清水寺から15分ほど静かな林道を歩くと六条天皇陵の横に、清閑寺がある。
和歌や古典文学に名高い当寺は、延暦21年(802)に天台宗の寺として創建され、一条天皇の時代に佐伯公行に再興されたという。このとき菅原道真が梅樹で自ら彫ったという十一面観音が本尊として伝わってる。かつては清水寺と並ぶ大寺であったというが、焼失後再建されず、小さな本堂が建つ侘びた古寺となっている。現在は真言宗智山派の寺。
「平家物語」で名高い小督局(こごうのつぼね)ゆかりの寺としても知られているが、寺伝によれば、小督局が23歳のとき宮中を追われ、ここで出家した。ひっそりと高倉天皇を偲びながらこの地で死んだと伝えている。山中には小督の局を愛した高倉天皇の陵がある。
また、寺内には西郷隆盛と清水寺住職月照上人が謀議をした茶室郭公亭もある。清水寺から清閑寺へ向かう杉並木の山道は古くから知られた紅葉の名所で、途中にある清水寺塔頭泰産寺(たいさんじ)の子安塔(重要文化財)は、安産祈願で有名。江戸時代初期の再建で、もとは坂上田村麻呂の娘が皇子の誕生を祝って建てたものと伝わっている。この場所からは清水寺が一望でき、境内からの眺望は絶景である。庭の前方に大きな石があり、この位置から扇を開くように京都市街が見える。ちょうど扇の要の位置に当たることから要石(かなめいし)と呼ばれ、この石に願いを掛けると叶うという信仰がある。
昔は山科方面から京に出るときはこの付近を通り、ここで京の都が見えるので1つの名所になったらしい。
またこの付近は京都の陶磁器の元祖ともなった場所で、八世初頭に窯ができ、これを発展させた清閑寺窯から清水焼が生まれ、続いて粟田口焼(あわたくちやき・粟田神社に発祥の碑がある)が生まれ、さらにこの2つの流れから京焼が生まれた。
京焼について少し紹介しておくと、京都の陶器は、天平年間(729~49)に行基(ぎょうき、668~749)が東山の清閑寺に窯を築いたのにはじまると伝えられている。
江戸時代初期より本格的な作陶がはじまり、三文字屋九右衛門が開いた粟田口焼が粟田焼の起源といわれ、その後、東山一帯の音羽・清閑寺・清水などに築かれた窯は清水焼の起源となった。
粟田口の窯にはじまる京都の焼物は、金森宗和(かなもりそうわ、1584~1656)の指導のもと、御室(おむろ)仁和寺門前で窯(御室焼)を開いた野々村仁清(ののむらにんせい、生没年未詳)によって開花。
仁清は、粟田口で焼物の基礎を、瀬戸に赴いて茶器製作の伝統的な陶法を学び、また京焼技法である色絵陶器の完成者とも言われている。
その後、寛永期(1624~44)に入ると、赤褐色の銹絵が多かった初期の清水・音羽焼などは、仁清風を学んで華やかな色絵の陶器を作りはじめ、これらの作品は後に「古清水」と呼ばれるようになった。
所在地:京都市東山区清閑寺山ノ内町。
交通:京阪バス「山ノ内町」下車徒歩3分。
和歌や古典文学に名高い当寺は、延暦21年(802)に天台宗の寺として創建され、一条天皇の時代に佐伯公行に再興されたという。このとき菅原道真が梅樹で自ら彫ったという十一面観音が本尊として伝わってる。かつては清水寺と並ぶ大寺であったというが、焼失後再建されず、小さな本堂が建つ侘びた古寺となっている。現在は真言宗智山派の寺。
「平家物語」で名高い小督局(こごうのつぼね)ゆかりの寺としても知られているが、寺伝によれば、小督局が23歳のとき宮中を追われ、ここで出家した。ひっそりと高倉天皇を偲びながらこの地で死んだと伝えている。山中には小督の局を愛した高倉天皇の陵がある。
また、寺内には西郷隆盛と清水寺住職月照上人が謀議をした茶室郭公亭もある。清水寺から清閑寺へ向かう杉並木の山道は古くから知られた紅葉の名所で、途中にある清水寺塔頭泰産寺(たいさんじ)の子安塔(重要文化財)は、安産祈願で有名。江戸時代初期の再建で、もとは坂上田村麻呂の娘が皇子の誕生を祝って建てたものと伝わっている。この場所からは清水寺が一望でき、境内からの眺望は絶景である。庭の前方に大きな石があり、この位置から扇を開くように京都市街が見える。ちょうど扇の要の位置に当たることから要石(かなめいし)と呼ばれ、この石に願いを掛けると叶うという信仰がある。
昔は山科方面から京に出るときはこの付近を通り、ここで京の都が見えるので1つの名所になったらしい。
またこの付近は京都の陶磁器の元祖ともなった場所で、八世初頭に窯ができ、これを発展させた清閑寺窯から清水焼が生まれ、続いて粟田口焼(あわたくちやき・粟田神社に発祥の碑がある)が生まれ、さらにこの2つの流れから京焼が生まれた。
京焼について少し紹介しておくと、京都の陶器は、天平年間(729~49)に行基(ぎょうき、668~749)が東山の清閑寺に窯を築いたのにはじまると伝えられている。
江戸時代初期より本格的な作陶がはじまり、三文字屋九右衛門が開いた粟田口焼が粟田焼の起源といわれ、その後、東山一帯の音羽・清閑寺・清水などに築かれた窯は清水焼の起源となった。
粟田口の窯にはじまる京都の焼物は、金森宗和(かなもりそうわ、1584~1656)の指導のもと、御室(おむろ)仁和寺門前で窯(御室焼)を開いた野々村仁清(ののむらにんせい、生没年未詳)によって開花。
仁清は、粟田口で焼物の基礎を、瀬戸に赴いて茶器製作の伝統的な陶法を学び、また京焼技法である色絵陶器の完成者とも言われている。
その後、寛永期(1624~44)に入ると、赤褐色の銹絵が多かった初期の清水・音羽焼などは、仁清風を学んで華やかな色絵の陶器を作りはじめ、これらの作品は後に「古清水」と呼ばれるようになった。
所在地:京都市東山区清閑寺山ノ内町。
交通:京阪バス「山ノ内町」下車徒歩3分。