頂にテント泊、翌朝に標柱探して下山という強行で、単独で茅ヶ岳に行く。
 午後2時40分ごろから中腹の林道に車を止めて出発。途中で3人ほど下山してくる人とすれ違う。それほど下のほうに捨ててあるとは思えないのだが、右に左に林の中を覗きながら歩く。女岩で一夜の食事用の水を2リットルほど汲み、稜線に登りついたあたりから本格的に標柱探しを始める。深田久弥氏の慰霊碑裏側は急な崖のようになっていて、標柱が投げ捨てやすい場所になっている。林に下りて急斜面を念入りに覗き込むが・・・見当たらない。さらにその上の岩の下、左手の林の中、登山道を外れて右に左に逸れながら探すが見つからない。山頂下の展望地で休憩していると、もう誰も登ってこないだろうと思っていた4時半、単独登山者がやって来た。まさか犯人・・・などと疑ってしまっては申し訳ないのだが、この方は茅ヶ岳に初めて登られる登山者だった。事情を話し、下山ルートは尾根道を勧め、もし標柱があったら県庁か新聞社に連絡いただけるようにお願いした。
 標柱探しをしながら登ったので、山頂まで3時間以上かかってしまい、到着したのは5時過ぎになってしまった。まだ日は明るいので、荷物を降ろして山頂周辺を探すことにした。まずは西側(南アルプス側)の斜面。林の中をかき分けて探すが見つからない。今度は金ヶ岳側の斜面。登山道から急斜面を覗き込むと、丸太棒らしきものが転がっている。明らかに今回の標柱上部よりも長いが、側面からトラバースしてその場所まで行ってみると、そこに転がっていたものは・・・なんと!10数年前に当院の登山部が担ぎ上げた初代の茅ヶ岳標柱だった。柱を引き上げると、裏には「社会保険山梨病院50周年記念」と銘打たれ、その時に登った当院職員の名前が刻まれていた。この鑑札を見た時は感動した。そして、初代標柱も何者かに引き抜かれて捨てられたのだということを確信した。斜面を引きずって標柱を山頂まで担ぎ上げる。


    月光に照らされた山頂でテント泊


    月光に照らされて立つこの柱は?


    まず見つけたのは10年前に当院山岳部が担ぎ上げた初代標柱。金ケ岳側の斜面に捨てられてあったのを発見。


    この鑑札には感動した。

 新しいほうの標柱はどこにあるのか?今度は金峰山側の斜面を探すが、もう夕暮れとなってしまい、林の中は暗くて良く見えなくなってしまった。こちらは明朝探すことにして、ひとまず撤退。山頂にテントを張らせてもらって休むことにする。夕暮れとともに雲が湧き始め、山頂は霧につつまれた。小雨が降ったが、恐れていた雷は鳴らなかった。テントの中に寝そべって空を見上げていると、時折月と星が姿を現すがすぐに雲に隠れてしまう。あわよくば星空の撮影を、と思っていたのだが、そうはならなかった。9時には眠りにつく。
 翌朝3時に目を覚ましたが、やはり星空は見えず、もう一度寝て5時に起きた。朝食を簡単に済ませて再び標柱探しだ。金峰山側の急斜面に下りて探すが見当たらない。今度は金ヶ岳側を再調査。金ヶ岳のコルまで下りて右に左に林の中を探すが見つからない。途中に崩落地があり、立ち入り禁止のロープが張られている。ここの脇をザイルで補助しながら30mほど下りてみたが、やはり見つからない。2時間以上も探したがとうとう見つからず、あきらめて山頂に戻る。薮を歩いたので、かなりへとへとになってしまった。
 折角初代標柱を見つけたので、とりあえずはこの標柱を残った標柱下部にくくりつけてひとまずは立て直してきた。作業をしていると、9時ごろから続々と登山者がやって来た。中には新聞記事を見て来られた方もおり、事情を話してひとまず立て直しておいたことを告げると、喜んでその初代標柱とともに記念撮影されていた。
残念ながら新しいほうは見つからず、この日はあきらめてテント撤収し、下山することにした。女岩ルートは探したので、今度は尾根道を探しながら下りてゆくと、山頂からわずかに下ったところで妙な踏み跡が右側に延びている。鹿の足跡か?と思ったが、形がちょっと違う。不審に思ってその踏み跡を辿って行くと・・・あった!その先の木の根元に私が来るのを待っていたかのように、標柱上部が横たわっていた。犯人は急斜面に捨てようと思ったのだろうが、意外にこちら側は急なところがなく、ここに捨てていったのだろう。本当に見つかって良かった、うれしかった。山の神様はこちら側に味方している、そう思った。


    怪しい踏み跡をたどって行くと、その先の林の中には・・・


    新旧ツーショット

 破損状況は軽度で、問題なく使えそうだ。標柱再建の目途は立った。今度はいかに引き抜かれないように再建するか、検討している。9月中には建て直したいと思っている。皆様のご協力、また、標柱の観察、保護につきましてのご協力をよろしくお願いします。
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つかの間の茅ヶ岳標柱

2010年08月20日 | 八ヶ岳・秩父山系
 標柱再建してわずか10日たらず、またしてもやられた茅ヶ岳標柱。8月18日にメール、およびブログ、また、その他数か所から連絡が入った。無残に接合部から引き抜かれ、内部を補強してあった3本の金属の棒と板が無残に曲げられている。強烈な悪意を感じざるを得ない。
    
    標柱再建した時の山日新聞記事


    
          8月20日の記事



    メールで送っていただいた壊された標柱の画像


 かなり酷くやられており、上部の破損状況が心配だが、その前に、果たして壊された標柱上部を見つけることができるのか?同じ場所には捨ててはいないだろうから、今度は探すのが容易ではないだろう。茅ヶ岳に登られる皆様、ご協力をお願いします。標柱上部を探してください。みんなの思いがつまった大切なものです。
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茅ヶ岳への思い ~標柱再建~  平成22年8月8日

2010年08月11日 | 八ヶ岳・秩父山系
    茅ヶ岳への思い

 私はこの山が好き

 明野の北にどっしりと 八ヶ岳に似たその容姿

 頂に立てば 南に連なる南アルプス 西には八ヶ岳

 甲府盆地越しに見える端麗な富士山

 幾度も過ごした頂の夜は 空一面に輝く星と

 宝石を散りばめた甲府盆地の灯

 私はこの山が好き

 新緑の春 花咲く夏 金色の秋 そして雪化粧の冬

 登るたびに姿を変え 登るたびに深さを知る茅ヶ岳

 これからもきっと登り続けるだろう


 山梨百名山の一座として指定された茅ヶ岳に、当院のワンダーフォーゲル部が標柱を建てたのはもう十数年前である。この標柱は何者かに引き抜かれてしまったのか紛失してしまい、再建の依頼が山梨県庁観光資源課から当院にあったのが平成19年7月のことだった。協力者を募り、当院職員を中心とするメンバー約20人で標柱を担ぎ上げ、平成19年9月1日、標柱は無事設置された。しかし、わずか2ヶ月にしてこの標柱は何者かによって引き抜かれ、みんなで建てた標柱は茅ヶ岳山頂から姿を消してしまった。金ヶ岳側の斜面に投げ捨てられていたのが発見され、回収して標柱が破損していないことを確認し、すぐに再建にとりかかる。今度は引き抜かれないように、登山愛好家の有志を募ってセメント50kgを予め荷揚げし、11月10日、山頂で混ぜた石を含めると約70kgの土台の上に標柱が建て直された。今度はゆすっても蹴ってもびくともしない頑丈な標柱ができあがった。抜けないものだから、今度は標柱の文字に傷がつけられた。最初は「山梨百名山」の文字、次に茅ヶ岳の「茅」の文字。この山の愛好家はたくさんおり、標柱に変化があるたびに真っ先に私のところにメールが届き、そのたびに標柱の修復に向かい、大好きなこの山の標柱を守ってきた。

    無残に切られた茅ヶ岳標柱

 しかし、遂にやられた。おそらくはこの一連の標柱損傷事件は同一犯のものだろうが、遂に、ノコギリで標柱を切ってしまったのだ。平成22年7月11日の山日新聞の記事を見た時、そこまでやるか!という思いと、遂にやられたか、という思いが交錯した。果たして再建は可能なのか?数日後に残った標柱の破損状況を調べ、その上に標柱を乗せて再建可能かどうか検討するため茅ヶ岳に登った。見事にすっぱりと切られていた標柱、しかし土台はしっかりしていた。犯人の心理状態を推察するに、切断するのにおそらく10分以上はかかるはず。登山者の多いこの山で人に見つからないようにこの作業をして、切り取った上部を捨てるには、それほど遠くまで持って行く心理的余裕は無いはずだ。金峰山側の林の中を、刈られた木の枝を分けて探すと・・・あった。隠すように捨てられていた標柱の上部を発見した。雨水を吸って痛んではいるものの、乾かせば十分に使える。切り口を保護して林の中に隠し、後日、土木関係に詳しいアウトドアショップELK関係者にお願いして、鉄の棒と板を標柱に打ち込んで接着剤で接合し、添え木をあてて固定してきた。あとは接着剤が固まるのを待って、鎹(カスガイ)という固定釘を打ち込めば再建完了だ。

    多くの皆様の協力と励ましをいただき、標柱再建に向かう



 平成22年8月8日、この日は「山の日」に指定されている日だ。院内掲示板や自分のブログ等で協力者を募集し、総勢13人で再建に向う。初心者もいれば、熟練した人もいる。東京からやって来たブログ仲間もいる。さらに、当日都合がつかずに行けなかった多くの人たちから励ましの言葉やメールをいただいた。この標柱は茅ヶ岳を愛する、山を愛するたくさんの人たちの思いがつまった標柱なのだ。初めて会うメンバーも居り、標柱再建の度に仲間が増えて行く。作業は約1時間で完了し、見事に標柱は再建された。お祝いに山頂でラーメンを作ってみんなで食べたが、この味は格別だった。

    標柱再建作業


    再建完了

 執拗に損傷される茅ヶ岳の標柱、犯人の心理が全くわからないわけでもない。おそらくは私と同様、この山を本当に愛している人なのだろう。大好きな山にこんな邪魔なものが立っているのが目障りでしかたないのだろう。しかし、この標柱は意義がある大切なものなのだ。山梨百名山を登ったからこそわかるのだが、この標柱とともに山頂で記念撮影することこそ、山梨百名山の一座を制覇した証であり、皆それを楽しみにしているのだ。犯人を憎んではいないが、ここまで執拗にやる理由を聞いてみたいものだと思う。お互いに山好きな者同志、きっとわかりあえる時が来ると信じている。
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花咲く八ヶ岳横岳  平成22年7月18日

2010年08月02日 | 八ヶ岳・秩父山系
 平成22年7月18日 天候晴れ

 私の勤める職場で山の会を立ち上げる運びとなった。その名も散々会(山に登って散々な目にあう会)、ではなくて山々会(山梨病院山の会)。山の経験者がいないと思っていた職場なのだが、探してみるといるもので、高校の時の山岳部が2名、さらに今年の新規就職者の中に沢登りまでこなす者が入ってきた。難しい山は無理としても、普通の登山道を歩く山ならば初心者を連れていってもなんとかなりそうなメンバーが揃ったことになる。ただいま病院に申請中、おそらくは会として認められる運びとなるであろう。今回の山行は、そのような山の会のメンバーと初心者、さらに私の相棒植田さんを交えての8人編成で、八ヶ岳横岳へ直登する杣添尾根を登った。花期が遅れていた今年は、この日がおそらくは花満開だろうと思ったのだが・・・

    清冽な川の流れ  この川の上流で水を汲んだ。

 病院前に早朝4時に集合して、車2台に分乗して野辺山の八ヶ岳海ノ口に向かう。予想通り、海ノ口の駐車場はもういっぱいで、道路に既に10台ほどの車が縦列駐車していた。5時50分、歩き始める。今回で3度目となる杣添尾根だが、以前は林道の手前に水場があったと記憶していたのだが今回は見つからず、途中で横切る川の水を汲んでラーメン用に
湧かして使うことにした。樹林帯の中の急登が続くこの道、初心者がいるのでピッチを上げないように、30~40分に一度休憩を入れつつ、スローペースで疲れないように登る(といっても、私単独で登る時もあまり変わらないペースではあるが・・・)。林の切れ間から見下げると、眼下に雲海が広がり、金峰山の山塊が浮かんでいた。車移動中には小雨が降ったが、夜明けとともにすっかり天候が回復した。

    中腹のツガ林から見下げる雲海  向こうに見える山は金峰山の山塊。


    森林限界の尾根までもう少し。キバナノコマノツメがたくさん咲くが、バイケイソウもいっぱい。


    赤岳を望む尾根に到着。右が赤岳、左端に富士山が見える。

 赤岳が望める尾根に10時10分にたどり着く。雲海が暴れ出してはいたが、富士山を見ることもできた。横岳の稜線まであと30分ほどで到着できる。ここで記念撮影してゆっくり休んでいると、上から私を呼ぶ声が聞こえる。見上げれば、嶺朋クラブの女性2人が中腹で休んでいた。一人は富山に転勤で引っ越されてしまった方で、久しぶりのご対面だ。再会を喜びつつ、一緒に横岳稜線の三叉峰に登り付き、ここで昼食となる。

    三叉峰までもう少し。中腹で休んでいる水色の服を着た人が嶺朋クラブメンバー。


    横岳のお花畑


    コマクサ咲くガレ場と川上村の高原野菜畑

 2年前に来た時に比べると花が少なく、明らかに時期を過ぎている。雪が多くて開花が遅れていたはずだが、急激に気温が上がったためあっという間に散ってしまったようだ。チョウノスケソウはもう八割方花が散っており、ウルップソウがたくさん咲くはずの大同心尾根の分岐あたりを見てももうわずかしかウルップソウは残っていなかった。満開の花を期待していただけにちょっとがっかりした。

    タカネスミレの変種、ヤツガタケキスミレ


    ミヤマダイコンソウ


    ムカゴトラノオ、だと思うが、以前に来た時も名前がわからなかった。

 1時間半以上も稜線の上でのんびりと過ごし、12時45分ごろから下山を開始した。登りよりも下りのほうが圧倒的に事故が多く、しかも雨の後で滑りやすい道だったので、休憩を適宜とりつつ登り以上に気を使いながら下山する。2~3日前から下痢をしていた私は、あと1時間ほどで駐車場到着というあたりで腹痛をおこし、最後尾を植田さんにお任せして一足先に下山させてもらった。約4時間かけて下山し、16時半、全員無事に海ノ口駐車場に到着した。

    横岳大同心の尾根と横岳の稜線


    三叉峰で下山前の集合写真。メンバー若い!が遅い!!

 圧倒的に単独登山が多い私だが、このような仲間たちとともに行く登山も決して嫌いなわけではない。しかし、一度三脚を出すと20~30分は容易に時間を費やしてしまうので、皆のペースを乱してしまうのが申し訳ない。経験者数人と初心者をトレーニングすれば、待ち合わせ場所を決めておいて自分のペースで登る登山が可能になる。今のメンバーならば、それほど難しいことではないと思う。
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