今井町は戦国時代の天文年間(1532~55)、一向宗の今井兵部が称念寺を開き、独自の自治組織を持つ寺内町を建設したいたことに始まる。乱世のため町の周囲に濠や土塁をめぐらせた環濠集落として発展した。織田信長に降伏後は商業町として賑わい、江戸時代は町年寄の合議制で運営され、堺と並ぶ自治都市として「海の堺、陸の今井」と呼ばれた。両替商、肥料商、酒造業さらには、木綿業などにより経済的に栄えた。
周囲を濠と土居で囲み、9つの門を開いた環濠集落の形態をとっており、旧環濠内には、今なお約650戸の江戸以降の伝統的な様式を保つ町家が古い町割りと相まって残存しており、これほど整った地区は全国的にも例を見ない。現在では濠は一部を残すだけだが、町割りは昔のままで道はどれも細く、ところどころに設けた「食い違いの道」により侵入者をかく乱し、一方、味方が自由に動けるよう住民しか知らない露地を縦横に走らせている。
町は平成5年12月に重要伝統的建造物群保存地区に指定された。現在旧環濠内にある古い様式をもつ民家は全体の8割近くをしめており、このうち重要文化財に指定された民家が八軒にものぼる。
まず、近鉄八木西口駅から南に歩き蘇武橋を渡って、飛鳥川沿いを南に下った所に、2階建て和洋折衷の明治建築の今井町並み交流センター「華甍」(はないらか)がある。ここから元の道に戻り、途中で西に曲がると、ここでは珍しい完全な2階建て、19世紀前半の建物の「木家」に行きつく。
この先を進むと「河合家」で、東側が入母屋造りで、西側が切り妻造りになっており、玄関先には杉玉が下がり、今でも代々からの造り酒屋が続いている。
家の北側の道を西に少し歩いて行くと「米谷家」で、土間には、かまど、流しなどが残っている。この界隈にはこの他、「音村家」、「上田家」、「今井まちや館」、「中橋家」、そしての今井町建設の中心となった「称念寺」(次回に紹介)があり、町はこの寺を中心に寺内町として発達した。
さらに北に向かって角を西に折れると、太い縦格子が印象的な、約300年前に建てられた町屋を利用した茶屋の「古伊」がある。ここいらで一服して、抹茶やぜんざいを楽しみながら古に思いを馳せてはいかがだろう。
ではお薦めの建物などを紹介しよう。
■今西家(重文)
代々今井町の惣年寄の筆頭を勤めた家系で、もとは十市氏の一族、川井権兵衛清長が十市氏に従って、永禄9年(1566)に移住し、3代目より今西姓を名乗ったという。西端には堺に向える西口門が開かれ番人小屋がおかれていた。建物は、棟札・鬼亙銘より、慶安3年(1650)の建設といわれ、外壁を白漆喰塗ごめとし、大棟の両端に段違いに小棟を付け、入母屋造りの破風を前後くい違いにみせ本瓦で葺いて堂々と、民家というより城郭を思わせ、「八つ棟造り」として知られており、八棟造りの民家は、江戸時代でもそう多くはなかったいうから、この造りが許されたのは、この地の町人の力の大きさの現れであったいえよう。
2階正面の壁には、向かって右方に川の字を井桁枠で囲み川井氏の定紋を入れ、左には菱形三段に重ねた旗印を付けている。定紋・旗印・屋根の形も威厳がある。
内部は、東側に二列六間取りの部屋をとり、西側は広い土間とし、北面に大戸を開き、西北隅に「しもみせ」をとる今井町民家の六間取りの平面形式をとっている。
■米谷家(同)
「米忠」の屋号をもつ元は金物商で、寛文2年(1662)に建設。屋根は入母屋本瓦葺、2階正面壁に、丸に木の字の紋がある。2本の大黒柱、ふんだんに木材を使っている。18世紀中期の建物で、後に土蔵や蔵前座敷を増築している。内部は他家と異なる五間取りで、土間には立派なかまどや「煙返し」が取り付けられるなど農家風のイメージがある。
■河合家(同)
屋号は「上品寺屋」。18世紀中頃に建てられ、早い時期の2階建て町家。屋根の東側は入母屋造、西側は切妻造りの本瓦葺。江戸時代創業の造り酒屋。当時の店構えを今に残している。今も酒造業を営み、軒先には酒屋の看板となる杉玉が吊されている。
■音村家(同)
17世紀後半の建物。屋根は切妻本瓦葺平入。主屋西北隅に2間続きの「つのざしき」、西側に「ざしき」がある。西側道路に門を開き、直接「ざしき」に通じる。
■中橋家(同)
18後半に建てられた。部屋は「みせのま」「ぶつま」境を食違いとした六間取りで、「ざしき」「だいどころ」境も、壁で仕切られ、書院風の飾りもなく古い商屋の特色が見られる。
■上田家(同)
延亨元年(1744)頃のの建築といわれ、今西家などとならび惣年寄りを勤めた家柄。道路から半間後退し、2階は低い。間仕切り装置が多彩。大戸口は「すりあげ戸」奥の部屋は袖壁に戸を引き込む帳台構えがある。
■今井まちや館
本町筋のほぼ中央に佇む18世紀初期の町家。明治以降は空き家で老朽化していたが復元され、資料館として公開されている。1階には土間や「しもみせ」がある、二列六間という大型民家の間取。周りの敷居が高くなった「帳台構え」、必要に応じて全開、半開できる「あげ戸」など、当時の建築手法を身近に見ることができる。
所在地:橿原市今井町。
交通:近鉄橿原線で八木西口駅下車、徒歩5分。JR桜井線でJR畝傍駅下車、徒歩10分。
周囲を濠と土居で囲み、9つの門を開いた環濠集落の形態をとっており、旧環濠内には、今なお約650戸の江戸以降の伝統的な様式を保つ町家が古い町割りと相まって残存しており、これほど整った地区は全国的にも例を見ない。現在では濠は一部を残すだけだが、町割りは昔のままで道はどれも細く、ところどころに設けた「食い違いの道」により侵入者をかく乱し、一方、味方が自由に動けるよう住民しか知らない露地を縦横に走らせている。
町は平成5年12月に重要伝統的建造物群保存地区に指定された。現在旧環濠内にある古い様式をもつ民家は全体の8割近くをしめており、このうち重要文化財に指定された民家が八軒にものぼる。
まず、近鉄八木西口駅から南に歩き蘇武橋を渡って、飛鳥川沿いを南に下った所に、2階建て和洋折衷の明治建築の今井町並み交流センター「華甍」(はないらか)がある。ここから元の道に戻り、途中で西に曲がると、ここでは珍しい完全な2階建て、19世紀前半の建物の「木家」に行きつく。
この先を進むと「河合家」で、東側が入母屋造りで、西側が切り妻造りになっており、玄関先には杉玉が下がり、今でも代々からの造り酒屋が続いている。
家の北側の道を西に少し歩いて行くと「米谷家」で、土間には、かまど、流しなどが残っている。この界隈にはこの他、「音村家」、「上田家」、「今井まちや館」、「中橋家」、そしての今井町建設の中心となった「称念寺」(次回に紹介)があり、町はこの寺を中心に寺内町として発達した。
さらに北に向かって角を西に折れると、太い縦格子が印象的な、約300年前に建てられた町屋を利用した茶屋の「古伊」がある。ここいらで一服して、抹茶やぜんざいを楽しみながら古に思いを馳せてはいかがだろう。
ではお薦めの建物などを紹介しよう。
■今西家(重文)
代々今井町の惣年寄の筆頭を勤めた家系で、もとは十市氏の一族、川井権兵衛清長が十市氏に従って、永禄9年(1566)に移住し、3代目より今西姓を名乗ったという。西端には堺に向える西口門が開かれ番人小屋がおかれていた。建物は、棟札・鬼亙銘より、慶安3年(1650)の建設といわれ、外壁を白漆喰塗ごめとし、大棟の両端に段違いに小棟を付け、入母屋造りの破風を前後くい違いにみせ本瓦で葺いて堂々と、民家というより城郭を思わせ、「八つ棟造り」として知られており、八棟造りの民家は、江戸時代でもそう多くはなかったいうから、この造りが許されたのは、この地の町人の力の大きさの現れであったいえよう。
2階正面の壁には、向かって右方に川の字を井桁枠で囲み川井氏の定紋を入れ、左には菱形三段に重ねた旗印を付けている。定紋・旗印・屋根の形も威厳がある。
内部は、東側に二列六間取りの部屋をとり、西側は広い土間とし、北面に大戸を開き、西北隅に「しもみせ」をとる今井町民家の六間取りの平面形式をとっている。
■米谷家(同)
「米忠」の屋号をもつ元は金物商で、寛文2年(1662)に建設。屋根は入母屋本瓦葺、2階正面壁に、丸に木の字の紋がある。2本の大黒柱、ふんだんに木材を使っている。18世紀中期の建物で、後に土蔵や蔵前座敷を増築している。内部は他家と異なる五間取りで、土間には立派なかまどや「煙返し」が取り付けられるなど農家風のイメージがある。
■河合家(同)
屋号は「上品寺屋」。18世紀中頃に建てられ、早い時期の2階建て町家。屋根の東側は入母屋造、西側は切妻造りの本瓦葺。江戸時代創業の造り酒屋。当時の店構えを今に残している。今も酒造業を営み、軒先には酒屋の看板となる杉玉が吊されている。
■音村家(同)
17世紀後半の建物。屋根は切妻本瓦葺平入。主屋西北隅に2間続きの「つのざしき」、西側に「ざしき」がある。西側道路に門を開き、直接「ざしき」に通じる。
■中橋家(同)
18後半に建てられた。部屋は「みせのま」「ぶつま」境を食違いとした六間取りで、「ざしき」「だいどころ」境も、壁で仕切られ、書院風の飾りもなく古い商屋の特色が見られる。
■上田家(同)
延亨元年(1744)頃のの建築といわれ、今西家などとならび惣年寄りを勤めた家柄。道路から半間後退し、2階は低い。間仕切り装置が多彩。大戸口は「すりあげ戸」奥の部屋は袖壁に戸を引き込む帳台構えがある。
■今井まちや館
本町筋のほぼ中央に佇む18世紀初期の町家。明治以降は空き家で老朽化していたが復元され、資料館として公開されている。1階には土間や「しもみせ」がある、二列六間という大型民家の間取。周りの敷居が高くなった「帳台構え」、必要に応じて全開、半開できる「あげ戸」など、当時の建築手法を身近に見ることができる。
所在地:橿原市今井町。
交通:近鉄橿原線で八木西口駅下車、徒歩5分。JR桜井線でJR畝傍駅下車、徒歩10分。