山梨百名山から見る風景

四方を山に囲まれた山梨県。私が愛して止まない山梨の名峰から見る山と花と星の奏でる風景を紹介するページです。

被災地巡礼Ⅱ① 平成23年8月19日-21日

2011年08月26日 | 番外編
5月連休に次いで再び東北の被災地を視察してきました。今回行きたかったのは5月連休の時に道路事情が悪く、行けなかった南三陸町。そこにある公立志津川病院はかつて秋田大学の医局に在籍していた頃に1週間交代で出張勤務していた病院です。テレビに映し出された時には本当に驚きました。その後どうなっているのか・・・ずっと行ってみたいと思っていました。

8月19日
 夕方4時過ぎに妻を乗せて車で甲府を出発。勝沼インターから中央道に乗り、圏央道から一般道を通って東北道に乗り換えるつもりでしたが、道路情報の掲示板を見るとお盆の帰省ラッシュで渋滞20km。これでは何時に東北道に乗れるかわかりません。そこでルートを変え、雁坂トンネル経由で秩父を通って東北道に乗ることにしました。途中道を間違えたり、夕食をとったりして、東北道羽生インターに着いたのが夜9時頃、郡山11時となり、そこで寝ることにしました。

8月20日
 睡眠薬が効きすぎて目を覚ませばもう朝の7時を回っていました。途中のサービスエリアで食事して東北道を北上、仙台を過ぎ、一関の手前、築館インターで降りて一般道を東に向かい、南三陸町を目指します。途中のガソリンスタンドで道路事情を聞いたところ、道路は問題なく通過できるとのこと、現在地から気仙沼までは1時間とかからないとの事だったので、予定の志津川よりも北にある気仙沼まで足を延ばすことにしました。
 海岸沿いの道を北上して行くと、海沿いに道の駅らしき大きな建物がありました。立ち寄ってみるとそこは大谷海岸の鉄道駅。気仙沼線は甚大な被害を受け、とても復旧できる状態ではなく、この建物も外観は残っているものの内部はメチャメチャで、ガレキの撤去作業が行われていました。道路を隔てて向こうが高台になっていましたが、そこに立つ家々も一階部分が破壊されており、使える状態ではありませんでした。

    南三陸大谷海岸駅。眼前には静かな海が広がるが・・・


    駅の建物は津波の被害を受け、外見は保っているものの内部はメチャメチャ。ガレキ除去作業が行われていた。


    気仙沼線の線路は途中で断裂


    積まれたガレキ。道路を隔てて向こうの高台にある住居も損壊がひどく、使い物にならない。

 さらに北上して気仙沼の町に入ります。以下、視察場所を北から南に向かって掲載します。

 <気仙沼市、港周辺>
 テレビでかつお漁に合わせて港が再開されたと聞いていました。しかし、まだまだ気仙沼湾の中はガレキや壊れた船着場など、復旧されていません。水揚げする市場と思わしき場所は魚のかごが積まれ、車が行き来していて少しだけ活気が出てきているように感じました。しかし、道路を隔てて向こう側は地盤沈下により海水が入り込み、ガレキは大部分撤去されているものの、とても人が住めるような状態ではありませんでした。津波で壊された建物がまだたくさん残されています。陸に打ち上げられたタンカーや大きな漁船は既に撤去されており、それを吊り上げたと思われる巨大なリフト船が港に停泊し、現在も作業が続けられていました。

    気仙沼港 まだ撤去されていないガレキと壊れたままの船着き場。


    魚市場は一応再開されている。車が行き交い、少しだけ活気が戻っているように見えた。


    しかし、道路を隔てた反対側は海水が入り込み、潮だまりになっている。


    この潮だまりの中には魚が泳いでいた。


    漁港には漁船がたくさん停泊しているように見えた。


    道路はほぼ復旧しており、バスも通っている。


    しかし、港近くの建物はまだ壊れたままそのままになっていた。


    壊れたままの建物


    森進一の港町ブルース記念碑  ポールがぐにゃぐにゃに曲がって折れている。


    陸に打ち上げられたタンカーや漁船を釣り上げた巨大クレーン船


    港近くの商店街はまだボロボロの状態。修理し始めている店舗もあった。


    この蒲鉾店は8月25日から営業再開するとのことで、店のカウンターや保冷庫等、準備ができていた。

<陸前小泉駅付近、津谷川河口>
 小泉大橋の南側に、津谷川に伴走するように気仙沼線が走っています。このあたりは陸橋の構造になっていますが、その陸橋は津波で破壊されて断列しており、驚いたことに陸橋の上に流されてきた家が何軒も乗り上げてひっかかり、その撤去作業が行われていました。この撤去作業もまた大変なことで、いつ余震が来て崩れてもおかしくない陸橋の上ですから、命がけの作業と言えるのではないでしょうか。

    陸前小泉駅付近の線路。川沿いを走っている。


    断裂した気仙沼線の陸橋


    断裂した気仙沼線線路と津谷川河口。川の中にはまだ乗用車が放置されている。


    陸橋の上に津波で流されてきた家が乗り上げ、命がけの撤去作業が行われていた。

<歌津町伊里前、伊里前湾>
 この静かな入江は海岸沿いに新しい道が陸橋を架けて通っていたのですが、津波でその陸橋は完全に破壊されてしまっていました。そのあたりにあったはずの住居も土台を残しただけで跡形もありません。海岸から離れたところに学校と思わしき建物がありましたが、低いところの建物は破損がひどく、高台の建物は下から見る限りでは大丈夫そうに見えました。海に何隻か船が浮かんでいましたが、漁をしているというよりは何かを探しているように見受けられました。

    歌津町伊里前。伊里前湾にかかる陸橋の道路は完全に破壊されている。


    跡形もなく壊された住居


    津波で壊された陸橋


    海岸近くの低い場所は壊滅していた。


    伊里前湾の陸側の状態。高台の学校らしき建物は大丈夫そうに見えるが、その他は粉々。


(被災地巡礼Ⅱ② 志津川町に続く)
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月光の鳳凰山一夜 平成23年8月12-13日(2日目)

2011年08月18日 | 南アルプス
 鳳凰山砂払山に到着したのは夜の10時半。テントを被って寝たのは12時だったが、寒くて何度も目が覚め、ほとんど徹夜に近い状態で未明3時に起きて活動を開始した。その間にタイマーをかけて白根三山側を1分おきに約170カット撮影したが、残念ながら流星は1個も写ってくれなかった。空を見上げている時に見た流星も1個だけだった。明る過ぎる月とやや霞んだ空のため、あまり条件が良くなかった。

 8月13日(2日目)

 月光に照らされた空は青く映る。それに薄明の青さが加わってオリオン座の浮かぶ空は真っ青に映った。流星はダメだったが、雲海の上に富士山が顔を出し、甲府盆地の光害を雲がかき消してくれたおかげで、美しいオリオン座を見ることができた。しだいに空が明るみ、星が消えて朝焼けの赤い空に染まる。美しい朝のひと時だ。場所を薬師岳に移動する。ここには鋸歯のようにギザギザした岩があり、前景に入れて富士山を撮影するには絶好だ。同じ場所を狙っていたカメラマンが三脚を立てていて、その脇に入れてもらって撮影する。

    夜明けのオリオン座と富士


    薬師岳岩峰と朝富士


    同上  別の場所から。

 さらに観音岳に向かって足をすすめる。朝焼けの空はこの途中で終わってしまい、白根三山の中腹まで朝日が差し込むようになる。途中の白砂帯にタカネビランジが群生している場所があったが、既に花期は過ぎており、痛んだ花ばかりだった。観音岳山頂の岩の上に乗り、周囲の景色を撮りながらしばし休憩し、今度は地蔵岳に向かう。

    薄明の白根三山


    タカネビランジとトウヤクリンドウ


    南アルプス特産種 タカネビランジ


    笠雲かかる北岳(観音岳から)


    朝の白根三山(観音岳から)


    雲湧く薬師岳と富士


    朝日射す岩峰と地蔵岳

 観音岳と地蔵岳のコルのところで少し遅い昼食をとる。時間は8時。これから地蔵岳、高嶺を越えて白鳳峠から広河原に降りる予定だが、寝不足がたたってこの時点で既にヘロヘロ状態だ。見上げる高嶺までの稜線は長く、しかも高嶺への昇りはかなり急峻に見える。食事を終えて出発した頃には雲が湧き始め、すっかりあたりの山々は見えなくなってしまった。案の定、高嶺への昇りは崖を登るような急傾斜で、40分と地図に書かれているところを1時間以上もかかってようやく高嶺の山頂に到着した。時間は10時半、これから広河原までの標高差1,200mを下らなければならない。

    雲巻く地蔵岳


    赤抜沢の頭岩峰  


    赤抜沢の頭から見る地蔵岳

 高嶺から先の道は本当に酷かった。昇って来たよりもさらに傾斜のある急下り、岩につかまりながら慎重に下りる。今度は大きな石の堆積したゴーロ帯だ。急いで歩けるような道ではない。白鳳峠に11時5分ごろ到着し、軽食をとってまた歩き出すが、再び歩きにくいゴーロ帯が続き、樹林帯に入ったと思ったらこちらはスリップしそうな急傾斜の道が続く。そのあたりはまだ良いほうで、ハシゴの連続する急下り、左方向にトラバースしたかと思えばまた急傾斜の下り・・・笊ヶ岳を思い出すような(あるいはそれ以上か?)の傾斜、かつ悪路で、久しぶりに膝がガクガクして力が入らなくなった。

    高嶺への急登  寝不足と歩き疲れで頭がクラクラ・・・


    一瞬だけ見えた高嶺から見る地蔵岳


    高嶺山頂。いつかここで一夜を明かして星空を撮りたいと思っているが、テントを張るのは難しそう・・・。


    高嶺から見る北岳。正面に見えるのが大樺沢。

 地図上では2時間半の道を2時間少々でなんとか下り、1時50分ごろ広河原に到着した。バスの時間は2時だと思っていたのだが、時間を間違えており、1時45分のバスが行ってしまった後だった。しかし、幸運なことにジャンボタクシーがお客さん2人を乗せて出発する直前で、そのタクシーに乗せてもらい、結局はバスを追い抜いて先に夜叉神峠に到着した。2時半、無事に車に到着。

    白鳳峠。ここまでの道は途中が崖のように急峻。


    白鳳峠上部のゴーロ帯。北岳の眺望が良い。この先の樹林帯は再び急峻、途中にハシゴが連なる。


    入り口だけは良さそうに見えるが実際はかなりの悪路。心して通過すべし!

 汗だくだったので芦安の山渓園といういつも利用している温泉に立ち寄って汗を流した。休憩室でちょっと横になったら1時間ほど意識を無くしていたようで、目を覚ませば4時半を回っていた。鳳凰山はどこから登っても下りても大変、睡眠不足で歩くような山ではないことをあらためて感じた。
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月光の鳳凰山一夜 平成23年8月12-13日(1日目)

2011年08月18日 | 南アルプス
 ペルセウス座流星群が極大の頃を迎えるお盆の週末、明るい月が邪魔をするが空気の澄んだ山の上ならば観察できるかもしれない。しかし、仕事の都合で13日の土曜日か14日の日曜日のいずれかは、短時間ながら出勤しなければならない。となると、選択枝はかなり限られてくる。夜でも簡単に登れる近場の山に行くか、それとも金曜日午後に強行して登って翌日下山するか・・・この頃の月は南南東の低い位置から昇って来るので、鳳凰山から見ると富士山に近い位置から昇り、北岳あたりに沈んで行くのを以前から計算してあった。ベストは鳳凰山薬師岳あたり、しかし、夜叉神峠から登ったとして少なくとも7時間はかかる。しかも夜道となると・・・。土曜日の天気予報は午後雨、迷いに迷ったが、雨と午後の雷を避けて安全に登るにはやはり12日の金曜日しか無い。午前の業務を終え、意を決して午後から甲府を出発し夜叉神峠登山口に向かう。

 8月12日(1日目)
 歩き始めたのは午後3時近くになってしまった。足の遅い私は果たして何時に薬師岳に到着するのやら。夜叉神峠を4時に通過、杖立峠6時、その先にある火事の跡地には6時半ごろ到着した。ここで軽食をとって休憩し、日没を迎える。夜叉神峠では雲のかかっていた白根三山が少しずつ姿を現し始め、東の空には金色の月が昇って来ていた。火事場の跡地の上部に富士山が見える場所があるのでそちらに行ってみたが、厚い雲に巻かれて富士山は全く見えなかった。

    夜叉神峠中腹に咲いていたバイケイソウ。花は緑色と思っていたが、白い花も咲くらしい。


    夜叉神峠から見る白根三山  雨が降りませんように・・・と祈る。


    火事場の跡地  ここで日没となる。


    夕暮れの白根三山  火事場の跡地から撮影。この頃には空が次第に晴れてきた。

 ヘッドライト点灯してさらに登ってツガの樹林帯をひたすら行くと、ようやく苺平に到着、時間は8時。さらに南御室小屋には8時40分になんとか到着した。ここで水を汲んで休憩しているとテント泊の若者が1人やって来た。単独行で、5泊で塩見岳まで縦走するという羨ましい限りの山行だ。私もやってみたいが、体力的に2泊3日がせいぜいだろう。

    夜の南御室小屋。月光が射し込む。

 9時、南御室小屋出発。月の位置がだいぶ高くなってきている。急がねば、と思いつつも遅い足はどうにもならない。10時半に砂払到山到着し、薬師岳はもう目の前だったが、薬師小屋の前を通って薬師岳山頂に寝るのはさすがに気が引けてしまい、白根三山の眺望が良い場所を選んでそこでテントをかぶって寝ることにした。

    月光射す入道雲と滝雲  滝雲のかかる山は辻山、入道雲の中には富士山が隠れている。(砂払山から)


    月光射す砂払山


    同上  別の角度から。向こうに見えるのは薬師岳から観音岳に続く稜線。


    月光の白根三山  空には雲があり、流星撮影は難しそうだ。


    月昇る白根三山  (正確には沈んで行く月ですが・・・)


    やがて月は北岳あたりに沈んで行く。その間、撮影したのは約170カットだが・・・

 月光に照らされ、雲と霞に巻かれた白根三山が幻想的に浮かんでいた。白根三山側の空は雲がかかってしまい、ペルセウス座流星群の撮影はちょっと厳しそうだ。岩の上に三脚を立て、タイマーで1分おきにシャッターが切れるようにセットして12時、明日の下山のことを考えて一旦寝る。シュラフカバーとウォームアップシーツの中に潜り込み、さらにテントをかぶったが標高2,700mの山上の夜はやはり寒く、何度も目が覚める。そして東の空にオリオン座が昇って来る未明3時、相当眠かったが気を引き締めて起き上がり、装備を撤収して今度は富士山の見える東側の撮影にとりかかる。(2日目に続く)


    薄明に昇るオリオン座
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花咲く北岳 平成23年7月16-18日(3日目)

2011年08月04日 | 南アルプス
 7月海の日の三連休2日目、北岳肩の小屋は今までに無い混雑だった。何度も利用している肩の小屋だが、1階までほぼ満室となり、食堂を寝床として開放したのを見たのは初めてだった。しかし、半分折りの毛布に1人ずつ寝られるだけのスペースは確保できた。決してきれいとは言えない肩の小屋だが、この小汚さが山に来ているという感覚を湧かせてくれ、私は好んでこの小屋を使っている。

 7月18日(3日目)
 早朝3時に起床して準備を始める。日の出は4時40分ごろで、それまでに山頂に到着するには3時半前に出発しなくてはならない。この日に夜明けの山頂を目指したのは8人中5人。2人は夜が明けてから山頂を目指し、1人は前日山頂を踏んだので小屋で待機となる。3時20分ごろヘッドライト点灯して小屋を出発し、順調に登って1時間ほどで山頂到着となった。
私は標高点のある南峰には行かず、北峰の上で1人三脚を構える。薄明の青い空には若干間に合わなかったが、台風接近のためかこの日の空は面白い雲が流れ、空は赤く焼け始めていた。北岳北峰から見る南峰の上には人がたくさん集まっていて日の出を待っているのが見える。その左側に富士山、右下側に間ノ岳から農鳥岳に続く3,000mの山並が連なる。甲斐駒ケ岳や仙丈ケ岳も良く見え、撮影場所としては南峰よりもこちらのほうが優れている(と思う)。

    北岳山頂と朝焼けの空


    朝焼けの甲斐駒ケ岳


    朝焼け雲流れる仙丈ケ岳

 日の出が近付くにつれて空はますます真っ赤に焼けてくる。眼下の雲海と朝焼けの空、流れ行く雲、めったに見られない素晴らしい景色が360度の眺望で広がる。何度も山の上で朝を迎えているが、これほどの朝はほんの数回しか記憶に無い。今回のメンバーはきっと山の神様に愛されているのだろう。

    朝焼けの空


    燃える朝焼け空に昇る朝日


    影北岳

 赤く焼けた空の下、やがて奥秩父山塊から朝日が昇る。空を真っ赤に染めて昇る朝日にしばし酔い痴れる。後に肩の小屋の小屋主、森本さんに話を聞いたが、今シーズン最高の朝だと言っていた。ふと後側を見れば大きな影北岳が出ていた。南峰に移動し、この影北岳を入れながら山梨百名山標柱のところで記念撮影する。朝日を浴びて皆の顔も赤く焼けた。

    北岳山頂で影北岳とともに記念撮影

 ここで2人は寒さと寝不足のためリタイアして肩の小屋に戻り、私を含めて残り3人は南東側斜面(トラバース道付近)のお花畑を見るため北岳山荘側に行く。北岳はこの先のお花畑が凄い。斜面一面に広がるハクサンイチゲを中心としたお花畑を前景に間ノ岳や仙丈ケ岳を入れて撮影するポイントがゴロゴロしている。今年はミヤマオダマキが例年に無くたくさん咲いていた。キンロバイは雪崩で木が傷んだのか(キンロバイは草ではなく低木)茶色い木の上部が露出して花がついていなかった。他にイワベンケイやハハコヨモギ、ミヤマシオガマ、チシマアマナなどの花が咲き、ウラジロキンバイという花も見つけた。ただ、絶滅危惧種キタダケキンポウゲはかなり注意して山頂付近のお花畑を探したつもりだったが、発見できなかった。

    ハクサンイチゲのお花畑と間ノ岳


    ミヤマオダマキ咲くお花畑


    イワベンケイ


    ミヤマオダマキ


    ハハコヨモギ


    山頂付近のお花畑と中央アルプス


    北岳山頂から見る北峰と甲斐駒ケ岳  朝は向こうのピークから撮影。私しかいませんでした。

 8時半、肩の小屋に戻る。荷物を詰めなおし、着替えをして最後に肩の小屋前で小屋主さんとともに記念撮影をして下山となる。毎年のように訪れているためか、顔と名前を覚えていただいたようだ。9時半下山開始、予定では3時のバスかタクシーに乗るはずだったがピッチが上がらず、4時ごろのジャンボタクシーに乗って芦安に戻った。芦安町営の山渓園という温泉に立ち寄り、3日間の汗を流して甲府に戻った。

    小屋主の森本さんとともに記念撮影

 初心者を連れての北岳だったが、全員無事に山頂に登り、下山できたことが何よりだった。若干雨に降られはしたが、花も景色も最高の条件に恵まれた素晴らしい山行だった。後に甲府駅前のTime Gangという飲食店で反省会をやったが、メンバー一同大満足だった。みんな楽勝で登ったと思っていたのだがそうでもなかったようで、疲れるには疲れたようだ。次の山をどこにするか、また検討したいと思う。
コメント (7)
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