「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「法然院」(ほうねんいん) 

2006年11月14日 00時57分20秒 | 古都逍遥「京都篇」
正式名称は善気山法然院萬無教寺(ぜんきさん ほうねんいん ばんぶきょうじ)。
鎌倉時代初期(年代不詳)、法然上人が弟子の住蓮・安楽と共に六時礼讃(ろくじらいさん・昼夜6度にわたって阿弥陀仏を礼拝・賛嘆すること。謡曲のように節をつけて念仏する)を唱えた草庵が始まりと伝えられる。

 建永元(1206)12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、女官松虫姫・鈴虫姫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件が生じ、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となり、その後草庵は久しく荒廃することとなった。江戸時代初期の延宝8年(1680)、知恩院第38世萬無和尚は、元祖法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立することを発願し、弟子の忍澂(にんちょう)上人によって、現在の伽藍の基礎が築かれた。

 浄土宗内の一本山であったが、昭和28年(1953)に浄土宗より独立し、単立宗教法人となり現在に至っている。通常伽藍内は非公開であるが、毎年、4月1日から7日までと11月1日から7日までの年2回、伽藍内部の一般公開を行っている。
 本堂は延宝9年(1681)5月に客殿造りの堂宇がまず完成し、貞亨5年(1688)再建の時、佛殿と拝殿を別設した。堂内には、恵心僧都作と伝わる本尊阿弥陀如来坐像の他、観音・勢至両菩薩像、法然上人立像、萬無和尚坐像を安置している。本尊前の須弥壇(しゅみだん)上には、二十五菩薩を象徴する25の生花を散華している。本堂正面の石段上にある地蔵菩薩像は、元禄3年(1690)、忍澂上人46歳の時、自身と等身大の地蔵菩薩像を鋳造させ安置したという。

 苔むした趣のある数奇屋風の茅葺の山門をくぐると、緑深い境内へ。両側には白い盛り砂の白砂壇(びゃくさだん)があり、水を表す砂壇の間を通る事は、心身を清めて浄域に入ることを意味している。住職の話では、白砂壇に描く図柄は水の流れとともに、四季の移ろいをも表現しているという。取材の時は水面に落ちる5月雨の波紋が描かれていた。
 白砂壇の右手に講堂があるが、もとは元禄7年(1694)建立の大浴室であった。昭和52年(1977)に内部を改装し、現在は講堂として、講演会・個展・コンサートなどに利用されている。
 方丈は貞亨4年(1687)に、もと伏見にあった後西天皇の皇女の御殿(文禄4年・1595建築)を移建したものである。方丈内の狩野光信筆の襖絵(重要文化財・桃山時代)と堂本印象筆の襖絵(1971年作)が納められている(夏期は収蔵庫に保管)。
 方丈庭園は、中央に阿弥陀三尊を象徴する三尊石が配置された浄土庭園で、中興以来、清泉「善気水」が絶えることなく湧き出ている。

 経蔵は元文2年(1737)の建立で、中央に釈迦如来像、両脇に毘沙門天像と韋駄天像を安置しており、多数の経典の版木を所蔵している。
 特別公開時期にあたる4月、本堂北側の中庭には、三銘椿(5色散り椿・貴椿・花笠椿)が美的な配置を施して植えられており、鮮やかで気品のある三銘椿が香りを競うごとく咲いている。回廊からのポイントが写真愛好家にとってははずせない。花期は3月下旬から4月中旬。
 非公開期以外でも境内は自由に拝観できるものの、檀家の法要が行われていることが多く、本堂・方丈の方には入れないことが多い。
 小鳥達のさえずりが響く閑静な境内、京の名水が湧く「善気水」の水音も心地よく、四季の花の香りが漂う中、境内奥にある谷崎潤一郎や河上肇など学者・文人のお墓を参るのもよい。

 所在地:京都府京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町。
 交通:JR京都駅から市バス5・17系統で、浄土寺下車、徒歩15分。
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