「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

 「退蔵院」(たいぞういん)

2007年12月05日 22時51分42秒 | 古都逍遥「京都篇」
 国宝の「瓢鮎図(ひょうねんず)」で知られる退蔵院は、臨済宗妙心寺の塔頭の中でもかなり大きな敷地を有している。越前の豪族・波多野重通(はたのしげみち)が妙心寺第三世無因宗因禅師に帰依して、応永11年(1404)千本通松原に創建、のち日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)により妙心寺山内に移された古刹である。応仁の乱で焼失し一時期衰退するが、後奈良天皇の帰依が深かった亀年禅愉(きねんぜんゆ)により再建された。

 庭園は室町時代の画家、狩野元信が築庭した枯山水の庭で、「元信の庭」と呼ばれている。画家としての元信が立体的な絵として庭を描いたと思われ、眺めていてもいつまでも飽きがこないほどの美観庭園で、枯滝・蓬莱山・亀島と石橋など多数の庭石が豪快に組まれており、江戸時代に発行された「都林泉名勝図絵」にも著されている。
 また、垣根を隔てて築かれた回遊式庭園は昭和38年(1963)から3年の月日を費やして造園家の中根金作(なかねきんさく)が作庭した昭和を代表する名園で余香苑(よこうえん)と名付けられている。深山幽谷の趣きと平安王朝の雅びやかさをもつ広い庭
で、桜、つつじ、藤、紫陽花など四季折々に花が咲き、また大刈込みの間から三段落ちの滝が流れ落ち、深山の大滝を見るような風情があり、一面の苔の緑があざやだ。

 大休庵の季節の花を楽しみながら銘菓「瓢鮎菓子」と抹茶の一服(500円菓子付)は、まさに雅人になった気分となる。
 「つくばい」の下深くに瓶を伏せ込み、手水に使われた水が瓶に反響して琴の音のように聞こえる「水琴窟」(すいきんくつ) の清らかな音にも心がなごむ。

 方丈の廊下に掛けてある教科書などにも良く登場する国宝の「瓢鮎図(ひょうねんず)」は、水墨画の祖といわれる如拙が描いたもので、「鯰(なまず)」(「鮎」は「なまず」の古字)を瓢箪で捕まえるという難題を当時の禅僧に考えさせたそうで、不可能な問いかけを図示したものであり、禅の公案を絵画化したものであるといわれている。現状、紙面の下半に絵があり、上半部には序文に続けて当時の京五山の31名の禅僧による賛が書かれているが、当初は座屏(ついたて)の表裏にそれぞれ絵と賛を貼ったもので、室町時代の代表的水墨画。画面上部の序文により、室町幕府四代将軍足利義持の命で制作されたことがわかる。宮本武蔵は瓢鮎図を前に自問自答したといわれる。展示されている
のは江戸時代の模作で、原品は京都国立博物館に寄託されてある。

 方丈(重要文化財)内部の襖絵は狩野光信の高弟であった狩野了慶の筆によるもので、桃山後期の優れた遺品とされる。(内部は通常非公開)本山の南門西にある「勅使門」は親柱2本、控え柱四本からなっており、様式名を「四脚門」と言います。退蔵院「薬医門」は親柱2本、控え柱2本から成り、当時、高貴な薬医にしか与えられなかった御屋敷門の形で、妙心寺塔頭でも、バランスの整った美しい形状を残した「薬医門」であると
言われており、江戸中期に建設された。

 所在地:京都市右京区花園妙心寺町35番地。
 交通:JR嵯峨野線「花園駅」下車、徒歩10分。JR京都駅より京都市バス「妙心寺北門前」(約40分)下車、徒歩すぐ。


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