「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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 「白毫寺」(びゃくごうじ)

2011年09月01日 07時51分06秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 奈良市東部の高円山山麓に建ち、奈良盆地を一望にできる花の寺「白毫寺」を訪ねた。
 霊亀元年(715)、天智天皇の第七皇子である志貴皇子の没後、天皇の勅願によって皇子の山荘跡を寺としたことに始まると伝えられているが、高円山付近にあった「石淵寺」(いわぶちでら)の一院であったともいわれている。

 「石淵寺」は空海の剃髪の師であった勤操が建てたとされる寺院で、鎌倉時代になって西大寺の叡尊によって再興され、叡尊の弟子である道照が将来し経蔵に収めた宋版一切経の摺本によって、一切経寺とも呼ばれ庶民信仰として繁栄した。室町時代の「応仁の乱」から「明応の政変」へと続き、明応6年(1397)古市(古市澄胤)と筒井(筒井良舜)勢による白豪寺の戦いにおいて堂宇のことごとくが焼失したが、江戸時代寛永年間に興福寺の学僧空慶上人が再興し、江戸幕府から朱印寺として禄高五十石を扶持され繁栄した。寺号の「白毫」は、仏の眉間にある白い巻毛のことだという。

 本堂の作りは素朴で簡素、それがまた落ち着きのある侘びを漂わせている。穏やかな表情の本尊「木造阿弥陀如来像」(重要文化財)を中心に、脇侍の「勢至菩薩像」と「観音菩薩像」の三尊像が祀られている。

 本尊は檜材の寄木造で、平安時代末期から鎌倉時代頃の作といわれる。脇侍の二体は坐像ながら前傾姿勢をとっており、今にも立ち上がりそうな動きを感じる。腰の辺りの裾も風になびいたような表現になっていて、躍動感もあふれており、台座部分に虎の毛皮を模した彩色がほどこされている。

 宝蔵に安置されている元・多宝塔の本尊とされる当寺最古の仏像「木造菩薩坐像」(伝文殊菩薩)は、高く結った髻の形、両脚部の量感のある表現や荒々しい衣文表現などには平安初期彫刻の特徴がみられる。また、鎌倉時代作の「地蔵菩薩立像」(重文)」は凛々しい表情で、彩色も鮮やかである。さらに、冥界の十王の一人で運慶の孫・康円の作といわれる「太山王坐像(重文)」もある。奈良にはこうした閻魔系の仏像は少ないため、愛好家の足が絶えないという。

 当寺は花の寺としても親しまれており、奈良三名椿の一つ「五色椿」で全国的にも知られている。
「五色椿」は、興福寺の塔頭「喜多院」から移植されたもので、樹高は約5mもあもる。一つの樹に、白色・紅色・紅白絞りのなど、様々な色合いの花をつけるのが特徴で、樹齢およそ400年、県の天然記念物に指定されている。根廻り1m、根本から80cmほどのところで幹が二分している。花は大輪の八重で、白色のもの紅色のもの紅白絞りのものなど色とりどりで、楚々たる気品に満ちている。

 境内の隅には、「石佛の路」という小さな石仏が並ぶ場所もあり、それほど規模の大きな寺ではないが、とても穏やかな気持ちにさせてくれる。

住所: 奈良県奈良市白毫寺町392。
近鉄「奈良駅」から奈良交通バス「高畑町」下車、徒歩約20分。
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